らいおんの小ネタ劇場

2004 年 7 月 14 日


第 81 回 : 真夏の前の日

「あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜」

 扇風機の前で遊んでいるイリヤスフィールを横目に、テーブルの上に突っ伏している私。こうしていると少しだけ頬がひんやりとして、気持ちがいいのです。ただ、すぐにじっとりとなってきてしまうので、頻繁に位置を変えなければいけないのですが。

 ……たるんでいます。自覚はしている。
 でも日本の夏は暑すぎます。これでまだ本格的な夏が後に控えているというのだから、今からその時を思うだけで憂鬱な気分になる。
 聖杯戦争があった冬は全く問題なかったというのに……どうやら私は暑さに弱いらしい。

「ね゛え゛……セ゛イ゛バー」
「はい、なんですか?」

 イリヤスフィールが扇風機の真正面に陣取ったまま話しかけてきた――が、やはり話しにくいと思ったのか、きちんとこちらに顔を向けてきた。
 彼女の銀色の髪が扇風機の風に煽られ、ばたばたと暴れる。

「ああもう、こういうときは長い髪って困りものなんだから」

 頬を膨らませ、イリヤスフィールは鬱陶しげに髪を手で押さえた。
 そう言いながらも彼女が自分の髪を切ることはおそらくないだろうと思う。というのも、シロウはイリヤスフィールの髪をいたく気に入っていて、事あるごとに誉めているからなのですが……そんな自慢の髪であっても、猛暑の前ではただ鬱陶しいだけのものに成り下がってしまう。

「ん、もう! こうしてやるんだから!」

 どうやら我慢の限界に達したらしいイリヤスフィールは、髪を後頭部の辺りで掴み、編み上げた魔力で束ねて纏める。
 確かぽにーてーるとか言いましたか。その髪型を即席で作り上げると、彼女は一つ頷き、ようやく満足したように笑顔になった。

「これでよし……でね、セイバーはサーヴァントなんだし、夏の暑さなんてどうだってできるでしょ?」
「ええ、確かにあなたの言う通りです」

 私はサーヴァントである。この身は受肉した肉体ではなく、あくまで魔力で編み上げられた仮初の肉に過ぎない。
 故に、その気になれば夏の暑さも冬の寒さも、まるで感じぬようにすることは可能だ。

「だよねー、だったらなんでそうしないの?」
「何故と言われても、たいした理由ではありませんが……ただ、シロウもあなたも暑い思いをしているのに、私だけこの暑さから逃れるのは不公平だと思っただけです」
「ふぅん……律儀なものね。単にシロウと一緒なのがいいだけじゃないの?」
「否定はしませんが……ただそれだけのために、というにはこの暑さは厳しすぎる」
「……そうねー」

 それで納得したのか、ただ単にどうでも良くなったのか。
 どちらかはわからないが、とにかくイリヤスフィールは用が済んだとばかりに再び扇風機に顔を向けた。
 彼女の髪は絹糸のように細くて軽い。束ねた髪が風に流され、畳と水平になっていた。なんとなく、五月頃に見た鯉幟を思い出した。

「ただいま〜」

 と、玄関のほうからシロウの声が聞こえてきた。心なしかいつもより張りがないのは、彼もまたこの暑さにやられているからなのだろう。日の光から逃れられる屋内ではなく、ずっと外を歩いていたのだから尚更だ。

「ただいま二人とも……って、見事にだらけきってるなー」
「おかえりなさい、シロウ」
「お゛か゛え゛り゛〜〜〜」
「お、珍しいなイリヤ。今日はポニーテールにしてるのか?」
「似合う?」
「ああ、似合う似合う。見慣れてないから新鮮だなー」

 シロウに誉められて、心底嬉しそうに笑うイリヤスフィール。だが、いつものようにそこから飛びつかないのは、やっぱり暑いからなのだろう。彼女は寒いのは苦手だ、と言っていましたがどうやら暑いのも同様に苦手らしい。

「それにしても今日はほんとに暑いな。テレビじゃ真夏日だって言ってたけど、この調子じゃ今年の夏はとんでもないことになるぞ」
「やはりそうなのですか……こんな日がこれから毎日続くと」
「ああ、そういえばセイバーは日本の夏は初めてだっけ」
「はい。ブリテンの夏はもっとすごしやすいですから……」
「そっか。それじゃしょうがないけど、慣れてくれよ」
「あ……は、はい」

 彼の言葉に、一瞬だけ夏の暑さを忘れた。
 きっとシロウは何気なく言った言葉なのだろう。だが、その裏を返せば――

「ああ、そうだ。昨日の帰りにアイス買ってきてたんだけど、二人とも食べるだろ?」
「アイス!? 食べるー!」
「私もいただきます」

 冷蔵庫で良く冷えていたアイスを受け取って、頬に当てる。ひんやりと冷たくて気持ちがいい。

 真夏の前の真夏日に、良く冷えたアイスはこの上ないご馳走でした。
 今日はそんな日。