らいおんの小ネタ劇場

2004 年 11 月 23 日


第 145 回 : 勤労感謝

 居間のテーブルの前でシロウがぼーっと座ってテレビを眺めている。
 普段は常に忙しく動いていて、休んでいる暇を探すほうが難しいシロウだが、今日は朝からずっと何もしていない。
 その代わりに働いているのが――

「セイバー、ごはんできたから運んでくれるー?」
「了解しました、凛。……ところでイリヤスフィール、洗濯は終わりましたか?」
「終わったわよ。後は干すだけから、ごはん食べたらやるね」
「ええ、それで構いません。桜、あなたも手を休めてください。食事にしましょう」
「あ、はーい」
「セイバーちゃん、お腹すいたよぅ」
「……大河、あなたは今日はおかわり禁止です。少しは働いてください」

 ――とまあ、私であり凛であったりするわけです。大河は全く働いていませんが。
 ちなみに働いていないのはシロウも同じなのですが、こちらはむしろ働いてはいけないので問題ないのです。しかし不思議なもので、するなと言われれば逆にしたくなるものです。シロウもその例に漏れず、朝からずっと落ち着きがない。

「なあ、セイバー……」
「む。何か用件でも? 何なりと申し付けてください、シロウ」
「あ、いや……俺もなんかしなくていいのかな」
「ですから、シロウは今日は何もしなくていいのです。私たちに任せて休んでいてください。今日は勤労感謝の日なのですから」
「はあ……」

 この問答もいったい何度目になるだろうか。
 勤労感謝の日とは普段働いている方のために与えられた休日。であれば、いつも働き尽くめのシロウが休みを取るのは当然のことです。だから今日は凛たちと諮ってシロウに休んでいただくために、家事の一切を私たちで引き受けることにしたのです。
 ちなみに今日はシロウのアルバイトの日でしたが、こちらもシロウの代わりにバーサーカーを派遣しておきましたので問題ありません。

 問題があるのはむしろシロウ本人と、ついでに大河でした。
 大河のどこに問題があるのかは言うまでもありませんし、今更言っても仕方のないことです。しかしシロウのほうはそうはいかない。
 シロウに休んでいただくのが本日の趣旨であるというのに、本人が妙に働きたがるのです。説得して一度は納得してもらったものの、それでもやはりじっとしているのは落ち着かないらしい。しかし今日ばかりは彼がなんと言おうと休んでもらわなければ。初志を貫徹するのは大切なことです。


「シロウ、ただ今帰りました」

 日も落ちかけて空がオレンジ色に染まった頃に買い物から帰ってきて玄関から声をかける。膨らんだ買い物袋の中にはたまごが入っているから、中身が崩れ落ちないように腐心しながらそっと置いて、

「シロウ? ……出かけているのでしょうか」

 もう一度呼びかけても返事がないことに首を捻る。出かけているのでなければ、土蔵か道場でしょうか――?

 居間に上がって答えはすぐに目に入った。

「なるほど、寝ていたのですか」

 居間の畳に大の字になってシロウが眠っていた。少しだけ裾がまくれ上がったお腹の上では、子猫のシロが同じように大の字になってお腹を見せている。なんとも平和な光景に、先ほどの呼びかけてシロウを起こさずにすんだことに安堵した。

「やっぱり疲れがたまっていたのだろう。無理もないことですが……」

 台所に買い物袋を置いて、眠っているシロウの枕元に膝をつき、なんとなしにその頬に触れてみる。手触りは私のと比べると少しざらざらとしている。殿方は誰しもこんなものなのでしょうか……私はシロウ以外の殿方に触れたことがないからわからない。

 ――そういえば切嗣は顎にひげが生えていましたね。

 ふとそんなことを思い出して頬から伸ばして顎のほうまで撫でてみたが、彼のようにひげが生えてきそうな兆候はいまだ感じられない。もっとも切嗣にひげが生えていたからといって、シロウも同じようになるとは限らない。血縁上、彼とシロウに結びつきはないのですから。むしろアーチャーにはひげなど生えていないのだから、シロウも生えない可能性のほうがずっと高いはずだ。

 それにしても本当に良く眠っている。先ほどから眠っているのをいいことに無遠慮に触っているというのに、まるで目を覚ます気配がない。
 ならば――と、私は不意な思いつきに自分でも少々気恥ずかしさを覚え、周囲を慌てて見回した。

「……だ、誰もいませんね」

 言葉に出してまで確認し、熱くなった身体と頭を冷やすように冷たい空気を大きく吸い込む。

「ではシロウ……失礼します」

 そっとシロウの頭の下に手を入れて、持ち上げる。それでもなおシロウも猫も目を覚まさないのをちゃんと確認してから、膝を差し込んで手に持っていた彼の頭をそこに降ろした。
 俗に言う、膝枕というやつです。
 するのは初めてではないのですが、やはりなんどやっても少し気恥ずかしい。……が、膝に感じる重みとぬくもりが心地よいのも記憶通りだ。
 少しかたいシロウの髪の毛に手を通して梳きながら、規則正しい呼吸を繰り返すシロウの寝顔をじっと見つめてしまう。

「お疲れ様です、シロウ。いつも感謝しています」

 自然に頬が緩んでくるのがわかる。これではいったい誰のためにこのようなことをしているのかわかったものではない。というよりそもそも私が勝手にしたことなのだから、多分に自分のためであることは間違いないのですが……。
 まあ、どちらでも構わない。それでシロウがゆっくりと休めるのであれば良いのですから。

「……で、あんたなにやってんの?」
「はい、シロウに膝枕を……って、凛!?」

 振り向いたところに凛の顔があり、思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を噤む。シロウのお腹の上で眠っていたシロはびっくりして目を覚ましたようですが、幸いなことにシロウは相変わらず眠ったままで身動ぎすらしない。いえ、そんなことよりも、

「り、凛。いったいいつ帰ってきたのですか? 帰ってきたなら挨拶くらいは……」
「帰ってくるも何も最初から出かけてないわよ。あんたが気づかなかっただけでしょ。にしても……ふぅん、膝枕ねぇ……ふぅん」
「う……これは、その……」

 凛のじっとりと湿っぽい目つきから思わず視線を逸らして明後日の方向を見てしまう。なんら心に疚しいところがあるわけではないのですが、妙に気恥ずかしいというか、気まずいです。

「ま、いいけどね。後で代わりなさいよ、それ。わたしはちょっと電話してくるから」
「で、電話ですか? いったいどこに……」
「うん、アーチャーに家の掃除頼んどこうと思ってさ。じゃ、電話借りるわねー」

 そう言って凛は居間から出て行った。
 しかし……なるほど。あちらのエミヤは勤労感謝の日であっても休めない、ということですか……いつかアーチャーが凛のことをサーヴァント使いが荒いとぼやいていましたが……その言葉に嘘はありませんでしたね。
 年中無休のアーチャーに同情の念を抱きながら、改めてシロウがマスターであったことが幸運であったことを噛み締める。

 少なくとも凛や言峰のような特殊な人物がマスターではなくて良かった、と。