らいおんの小ネタ劇場

2004 年 8 月 25 日


第 107 回 : くらげ

「セイバー、今日はなにが食べたい?」

 と、聞かれて、

「そうですね……今日は魚などをいただきたい気分です」

 と、答えたのが三十分ほど前。

 そして先ほど買い物から帰ってきたシロウは、魚ではなくくらげを持っていた。
 ……くらげ。その脱力感を煽る名前を、この私が忘れるはずもない。何故なら私はかつて彼の軟体生物にしてやられ、一敗地に塗れているのです。


 それは先週のことでした。
 何の前触れもなくやってきたランサーに連れられて、海釣りに出かけたのです。もちろんシロウも一緒でしたが。
 釣果はまあまあ。例によって私は一切釣れず、いわゆるぼうずというやつだったのですが、代わりにシロウと、忌々しいことですがランサーが十分に釣ってくれたのでその日の晩ごはんにはまったく困らなかった。

 ――の、ですが。

 またしてもランサーです。
 いえ、波で釣り船が揺れたせいであってわざとではないのはわかります。だが、背中からぶつかって海に人を突き落としておきながら、大笑いをするとはどういう了見なのでしょうか。……確かに頭から海草をぶらさげていたのは自分でも間が抜けているとは思いますが、それでもです。
 おかげで私は全身濡れ鼠になり、そしてくらげに足を刺されて腫れ上がってしまったのです。
 幸いなことに私はサーヴァントですから、直ぐに完愉し痕にも残らなかったのが不幸中の幸いですが、それでもくらげに刺されたという事実が消えるわけではない。故に私にとって、くらげとはある意味忌むべき名前なのです。


 そしてそのくらげは今、今夜のおかずとして私の目の前にあった。

「しかしシロウ……何故くらげなのですか? 私はてっきり魚だと思っていたのですが……」
「ああ、俺もそうしようと思ったんだけどさ。なんかここのところくらげが大量発生してるらしくて、あんまりいい魚が入ってきてないらしいんだ」
「くらげのせいで、ですか?」
「うん。くらげは漁の網を破っちまうからな」

 ……なんということだ。よもや私の食生活にまでくらげが介入してくるとは思ってもみなかった。くらげは所詮海に生きる生物。陸にまで上がってはこれまいと高をくくっていた私の油断ですね。

 しかし、考えようによっては、これは意趣返しをする良い機会なのかもしれない。何故ならくらげは所詮くらげであり、陸の上に上がってしまえばまさに文字通りまな板の上のくらげですから。

「うむ。これぞまさに天の配剤というものでしょう」
「む? よくわからないけど、やる気満々だな、セイバー」
「ええ。シロウ、再戦の機会を与えてくれたあなたに感謝します」
「む。よくわからないけど頑張ってくれ、セイバー」
「お任せを、マイマスター。この剣に誓ってあなたに勝利を捧げます」

 剣とはもちろん我が愛剣、約束された勝利の剣エクスカリバーのことです。
 いかに相手がくらげであろうと、聖剣に誓ったからにはこの身に敗北は許されないのです。相手はくらげですが。


 そしてその夜の食卓にて。


「ああっ、セイバーちゃんちょっと一人で食べすぎだよぅ!」
「申し訳ない大河。しかしいかにあなたの頼みとて、これは私にも譲れないのです」
「なんせ聖剣に誓っちまったからなぁ……くらげ食うのを」
「セイバーあんたって子は……こっちに来てからすっかり零落れたわねぇ……」

 常人には見切れぬ速度で箸を繰り出してくる大河の手をかわし、シロウが用意してくれたくらげのお刺身をありがたくいただく。凛が蔑むような目つきをしていますが、そのような中傷などシロウのごはんの前では何ほどのこともない。
 それにしてもくらげ、初めて食べましたがこれはなかなか、意外にも美味しい。

 よもやあのように海面に浮いているだけの生物がこれほどまでに美味だとは……あなどれませんね、くらげ。