らいおんの小ネタ劇場

2004 年 11 月 15 日


第 142 回 : 文化祭・五回目

「……で、なんでまたお化け屋敷に入ろうなんて思ったんだ? 一回入ったじゃないか」

 暗幕に包まれた暗闇の中、隣に感じるシロウの気配が半ば呆れたような口調で聞いてきた。
 しかしそう言われても私も明確な答えは持っていない。強いて言うならば、
「ここは昼前に入ったところとは別のお化け屋敷ですから。それに桜のクラスの出し物でもありますし、少しだけ興味を感じたまでです」
「ふぅん……でも、内容なんてあんまり変わらないと思うぞ」

 どうせ同じお化け屋敷なんだし――と気のない言葉でシロウがつぶやいた。
 そう言われると確かに自分の行動が意味のないことのように思えてくる。元々、ちょっとした興味故のことですから執着も薄い。かといって一度入ってしまったものを今更引き返すわけにもいきませんし……。

「……まあ、いいではないですか。意味があろうとなかろうと、楽しめればいいのです」
「ん。ま、その通りなんだけど……さ」
「? なんですか?」

 暗がりの中なのであまり視界はよくありませんが、それでもシロウが辺りを見回して、首を傾げたのが気配でわかった。

「なんかさあ……入ってから一度もアクションがないってのはさすがにおかしいなー、って」
「む……言われてみれば確かにそうですね」

 先ほど入ったお化け屋敷では、入ったらすぐになにやら飛び出してきたり触れようとしてきたりしたものですが、今回はそれがまるでない。ただ、歩いているだけです。これでは面白みも何もありません。

「失格、ですね」
「あん?」
「ですからこれでは失格だというのです。お化け屋敷とは侵入者に恐怖を与えてこそ、その存在意義が満たされるはず。だというのに、何もしないままただ暗い中を歩かせるだけとは……了見違いも甚だしい」
「いや、セイバーさん。何もそんなにヒートしなくてもいいんじゃないでしょうか」
「何を馬鹿な。それがいったいなんであっても、一度始めたことに最善を尽くさなくてどうするのですか」

 たとえ人から見ればどれだけくだらないことであっても、自分たちで決めたことなのです。ならば全力を尽くすのが当然のこと。
 そんな当たり前のことすら放棄しているようでは、失格どころか敵前逃亡として論外の烙印を押される他ありません。

「こうなってはもはやこれまで。行きましょう、シロウ」
「ああ、はいはい。わかった――」

 と、前を向いたシロウの表情が凍りつくのとほぼ同時に、私の表情も同じように凍りついた。

「…………」
「…………」
「…………」

 目の前には暗い闇の中にぼんやりと浮かび上がった。まるで何かを嘲笑っているかのような白い仮面――。

「おわああッ! び、びっくりしたぁっ!」
「あ、あなたはハサン・サッバーハ……ですか?」
「如何にも」

 暗闇の中それだけ浮かんでいる仮面は、したりとこっくり頷いた。それだけを見れば滑稽なのだが、油断していたところに突然現れてはさすがに驚かずにはいられない。
 シロウはあからさまにそれを表に出していて、私は傍目には平静を保っていられている……と、思う。しかしながら、実際のところは、私の胸もいつもよりも少しばかり早く鼓動を打っていた。

「で、でもなんだってあんたがここでこんなことやってるんだ?」
「うむ。実は先日、ライダー殿に頼まれたのだ」
「ら、ライダーに? ……そっか、この演出はライダーの仕業だったのか」
「くっ……そうだったのですか。私としたことが……」

 そうと知っていれば油断などしなかったものを。……いや、これは言い訳にしか過ぎないか。
 無念です……。おそらくライダーはこちらからは見えないどこかで私たちの様を覗いているはず。この失態、後日何を言われるかわかったものではない。脳裏にまで彼女の薄い笑いが浮かんでくるようで……ますます無念です。

「その様子ではライダー殿の思惑通り、驚愕に身を浸したようだな」
「そ、そりゃあまあ……あれで驚かないほうがどうかしてるって」
「認めたくはありませんが……今回ばかりはライダーに勝ちを譲る他ないでしょう」
「そうか。ならば私もわざわざこのような道化芝居に付き合った甲斐があったというものよ」

 道化芝居……なるほど確かにそうかもしれないが、その道化芝居の主役にされて見事に醜態を晒した身としては、さすがに釈然としないものがある。

「ところで――」
「ん? ……なんだよ、今度は」

 突然口調を変えてきたハサンにシロウが警戒心を込めたいぶかしげな声をあげる。

「なに、たいしたことではない。実は私のこの仮面なのだがな」
「……それがいったいどうしたのですか?」

 アサシンであるハサン・サッバーハは顔を持たない英霊です。彼の仮面の下には人の持つ表情を全てそぎ落とした、文字通り無貌があるという。そしてその仮面は、彼がハサン・サッバーハである限りは決して外すことができない。
 ハサン・サッバーハは、顔も名も持たない英霊であると決められているからだ。

 だがそのようなことは今更語るようなことでもない。私もシロウも当然のようにそのことを知っていて、ハサン自身もまたそれを受け入れているはず。
 ハサンは私の言いたいことを読んで取ったのか、長い手をぱたぱたと振りながら、

「いやなに、たいしたことではないのだ。ただこの仮面の下が――」
「!」

 そう言って自身の顔に手をかけ、一気にそれを取り去って――

「ぃッ!?」

 その下にあった顔に、私は喉から込み上げてくる悲鳴を押し殺すことができなかった。

 だってそれは仕方がない。
 仮面の下にあったのが間桐蔵硯の顔で――更にそれが自分の目の前に迫っていたとしたら、誰だって悲鳴を殺すことなんてできやしない。

「あっ、ああぅ……な、何故ですかッ!?」

 情けないことに、まともに呂律の回らない舌を何とか動かして、ようやくそれだけを口にする。
 自分でも意味を成していない言葉だと思ったが、今のこの状況ではそれが精一杯だった。

「うむ。これがライダー殿の考えた最後のドッキリというやつだ。このために魔術師殿にはわざわざご老体にご足労願ったのだ。本当ならば今日はのんびりと日向ぼっこをして過ごすはずだったのだな」

 目の前にいる蔵硯の中から聞こえてくるハサンの声が私の問いに答える。
 なるほど……最初から仮面をかぶって姿を見せていたのは蔵硯で、ハサンは隠れて喋っていただけということですか。
 ここまで完璧にしてやられるとは思ってもみなかった。伊達に普段暇をもてあましているわけではありませんね、ライダー。

「あー、ところでセイバーさんや」
「……はっ、シロウ。なんですか?」

 すぐそばに見上げたところにあるシロウの顔は、相変わらず暗がりの中ではっきりとわからないが、何やら困っているように見える。

「? どうしたのですか?」
「いや、どうしたもこうしたも……いつまで俺にしがみついてるのかなー、って……」
「え? ……あ」

 ――シロウ本人に言われてようやく気がついた。

 私は今、これ以上ないほどにしっかりと、シロウの身体に腕を回して彼にしがみついていた。

「あ、あの……これはその、いえ……。すいません、シロウ……」
「いやまあ、このまんまでも俺はいいんだけどさ」

 そう言ってシロウは苦笑を浮かべて、空いた手でイリヤスフィールにするように私の髪の毛をかき混ぜる。

「魔術師殿……こういう時はやはり見て見ぬ振りをするのがこの時代の振るまいとして正しいのだろうか」
「かー」
「……ふむ。眠っておられたか。無理もない、セイバーたちが来るまで朝からずっとここで隠れていた故」

 などという主従の会話も今は殆ど耳に入らず、私は意識は頭の上にある手のひらに集中している。

「…………」

 シロウの手は私の手よりも二回りくらい大きくて、触れられると何故だかわからないがひどく安堵する。
 だからだろうか。
 シロウ自身から許可も得ていることだし、せめてここを出るまではしばらくこのままでいようと思っていた。