らいおんの小ネタ劇場

2004 年 8 月 2 日


第 92 回 : 水入らず

 夏の日の午前、まだ風の涼しい朝の時間に、ふと目を開いて縁側を覗くと、そこにはシロウとイリヤスフィールがいました。
 首から布をかけて、まるでいつぞや大河が作っていたてるてる坊主のような格好になったシロウの後ろで、イリヤスフィールが真剣な表情ではさみを握っている。きっとイリヤスフィールがシロウの髪の毛を散髪しているのでしょう。
 食卓の席で何気なく『髪が伸びてきたから切りに行かねば』とつぶやいたシロウの言葉に、イリヤスフィールが自分が切ると言い出したのが一週間ほど前のこと。それからかつらと人形を使って懸命に練習していたようですが……

 難しい表情をして慎重にはさみを入れているイリヤスフィールに対して、シロウは笑顔だ。
 彼にしてみれば、イリヤスフィールに髪を切ってもらうのが嬉しくて仕方が無いのでしょう。数日前から練習しているイリヤスフィールを眺めては、だらしないと思えるほどに相好を崩していましたし。

 私はしばらく、そうして開け放たれた道場の戸の隙間から二人の様子を眺めていた。

 ――シロウの髪型がヘンな髪型になってしまったらどういう顔をしたらいいのだろうか。

 そんな他愛もないことを思いつつ。


 日課の瞑想を終えて庭に出ると、縁側では散髪を終えたらしいシロウとイリヤスフィールがじゃれ合っていました。
 というかはイリヤスフィールが一方的にシロウにくっついているだけなのですが、シロウのほうも迷惑そうな顔一つせず、彼女のしたいようにさせているのでじゃれ合っているという言葉もあながち嘘ではありません。

 シロウの髪型は、少々不揃いではあるもののさっぱりと短くなっている。だからイリヤスフィールはあんなにも機嫌がいいのだろう。
 いつもよりも三割り増しでシロウに甘えて、後ろから首に抱き付いて頬に頬を当てていた。

 ……正直なところ。
 少々くっつきすぎだと思うのです。イリヤスフィールには邪な気持ちは無いでしょうし、シロウも無防備に身体をすり寄せてくる彼女に対して、その……へ、ヘンな気持ちを抱いたりはしないでしょうが、それでもイリヤスフィールは女性なのです。
 別に将来を誓い合ったわけでもない男女がああも人前で密着するのは、あまり良くないと思うのですが――

 ――と、大河?

 居間からひょっこり顔を出した大河が、いつもの、ある意味幼子などよりもよほど邪気のない笑顔でシロウたちに近づいてきた。
 散髪したシロウの頭を撫で回しながら、イリヤスフィールと話をしている大河。
 と、なにやらだんだんと大河の顔色が悪くなっていき、困ったような、追い詰められた小動物のような表情に変わっていく。対するイリヤスフィールの表情はというと、対象的に意地の悪い小悪魔めいたものに変わっていき――あ、大河がシロウの首に飛びつきました。

 左右からシロウの首を引っ張り合い、彼の顔を挟んで激しく言い争っているイリヤスフィールと大河。
 半分泣きそうな表情の大河と唇を尖らせているイリヤスフィール。
 そして顔色を青紫にして今にも昏倒しそうなシロウ。三者三様の顔色なのですが――

 ――まあ、放っておいても大丈夫でしょう。いつものことですし。

 そう判断し、洗濯機を回すために家の中に戻っていく。
 今日の家事の当番は私ですから、洗濯をした後は部屋の掃除もしなくてはいけませんし、これでも忙しい身なのです。多少のことには目を瞑る寛容さも時には必要でしょう。


「シロウ、イリヤスフィール……と」
「ああ、寝ちまってるんだ」

 シロウが唇に人差し指を当てて苦笑する。
 桜から昼食の支度ができたと言われたので二人を呼びにきたのですが、当のイリヤスフィールはシロウの膝の上に頭を乗せて小さく寝息を立てていた。

「昨日の夜遅くまで髪切る練習してたらしいからさ……」
「そうですか。では仕方ありませんね」

 穏やかな表情でイリヤスフィールの髪を梳くシロウ。その瞳には彼女に対して抱いている愛情がありありと見える。

「なあセイバー、今日の昼飯ってなんだ?」
「そうめんですが、それが何か?」
「ん……いや、そうめんだったら少しくらい置いといても大丈夫だなって」
「そうですか。わかりました、では桜にはそのように」
「悪い。もうちょっとこのまま寝かせておいてやりたいんだ。……気持ちよさそうに寝てるしさ」

 確かに。
 口元を緩めて陽だまりの中、シロウに撫でられているイリヤスフィールは、傍目にも幸せそのものの表情をして眠っている。
 夢でも見ているのでしょうか。時折口元がつぶやくように動いているのですが、何を言っているのかまではわからない。

 だが、そんなことがわからなくても、この寝顔だけで十分な気がした。

「シロウ、桜も待っていますから、なるべく早くお願いします」
「ん? 先に食ってていいんだぞ? 腹へってるだろ」
「まさか。食卓は家族全員で囲むものです」

 言いたいことだけ言って、私は居間で待っている桜の元へ向かう。
 せっかくの兄妹水入らずなのですから、あまり邪魔したいとも思いません。
 だからシロウとイリヤスフィールには、しばらくあのまま穏やかなままでいてもらいたい。

 さて私は……差し当たり先ほどから不満を訴え続けているこの空腹感をどうやってやりすごすか……桜にでも相談するとしましょうか。