らいおんの小ネタ劇場

2004 年 11 月 13 日


第 141 回 : 文化祭・四回目

「ところでシロウ、お腹がすきましたね」
「それはたこ焼きを食いながら言うセリフじゃないとは思うが概ね同意だな、そろそろ昼時だし」

 シロウがしている時計を隣から覗き込むと、既に時刻は昼の一時を回って分針は半分の位置まで傾いていた。私たちが交代したのがちょうど正午のころでしたから、いつの間にか一時間半もたっていたということになる。

「こんな時間になっていたなんて全然気づきませんでした……」
「まあ、そんなもんだろ。セイバー、楽しいんだろ?」
「ええ、それはもう」

 本心から楽しいと、そう思う。だからシロウの問いにも素直に頷いて答えた。

「だからだよ。……うん、やっぱりセイバーを連れてきて良かった」
「そうですか?」
「ああ。セイバーにはさ、いろんな楽しいこと知ってほしいからさ。この世にはおまえの知らない楽しいことがいっぱいあるから」
「そうですね……確かに私はこのような楽しみを今まで知りませんでした」

 雑多な人ごみの中に活気が溢れかえって、思わず引きこまれそうになる空気。今ここでなら何をしても許されてしまいそうな、そんな雰囲気。
 数多くの出し物の中には、冷静な目で見たら確かに『くだらない』と評を下してしまいそうなものだってある。
 だがそんなことは今日この場では関係ない。この空気の中だったらどんなものだとしても良いのだろう。この祭りはそういう祭りだ。

「ですからシロウ、今日は私の知らないことをあなたが教えてくださいね」
「もちろん。それじゃさしあたっては腹ごしらえといくか」
「はい。シロウの料理には及びませんが、こういった場所でいただく料理にはまた違った良さがありますし」

 多少雑ではあるかもしれないし、普段口にしているシロウや桜の料理にはもちろん及びませんが、周りの雰囲気が違うだけで料理の味も違うと感じるのだから不思議な話です。シロウの料理も一人で食べるよりは大勢で食べたほうが美味しいと感じますし、きっとそれと同じことなのでしょう。


「ふぅん、中華料理か?」

 箸袋の柄やメニューの柄も中華風ですし、まさかレンゲを使う和食や洋食があるとも思えない。ちょうどそこにあったので適当に入ったのですが、中華というのも悪くはありませんね。わりと久しぶりですし。

「とりあえずメニュー……」
「? どうしたのですか、シロウ?」

 メニューを開いてシロウ凍りつく。はて、いったい何事でしょうか。
 だが彼の手元に視線をやって、凍りついた理由がよくわかった。なるほど、ここはあの店だったのですか。
 しかし、いくらなんでもありとはいえ、学園にあの店が入ってくるのはさすがに予想外だった――というより、あってはならないことです。
 とにかくここは――。

「シロウ、出ましょう」
「ああ、出よう」
「へい、マーボーお待ち」

 互いに頷き立ち上がり、足早に出口に向かう――前に、割烹着を着た言峰が私たちの前にそれを並べていた。

「待て言峰。俺たちはまだ注文なんてしてないぞ」
「するまでもない。見ただろう、衛宮士郎。この店のメニューは麻婆豆腐一択だ。さあ、食え」
「食うかッ!」

 言峰が運んできた麻婆豆腐から漂ってくる香りは達人の手によるものであることを示すように、食欲を刺激する良い香りだ。
 しかしながら、それを完全に台無しにしてしまうほどこの麻婆豆腐は赤かった。こってりと絡みつくような濃厚な赤は、この世全ての赤を集めてそれでもなお足りぬとばかりに香辛料を投入したかのような赤だ。シロウでなくとも食えと言われれば否と即座に一蹴するだろう。
 目の前の割烹着を来た神父は数少ない例外だ。シロウの言葉にふむ、と頷くと、

「だが衛宮士郎。貴様がこれを食わぬと言うなら、料理の代金を払った上で更にあれらが代わりに食うことになるが」

 そう言って背後に視線をやる。
 促されてそちらを見るとそこには、なんというか予想していて然るべき二つの人影が直立不動の体勢でそこにいた。

「ランサーにギルガメッシュですか。そこでなにをやっているのですか?」
「なんでもいい! なんでもいいからおまえらとっととそれ食え!」
「いや、それは勘弁してほしいな」
「雑種、王の食事を口にする栄光に浴することを許す。ありがたく食うがいい」
「この期に及んで偉そうだなおまえ。いつも思うんだけど、そろそろ自分がどんな立場なのか自覚したほうがいいぞ」

 同感です。確かにギルガメッシュは、かつては英雄王としてこの地上全てを統べていたことがあったかもしれない。しかし今の彼は単なる言峰教会の居候にすぎない。おまけに聖杯戦争が終わってからというもの、いろんなことがいろいろとあって英雄王としての威厳は全て無かったことになりました。
 それがわかっていないのは本人だけです。今では我が家に住み着いている猫たちでさえそれを知っているというのに。

「しかし何故二人とも逃げないのだ。貴公らがその気になればいくらマスターであるとはいえ、人間である言峰から逃げおおせることは容易いだろうに」
「ふむ。その問いの答えもまた導くのは容易いことだなセイバーよ。忘れたか、我々マスターにはサーヴァントに対する三度の絶対命令権がある」
「っていうか、言峰おまえ、こんなくだらんことのために令呪なんて使ったのかよ……」

 シロウが心底疲れた表情で吐き出した。
 だが言峰は彼の反応に、その鉄面皮を珍しく歪めて向けてきた。

「くだらなくはないな衛宮士郎。これは貴様と私の価値観の相違というものだ。他者の価値を己の価値でもって貶めるとは思い上がったものだな」
「……確かにその通りだが、事が激辛麻婆豆腐だと思うとなんかめちゃくちゃ萎えるな」

 これもまたシロウに同感です。
 というか、麻婆豆腐に何故ここまでの情熱を注げるのか、正直私にはわかりかねますが、まあ、その一念は立派であると言っても良いでしょう。

 ……か?

「それでどうする衛宮士郎、そしてセイバーよ。食うか?」

 最後にもう一度確認するように言峰が否やを聞いてくる。
 それに対する私たちの答えはもちろん決まっていました――。