らいおんの小ネタ劇場
2004 年 8 月 1 日
第 91 回 : お祭り
浴衣……というのを初めて着てみました。
髪はかんざしという物で留めて、靴も今日はいつものではなく、下駄という少々歩きづらい履物を履いています。
聞こえてくるのは笛と太鼓の祭囃子。
周囲には子を肩車した父親と、母親に手を引かれた女の子。私と同じく浴衣を着て、恋人なのでしょうか、同じ年頃の男性と手を繋いで歩く女性もいる。
今日はマウント深山商店街のお祭りです。
せっかくだからと浴衣に着替え、シロウに連れられてやってきたのです。
「おまたせ、セイバー」
「シロウ……それが、ちょこばななというものですか?」
「ああ。バナナにチョコかけただけのものだけどな。これが結構いけるんだ」
屋台でちょこばななを買っていたシロウが戻ってきて、私の手に一本渡して自分の分にかぶりつく。
それを見た私も、同じようにちょこばななにかぶりついた。
「……ふむ。確かにシロウの言う通り。単純ではありますが、これはこれで良いものですね……はむ」
と、シロウが私のほうを見て何故か赤い顔をしている。
……はて、どうしたのでしょうか。
「何ですかシロウ? 顔色があまりよくないようですが」
「い、いやっ! なんでもないから気にするな!」
言って、明後日の方向を向いて再びちょこばななをかじるシロウ。そんなに慌てて食べなくても良いというのに。ヘンなシロウだ。
それからしばらく、シロウと二人で祭りの中を歩いて回った。
今まで食べたことのないものもいろいろと食べてみた。というか、シロウが食べ物の屋台ばかり回るから自然とそうなるのですが……
「まったく、シロウは私をなんだと思っているのですか」
「はは……でもそんなこと言って、しっかり食ってるじゃないか」
「……それはそれ、これはこれです」
美味しいものになんら罪はありませんから。
「ところでシロウ、あの屋台はなんでしょうか」
前方にある他のと同じく小さな屋台。食べ物を売っている屋台ではないようですが、なにやらかなりの人だかりができている。
決して広くない道の半分ほどを埋めていて、その様子が更に他の人を誘っているようだ。
「あれか……んーと、多分、金魚すくいだろうな」
「きんぎょすくい……とはなんでしょう」
「まあ、そのまんまだよ。紙でできたすくい網でさ、水の中の金魚をすくって、捕まえられた分だけ金魚がもらえるっていう遊びだよ」
「なるほど。紙の網では水の中の金魚をすくおうとしてもすぐに破れてしまう、故に如何にして多くの金魚を捕らえるか、その技術を競うのですね」
なかなかに興味深い内容に頷いていると、シロウは『そんなにおおげさなものんでもないけどな』と言って苦笑した。しかし、確かに単純な遊びではありますが、力押しだけでは目的を達成し得ぬところなど、奥深いところもあると見たのですが……
「にしても、なんだってあんなに人がいるんだろうな……別にそんなに人が集まるようなもんでもないんだけど」
シロウはそう言って首を傾げたが、その疑問の答えはすぐに返ってきた。
「うがーーーっ! なんでこんなすぐに破れちゃうのよぅー! やりなおしを要求するー!」
祭囃子と喧騒を突き破ってなお力を失わぬ虎の咆哮。
虎が一体誰であるかなどと――もはや言うまでもない。
「藤ねえ……」
「大河……いなくなったと思ったら、あんなところに」
つい先ほどまですっかり忘れていましたが、実は大河も一緒に子のお祭りにやってきていたのです。
が、気がついたらいつの間にかいなくなっており、シロウと歩きながら適当に探していたのですが……
「まさかあんなところで見世物になってるなんてな」
「大河らしいといえば、大河らしいのですが……」
「はあ……とりあえず捕まえてくる」
ため息を大きくついて、人だかりに向かって歩いていくシロウ。
まったく、ご苦労様です。
からころと下駄の音が人気の無い家路に一際大きく鳴り響く。
シロウの背中には大河がいて、健やかな寝息を立てている。はしゃぎすぎて疲れたのでしょう。まるで幼子のようなあどけない顔をして眠っている。
もっとも、シロウの背の上でなければこのような無防備な表情は見せないでしょうが。
「ったく、藤ねえもいい年してはしゃぎすぎなんだよ」
「良いではないですか。大人しい大河は大河らしくありません」
「ま、それには同意するよ。祭りで藤ねえが大人しくしてるなんて、逆に心配になる」
少し落ちかけた大河を背負いなおして、シロウは小さく笑った。大河も眠ったままそれに反応したのか、シロウの首に腕を回しなおし、首筋に鼻先を埋めるようにしていた。
「で、セイバー。どうだった? 初めての祭りは」
「……そうですね。正直なところ、あれだけの人ごみは少し苦手なのですが……賑やかなのも良いものだと思いました」
言って隣を歩くシロウに微笑みかける。
「珍しい食べ物もいろりといただけましたし」
「ははっ、結局それかよ……でも良かった。そう言ってくれるならつれてきた甲斐もあったよ」
「はい。ありがとう、シロウ」
「次は来年だ……また来ような」
「……必ず」
半歩、シロウのほうに身を寄せて、そっと彼の服の裾に手を伸ばし、並んで静かな家路を歩く。
きっとシロウは気づいただろうが、何も言わず振り払うこともせず、ただ私のしたいようにさせてくれた。
暗い夜道に明るい星の下、響くのは歩く下駄の音。
柔らかい風が吹く、いつもより少しだけ涼しくて賑やかだった夏祭りの夜はこうして過ぎていった。