らいおんの小ネタ劇場

2004 年 10 月 18 日


第 132 回 : 逃げても逃げても

「頼む! メシ食わせてくれ!」

 夕食時、そういって我が家に飛び込んできたのはランサーでした。
 なにやら追い詰められた様子で表情にも余裕がなく、必死の思いがそこにありありと表れている。
 しかし――そんな表情で頼んでくることが食事をさせてほしいとは、いったい何事だというのでしょうか。

「なんだよ。そりゃ別にメシ食わせるくらい構わないけど――」
「ちゃんと食費払ったらね」
「――か、構わないけど、なにがあったんだ?」

 いつも通りの人の好さを発揮してランサーの頼みを快諾しようとするシロウの横から口を挟んだのは凛。彼女らしいといえば彼女らしいのですが、凛が我が家の家計のことを気にするのは自分の食事事情にも直結するからでしょうか。
 ともあれ、ランサーは凛の言葉にもシロウの言葉にも首を縦に振り、その事情を語り始めた。

「……実は、ここのところのウチの晩メシが毎日激辛い麻婆豆腐でな」
「麻婆豆腐……ですか?」

 その単語にピンと閃くものがあり、凛と顔を見合わせる。

「……そういえば、綺礼はあの店の常連だったわね」
「……あの店か」
「……あの店ですか」

 ならばランサーの必死も無理はない。

 ――紅州宴歳館 泰山

 私たちもかつて味わった、というか味わわされた激辛の妙。一度味わったら忘れることはできず、そして二度と味わいたくなくなる激辛。
 料理自体は決して雑ではなく、むしろ精緻と言っていいでしょう。辛味の中にもしっかりと旨みが息づき、美味しいとさえ感じるのですから。
 だがしかし、いかんせん辛いのです。常人には耐え切れないその辛さは、せっかくの料理を殺してしまっている。

 逆に言えば、その辛さに耐え切れる非常人にとってはこれ以上ないほどのご馳走でしょう。むしろあの辛さが癖になってしまう可能性すらありうる。
 そんな稀なケースがあの言峰綺礼というわけであり――ランサーは耐え切れなかった一人というわけですか。

「まあ……そういう理由だったらしょうがない。食ってけ。今回ばかりは全面的におまえに同情する」
「同情なんてされたくねえがよ、今回ばかりは素直に甘えさせてもらうぜ」

 シロウもランサーも、そして凛も私も妙に疲れた表情で顔を見合わせてため息をつく。
 ここにいる全員、あの麻婆豆腐の無理がないといえば無理がありませんが。

「ところでランサー、あなたがここにいるということはギルガメッシュはどうしたのですか?」

 と、ふと思いついたことが口をついて出た。
 あの教会の住人は言峰とランサー、そしてもう一人はギルガメッシュ。ランサーがあの麻婆豆腐の犠牲になったというのであれば、彼もまた等しく犠牲になっていたはずですが……。
 見ればランサーは私の問いに僅かに身を強張らせ、あらぬ方向を向いていた。

 ――なるほど。だいたい読めました。

 こういう態度を取った時、相手には必ず後ろ暗いところがある。決して長くはないが短くもない現代の生活の中で学んだことです。特にシロウから。

「ランサー……見捨てましたね」
「グ……」
「同じ苦しみを味わったギルガメッシュをその場に生贄の羊として残し、己自身のみ逃れましたか」
「……ああ」

 表情に苦いものを染み出しながら、ランサーはゆっくりと頷いて肯定した。人一倍英雄としての矜持が強い彼です。我々の中でももっとも生存能力に長けた彼ですが、そのような卑怯とも言える手段で生き残ったことに対して自己嫌悪を抱いても無理はないでしょう。
 だがしかし、シロウはその肩にぽんと手を置き、励ますように語りかけた。

「気にするな。今回ばかりはしょうがないって。俺だってきっと同じことする。……ギルガメッシュだし」
「あ……ああ! そうだよなボウズ! 今回ばっかりはしょうがないよな! ……ギルガメッシュだし」
「ふむ。貴公の取った行動は必ずしも誉められたものではありませんが、シロウの言う通り仕方がないでしょう。……ギルガメッシュですし」

 それにかの英雄王ならば問題ないでしょう。かつて聖杯戦争においてあの聖杯に満たされていた泥を飲み込んでなお、この三倍は持って来いと豪語していた彼です。ならば通常の三倍の麻婆を飲み込んでも問題はないはずです。

 こうして私たち三人が同じ思いの下、密かに結束を固めていると玄関のほうから呼び鈴の音が聞こえてきた。

「む。客人のようですね……誰でしょうか?」
「イリヤか藤ねえか? でも今日はこないって言ってたし……」

 となると、麻婆豆腐から逃れてきたギルガメッシュでしょうか。要領の悪い彼があの悪知恵の権化のような言峰綺礼から簡単に逃れられるとは思えないのですが、万が一ということもある。
 ……もしそうだとしたらどうするべきでしょうか。

「……遠坂」
「わかってるわ。あいつだったら丁重に追い返してわたしたちに累が及ばないようにすればいいのよね」

 意味ありげに視線を向けてきたシロウに真剣な面持ちで頷いた凛は足音も立てず、あくまで優雅に玄関に向かっていった。
 本気ですね、凛。今回ばかりは無理もありませんが。

「さて。遠坂が相手してくれてる間に俺たちはメシの支度を続けるか。もう少しで終わるからランサーとセイバーはそこでテレビでも見ててくれ」
「ああ、すまんなボウズ」

 気を取り直して腕まくりをしなおすシロウに、ランサーも吹っ切れた良い笑顔をもって返す。
 奇妙な事情で珍しい客人を食卓に迎えることとなりましたが、たまにはこんなのも良いでしょう。食卓が賑やかなのは悪いことではありませんし。

 自然、私も口元に微笑を浮かべながら畳に腰を降ろそうとすると、玄関から凛が戻ってきた――

「おかえりなさい、凛。……凛?」

 ――顔を青ざめさせ、その手になにやら不吉なモノを持って。

「ランサー」
「お、おう……なんだ嬢ちゃん?」
「これ――あんた宛に店屋物よ」
「……なに?」

 そう言って凛がテーブルの真ん中に置いたモノは……紛れもなくアレだった。
 この世全ての赤をぶちまけたような限りない赤。見ているだけで痛くなってきそうな刺激的な紅の色をしたそれはいつか見た、泰山の麻婆豆腐だった。
 むろん、対照的にランサーは額から止め処なく冷たい汗を流している。

「それからこれ……あんたに言伝だって」

 凛の手から震える手つきでメモを受け取ったランサーが、かさかさと耳障りな音を立てて紙を開く。
 そこに書かれていた言伝とは――。


『食え』


「食うかーーーッ!」

 と、力の限りランサーは叫んだものですが、無論それが通用するはずもなく。
 結果的にランサーは我が家において、辛味に耐えながら麻婆豆腐を食すこととなったのでした。

 ええ、巻き添えになるのはごめんですから。