らいおんの小ネタ劇場

2004 年 9 月 5 日


第 113 回 : 遠坂さんの小ネタ劇場

「あの、遠坂さん」
「あら三枝さん、何か御用でしょうか?」

 自分でも完璧と思える余所行き用の笑顔を話しかけてきた彼女に返す。胸の前で手を組んで、僅かばかり伺うような表情をしていた彼女は、それでまた何故か少しだけうろたえたようだ。
 彼女――三枝由紀香さんは普段からわたしに対してどこか遠慮がちな態度を取っている。かといって、別に彼女はわたしのことを嫌っているというわけでもないらしい。時折彼女のほうから感じる視線や、やはり遠慮がちながらも昼食に誘おうとしてくるのがそのよい証拠だ。

 さて、そんな彼女がわたしに用事があるという。
 まあもっとも、昼食の時間も当に終わり今は放課後なのだし――彼女がいったい何を聞こうとしているかなど、だいたい予想がついている。こちらには心当たりなど、とりあえず今日のところはたった一つくらいしかないのだから。

「えっと、セイバーさんの風邪ってひどいんですか? 藤村先生は生死を彷徨ってるって言ってたんですけど……」

 ほらきた、予想通り。
 英語の時間、普段ならセイバーに全部任せて授業をサボっている藤村先生が……まあ、事実をかなり大げさに伝えてしまったわけだ。
 かといって、もちろんその言葉を素直に信じる人間など殆どいるはずもなかったわけだが、そこは人が良すぎるほどに誰かを疑うって事を知らない三枝さんのこと、さすがに全部信じたわけではないにしろ、かなり心配になったらしい。こちらを見つめてくる彼女の形のよい眉は八の字になって、視線はひどく真摯な光を宿している。

「大丈夫ですよ三枝さん、人間、風邪なんかじゃ簡単に死んだりしませんから。それにちょっと熱は高いですけど、寝ていればきっとすぐ良くなります」
「そうなんですか? それなら安心です……うん、良かったぁ」
「ええ。だから心配しないでも大丈夫。それに彼女、あれで意外と丈夫ですから」

 なんせセイバーは人間ではなく、サーヴァントだ。万が一にも風邪などで死ぬわけがない。――まあ、それを言ったらサーヴァントである彼女が風邪をひくということ自体ありえないのだけれど……とりあえずそれはへっぽこ魔術師のサーヴァントだから、という理由で自分を無理やり納得させることにした。

 そう、あのへっぽこ。あいつが全て悪い。あいつがもうちょっとましな魔術師だったら、きっとセイバーだって風邪なんてひかなかったのだ。
 現にわたしのアーチャーや、言峰のギルガメッシュ、ランサーなんかは……まあ、あいつらの場合は馬鹿はなんとやらが適用されるのかもしれないから除外するとしても、イリヤのバーサーカーや桜のライダーが風邪をひいたなんて話は聞いたことがない。キャスターやアサシンコンビにしたって同じだ。

 ――キャスターはよりにもよって妊娠しちゃってるけどこの際置いておこう。

 ともかく士郎が悪い。事がサーヴァントのせいでないのだとしたら、これはもうマスターのせいと考えるほうが自然だ。
 だから士郎が悪い。もっとちゃんとわたしの講義を真面目に受けていたらこんなことにもならなかったかもしれないのに……こうなったらもう、今日明日からでも少々厳しくしてやろう。うん、決めた。

「ふむ、蒔の字よ。遠坂嬢のあの少々歪んだ笑みはいったい何を示しているのかわかるかね?」
「ああ、ありゃ危険な兆候だなー。きっとろくでもないことを思いついたに違いない。見ろよあの邪悪を隠そうともしない笑顔。悪魔の微笑ってーのか? まったく、あれに四六時中付き合わなけりゃならない衛宮も苦労するよなぁ」
「って、何でそこで衛宮君の名前が出てくるのですか、蒔寺さん?」

 いつの間にかそこに立っていた蒔寺に視線を向けると、それを受けた奴は隣にいた氷室さんの背中に逃げるように隠れてくれやがった。おおこわ、ってなんだその失礼なセリフは。

「だってよー、今日おまえ朝から妙に不機嫌だし、さっきはさっきでアレじゃん。それってやっぱり衛宮がいないせいだろ?」
「別にわたしは不機嫌になどなっていませんし、そもそも衛宮君は無関係です」

 もちろん嘘だが。
 わたしが不機嫌だったかどうかはともかく、さっきは確かに士郎のことを考えていた。それが思わず顔に出てしまったのも士郎のせいだろう。

「で、遠坂嬢。今日、衛宮はどうしたのかね? 彼もセイバー嬢と同じく休んでいるわけだが」
「あっ、そうだ衛宮君。もしかして衛宮君も風邪ひいちゃってるのかな……大丈夫かな。お見舞い行かなくちゃ」

 言いながら三枝さんが「良いですか?」とばかりに視線でお伺いを立ててくる。

「ああ、そのことでしたら大丈夫ですよ。衛宮君は別に風邪なんてひいてませんから……もっとも明日になったら風邪ひいてるかもしれませんけど」
「え? それってどういう……」
「ふむなるほど、そういうわけか。それならば確かに衛宮らしい」
「はい、そういうわけです」

 さすがに氷室さんは察しが良い。あれだけの言葉で事情を悟り、納得したように頷いている。
 対する三枝さんはまだ事情が良く飲み込めてないようで、きょとんとした表情でわたしと氷室さんの顔を交互に見ている。
 仕方ないなぁ――わたしは彼女の微笑ましい仕草に思わず笑みを零してしまいながら説明してあげることにする。

「あのですね、三枝さん。衛宮君が今日休んでるのは、家で寝込んでいるセイバーの面倒を見てるからなんです。彼のことだから今日一日はずっと彼女の看病をしてるでしょうし……だから、ミイラ取りがミイラになってないか、それだけが少し心配なんです」
「あ……そうなんですか。だったら安心です。衛宮君まで風邪ひいてないで良かった……」
「ええ。ですからもし明日、本当に彼が風邪をひいてしまったら、その時はお見舞いに来てくださいね。――ああ、そうそう」

 と、今度は傍らにいる蒔寺に視線を移して、

「蒔寺さんは結構ですから。病人がいるところに騒がしい方を連れて行くのはよろしくないですし」
「あー、なんだよそれー。横暴だおーぼー、まったく衛宮のことを独り占めしたいならしたいってはっきり言えばいいのによ」

 ……なんか聞き捨てならないことを言われた。

「……蒔寺さん?」
「お、おう」
「あなたがわたしのことをどう見ているのか、一度じっくりと話し合いたいものですね……もちろん二人だけで。ええ、以前から蒔寺さんのその無意識に事実を改竄する悪癖に悩まされてきましたから、もしかしたら話し合ってるうちにわたし、我を忘れてしまうかも」

 そしてわたしは自分でも見事だと自賛できるほどに完璧な笑顔を彼女に向ける。

「その時は申し訳ないんですけど……諦めてくださいね?」

 ただし――目は笑わずに。これポイント。

 案の定、蒔寺はもはや怖いとか何とかそんな失礼な言葉すらも失って、氷室さんの背中に完全に隠れてしまった。

「すまないが蒔の字。あの遠坂嬢が相手では、私など盾にすらならんと思うのだが」
「だ、だってよー。あ、あいつの目、見たか? 完全に死ナス目だったぞ!」

 ふっ、この程度で臆するなど、蒔寺楓恐るるに足らず。士郎ならまだ隠れずに頑張っているところだ。
 ……膝は笑っているかもしれないが。

 それにしてもやはり士郎だ。
 ここのところわたしの平穏だった学園生活は、あいつのおかげでどうにも調子が狂いっぱなしだ。どんな時にも余裕を持って優雅たれ、というのが遠坂の家訓だというのに、最近は守れなくなりつつある。
 ここは一つやはり、あいつを遠坂の魔術師の隣に立つにふさわしい魔術師として、きちんと教育してやらなければならないだろう。それもまた、士郎の師匠であるわたしの役目だ。――うん。あいつが今よりもっとましな男になるっていうならば、それも悪くはない。

 やるならば徹底的に容赦なく。
 士郎に苦労してもらうことになると思うが、諦めという文字と共に覚悟を決めてもらうことにしよう。
 それもこのわたし、遠坂凛を師匠に持った弟子のつとめというものだ。

「蒔寺よ。なにやらまた遠坂嬢が微笑を浮かべているのだが、あれは何を企んでいるのわかるかね?」
「それをあたしに言わせるか……これ以上遠坂の逆鱗に触れたら今度こそ灰も残らず消されちまうよ」

 まあ……一先ずは背後で囁かれている姦しい声を消すのが先決なのだけど。


 余談。

 翌日士郎は学校を休む羽目となった。前日に話していた事が現実となってしまったわけだ。
 三枝さんはしきりに見舞いに行きたがっていたが――わたしはそれを止めざるを得なかった。看病なら風邪が完治したセイバーがしていたし、それに……休んだのは風邪ひいたせいじゃないのだし。

 士郎に成長してもらいたかったからやった。鍛錬のためなら手段を選ばなかった。今は少し張り切りすぎたと反省している。