らいおんの小ネタ劇場
2004 年 10 月 10 日
第 129 回 : ちゃぷちゃぷ
「セイバー、お風呂行くの?」
「はい、そのつもりですが……イリヤスフィール、先に入りますか?」
お風呂場の前で鉢合わせたイリヤスフィールは、私と同じく着替えを持っていた。お風呂の順番は特に決めていないから、時々こうしたことがある。
私は別に一番最初にお風呂に入ることにこだわりはありませんし、イリヤスフィールが入りたいと言うのなら譲ってもいいと思った。
「んー、そうねぇ」
が、イリヤスフィールは口元に指を当ててしばし黙考し、
「せっかくだから、一緒に入ろっ!」
と、まるでシロウに向けるような邪気のない笑顔でそんなことを提案してきたのです。
衛宮家の湯船はお世辞にも広いとはいえない。以前、凛の家のお風呂に入らせてもらったことがありますが、そちらのほうがずっと広い。
だから他の人に比べて小柄な私とまだ幼いイリヤスフィールでも、二人が一緒に入れば身動きが取れなくなってしまう。
イリヤスフィールは湯船に身を沈めた私の膝の上に腰を降ろし、私の胸に背を預けていた。彼女の長い髪が肌に触れて少しくすぐったい。
「それにしても……些か予想外のことでした」
「ん? なにが?」
「あなたが私と一緒にお風呂に入ろうなどと言い出したことがです」
顔を上げてこちらを見上げてくるイリヤスフィールの小さな顔がすぐ下にあった。彼女は赤く大きな瞳を一つ二つ瞬きして、
「最初はね、シロウと一緒に入ろうと思ったの。でもダメって言われちゃったから」
「なっ! そ、そんなのダメに決まっています! まったく……何を考えているのですか。いいですか、シロウは男であなたは女なのです」
「そんなのわかってるわよ。わたし、シロウだったら別にいいんだけどなー」
「ッ!」
くらくらしてきた。本気でこんなことを言っているのだろうか、この娘は。
あくまで冗談だと思いたいが、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという少女に限って油断は禁物だ。
これはやはり、一度きちんと釘を刺しておかなければいけないでしょう。
いかにイリヤスフィールがシロウに好意を抱いているとしても、やはり彼女の身体にはまだ早すぎる。……いえ、そういう問題ではなく――そ、そのようなことはきちんと愛し合った者同士で行うべきではないかと……ああ、考えがまとまりません。
ともかく、このまま放っておくわけにもいかない。私はイリヤスフィールに苦言を呈しようとして口を開いて――
「でも、それってセイバーも一緒でしょ?」
――などと言われて、吐き出しかけた言葉が逆流してきた。
私が。
シロウに?
「……いっ、イリヤスッ……んっ! けほっ、かほっ!」
「んふふっ、落ち着きなさいよセイバー。もう、冗談に決まってるじゃない」
口元と赤い瞳を愉快げにほころばせるイリヤスフィール。私はむせて跳ね上がった肺と喉をどうにか落ち着けて、彼女を鋭く睨みつけた。
「イリヤスフィール! たとえ冗談だとしても言っていいことと悪いことがある!」
「じゃあ、本気だったらいいの?」
「そ、そういうことではありません!」
「ん、もう。セイバーってばわがままー。だったら半分本気、半分冗談。これだったらいいでしょ?」
くすくすと笑っているイリヤスフィールにはまったく邪気がない。半分だろうと本気でいいはずがないのですが、言ったところでどうせなんだかんだといってかわされて、逆にからかわれるだけなのでやめておきましょう。
まったく、凛といいイリヤスフィールといい、悪魔の二つ名の持ち主を相手に舌戦を試みても勝ち目がありませんね。
「……ね、セイバー」
「なんですか、イリヤスフィール」
口元を柔らかにほころばせたまま、イリヤスフィールが私の胸に寄りかかってくる。
彼女の身体は柔らかく、染み透るような暖かさを持っていて何故かわけもなく安堵感を覚えた。
「シロウは優しいね。タイガもリンもサクラも……ここはすっごく優しいよ」
「……ええ、そうですね。とても、とても優しい」
イリヤスフィールが言っているここというのは、もちろんこの衛宮の家のこと。そしてこの街のこと。
「わたしね、ずっとここにいたいって思ってるよ」
「いれば良いではないですか。誰も拒みはしません。シロウはもちろん、タイガもリンもサクラも……」
「うん。そうだよね。わたしのおにいちゃんはシロウだもの。ずっとここにいても、誰も怒らないよね」
「無論です。ここにいることで貴女を責めるような輩がいるのだとすれば、そのような慮外者は我が剣にかけて撃退してみせましょう」
「……うんっ、ありがと」
嬉しそうに笑い、イリヤスフィールが私の手を取って自分の身体に巻きつける。
自分の腕に少し力をこめながら、私は思った。本当にそのような者がいるとすれば……きっと、その時は私だけではなくシロウもまた剣を取るでしょう。凛も、桜も大河もまた同じくして彼女を守ろうとするに違いない。
「あなたの家はここにあります、イリヤスフィール。ですから、好きなだけここにいればいのです」
「……ん」
イリヤスフィールはこちらを見上げ、そして小さく頷いた。
「んっ? なんだ二人とも、一緒に風呂入ってたのか?」
「ええ、少し長風呂だったのでのぼせてしまいましたが」
「ふぅん。仲いいじゃないか」
「ふふん、シロウ羨ましい? セイバーの裸、すっごい綺麗だったよー」
「ッ! い、イリヤスフィールっ!」
捕まえようとした手をするりとくぐり抜け、くるりと踊るようにこちらを振り返って笑っているイリヤスフィール。
そんな彼女を見ると怒る気にもならない。シロウと互いに赤くなった顔を見合わせて苦笑をもらす。
「で、イリヤは今日泊まってくのか? 泊まってくならふとん敷くけど」
「うん、でも今日はセイバーと一緒に寝るから大丈夫っ」
走り寄ってきてぶらさがるように腕に絡みつく。湯上りのぬくもりが、彼女の身体が触れているところから伝わってくる。
「そっか、じゃあイリヤのこと頼むぞセイバー。こいつ、けっこう寝相悪いから蹴られないように気をつけてな」
「むっ、シロウ、そういうこと言うのはレディに対して失礼だと思うの」
「いいではありませんか、イリヤスフィール。……ですが、私のことは蹴らないようにお願いします」
「……ふんだ、こうなったら絶対蹴ってやるんだから」
憎まれ口を叩きながらも楽しげなのがなんとなく嬉しい。
私とイリヤスフィールとシロウの三人で、他愛もない話しをして笑いあう。……こういうのを家族の団欒というのでしょう。
「あ、そうだ」
と、イリヤスフィールが顔を上げて、シロウに小悪魔めいた笑みを向ける。
「ねえ、シロウ? なんだったらシロウも私たちと一緒に寝る?」
「ばっ……で、できるわけないだろそんなことっ! お、俺のことはいいからおまえらさっさと寝ちまえ!」
言いながら慌てて逃げていくシロウ。外に出て行ったということは、これからまた土蔵で鍛錬でしょうか。
……頭を冷やしにいったという可能性もありますが。
「あーあ、シロウ逃げちゃった。わたしたちだったら別にいいのに、ね」
「……そうですね。それでも良かったかもしれませんね」
つまらなそうにつぶやくイリヤスフィールに、半分冗談、半分本気で同意する。
いつもの私だったらきっとシロウと同じように否定していたでしょうが――今はなんとなくそういうのも悪くない気持ちになっていた。
まあ、もっともシロウは逃げてしまったのですけどね。