らいおんの小ネタ劇場

2004 年 8 月 13 日


第 100 回 : まったり

 首を振っている扇風機の風速を『弱』にして、こちらに向けておく。
 そうして台所に行き、良く冷えたお茶と、バスケットに入っているお茶菓子を一掴みお盆に取って用意する。
 縁側に戻るとシロウが外に足を投げ出して、ぼんやりと座って待っている。
 風が吹いて、この間買ってきたばかりの風鈴がちりんと小さく鳴いた。

 日中はひたすらに強く私たちを攻め立ててくる夏の日差しも、夕方になれば少しは弱く柔らかくもなる。それでもやはり汗ばむくらいなのは変わらないけれど、昼間の厳しい暑さに慣れた身体にはこれくらいでも涼しく感じられる。
 その上で髪を撫でる風の一つも吹いてくれるのであれば何も言うことはないのだが、時々風鈴を軽く揺らすくらいにしか期待できないので、仕方なく扇風機で代用することにする。本当は多少生温くても自然の風のほうがよほど気持ちがいいのだけれど――。
 そんな贅沢を考えながら、軋む縁側の板張りに立ったままふと空を見上げる。
 浮かんでいる橙色に染まった入道雲は、いつか夏祭りで食べたシロップをかけすぎたかき氷のようだった。

 傍目にもぼんやりとしているシロウの隣に腰を降ろし、少しだけ開いた私たち二人の間にお茶菓子のお盆を置いて、もう汗をかき始めたコップを渡す。
 ぽつりと、滴り落ちた雫が木目の上に小さな染みを作ってすぐに乾いて消えていく間に、お盆から一つお茶菓子を取って頬張った。江戸前屋のどら焼きはやはり美味しい。最近では江戸前屋以外のどら焼きだと微妙に物足りなく感じてしまうのだから、以前よりも舌が肥えたという凛の軽口を否定することもできなくなっている。

 しかしだからといって止める気もないので、開き直って美味しくいただくことにする。美味しいものは美味しい。良いではないですか。
 ちなみに私はこしあんが好みだ。

「セイバー」
「あ、はい?」

 と、隣からのシロウの声に振り向く。

「どら焼き、俺も少し貰って良いか?」
「もちろん。遠慮することなどないではないですか」

 私がそう言ってもシロウはありがとう、と言ってから、こしあんのどら焼きを取って頬張った。
 このどら焼きは私とシロウで半分ずつお金を出して買ったものなのだから、私と彼とで半分ずつ所有権がある。だから別にシロウが食べるのに断りを入れなくてはいけない道理はないのだが、どうしてか食べ物のこととなると、私に遠慮しようとする傾向がある。
 それはシロウだけでなく、誰しもに言えることなのだが、なんだか随分と失礼なことをされているような気がする。
 まあ……今更良いのですけど。私自身、美味しい物を食べるのが好きなのは否定するつもりもないですし。

 どら焼きを齧りながらお茶を飲み、やっぱり冷えた麦茶よりも温かい緑茶のほうがどら焼きに合う……そんなことを考えながらぼんやりと見慣れた庭の風景を眺める。
 何もかかっていない洗濯の物干し竿と、冬の頃に比べてすっかり青々としている木々。一角には、何やら家庭菜園とやらに挑戦しようとしているらしいライダーが、自分のスペースを確保して看板で主張していた。曰く『許可なく立ち入る者は石になります』と。
 どうでもいいことですが、何故彼女は自分の家でもないこの庭で家庭菜園などやろうとするのでしょうか。間桐の家にも立派な庭があるというのに。

 まあ、本当にどうでもいいことだ。今更取り立てて騒ぐことのほどでもありません。

 きちんと帰れと言っても凛が泊まっていくのも。
 桜が時折妖しい笑みを浮かべているのに少しばかり怯んでしまうのも。
 イリヤスフィールがシロウに甘えすぎなのも。
 ライダーが少々傍若無人であるのも。
 大河が年長者なのに一番幼い振る舞いをしているのも。
 バーサーカーが相変わらず人を散歩に連れ出そうとするのもそうですし、言峰主従三人が人様に迷惑をかけているのも、アーチャーが時折哀れに感じるのも、メディアはいい年して少々趣味が偏りすぎているのも――。

 何もかも全て、今更日常のことです。
 少しばかり騒がしい、だけどただそれだけの平穏の中の一つの出来事にすぎません。
 この日常がこれからどれだけ続いていくのかわかりませんし、いずれはきっとどこかで何かが変わっていくのでしょうが、私は今に満足している。腹立たしく感じるのも、喜びを感じるのも全てひっくるめた上での日常と平穏なのですから。

 沈んでいく夕日の前を二羽の鳥が並んで飛んでいくのをぼんやりと眺める。
 緩みきった自分を自覚しながらも、時にはこういう時間もあって良いではないかと思いつつ、手の中に残ったどら焼きの欠片を頬張った。
 ……ふむ。この後すぐに夕飯ですが、もう一つくらいならいいでしょうか。
 自分のお腹の具合と相談し是と判断、手をお盆に伸ばして――

「――あ」
「――む」

 同じようにお盆に手を伸ばしていたシロウの手と私の手がぶつかった。
 軽く重なっている手を見下ろし、次いでなんとなしに二人で顔を見合わせてしまう。シロウの頬は、夕焼けの光を浴びて少しだけ赤い。きっと私の頬も同じように赤くなっているのだと思う。

 ――さて、それはいいとしてどうしたものでしょうか。

 お盆に残っているどら焼きはこしあんとつぶあんが一つずつ。私としてはこしあんをいただきたいのですが、シロウも同じなのでしょう。そうでなければ私たちの手がこうして重なっていることもないはずですし。

「セイバー、半分こにしようか」

 悩んでいる私を見かねたのか、シロウが笑いながら提案してきた。
 なるほど――それならば私もシロウもお互いにこしあんのどら焼きを食べることができて不公平がない。夕飯の前ですから量的にもちょうど良いですし。

「そうですね、半分こにしましょう、シロウ」
「ああ。となると、残った一つはどうしようか」
「……では大河に差し上げることにしましょう。きっと喜んで食べてくれると思いますし」
「ん、だな。むしろ俺たちだけで全部食っちまったら、後でうるさいぜ、藤ねえは」
「なるほど。確かにその通りだ」

 そう言って互いに笑い合い、半分にしたどら焼きをシロウと一緒に食べた。二人で分けたどら焼きは、何故かほんの少しだけ、いつもより美味しく感じられたような気がする。不思議なものですね。

 それから私とシロウは、太陽がすっかり沈んでしまうまで並んで夕涼みをしていた。
 板張りについた手が、何故か重なってままで汗ばんでいたけれど、私もシロウも気にせずそのままでいた。

 おかげで気づいたことが一つある。
 どうやらシロウの頬が赤かったのは、夕日のせいではなかったようです。