らいおんの小ネタ劇場
2004 年 9 月 26 日
第 123 回 : 膝というよりはふともも
「シロウ、失礼します。――やはり」
隣のシロウの部屋と自分の部屋とを隔てる薄いふすまからそっと彼の部屋を覗きこんで、私はそこにあった予想通りの光景にため息をついた。
シロウがいない。
床に潜って灯りを消して、一度眠りに落ちてからしばらくの時間が経ったところでふと目が覚めた。
その時にはもう隣の部屋からは気配が失われており、実際の自分の目で確認したところ、案の定部屋の主の姿はそこになかった。
彼がどこに何をしにいったかはだいたいわかっている。凛という師匠を得て、彼女から魔術の手解きを受けるようになってからは頻度が減ったものの、依然としてあの場所で鍛錬をすることは彼にとってはひどく当たり前のことだったから。
――とはいえ。
夏も終わり秋となって、夜の風は冷たくなっている。こんな中で朝を迎えては風邪をひいてもおかしくはない。
だから私も、先ほどまで被ってまだ暖かいままの毛布を抱え、自分は上着を羽織って部屋を出た。
薄暗く、ひんやりと肌寒い庭の土蔵。窓から差し込む月明かりに舞っている埃が浮かび上がっている中に、やはりと云うか当然と云うべきか、ともあれシロウは胡坐をかいたままの格好でうつむいて眠っていた。
足元に転がっているのは――私がかつて握っていた選定の岩の剣――勝利すべき黄金の剣。
シロウの魔力により紡がれた幻想は世界の修正力により存在を薄められ、もはや消え去る寸前だった。だがその黄金の輝きは、あり日しの輝きと寸分たりとも違わない。シロウの投影は、たとえ贋作であったとしても本物に劣るところなど一つたりともないように思える。
それに正直な話――同じ使うならば、シロウが紡いでくれた剣を使いたいと――目の前で結晶が砕けるような涼やかな音ともに砕け、世界のどこかに溶けていった剣を見ながら、私はそんなことを思っていた。
「……さて」
消えてしまった剣はいいとして、問題はシロウである。このまま放っておいて風邪をひかせるわけにもいかない。
「本当に……自分のこととなるとまるで無頓着なのですね、あなたは」
太平楽な表情で船を漕いでいるシロウに、少しだけ恨みがましく声をかけてみる。当然、答えなど返ってくるはずもなく、ただ一つ、大きく頭を落として床に落ちそうになっただけ。他人に対する気配りの、ほんの少しだけでも自分に向けてくれればいいのに。
そんなシロウを、私はござを敷いてある床に起こさないようゆっくりと横たえて、持ってきた毛布をかけてやる。
起こして部屋に連れて帰ろうかとも思ったが……せっかく眠っているところを起こすのも彼に悪い。それにせっかくこのために毛布を持ってきたのだから、使わなくてはもったいないですし。
ふむ。これで風邪の心配は一先ずなくなった。眠るシロウの表情も実に穏やかですし、後は翌朝起こしにくる桜に叱ってもらえばいつも通りです。
だがふと――思い立ってシロウの頭の傍に膝を突いて、彼の顔をじっと見つめる。
「風邪はひかないかもしれませんが……固い床に枕も無しというのは……」
ござが敷いてあるとはいえ、所詮はじかに寝転がるよりはまし、という程度だ。
これは私の失敗です。毛布を持ってくるのであれば、ついでに枕も一緒に持ってくればよかったのだ。
「……仕方がない。己の不始末の責任は、己が身を以って果たさなければ」
シロウの頭をそっと持ち上げて、その下に自分の膝を入れる。
たまにシロウがイリヤスフィールにしていることと同じですが……私でも、彼の枕代わりにはきっとなれると思う。
「申し訳ありません、シロウ。今夜だけは、これで我慢してください」
囁きかけながらシロウの髪に指を通して撫でてみる。シロウの髪は少し硬いが、触れているとなんとなく安心する。
……それに、暖かい。
シロウが寝返りを打って膝の上で動くのが少しくすぐったくて、自然と口元が緩むのを感じながら、落ちてきたまぶたに逆らわず、そのまま瞳を閉じる。
これでは私も桜に怒られてしまいますが……主従は一蓮托生ということで、一緒に怒られるとしましょう。