らいおんの小ネタ劇場

2004 年 11 月 18 日


第 143 回 : 文化祭・最終回

 時間が許す限りの間、シロウといろいろなところを回りました。
 例えば虎が吠える弓道場だったり、人の限界を超える辛味を饗する中華料理店だったり、東方の妖怪変化が住まう屋敷もだったり――挙げてみるとなんだかとんでもないところばかりだったような気もしますが、それでも楽しかったか、と聞かれれば答えなど決まりきっている。
 それは多分に同行者の彼のおかげというのももちろんあるのでしょうが……私の気持ちに嘘偽りはない。今日という日に、私は満足していた。

 ――このまま終わっていたならば、ですが。

「まさか最後の最後でこのような仕打ちが待っていようとは……思ってもみませんでした」
「ちょっとセイバー! あんたもぶつぶつ言ってないでさっさと二番テーブルにお茶持ってく!」

 当喫茶店のメイド長である凛の声に押されるようにして、私はお盆を持って動き出す。
 普段まったく自宅の家事をしない凛がメイド長など片腹痛い――などとアーチャーは嘲笑ってマスターに本気で首を絞められていましたが、いかに彼女がメイドとして全くの無能力者だとしても、今現在、私を指揮する立場であるのは動かしようのない事実だ。
 そのこと自体には――仕方なくではあるものの――否やはありません。協力すると確かに約束したのは私なのですから。

 しかしだからと言って、きぐるみに続いてメイド服まで着させられるとは思いもよりませんでした。
 いや、むしろ考えないようにしていたというほうが正しいのかもしれない。凛を含めた他のクラスメイトも同じ格好をしているのですし。
 だが何故、私のメイド服のスカートだけこんなにも丈が短いのでしょうか。いかに白いニーソックスを履いているとはいえ、足元に冷たい風が吹き込んでくるのは、非常に頼りない感じがします。それに頭に乗せたカチューシャは獅子の耳を模っていますし、尾までついている。
 余計な飾りをつけるのは凛だけで十分ではありませんか。

「ケーキセット二つ、お待たせしました」
「あらセイバー、そんな仏頂面だとせっかくの可愛い格好が台無しじゃない」
「何を馬鹿なことを……」

 笑い声をもらしているメディアに、思わず今の感情をそのまま声に出してしまう。だがそれでも彼女は、それが可笑しいのだと言うように笑うのをやめようとしない。そして本来ならそんな妻を嗜めるべきである夫の葛木宗一郎は我関せず、といった顔で紅茶のカップを口元に運んでいた。

「だいたい何を考えて貴女はこの服を作ったのですか。このような……足元が露になるようなものを」
「決まってるじゃない。あなたに着せたら可愛いと思ったからよ」
「で、ですからその認識がおかしいというのです!」

 私が可愛いなどと、誰が信じられるだろう。このような女らしさに乏しい女を。
 無論、別に余人になんと思われようと私は構いはしないが、だからといって無用の恥までかかせられたいとは思わない。
 シロウに醜態を見せたいなどと、誰が思うものか。

 だというのに、メディアは笑顔を一転させて呆れたようなそれに変えてあまつさえ、

「じゃあ、誰かに聞いてみる? ……そうね、例えばあなたのマスターとか」

 などと言い出す始末で、私が止める間もなくウェイターをやっていたシロウを呼びよせていた。

「なにか用ですか?」
「め、メディア! 余計なことは――!」
「たいしたことじゃないわ。この娘……あなたのセイバーのことだけど、どう思うかしら?」
「どうって……なにがさ」
「決まってるじゃない。可愛いって思うかどうかってことよ」
「あ、ああ……そういうことっすか」

 言ってシロウの視線が私の爪先から頭までをなぞるように上下する。
 当然、私は彼のほうを見ることなどできやしない。何よりも羞恥が立ち勝って、叶うことならば今すぐこの場から去ってしまいたい気分だった。
 ……が、その一方でシロウがどう答えるかを気にしている自分がいるのもまた確かなのだ。

 自分でも現金なことだと思うし、そんな自分を卑怯だとも思う。
 しかし内心でどこか、期待してもいた……シロウの次の言葉を。

「それで? どうなのかしら」

 少し身を乗り出して聞いてくるメディアから身を引き、シロウの表情が少し引きつる。

「い、言わなきゃダメですか」
「当然」

 有無を言わせぬ断定口調。それ以外を許さぬと逃げ道を断たれたシロウは、仕方ないとため息をついて一つ呼吸を整えた。

「そ、そりゃまあ……可愛いに決まってるじゃないか。だってほら、セイバーは元がきれいなんだから何着ても似合うって言うか……。それにそういう格好も新鮮だし、俺は良いと思う。……うん、可愛いぞ」
「う……」

 視線を彷徨わせながら、頬を赤くしてシロウはそんなことを言ってくれた。
 これで……嬉しくないわけがない。
 私は内心を押し隠すのに必死で、多分表情がかなりおかしなことになっていると思うが、自分では見えないので良くわからない。ただ、顔がひどく熱いのできっとシロウと同じように私の顔色も変わっているのではないだろうかという想像だけはできた。

「だ、そうよ。良かったわね、セイバー。あなたのマスターはあなたを可愛いと思ってるそうよ」
「…………」

 無論、今回ばかりは彼女の余計なお世話にも感謝したいと思っているし、私自身も良かったと思っている。けれどそんなことを素直に口にするには少しばかり羞恥のほうが上回っていた。
 しかしそんなことはわざわざ口にしなくてもメディアならばわかっているだろう。私が俯いて表情を伏せていても、それだけで内心を読み取ってしまうくらいには、彼女は人の心を機微を悟るに長けている。
 これが今日一日の最後の思い出だというのならば、このような恥ずかしい格好をしたことも悪くないと思える。あえてもう一度着たいかと問われればもちろん答えは否ですが、今だけはこれを用意してくれた彼女に感謝したい。

「さて……そちらはそれでいいのだが、メディアよ」

 と、それまでずっと黙して気配すら断っていた宗一郎が不意に口を開いた。一瞬、こちらの内心を読まれたのではないかと思って驚いたが、どうやらそのようなことはないようだ。彼の意識はこちらに向いていない。
 いつの間に食べたのか、きれいになったケーキの皿を無言でシロウに差し出しながら彼はじっと妻である正面の女性を見つめる。普通ならば彼の静かな、そして深い湖の水面のような視線を向けられると居心地を悪くするかに思えるが、さすがにそこは慣れているのかメディアに動じた様子もない。

「なんでしょうか、宗一郎」
「うむ……セイバーにその格好が似合うというのはわかった。おまえや衛宮が言うことに私にも異論はない。だが――」

 そう言って背後に視線をやる宗一郎を追って、私たちも一斉にそちらを向く。
 そこには――あまりにも哀れすぎて、今の今まで視線を逸らさざるをえなかった、弓兵の姿があった。

「――あの男の格好もおまえが望んだことなのか?」
「……いえ、アレは違います。アレは彼のマスターの趣味ですわ」
「そうか。遠坂のか」

 ならば良い、そう言って頷きそれきり彼は興味を失ったように窓の外の夕焼け空に見るものを変えた。無論、私たちもだ。

 正視に耐えるものではない。特にシロウはそうだろう。
 いかにマスターの命とはいえ、メイド服を着る羽目になった己の一つの可能性を具現した男の姿など。

 己を殺し。
 ただ己を一個の機械と化し。
 ただ己が今為すべき事のみをする。
 感情など不要。心は冷たき硝子と徹す。

 確かにそれは己を維持しながらではできることではなかっただろう。自分を殺して、今ここにあるのは自分ではないと言い聞かせなければ――。
 あまりにも無常だった。
 今日という日のエミヤシロウの最後の思い出が……このようなものであるのだとすれば、あまりにも哀れだった。

 というか、泣かないでください、シロウ。