らいおんの小ネタ劇場

2004 年 11 月 20 日


第 144 回 : 猫と陽だまり

「はうー、かわいいよぅー」

 陽だまりになった我が家の縁側で、私服の由紀香が腕に三毛の子猫を抱いてうっとりとした笑みを浮かべている。それだけではなく、頭にはぶちの猫を乗せているし、首の辺りには黒の子猫が襟巻きのように巻きつき、膝の上ではシロがうとうとと目を細めていた。

「由紀香は猫が好きなのですか?」
「はいっ、ふわふわしててにゃーって鳴いて、すごい好きです。あ、でも猫も好きですけど犬も大好きなんです」

 そう言って由紀香は、とても幸せそうに柔らかく笑い、釣られて私も笑顔になってしまう。彼女の笑い顔はとてもあたたかく、見ている人間の気持ちを柔らかなものにしてしまう。きっとそれは相手が誰であっても例外ではないのだろう。
 だからいつもはあまり抱かれることを良しとしない猫たちも、彼女の腕や膝で大人しくしているのでしょう。私が抱き上げた時など、自分が気に入らなければすぐにでも飛び出していくというのに、なんとも現金なものだと思う。

「セイバーさんはこの子たちといつも一緒にいられるんですよね。いいなぁ」
「それはそうですなのですが、時々悪さをすることもあるのですよ。食卓にすぐに上がろうとしたり、私の食事を取ったり……叱っても直らないのです」
「あ、猫って気紛れな生き物だって言いますから……」

 言いながら彼女は猫を撫でる手をやめず、その手元からごろごろと喉を鳴らす音が聞こえてくる。
 確かに、時折小憎らしく感じることもありますが、この子たちはとても可愛らしい。由紀香の膝の上にいる子の頭に手を伸ばして撫でてやると、今日は機嫌がよいのか、大人しく撫でさせてくれた。ふわふわとした毛並みと伝わってくるぬくもりが心地よい。

「おーい、セイバー……と、三枝も一緒だったか」
「衛宮君」
「なんですかシロウ?」

 居間から頭を出したシロウが上着を羽織ながら声をかけてきた。

「今からどこか出かけるのですか?」
「ああ、ちょっと晩飯の買い物に行ってくる。セイバーに一緒してもらおうと思ったんだけど」
「そうなのですか……しかし」
「うん、こっちはいいから三枝と一緒に猫と遊んでてくれよ」
「あ……ごめんなさい、衛宮君。そ、それじゃわたしも一緒に……」
「だからいいって。せっかく猫を見に来たんだから、こいつらと遊んでやってくれよ」

 しょんぼりと眉を落とした由紀香に笑いかけ、シロウは彼女の頭の上にいる猫のあごの下を引っ掻くように撫でる。――そして引っ掻かれた。
 なるほど由紀香は歓迎で私は許可。そしてシロウは不許可ですか。
 猫に限らず動物は食事をくれる人に懐くといいますが、我が家の猫は例外のようですね。

 と、そんな掠り傷など今更どうということもない私とシロウが平然としている中、由紀香は一人シロウの手のひらを見てなにやら慌てだす。

「だ、大丈夫? ち、血が出てるよ!」
「ん? ああ、別になんとも。唾でもつけときゃ治るさ。で、セイバー、今日はなんか食いたいものあるか?」
「そうですね……これといって特にはないのですが、和食にしていただけるのであれば嬉しい」
「了解。……ああそうだ、せっかくだし三枝も一緒に食ってくか、晩飯」
「――え?」
「いやほら、時々昼飯のおかず分けてもらってるお返し……っていうか、どうせなら一緒のほうが楽しいだろ」

 シロウの申し出に由紀香はきょとんと目を丸くする。
 が、それも一瞬で、すぐにいつもの――いや、いつもより少しだけ熱っぽい笑顔になり、首をゆっくりと横に振った。

「ううん、わたしも家の晩ごはん作らなくちゃいけないから」
「そっか。じゃあしょうがないか」
「うん。でも……ありがとう、衛宮君。誘ってくれて嬉しかったです」
「……いや。うん、まあたいしたことないじゃないし、友達だろ? 当たりまえじゃないか、このくらい」

 そう言いながらも明後日の方角を向いて頬などを引っ掻いているのは間違いなく照れくさいからなのでしょう。シロウもシロウで時々素直ではないところがある。それもひどく不器用で、端から見れば隠そうとしているのが丸わかりだ。
 由紀香にもそれがわかっているのでしょう。微笑みを更に深くして、照れているシロウを真っ直ぐに見つめていた。

「さ、さて……それじゃそろそろ行ってくる。早くしないと特売が終わっちまう」
「特売にはまだまだ余裕があると思いますが……ところでシロウ、他に誰か連れて行かなくていいのですか?」
「そうだなぁ……桜は今日は部活だろうし、そうだな――どうせ遠坂辺りが暇してるだろうから、あいつ連れてくよ」
「あっ、衛宮君。ちょっと待ってください」

 背中を向けて玄関に向かおうとするシロウを呼び止めて、由紀香は片腕に子猫を抱きなおし、もう片方の手で自分の服のポケットをまさぐる。

「これ、ばんそうこです。手から血が出てるから……」

 どうして都合よくそんなものがポケットに入っているの気になったが、ともあれ彼女は取り出した絆創膏を片手で器用に剥がしてシロウの手のひらの傷を塞いだ。絆創膏は小さくてピンク色をした、少女らしい可愛らしいものだった。

「はい、これでもう大丈夫。……それじゃ、いってらっしゃい、衛宮君」
「サンキュ、三枝。じゃ、いってくるよセイバー」
「いってらっしゃい、シロウ。どうか気をつけて」

 シロウはわかってる、と言わんばかりに手を振って、今度こそ私たちの前からいなくなった。きっと出かける前に凛の部屋に寄っていくのでしょう。
 それにしても今日は和食ですか……自分で頼んだことですが、とても楽しみです。シロウは基本的にどんな料理を作っても素晴らしいのですが、中でも和食は特に素晴らしい。想像するだけで幸せになれるというのはこのことです。
 凛が作る料理も桜が作る料理も、どちらも美味しいのですが、やはり私はシロウの料理が一番好きです。今日はいったいどんな――

「セイバーさんは、いいなぁ」
「――は、何でしょうか由紀香。シロウの料理は確かにそれはそれは素晴らしいものですが」
「え? 衛宮君のごはんがどうしたんですか?」
「……いえ、気にしないでください」

 どうやら夕食を楽しみにするあまりに少々我を忘れてしまっていたようです。我のことながら不覚。
 由紀香は少しのだけ小首を傾げていぶかしげにこちらを見ていたが、やがてすぐに視線を腕の中の猫に落としてゆっくりとその背中を撫で始める。

「セイバーさんはいいなぁって、ちょっとそんなことを思いました」
「ああ、猫たちのことですか? でしたらいつでも会いに来ればいいではないですか。この子らもきっと喜ぶでしょうし」

 私の言葉を証明するように、猫が喉を鳴らしながら由紀香の腕の中で自分を擦りつけるように寝返りを打つ。私としても由紀香は好きですから、彼女ならばいつ来ても快く迎えることができますし。
 そのことを伝えると、由紀香は顔を上げてこちらを向き、そしてどこか困ったように薄く微笑んだ。

「ううん、猫のこともそうですけどそうじゃなくて……」
「ふむ……ではいったい?」
「…………」


「…………」
「? どうしたセイバー、ぼっとしちゃって」
「あっ、いえ……少し考えごとを」

 結局、由紀香は何も語らず黙したまま帰っていった。彼女は何が羨ましいと言うつもりだったのだろう。
 あの時の、いつも朗らかな彼女が見せた儚げな雰囲気のせいで、そのことがやけに気にかかる。

「セイバー、茶碗空っぽだけどどうする? おかわりいるか?」
「そうですね……いえ、今日はこの辺にしておきましょう」
「なによ。あんたが茶碗三杯なんて珍しいじゃない。いつもだったらまだまだここからが本番だっていうのに。もしかして太ったの?」
「……凛、あなたとは一度互いの認識について深く語り合わないといけないかもしれない」

 などと、いつものように憎まれ口を叩いてくる凛に鋭く視線を返す。
 しかし太ったというわけではありませんが、確かに今日は少し食が進まないのは事実だった。無論、シロウの料理に問題があるわけではなく、彼が作ってくれた料理は今日もとても美味しい。
 それでも食が進まないのは、やはり先ほどのことがずっと気になっているからだろうか。何故こんなにも気になるのか自分でもわからないが……。
 これもある種の直感が命じているのではないかと――なんとなくそんなことを思ってしまっていた。