らいおんの小ネタ劇場
2004 年 8 月 18 日
第 103 回 : ご懐妊
ある日の夕方、玄関の呼び鈴が来客者があることを告げた。
「悪いセイバー、出てくれー」
「了解しました」
夕飯の仕込をしていて手が離せないシロウに頼まれ、玄関に向かう。というか、別に私でなくても居間で転がって雑誌を呼んでいる凛でも良いのですが、言ったところで動かないでしょうから仕方ないですね。
「はい、どなたでしょうか」
「こんばんわ、セイバー」
「……うむ。失礼する」
「メディア? それに宗一郎まで……珍しいですね」
戸を開くとそこにいたのは何故か花束を持っていつもの難しい表情をしている葛木宗一郎と、こちらは満面の笑顔をしている葛木メディアの夫婦だった。
「……こ」
「子供が」
「できた!?」
私と凛とシロウがそう言うと、宗一郎が重々しく頷き、メディアが頬に手を当てながらゆっくりと頷いた。
「こ、子供って……あかちゃんよね。人間と、サーヴァントの間に? ……し、信じらんない」
呆然として目を見開き、凛がつぶやいた。
しかし、この二人が夫婦となって三ヶ月以上になりますが……子供ですか。結婚しているのですから当然いつかできるものだと思っていましたが、いざこうして言われると凛の言う通り、確かに信じられないことですね……
何故ならもちろん私もそうですが、メディアはサーヴァントです。彼女の身体は現実に受肉した肉体ではなく、あくまで魔力で紡いだ仮初の肉に過ぎない。それが胎内に子を宿すことができるとは……
だがしかし、事実として彼女は子供をその身に宿しているという。ならば理屈はどうあれ、素直に祝福するべきでしょう。
「おめでとうございます、メディア、宗一郎」
「あ、おめでとうございます葛木先生、メディアさん。いや、ほんとに良かった。うん、おめでとうございます」
「……む」
「ありがとう、二人とも」
私と、我に返ったシロウの祝いの言葉に葛木はやはり重々しく頷き、メディアは僅かに瞳を潤ませた。
「ほら遠坂も。いいじゃないか、細かいことはどうだって。二人に子供ができたってんなら、それは良いことだろ?」
「ど、どうだっていいって……あ、あんたねぇ!」
「……遠坂」
「う……」
諭すように肩に手を置くシロウの真剣な表情に、凛も小さくうめいて言葉を詰まらせる。
それでも凛はしばし口の中でぶつぶつとつぶやき、どうにも釈然としない様子でしたが最後には、
「と、とりあえずおめでとう。まだ納得できないことはあるけど……子供ができたって事に関しては素直に祝福するわ」
憮然とした表情ながらもそう言って、シロウに頭をくしゃくしゃと撫で回されていた。もっとも、すぐに赤い顔をして思いっきり彼を睨みつけたのですが。
「それで、出産予定日はいつ頃なんですか?」
全員の分のお茶を注ぎながらシロウが聞く。今日のお茶菓子はかりんとう。商店街のスーパーで買ってきたセール品ですが、これはこれで良さがある。やはり緑茶には和菓子が良い。紅茶には洋菓子、日本茶には和菓子です。
……と、話がずれました。
シロウが入れたお茶を一口啜り、メディアは自分のお腹に手をやって、愛しげにそこをさする。
「今、ちょうど三ヶ月らしいから、あと七ヶ月というところかしら。予定では来年の三月くらいらしいのだけれど……」
「そうですか。悪阻とかどうですか? 辛くはないですか?」
「ええ、幸いにも私は軽いほうみたいだからそんなでもないのだけれど、やっぱり時々、ね」
そう言いながらもやはり彼女の顔から笑みは消えない。悪阻というのがどのくらい辛いものかは私にはわからないが、辛いことでさえ子供のためならば喜びに変わってしまうほど、今の彼女は満たされているようだ。幸せの絶頂というものがあるならば、きっとまさに今の彼女がそうなのだろう。
そして口にも態度にも一切出していないが、メディアの隣で黙して語らない宗一郎もきっと同じ……なのだろう。おそらく。
「とにかく、俺たちで力になれることがあったら遠慮なく言ってください。食事とかのことだったらきっと力になれると思う」
「ええ、ありがとう。……ふふ」
「……む? なんですか、メディア」
メディアが笑いながら穏やかな目をこちらに向けてくる。初めて見る彼女の瞳の色に僅かにひるみながらも問い返す。
「セイバー、貴女のマスターは本当に良い人間ね」
「……なにを今更。シロウが健やかな人柄であることは問うまでもないことです。……何故なら私のマスターなのですから」
「ふふっ……ほんと、貴女って……そうだったわね」
私の答えの何がおかしかったのか、メディアはますます嬉しそうに笑ってシロウを意味ありげに見やり、見られたシロウはというとお茶を啜りながらそっぽを向いてしまった。その横顔は少し赤く、呆れたような目つきで彼の顔を見つめる隣にいる凛。
「……で、あなたたちはいつになったら子供作るの? 士郎君とセイバーは」
「ぶーーーっ!」
「ッ!?」
突然とんでもないことを言うメディアに、私は言葉を詰まらせ、シロウは口に含んでいたお茶を思いっきり噴出した。
正面にいた凛の横顔に。
「……とりあえず士郎、あんたこっち」
「まっ! 待て遠坂ッ!? 悪気は、悪気はないんだっ!!」
「悪気はなくても乙女の顔に茶ぁぶっかけたって事実は変わんないわ。なんというか、ある意味犯された気分だわ」
「ひ、人聞きの悪いことを、言うなぁぁぁぁ……」
そうして凛に引きずられてシロウ退場。この後、凛にどのような目に合わせられるか私には知る由もありませんが、少なくとも命の危険はないでしょうし、放っておいても問題ないでしょう。それよりも、徐々に遠ざかっていく語尾の余韻がどことなく物悲しさを感じます。
……ではなく。
「い、いきなり何を言い出すのですかあなたはっ!?」
「思ったことを聞いただけよ」
「で、ですから何故そのような……」
「そんなのはセイバー、あなたにだってわかっているのではなくて?」
「……わ、私にはまだ、そのようなことは」
自分でも自分が何を言っているのか良くわからない。ただ、彼女の問いに答えることなど、今の私にはできないということははっきりしている。
私は……少なくとも自分の気持ちだけは理解しているつもりだ。これまでに何度も抱いてきた、騎士として、同時に女として彼の傍に居たいという気持ちは変わらないし、一片の揺らぎもない。
だがわかるのはあくまで自分のことだけだ。それ以外のことなど、神ならぬ身である私には知る由もない。いや、神にだってそんなことわかってたまるものか。
だから結局……私は臆病なだけなのかもしれない。
「……衛宮はまだ十七だ」
と、それまでずっと沈黙を守り通してきた宗一郎がぽつりとつぶやいた。
顔を上げると、相変わらず巌のような無表情の彼がじっとこちらを見つめている。
「……宗一郎?」
「日本ではな、十八にならなければ結婚することはできん」
「は、はあ……」
「それに高校生で子作りなど看過することはできん。我が校では行き過ぎた男女の不純異性交遊を禁じている。……これでも教師なのでな」
眼鏡のつるを指で押し上げ語る宗一郎。
「……焦ることはあるまい」
そして最後にそう言うと、それきり先ほどまでのように黙して語らなくなってしまった。
……結局は最後のひとことが言いたかったのでしょうか。
メディアはしばしそんな夫の横顔を見つめていたが、やがてため息をついて小さく笑い、
「ごめんなさい、少し言い過ぎたわね。あなたも士郎君もまだ子供なのだし……確かに宗一郎様の言う通り少し早かったわ」
「私が子供だというのには異論がないわけではありませんが……」
「はいはい……。でもね、セイバー。わかってると思うけど士郎君、ああいう子だから黙って放っておくと、横から奪われるわよ」
「…………」
メディアが言いたいことは良くわかるが、しかし私にどうしろというのか。
他の誰かがシロウに想いを寄せるのを止めることなど私にはできない。
「ま、良く考えることね。……それじゃそろそろ私たちは失礼させていただくわ」
「……何故、あなたはそんなにも私に構うのですか?」
「さあ? 私も良くわからないけれど、どうしてか放っておけないのよ、あなたのこと」
そう言って彼女は最後まで笑いながら、宗一郎と共に帰っていった。
二人が去り、シロウも凛もいない居間に一人残され、私はメディアが言った言葉を自分の中で繰り返し思い出す。
だがしかし、どうすればいいのかやはり答えは出ない。……どうしたいのかならば、なんとなくわかるのだけれど。
「やはり……私は臆病なのだろうか」
つぶやき、知れずのうちにため息を零しながら、手の中にある湯呑みを傾けお茶を口に含む。
すっかり冷えて温くなってしまったお茶は何故だかいつもよりも苦く感じられた。