らいおんの小ネタ劇場

2004 年 9 月 7 日


第 114 回 : 激辛

「中華料理が食べたい」

 発端はイリヤスフィールのこのひとことでした。いえ、それだけならまだ問題はなかったのですが……
 それならばと凛が支度に取り掛かろうとしたところで、問題となるひとことを同じくイリヤスフィールが口にしたのです。

「リンの中華はもう飽きたー!」

 そしてそのあとの展開がどうなったかはもはや語るまでもなく、シロウを間に挟んだ紆余曲折の果てに私たちはこの店の前にやってきていたのでした。


 『紅州宴歳館 泰山』


 独特の雰囲気と個性的な店が並ぶこのマウント深山商店街にあってなお、一際異彩を払う中華料理店。
 シロウ、凛、桜、そして事の発端であるイリヤスフィール――この場にいる誰しもが緊張の面持ちで、余りにも有名すぎる店の看板を見上げていた。

 ここで勘違いがないよう明言しておくが、その異彩は店の姿形にあるわけではありません。時間季節問わず閉め切った窓は、確かに異様といえば異様なのかもしれないが、そんなものはたいしたことではないのです。
 問題は店先から放たれる、威風地を払わんばかりのオーラのごとき雰囲気とでも言いましょうか。僅かなりとも気を察することができるならば、これほどまでに静かに、しかし重たく立ち込める空気を読み取れないはずはない。これならば常人ですら、背筋に片鱗を感じ取るくらいはできるでしょう。

「なあ遠坂……本当にここにするのか……?」
「もちろんよ。この商店街で中華料理といえば魃さん。魃さんといえば激辛よ。この店を選ばずしてなんとする、選らばずんば中華に対する無礼というもの。……イリヤには一度ここで中華料理の本当の恐怖を知ってもらわなくちゃいけないわ」
「え、えっと、わたし恐怖とか激辛は遠慮したいんだけど……ていうか、中華と何の関係があるの、それ?」
「しゃらっぷ! 黙れイリヤ、もはや問答無用――語るならば死に花咲かせたその後にするのね」
「そ、それなら姉さん、わたしとか先輩は無関係なわけですし、イリヤちゃんと二人でまったりしっぽりごゆっくり……」
「一蓮托生って言葉知ってるかしら桜? あと別にまったりもしっぽりもご休憩もしないわよ」

 どうやらイリヤの言葉が凛の意地に火をつけてしまったようです。完全に目が据わっていますし、こうなればもはやテコでも動かないでしょう。質のいい宝石辺りならば彼女の心を動かすこともできるかもしれませんが、生憎我々にそれだけの財力はありませんし。
 こうなれば彼女の直弟子であるシロウに逆らう余地はありません。私はシロウのサーヴァントであるから当然、彼の傍から離れるわけにはいきませんし、となれば桜が一人だけ逃れようとするわけにはいかないのもまた道理でしょう。

 ――しかし、私には気になることがあるのです。

「シロウ、ちょっとよろしいでしょうか」
「ああ……聞きたいことがあるなら語れる口があるうちに早くしたほうがいいぞ」

 もはや諦めていることを如実に示す、死んだ魚の目をしているシロウ。

「先ほどから見ていると、シロウたちの表情からは絶望の色しか見受けられないのですが……この店の料理はそんなに……その、雑なのでしょうか?」

 恐る恐るそのことを聞いてみる。
 私はこの店に入ったことがありませんから、当然この店で出される中華料理がどんなものか知る由もない。料理には人一倍こだわりを持っているシロウたちが食事する店として選ぶのですから、問題はないものと安心していたのですが……聞いていればどうも様子がおかしい。
 故に、私の心に俄かに不安の雲が立ち込めてきたのです。
 もし……万が一、祖国の料理を髣髴とさせるような料理が出てきたならば私はどうすればいいのでしょうか。そうなれば正直なところ……正気を保っていられる自信がない。いかなシロウといえど、大事な食事の時間を台無しにすることの罪のから逃れられるわけではありませんから。

 シロウは私の問いに複雑な表情をすると、しかしゆっくりと首を横に振った。

「……別に不味いってわけじゃない。むしろ上手い・・・と言っていいだろう……ある意味では遠坂以上に」
「……? ではいったいなにが問題なのですか?」
「セイバーも食べてみればわかる。いや、見ればわかるといったほうが良いか」

 そう言ってシロウは、意味ありげな言葉と笑みを漏らしながら私の腕を掴み、彼にしてはやや強引に店の中に連れ込んだのでした。


 店内は和風とも洋風ともつかぬ、言うなれば中華風といった装いで、普段は純和風に慣れている私にとっては新鮮に感じられる。しかし私以外の、特にシロウ、凛、桜の三人は、見た目にもはっきりとわかるほどに身を強張らせながら、大き目のテーブルに腰を落ち着けた。

「いらっしゃいませアルー」
「あれ、魃さん?」

 厨房の奥からお盆にお冷を乗せて出てきた小柄な人物を見ると、凛が少しだけ目を見開いて驚いてみせた。

「どうしたんですか? いつもは厨房から出てこないのに」
「あいやー、今日はアルバイトのウェイトレスさん、みんな体調崩してお休みアル。仕方ないからワタシ一人で注文やらレジやらコックさんやら馬車馬アルね。とっても大変アル」

 そう言って魃さん、と呼ばれた少女は小さく眉根を寄せてこくり、と小首を傾げた。
 どうやら彼女がこの店のメインシェフのようですが――それにしては随分と幼げに見える。背丈はイリヤスフィールほどにしかないですし、顔の造りも頭の上に二つ団子状に結い上げた髪が重たげに見えるほどに小ぶりで、口元から僅かに覗く八重歯が彼女の幼さを強調している。

 ……しかしながら、彼女が見た目通りの年齢でないのは明白です。

 何故ならその……以前、キャスターの部屋で見たチャイナ服とかいう、足の辺りが涼しそうな服に包まれた彼女の身体は……背丈と容貌の幼さに相反して不釣合いなほどに豊満であるからです。服の裾から伸びて晒されている白い足も、妙に艶かしく感じる。
 胸元など言わずもがなで、私や凛の及ぶところではない。ひょっとしたら桜にも匹敵するのではないでしょうか。
 いえ、だからといって別に悔しくわけではないのです。……ところでシロウ、そのように谷間を注視するのは私、些かどうかと思うのですが。

 とりあえず足の甲を強く踏んでおきました。おかげでシロウも態度を改めたようです。

 もっとも魃さんのほうはシロウの不躾な視線には気づいていなかったようで、お冷を全員分配り終えると、

「それでお客さん、ご注文はどうするアルか?」

 笑顔で伝票を捲ってそう聞いてきた。

 途端――シロウ、凛、桜の間に不可視の緊張感が漲りその場を支配する。そして三人は互いに互いを見やると、目と目で会話をし始めた。
 私とイリヤスフィールには生憎彼らが何を言っているのかわからない。だがひどく真剣で重大な会話であることは、三人の額に浮き、こめかみの辺りを流れていく汗の珠が語るでもなく語っていた。

 ――いったい何を?

 語っていることを知ることができない、それがひどくもどかしい。しかし三人の間は、知る者にしか持つことができぬ連帯感のようなもので結ばれていて、所詮知らぬ身であるこの私では間に入っていくことはできない。

「くっ……!」
「むー……なんかわたし仲間はずれー」

 思わず食い締めた歯の間から声が漏れてしまい、慌てて唇を引き結ぶ羽目になった。隣にいるイリヤスフィールは頬を膨らませ、感じている不満を隠さずに漏らしている。
 しかし……ここは仕方ないと諦めるしかないでしょう。それよりも注文を決めなくては。

 三人が互いに頷き合っているのを視界の端に捉えながらメニューをざっと眺める。ここはやはりチャーハンでしょうか。チャーハンは中華の基本だとシロウも言っていたような気がしますし。

「注文、お決まりアルかー?」
「はい、私はチャーハンを」
「わたし、かに玉ー」
「「「杏仁豆腐三つ」」」
「……は?」

 声を揃えて昼食にデザートを注文した三人は、しかし至極真剣な表情をしていた。まさに『必死』という言葉がしっくりくる表情だ。

「あの……シロウ? 本当にそれで良いのですか?」
「ああ、俺たちは杏仁豆腐が食いたいんだ」
「というかむしろ、それ以外は今は食べたくないわ」
「二人ともわたしたちに遠慮しないでいいから、激……けふけふ、お腹いっぱい食べてくださいね」

 怪しい。策の気配がします……これはきっと、何かを企んでいる。

「シ」
「ご注文繰り返すアル――」

 私はそれを追求しようと口を開いた――が、言葉を発しようとするのを遮るように、魃さんが先にメニューを読み上げる。

「――麻婆豆腐五つ」
『なに?』

 奇しくも私たちの声が揃い、振り向いた時には既に魃さんの姿はそこになかった。
 よもやサーヴァントであるこの私が姿を見失うとは、ましてや動く気配すら感じられなかった。……いったい何者?

 しかし麻婆豆腐ですか……半ば以上強引に決められてしまったが、まあいいでしょう。美味しいのであれば私には文句はありませんし。
 ですがこの三人は――

「……終わった」

 ――テーブルに突っ伏してただそれだけをつぶやく凛。
 シロウと桜は声すらあげられない様子で完全に脱力している。いったい何がどうしたというのだろうか。

「ねえセイバー、どうしちゃったのかなシロウたち」
「さあ、私にもわかりかねるが……」

 私とイリヤスフィールは互いに首を捻って、何かを諦めきっているシロウたちを眺める。
 そして――

 ――五人分の麻婆豆腐がやってきた時に、三人の不可解な態度の理由の全てを……文字通り、嫌というほど味わうこととなったのでした。