らいおんの小ネタ劇場

2004 年 8 月 3 日


第 93 回 : 夏日

 今日も今日とて日課の瞑想。
 私にとって欠かすことのできない大切な時間です。どれだけ忙しく、時間のない一日であっても瞑想の時間だけは最低でも一時間は割くことにしている。
 聖杯戦争を通しても自覚したことだが、私はまだ精神的に未熟だ。
 戦場において冷静さを忘れ、己の力に溺れてシロウを危機的な状況に追い込んでしまったことすらある。今は幸い、日常は平穏の中にあり命を危ぶまれるような危険も争いもありませんが、いつそのような事態が訪れるかわかったものではない。
 だからいざというときに備え、己の精神修養だけは絶対に欠かさないようにしているのです。

 ――の、ですが。

「…………」

 いかんせん、暑すぎます。日本の夏は何故こんなに暑いのでしょうか。
 シロウによれば今年は例年に比べても特に暑いとのことでしたが、これでは精神を鎮めようにも鎮められない。それすらも私の未熟故と言われればその通りではありますが、暑いものは暑いのです。
 外では長い雌伏の時を経て地上より現れたセミたちがひっきりになしに自分の存在を世界に知らしめようと声を張り上げている。大河によれば、彼らの中から選ばれたセミが、長じた後に忍者となって地上の征服を企むとか何とか言っていましたが……まあ、どうせデタラメでしょう。

 と、そんなことはどうでも良い。セミが忍者であろうと無かろうと、問題なのはそれがシロウに累を及ぼすか否かだけなのですから。

「……ふぅ」

 そんなことよりも、とにかく暑いのです。私自身、まさかこんなにも暑さに弱いとは思ってもみなかった。
 ……仕方がない。
 悔しくはありますが、これ以上は瞑想を続けようとしても無駄でしょう。今でさえ、雑念が入ってしまって精神修養としてはまるで成っていない。

 自分自身の不甲斐なさにため息をつきつつも、とりあえず居間に戻って何かを飲もう。そう思い、道場の板張りに手をつき立ち上がって――

「……む」

 ――その瞬間、意識が暗い闇の色に包まれて、私は自分が落ちていくのを自覚した。


「ん……」
「起きたか? セイバー」

 目を覚ますとシロウが私を見下ろしていて、うちわで私を扇いでいた。

「シロウ……あの、私は」
「熱射病だよ。ああ、無理に起き上がろうとするなって、まだきついだろ」

 シロウの言う通り、起き上がろうとしても頭がぐらりと揺れてそのまま倒れ込んでしまった。

「まあ、今日は暑かったし、セイバーも暑いの苦手だろ?」
「それはそうですが……しかし……申し訳ありません、シロウ」
「いいって、気にすんなよ」

 シロウは私を扇ぐ手を止めず、笑いながらそう言ってくれた。
 だが、シロウは私を慰めてくれるが……サーヴァントでありながら熱射病程度で倒れてしまうなど……ありえない。
 不甲斐ないなどという話ではない。シロウを守らなければいけない身でありながら、この体たらくでは……

「私は……自分が情けないです」
「は?」
「これではいざというときにシロウを守ることなどできない」
「あー、いや。待てってセイバー」
「私は……私には、貴方のそばにいる資格など……」
「だーーーっ! ばか言ってんじゃねーーー!」

 ばたばたと私を仰ぐ手の動きをいっそう激しくしながら、シロウが激昂する。

「たかだか熱射病で倒れたくらいでそこまで思いつめてんじゃねーよ」
「し、しかしシロウ……」
「しかしもかかしもないっ!」

 いつになく怒気を発しているシロウに思わずたじろぐ。それにシロウがこんなに大きな声を出して怒ったのも、ずいぶんと久しぶりのことだし、こんなに真剣な表情をしているのも……きっと、久しぶりのことだと思う。

「だいたい、資格だの何だのといったい誰がそんなもん決めたってんだ。俺はそんなもん決めた覚えないし、そんなもん必要ない。それにセイバーは普段から少し気を使いすぎなんだ。マスターとサーヴァントの関係なんてどうでもいいから、少しくらい俺に世話かけろってんだ」
「ですが、私はあなたを――」
「それから!」

 シロウに言い返そうと口を開いた私を遮ったシロウは、そのまま何故かそっぽを向いてしまった。
 私に表情を見せようとしないシロウは、しばらく口の中でごにょごにょとつぶやいていたが、やがてどこか不機嫌そうな口調で、

「……俺はサーヴァントだのなんだのって、そんなもん抜きにして……セイバーがいてくれないと、困る」

 そうつぶやいた。


 まったくもってシロウは卑怯だと思う。
 そのようなことを言われて、私がそれ以上彼に逆らうことなどできないと――自覚しているかどうかは怪しいのですが――ともあれ、シロウにそんなことを言われてしまっては私に言えることもできることも、もはや何もない。
 後はただ、黙って大人しくされるがままになって、シロウの看病を受けるしかないわけで――

 ですから程なくしてやってきたイリヤスフィールや桜の機嫌が悪くなっても、全てシロウの責任なのです。私にできることは、彼女たちに訳もなく責めらているのを、黙って見ていることしかないのです。

「ふぅん……なんか、ご機嫌じゃない、セイバーってば」
「なにを言うのですか。そのようなことはまったくありませんよ、凛」

 ええ、あるはずがありませんとも。
 私はただシロウが望む通り、彼の傍にいるだけなのですから。