らいおんの小ネタ劇場

2004 年 9 月 12 日


第 117 回 : インスピレイション(ジプシー・キング)

 桜は自己管理のしっかりした女性です。
 彼女と出会ってから数ヶ月経ちましたが、その間に彼女が風邪をひいたり学校に遅刻したり、ましてや寝坊などしたことを私は見たことがありません。
 そしてそれだけでなく、彼女は自分以外の他人、特にシロウの管理まで積極的にかって出ている――というのは、多分に彼女のシロウへの想いがそうさせているのでしょうが、毎朝一番に起きて土蔵で眠っているシロウを起こし、時には全員の朝食の仕度まで整えるのだからたいしたものです。

 このように間桐桜という少女は、自己管理のしっかりした女性なのです。
 だからよもや……私は彼女があのような暴挙に出るとは思ってみなかったのです。


 それは雲一つない空にある月が、地上を青白い光で照らしている美しい夜のことでした。
 日付も変わりすっかり寝静まった時間にふと目が醒めた私は喉の渇きを覚えて水でも飲もうと、そう思い隣の部屋で眠るシロウを起こさないようにそっと起きて台所に向かったのです。

 だからでしょうか。足音にも気を使っていた私は、どうやら己の気配すらも消してしまっていたようです。
 こうなれば――この身は伊達に剣を象徴とするサーヴァントを名乗っているわけではありません。一般人はおろか、腕に覚えのある達人ですらも、そう簡単に我が存在を捉えることは叶わないでしょう。
 無論、魔術師であるとはいえ一般人に過ぎない桜など、何をか況や、というものです。

「! 何者!?」

 前述した通り、この時は家中の誰もが眠っている時間。台所に人の気配を感じた私が誰何の声を発しても何の不思議もありません。
 私の接近に気づかず何事かをしていた人影は、非常に驚いたようで手に持っていた何かを取り落としました。

 ――盗人?

 咄嗟にそう判断した私は、その日の食卓のテレビで見ていた火付盗賊改方もかくやという動きで下手人を捕らえました。
 腕を掴まれながらも必死に身体を捩じらせ逃れようとする下手人。だがこれでも道場で手合わせしているシロウから鬼のセイバー、通称鬼セイと呼ばれているこの身です。盗人ごときを逃がすような情は持ち合わせていませんし、休憩休憩とせがむシロウに容赦するほど甘くもない。

「悪党、尋常にお縄を頂戴!」
「……くっ!」

 ああ、今思えば少々影響されていたような気もしないでもありませんが、ともあれ私は下手人を捕らえたまま部屋の明かりに火を入れたのです。
 そして――明かりの下で見た下手人の顔は――私を驚愕させるのに十分に足るものだったのです。

「さ……桜!?」
「フ……見られてしまいましたね……セイバーさん」

 腕を掴まれたままもはや逃げようともせず、悄然と項垂れている下手人――その人の顔は、紛れもなく私が良く知っている間桐桜のものでした。
 何故、どうして……私の脳裏には音こそ違えど意味は変わらぬそれらの言葉が次々に踊っては消える。
 と、私の目は床に散らばっているもの、先ほど桜が取り落としたものを視界に捉えた。

「これは……! 今日の学校帰りにシロウが買ってきた明日のおやつ……桜、貴女はまさか!?」
「フフ……笑ってくださいセイバーさん。所詮わたしは自分の欲求に勝てなかった駄目な女の子なんです……」
「……では、やはり」
「だって、だってお腹すいたんです! 食べればまた体重が増えるってわかってる、わかってるけど仕方ないじゃないですか! お腹すいて寝れないんですもん! ……情けないですよね、先輩が聞いたらきっとわたしのこと嫌いになりますよね。お腹がすいて夜中にこっそりお饅頭盗み食いするような食い意地の張った女の子なんて……」

 私は彼女に何も言葉を返すことはできなかった。
 なんて言葉をかけてやればよかったのだろうか。今でも私はこの時桜になにも言ってやれなかったことに、少しばかりの後悔を抱いている。
 だがこの時桜は私の顔を見ると、わかっている、そう言いたげな表情で首を横に振り静かに両手を差し出した。

「さあ、セイバーさん。わたしを捕まえてください。この衛宮家において盗み食いは重罪……それはあなたも良くわかっているはずです」
「ええ……無論です。かつて私も貴女に捕らえられ、そして足を洗った経験がありますから」
「ふふっ、そういえばそうでしたね。奇妙なものです、あの時セイバーさんを捕まえたわたしが、今は逆に捕らえられているなんて……」
「桜……!」

 それ以上、私に言葉はなかった。
 後はただ、彼女に縄をかけ翌日の朝食の席でその罪を全て白日の下にし……桜を晒し者とするしかなかった。

 誰であろうと犯した罪はなんらかの罰を以って償わなければならない。
 盗み食いを犯した彼女の場合、それが朝ごはん抜きというカタチであった、ただそれだけなのです。


 だから私は、こうして桜が盗み食おうとしたこのお饅頭を食べていると……ふと思い出すのです。
 あの夜、落ちてきそうなほどに大きな月と照らし出された蒼銀色の庭、そして全てを受け入れて縄を受ける桜の表情を。
 もし、もし一歩間違えていたら、あの時捕らえられていたのは桜ではなく、私だったかもしれない……そんな思いに身を震わせるのです。


 それはそれとしてお饅頭、美味しいですね。