らいおんの小ネタ劇場
2004 年 9 月 18 日
第 119 回 : 屋上弁当・前編
良く晴れた空の下、シロウ手製の弁当を広げる。
夏の頃は日差しが厳しくて叶わなかったが、最近は太陽も柔らかになり、風も涼しくなりつつあるので昼になるとこうして屋上で昼食をとるようになった。
期限は冬になるまで。月が巡って次の季節になれば、今度は身を切るような寒さが襲ってくる。とても外で食事を楽しむことなどできないでしょう。
今日のおかずは鳥の唐揚げ、ほうれん草のおひたしにごぼうのきんぴら。それからふんわりと仕上がったたまごやき。シロウらしい、地味ではあるがバランスの取れたおかずです。味については私ごときがなにかを言う必要はないでしょう。
「むぅ……あんたまた少し腕上げた?」
「さあ、どうだろうな。俺はいつも通りに作っただけだけど」
「わたしも遠坂先輩の言う通りだと思います。この期に及んで更に上達するなんて、先輩ってズルイです」
「いや、ずるいとか言われてもだな……」
頬を膨らませる桜に苦笑するシロウ。追いつくべき目標が更に遠くなってしまったのですから、桜の気持ちもわからなくはない。凛はただ単に悔しいだけなのでしょうが。
なんにせよ、私としては彼らが互いに切磋琢磨して上達していくのであればなにも言うことはありません。シロウのご飯は今日も美味しいですし、これからもっとずっと美味しくなるのであれば、これに勝る喜びもありません。
「……む?」
と、私の感覚になにかがふと触れた。
「どうしたんだセイバー? アンテナぴくぴくさせて」
「シロウ、何者かが近づいてきます。それとアンテナではありません」
「でも食べる手は止めないのね、あんた」
当然です。相手が我々に敵意を持っているのであればそういうわけにはいきませんが、今のところそのような気配は感じられない。恐らくはここの生徒なのでしょう。そのために至福の時間を途切れさせたくはありませんから。
「あれ? 衛宮君?」
「それとセイバー嬢に、間桐の妹君か」
「あーんど遠坂。フルメンバーじゃないか」
現れたのは由紀香、鐘、楓のいつもの三人。
「おぬしらもここで昼食か、奇遇だのう」
「ここんところ天気もいいしな。それに教室で食ってたら他の連中に食われちまうし」
「ふむ、なるほど。衛宮の弁当といえば究極のメニューと称されるほどの一品と聞くからな。ここで相伴に預かれるとは私も運が良い」
シロウの隣に腰を下ろしながら、鐘は僅かに口元を緩めた。
「なんだよ、別にそんないいもんでもないぞ。自分の弁当食えば良いじゃないか」
「謙遜するでない。世間の噂というものは決して嘘をつかないものだ。無論、全て真実というわけでもないが……事が単純であればあるほどに、噂はより真実を強く伝えるものよ。それに以前、セイバー嬢も申しておったしな」
ちらりと視線を向けてきた鐘に、私は一つ頷いて胸を張る。
彼女の言うことは全て真実。そしてそれがシロウのことであるならば、私にとってはなによりも誇らしい。
「もちろんです。シロウの作るご飯はとてもとても美味しい。だから私にとって食事の時間は、なによりも幸せな時間なのです」
「ほれ、セイバー嬢もこう言うておるではないか」
「セイバーさんはいつだってはらぺこですしね」
「……桜、私とていつもお腹をすかせているわけではないのですが」
湿っぽい目つきで桜を睨んでみたけれど、彼女はさっと目をそらしてしまった。
まったく、ここのところ桜の性格があまり良くないのは姉である凛の影響なのでしょうか。数少ない良心が黒く染まっていくのを見るのはあまり気持ちの良いものではない。
「セイバーさん? あなた今、とても失礼なこと考えませんでしたか?」
「いいえ。考えすぎでしょう」
睨んでくる凛の視線を直視しないように視線をそらし、空を仰ぐ。本当に今日はいい天気です。それにごはんも美味しいですし。
「あの……衛宮君」
被っている猫の皮を三分の一ほど脱ぎ捨てている凛を無視して唐揚げを味わっていると、いつの間にか由紀香がシロウの隣に移動していた。
なにやら自分の弁当箱の包みを解きつつ、シロウの弁当箱の中身に熱い視線を注いでいるようですが……?
「あのね。もし良かったらわたしも衛宮君のお弁当、食べてみたいんだけど……」
「む、三枝さんもか? ……そりゃ構わないんだけどさ」
シロウの弁当箱の中身は既に半分ほどに減っている。鐘と由紀香に分けてしまえば、自分の分はますます少なくなるだろう。
午後には体育の授業もありますし――腹がへっては戦ができぬ、というやつです。だがシロウは彼女の頼みをきっと断らないでしょう。そういう人です。
……仕方ありません。少々惜しいですが、私の分をシロウに――
「それで、代わりと言ったらなんだけど……良かったらわたしのお弁当、食べてくれないかな」
「え? 三枝さんのを?」
「うん。あのね、わたしも自分のお弁当、自分で作ってるんだけど、衛宮君から見てどうかなって……」
「ああ、忌憚のない意見を、ってやつか。そういうことだったら遠慮なくもらうよ。このままだと俺もちょっと足りないしね」
――と、思っていたらどうやらシロウの不足分は由紀香の弁当で補われることで決着がついたようです。つまり物々交換ですね。これならば誰の食べる分も減るわけではありませんから、万事解決です。
だというのに、何故か桜は微妙に不機嫌な様子でシロウたち二人を見ていた。……ふむ、なにかおかしなことでもあるのでしょうか。
凛は――
「だいたいさー、女のくせに男に弁当作ってもらうなんて、フツー立場が逆なんじゃない? 完璧超人の遠坂ともあろうものがさ」
「ふふ、それは旧態依然とした日本の悪しき風習です。今時、男子厨房に立つべからず、なんて時代遅れというものだと思うんですけど」
――なにやら楓と真正面から戦闘中ですね。なんの参考にもなりません。
しかし、日本においては女性が男性に食事を作るが普通だったとは……。
となると、私がいつもシロウに食事を振舞ってもらうだけで、逆に私が料理をしないというのはもしかしたらおかしなことなのかもしれない。
凛は時代遅れだというが、彼女自身の料理の腕前はシロウに勝るとも劣らないものを持っている。もしそうでなかったなら、彼女は口が裂けても時代遅れだなどと言い訳がましいことは言わないでしょう。遠坂凛とはそういう女性です。
桜も以前は料理ができなかったのを、シロウに教えを受けてできるようになったとのことです。やはりここは私も彼女と同じく鍛錬を積むべきなのか。
誰しも、料理ができない者よりできる者を好ましいと思うはず。それはまたシロウも同じはずだ。
……というか、なにをやっているのですか、シロウ?
「あ、あの……三枝さん?」
「はいっ、どーぞ召し上がってください、衛宮君」
箸で煮付けたじゃがいもを摘んでシロウに差し出す由紀香と、彼女を前に見事に固まっているシロウ。
「こっ、これはまさか『あーん』とかいうやつじゃないか!? 話に聞いたことはあってもほんとにやるやつ初めて見たー!」
「うむ。箸から零れぬように添えている手がポイントだな。由紀香め、やり慣れているとみた」
大げさに驚く楓と冷静にコメントする鐘。見れば凛と桜も表情を凍らせて固まっている。
ええ、もちろんさすがの私もこの展開は予想していませんでしたから。
シロウがこの次にどうするか、非常に楽しみですね。