らいおんの小ネタ劇場

2004 年 10 月 12 日


第 130 回 : おねがい(メガネ)ティーチャー

 居間のテーブルの上にぽつんと残されたそれ。

 ――凛のものでしょうか。

 手にとって見ると、別に魔眼殺しの類ではないようなので思ったとおり凛のものであるとわかった。
 この家に出入りする人物でメガネをかけることがあるのは凛かもしくはライダー。そしてライダーのかけているメガネは魔眼殺しと呼ばれる特別製だ。このように魔力の欠片も感じられないものであるはずがない。

「忘れて帰ったのか……まったく。いつもながらにどこか抜けていますね、彼女は」

 シロウが何度も忘れ物はないか、と念を押していたというのにやはり忘れている。しかもこんなわかりやすいところに。彼女はあらゆる分野においてその才能を遺憾なく発揮する才媛ですが、最後の最後で詰めの甘いところがある。シロウに言わせるとうっかりスキルとの事ですが。
 まあ、忘れてしまったものは仕方ありません。明日にでも彼女に返し、言いたいことはその時に存分に言ってやることとしましょう。

「……そういえば」

 と、はたと思い出した。

「凛は何故メガネなどかけているのでしょうか?」

 私の記憶が間違っていなければ、メガネとは確か視力の弱い者の補助をするための道具であったはず。
 凛の視力にはメガネをかけなければいけないような問題はなく、それどころかシロウほどではないにしろ常人以上のはずだったのだが……。

「ああそういえば、確か……伊達メガネとか言いましたか」

 視力の矯正には役に立たない、ただ飾りのためだけに使うメガネがあるらしい。凛の使っているメガネはまさにそれなのだろう。
 何のために凛が必要のない伊達メガネなどを使っているかまではわかりませんが、きっと精神的な作用を己に期待しているのでしょう。

 精神的な作用……というとなんでしょうか?

「ふむ」

 このメガネにいったいどんな効果があるというのだろう。
 見る限り、何の変哲もないただの伊達メガネだ。ライダーの使っているもののように魔力的な何かが込められているわけでもないのだから当然だろう。
 となると、このメガネをかけることによる外観の変化に何か秘密があるのだろうか。

「……ふむ」

 やはりここは一つ、自分で試してみる他ありませんね。


 洗面所の洗面台の鏡の前。
 鏡の中には、メガネを持って緊張を面に湛えている私がいる。
 いえ、別に緊張する必要などないのでしょうが、なんとなく。いざかけようと思っても、周囲を気にしてしまう自分がいる。

「……では、失礼して」

 さっ、とかけてもう一度鏡の中の自分を見る。

「……どこか変わったでしょうか」

 メガネをかけた鏡の中の自分が、私の動きにあわせて小さく首を傾げた。
 確かに外見は多少変わりましたが、それで精神的に何か変わったようには自分では思えない。強いて言うならやや重たげな表情になった、と感じるくらいでしょうか。むしろ、常に顔に何か触れているということのほうがずっと気になる。
 少しずれ落ちたメガネのつるを指で押し上げながら、やはり自分にはあまり意味がないものと再認識する。

「まあ、そういうものでしょう。凛にとっては意味のあることでも私にとって同じとは限らない。特に必要性も感じませんし、やはり私には――」
「ふぅん、セイバーちゃんって結構メガネ似合うんだー」
「――って大河ッ!?」

 いつの間にか鏡の中には私の肩にあごを乗せている大河が一緒に映っていた。
 最初はまじまじと鏡の中の私を見ていたかと思えば、徐々にこちらに視線を移して猫っぽい笑みと一緒に私に向けてきた。

「な、なんですか大河! わ、私がメガネをかけてはいけないというのですか。それは私とて似合っているとは思いませんが、少し試してみるくらい良いではありませんか!」
「んー、ダメなんていってないじゃない。それにわたし、似合うと思うけどなー、セイバーちゃんのメガネ」
「む……そ、そうでしょうか」

 そう言われてはさすがにこちらも悪い気分はしない。と、言っても別に良い気分がするわけでもないのですが。

「うん、決めた」
「は……なにがですか?」

 唐突にこくこくと頷き、満足げな表情を浮かべている大河。
 そんな彼女に何か嫌な予感がして問い返すと、

「セイバーちゃん、明日学校にメガネかけてきなさい」

 私のそんな予感は見事的中してしまっていた。


「で、ではこの英訳を……」

 と、黒板から振り返った瞬間、剣の林の如く連なる挙手の群れ。
 その一種異様な雰囲気に、いかなる圧力を前にしても一歩も引かぬと自負していた自分が思わず半歩後退してしまった。

 いったいなんなんでしょうか。
 これがメガネの効果というものなのでしょうか。ただ私の外観が変わっただけだというのに、授業にかける気迫が一変してしまっている。
 しかしそれは主にシロウを含む男子生徒に限定されているのがまた不思議といえば不思議だ。逆に凛を含む女子生徒はいつもよりやや冷めた――というよりは呆れた態度で授業に臨んでいる。効果は一長一短、というものなのでしょうが……。

 どちらにしろ。

 メガネの効果はどうやら自分自身ではなく、己の周囲に対して発揮されるらしいということが良くわかりました。
 あとはその……授業に熱心になるのは良いのですが、雰囲気がやや獣じみているのは……少し容赦していただきたいと思う。

 シロウ、ちょっと怖いです。