らいおんの小ネタ劇場

2004 年 9 月 1 日


第 111 回 : 秋風

 ――もう夏も終わる。

 シロウと共に街を散歩していて、不意にそんなことを思った。

 カレンダーも八月から九月に変わって、さんざん猛威を振るった夏の日差しにもそろそろ翳りが見え始めてきた。
 残暑はまだまだ厳しいけれど、時折吹き抜けていく冷気を含んだ風が夏が終わっていく証拠のように思える。只中にあってはあまりの猛暑に秋の到来を心待ちにした日もありましたが、こうして過ぎ去りつつある様を目の当たりにすると、寂しくも感じるのだから不思議なものだ。

「もう夏も終わりだなー」

 と、隣を歩いていたシロウが、私が考えていたこととまったく同じことを口にした。

「ええ……そうですね」

 だから思わず漏れてしまいそうになる笑みをこらえながらそう答える。
 シロウの横顔を伺うと、彼の視線は先ほどからずっと一点を見つめていた。追いかけた先にあるのは、沈みかけて緋色に染まりかけた太陽。
 確かに一時に比べて、最近は日が落ちるのも少しずつ早くなってきているような気がする。空もまた、夏の終わりを告げいてたのか――などとまるで詩人が物語る詩の一節のような言葉を思い浮かべてしまい、今度こそ苦笑を漏らしてしまった。

「ん? どしたんだ、いきなり笑い出して」
「いえ……すいません、なんでもないのです。ただ、この身には似合わぬことを考えてしまったのがおかしかっただけですから」

 私自身、語るよりもむしろ語られるほうの存在だ。それに詩人たちのような豊かな感受性も想像力も持ち合わせてはいない。故に私には言葉を飾って物語るなど無縁のことではあるが――かつて彼らも今日のような季節の移り変わる日の中で、私と同じ空を見て詩を綴ったのかと思うと時には彼らの真似事なども悪くない、などと考えてしまうのだから不思議なものだと思う。――もっとも思うだけで、実際に綴ったりはしないのだけれど。

 それにしても今日は少し肌寒い。
 空も曇っていないし、風もそんなに強くはないのだけれど、半袖のブラウス一枚では剥きだしの腕から少しずつ身体が冷やされていく。
 橋の上から一望できる川の流れが寒々しく感じてしまうのは、だからなのだろうか。水面はいつもと同じ、ただ静かに緩やかな風に細波を立て、降り注ぐ光をまぶしく返しているだけでしかないのに。
 欄干に手をかけて、川面を走っている小船を眺めているシロウはどんな風に感じているだろうか。
 私と違ってちゃんと上着を着込んできているから、いつもと同じ印象しか感じていないかもしれない。なんとなくそんな気がする。

「……っ」

 と、不意に川面が大きく揺れて、同じ風に晒された私の身体も小さく震えた。
 鳥肌が僅かに浮いた腕を抱きしめるようにして、身を縮こませる。耳元を吹き抜けていく風の音にさえ寒さを感じて、もう一度身体が震える――

「そりゃそんな恰好じゃ寒いよな」

 ――前に、苦笑交じりにそう言ったシロウがかけてくれた上着に包まれていた。

 突然のことにふと我を忘れている間に、背中からじんわりと温もりが染み込んでくる。そして不覚にも我に返ったのは、先ほどまで寒さを感じていた自分が、今はむしろ暖かいと感じていることに気づいてからだった。

「あの、これは……」
「寒いだろ? 着といたほうがいいぞ」
「いえ、ですがそれでは今度はシロウが」

 慌てて脱いで返そうとするが、その手は当のシロウに推し留められる。逆に上着の前を合わせられて、ボタンを止められてしまった。
 そうなると自身小柄であると自覚している私の身体など、彼の上着に完全に包み込まれてしまう。先ほどまでシロウ自身が羽織っていた上着にはまだ彼の体温の残滓があって、まるでシロウに包まれているようだと――考えそうになって慌てて打ち消した。

「? なんだよ、いきなり頭なんか振って」
「な、なんでもありませんから。……それより、シロウは寒くないのですか?」

 彼とて上着を脱いでしまえば残ったのはシャツが一枚だけ。白い無地のそれだけでは、先ほどまでの私と状況はまるで同じで、寒くないはずがない。
 だというのにシロウは、

「ああ、平気平気。俺、寒いのは苦手じゃないし」

 などと笑って否定する。
 それがあからさまな痩せ我慢なのは、彼の腕に浮いた鳥肌を見れば一目瞭然だった。川の水面はますますざわめき、耳元で踊る風は足早に、しかし騒々しく音を立てて走っている。だから、寒くないはずなどない。

 だが、私は寒くない。何故ならシロウがかけてくれた上着は暖かい……これさえあればどんな寒さにも耐えられるのではないかと思うほどに。

 寒いはずのシロウは、そう感じている素振りなど一つも見せず、身体を大きく伸ばしてから笑いかけてくる。

「さて、それじゃそろそろ帰るか? 日が落ちるまでに戻らないと夕飯が遅くなっちまうし……そしたらセイバーの機嫌が悪くなるしな」
「最後のひとことには異議を申し立てたいところですが……そうですね。帰りましょう、シロウ」

 冗談交じりの言葉に頷いて返して――羽織っただけの上着にきちんと袖を通してから、私はシロウの腕を取った。

「……セイバー?」
「こうすれば……少しくらいは暖かくなれるはずですから」
「ん……ま、そうだな」

 シロウの腕に自分を絡ませ、影が伸びる夕焼けの中を並んで歩く。
 吹き抜けていく風は夏の気配を次第に押し流して去って行き、やってくる風が少しずつ秋の気配を運んでくる。
 夏の出口と秋の入り口のちょうど真ん中、どちらでもない時間の中を、私とシロウは共に歩いていた。