らいおんの小ネタ劇場

2004 年 10 月 30 日


第 136 回 : 木登り

「あ、セイバーちゃーん」

 庭を掃き掃除していたら唐突に私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

「大河?」

 聞き間違えようのない、聞きなれた彼女の声。聞こえてきた方に振り返ったが、しかしそこに大河の姿はなかった。

「セイバーちゃん、こっちこっちー」
「大河、どこにいるのですか?」

 呼ぶ声に誘われて、庭にある一本の大きな木の根元に歩いていく。
 と、がさりと枝が大きく揺れて、頭上からはらはらと茶色く色づいた葉が舞い落ちてきた。

「大河……そんなところにいたのですか」
「えへへ。久しぶりに木登りしてみたのだ」

 太い幹から伸びる太い枝に腰掛けた彼女は、いつものように心底楽しげな笑顔を浮かべていた。
 確かに虎という獣はあの巨体で器用にも木に登って生活することがあるとは聞き及んでいましたが、まさかそれを目の当たりに知ることになるとは思ってもみなかった。……いや、今私の頭上にいるのは虎ではなく大河でしたね。

「で、大河。あなたは何故そのようなところにいるのですか?」
「ん〜? いやぁ別に。なんとなくなのだ」

 なんとなくですか。要するに意味などないということなのでしょうが、大河らしいといえば大河らしい理由だ。
 猫のように気まぐれなのが大河です。違うのは猫に比べて破壊力が大きいというところでしょうか。虎は猫科の動物ですし。

「まあ、木登りするのは構いませんが、くれぐれも落ちたりしないよう」
「わかってるわよぅ。セイバーちゃん、士郎と同じこと言うんだから」
「シロウと?」

 大河は視線を私から遠くの空に向けて、こくりと頷いた。

「士郎もね、私が木登りして遊んでると良くそう言ってたの。藤ねえはどじなんだから木になんて登るな、怪我するからって。失礼しちゃうよね」

 言いながら大河は頬を膨らませている。当時のことを思い出しているのかもしれないが、それでも怒ったような顔には見えない。幼子が拗ねている、というのが一番しっくりくる表情だ。
 以前、シロウと大河の昔話を聞いたときもこんな表情をしていた気がする。昔のシロウは大河にこんな表情ばかりさせていたのでしょうか。

「でもねー……」

 と、彼女の表情が不意に少しだけ気落ちしたものに変わる。

「一回だけ士郎の言う通りに降りられなくなっちゃったことがあったのよ」
「そうなのですか……その時は結局どうしたのです?」
「う゛ー……士郎に助けてもらった」

 そう言って大河は悔しげに唇を尖らせて、足をぶらつかせた。まったく、ほんとにころころと良く表情が変わる人だと思う。

「それでは自業自得です、大河。大方、その時にシロウにたくさん怒られたのでしょう?」
「……うん。怒られた」
「やはりそうでしたか。だからそれ以来木登りなどしていなかったのに、何故また登ろうなどという気になったのですか」
「だって悔しいじゃん。もうあれから何年も経って私も大人になったんだし、木登りくらいできるもん」

 ……まったく、この人は。大人といいつつも、言動がまるっきり子供のそれではないですか。
 漏れ出してくるため息を隠す気にもならず、思いっきり吐き出す。

「むっ、なによセイバーちゃんってば。その態度は私を見縊っているわね?」
「見縊るというかなんというか……呆れているだけです」

 大河のいる場所は地上からもかなり高い場所であり、見たところ幹には足を引っ掛ける場所も手をかける枝もない。どうやって登ったのか正直なところ不思議ではありますが――。

「……大河、どうやってそこから降りるつもりなのですか?」


 ――結局。

 大河は予想通りに一人では降りることもできず、シロウに救助を願い出ることとなりました。シロウの変わりに私が救助するという手段もありましたが、ここは大河の自業自得ですし。

 現在彼女は居間で数年ぶりにシロウに叱られている真っ最中です。
 さて、叱られた大河がしょんぼりした顔で居間から出てくるのか、それとも途中で我慢できなくなって暴れだすか――。
 どっちになることやら、です。