らいおんの小ネタ劇場

2004 年 8 月 30 日


第 109 回 : 断髪

「セイバー、だいぶ髪が伸びたなぁ」
「む、そうでしょうか?」

 シロウに言われて自分の前髪をひと房取って引っ張ってみる。ぴんと伸びた髪の先端は、鼻先を越えて唇の下まで届いていた。
 なるほど、気づきませんでしたが確かに髪が伸びているようですね。ここのところ目に入ってちくちくしていたのもそのせいでしょうか。少々うっとおしいと思ってはいたのですが、まさか髪の毛が伸びているせいだとは思わなかった。何故なら私は――

「サーヴァントの癖に髪の毛が伸びるなんてね、あんたほんとにサーヴァント?」
「……凛。あなたの言いたいことはわかりますが、もう少し言いようがあると思うのですが」
「そうだぞ遠坂。いいじゃないか、セイバーの髪の毛が伸びて、なにが悪いって言うんだよ」
「あんたね、何度も言うけどセイバーは普通の人間じゃなくって……ま、いいけどさ。今更シロウになに言ったって無駄なのはわかってるし」

 呆れ混じりのため息と一緒に吐き出した凛の言葉は、しかし苦笑の響きも多分に含まれていた。口ではシロウのことを盛んにからかったり貶している凛だが、もしシロウが今のシロウの通りでなかったならば彼女はきっと不機嫌になって本気で怒るのだろう。
 遠坂凛は猫を何枚も被っている人なのだ。

「……なに人の顔見て笑ってるのよ」
「いえ、別に」

 目を細めて睨んでくる凛に微笑みで返して視線をやり過ごす。いつもは立場が逆なのですが、たまにはいいでしょう。

「ったく、もう……こっちに残ってヘンなことばっかり覚えてるんじゃないの、セイバー」
「そうかもしれませんね。……誰のおかげとは言いませんが」
「ほんっとに憎まれ口は立派になったわね。……まあいいけど、それでどうするのよ。髪伸びたんだったら切りにでも行ったほうがいいんじゃない?」
「む……そうですね」

 確かにこのまま伸びたまま放っておくのもあまり良いことではないですし、凛の言う通りに切ったほうが良いでしょう。いざという時に髪に視界を遮られては危険ですし、ここのところ髪が目に入って不快な気分になるのもしばしばでしたし。
 と、なるとやはり商店街にある床屋か、凛がいつも利用しているという美容院というところに行くのがいいのでしょうか。正直なところ、髪を切る程度のことでお金を払うのもどうかと思うのですが……昔、王であった頃も侍女に適当に切ってもらっていたことですし、要は邪魔な髪が無くなればいいだけの話なのですから。


 ――と、凛に言ったら怒られました。


「あんたね! 髪は女の命なのよ! 男の子やってた昔ならともかく、今のあんたは女の子でしょうが!」
「あ、いえ……今も騎士であることに変わりは」
「だまらっしゃい!」

 ぐわっ、と獣の様な咆哮を挙げた凛に思いもよらず気圧される。よもやこの身がこれほどのプレッシャーを受けるとは。
 凛は腰に手をやり、心なしかこちらを見下ろすようにしながら柳眉を逆立て、シロウはその後ろで放射される鬼気にがたがた震えていた。何故でしょう。

「だいたいあんた、日頃あれだけシロウに甘やかされて、ごろごろにゃんにゃん鳴いて立派に女の子やっておきながら、今更『私は騎士です』なんつってすまし顔したって、説得力のカケラもないってのよ」
「なっ! わ、私は甘やかされてなどいない! だ、だいたい鳴いているのは猫たちであって私では……」
「ああもう、言い訳無用! ちょっと士郎、あんたの猫借りてくわよ。お金を使いたくないって言うならわたしがセイバーの髪切る。ちゃんと綺麗にしてあげるし、これなら一石二鳥でしょ!」
「なんだ遠坂、おまえ散髪なんてできるのか?」
「ふっ、イリヤにできてこのわたしにできないことなんてあるはずないわ」

 一方的に言い放つと、凛は私の腕を痕がつくのではないかと思わせるほどの力で握り締め、シロウの返答も待たずに引っ張っていく。
 力任せに振りほどこうとしても、いったいこの細腕のどこにこれほどの握力があるのかびくともせず、抵抗は全て徒労に終わる。

「り、凛! ちょ、ちょっと待ってください! あっ、シロウ! なに十字を切って見送っているのですか!? 私を見捨てるのかマスターッ!」
「ああ、良く考えたらちょうどいい練習台モルモットにもなるし一石三鳥ね! さっすがわたしだわ!」

 もはや止まらない凛と、成す術もなく引きずられていく私を死んだ魚のような目で見送るシロウの姿を目に焼き付けて、私はそのまま凛の部屋――赤いあくまの実験室へと連行されていったのでした。


 結論から言うとさすがは凛と言うべきなのでしょうか。
 凛は思っていた以上にきちんと髪を切ってくれて、以前とそう代わり映えはしないものの、綺麗に整えられた髪を邪魔に感じることもなくなった。

 ……の、ですが。
 凛に髪を切ってもらって以来、一つだけ不可解なことがこの身を襲っているのです。

「……と」

 などと考えている間に、私はバランスを崩して後ろにいるシロウにもたれかかっていた。

「申し訳ありません、シロウ」
「気にすんなって。それよりセイバーも気をつけろよ」
「ええ……しかしこれでも十分気をつけているつもりなのですが」

 それでも少しも思い通りにならない我が身に首を傾げる――もう何度こうしたことでしょうか。
 凛に髪を切ってもらった二日前から、どうにも身体のバランスが取りにくくて仕方がない。いくら気をつけていても、今のように足をもつれさせたりふらついて転びかけてしまうのです。幸いなことに近くにシロウや凛がいてくれているので怪我などはまだしていないのですが。

 ですがいったい何故こんなことになっているのだろうか。
 やはりきっかけは髪を切ったことなのだと思うのですが、伸びていた前髪と、少し飛び出していたひと房を短くしてもらっただけだというのに。

「全くもって不可解なことです……」
「あー……しょうがないと思うぞ。ステータス情報更新されてたし」
「そうね……まさかアレがああいう働きしてたなんて思ってもみなかったわ」
「? 何か心当たりでも?」
「「いや、なんにも」」

 顔を引きつらせて笑っているシロウと凛に問うも、二人とも激しく頭を振って否定した。
 ……全く、不可解なことです。