らいおんの小ネタ劇場
2004 年 7 月 11 日
第 79 回 : 使い方
メディアにエプロンを貰いました。
彼女はこれでシロウを喜ばせろと言いますが、いったいどうしろというのだろう。目の前にエプロンを広げて首を捻るも、少しも使用方法が見えてこない。
エプロンをつけて料理をすればいいのでしょうか。それはそれでシロウも喜んでくれそうですが……メディアの意図とは何か違う気がする。
彼女が意図しているのはもう少しこう……なんというか、屈折しているような気がするのです。
ともあれ、私がこうして悩んでいても答えは出てこない。となれば、誰か他の人に聞くしかないでしょう。
しかしこのようなこと、いったい誰に聞けばいいのでしょうか。ことがことですし、正直にシロウが喜んでくれる方法を教えて欲しい、とも問いにくいですし。
「なにを、悩んでるの?」
「っ!? り、リーゼリット!?」
「ちゃお」
「は、はい、こんにちわ……ではなく、いったいいつからそこに」
「さっきから」
声に振り返ってみれば、そこにはイリヤの付き人であるリーゼリットが相変わらずの無表情で立っていた。
いや、これは無表情というよりは、なにを考えてるのかわからない独特の表情といったほうが良いのでしょうか。
無表情というほどに心は死んでおらず、かといって表情豊かというには心が見えない。故にあれは彼女独特の表情なのだろう。
「それで、なにを悩んでいるの?」
「え、ええ……それがですね、その……」
思わずちらりと、視線がエプロンのほうへと動く。
そしてそれを見逃すような彼女ではなかった。ぼんやりとしていた瞳がぎらり、と輝きを放つ。
「なに、それ」
「え? い、いや、これは……」
「えぷろん……これがどうしたの?」
「な、なんでもありませ」
「どうしたの?」
迫られて言葉に詰まる。
いいのですが、そんなに顔を近づけないでください。ああ、わかりました、白状しますから。
「……と、いうわけなのです」
そして結局、私はことの洗いざらいを全てリーゼリットに語って聞かせていた。というか、語らされたのですけど。
リーゼリットは私の話を最後まで聞くと、こっくりときれいな縦に頷いて、
「わかった。それなら、わたしにいい考えがある」
言って、耳元に口を寄せてきた。
「――、――――」
「……はあっ!?」
彼女の言った言葉が信じられなくて、思わずその場から一歩飛び退き距離をとる。
――今、彼女はなんと言った? というか、本気なのでしょうか。ありなんですか、そのようなこと。
ああ、私は今混乱している。
わかっていても、頭の中で暴れまわる思考の手綱を自分で取ることができない。
当然だ、私の知らない言葉であってもそこに含まれている単語の意味は知っている。
「い、いったい……な、なんだというのですか! そ、その、は、はだ……はだはだ、は」
「裸えぷろん?」
「はっきりと口に出さないでいただきたいっ!」
怒鳴ってみても耳に指で栓をしてどこ吹く風だ。ああ、勝てない。この女性にはきっと、私のみならず他の誰であっても勝つことはできないでしょう。
柳に風、糠に釘、豚に真珠――そんな言葉が脳裏を駆け巡った。
と、そんなことはどうでも良いのです。いかにシロウのためとはいえ、裸身にエプロンのみを纏うような真似、できるはずがありません。メディアも、これを狙っていたのでしたら後日相応の報復をしてやらねばならないでしょう。やはりあの女は魔女だ。
ともかく――こんなことできるはずがない。
「リーゼリット、せっかく教えていただいて申し訳ないのだが、その提案は却下させていただく」
「なぜ?」
「何故も何もありません。できるわけないではないですか……シロウの目の前で、そ、そのような格好……」
「でも、シロウ、きっと喜ぶ。シロウも、男の子」
「それでもですっ! 正気でそのようなことなど、できるものではない!」
「なら正気じゃなければ、いい」
え? ――と、反論する間もなく。
後ろ手から何かを取り出し、疾風となって突如襲い掛かってきたリーゼリットに、私は抗することもできず、あっという間に何かで口を塞がれる。
直後、身体の中に何か熱いものが注がれて、その度に私の意識は削るように失われていく。
不覚だ。たとえ一瞬たりとも油断することはならなかったのだ。よもや彼女が私を出し抜けるほどの身のこなしを見せるとは。
――シロウ、申し訳ありません……
薄れゆく意識の中、やはり最後に浮かんだのは彼の名前だった。
「ただいまー、セイバーいるか?」
……む、シロウが帰ってきたようですね。
居間に近づいてくる彼の足音。どうやら私に用事があるようですが……
ならば迎えましょう。
問題ありません、完璧です。今の私に恐れるものなど、何もありません。
……そう、シロウのためならば。
「セイバー、いるか? 今日の晩飯なんだけど……って、うわぁぁぁぁっ!?」
「おかえりなさい、シロウ」
「な、なっ、なんだその格好わーーー、ちょっとまって、まってーーー!」
うろたえていますね、シロウ。だがわかっているのです。
メディアもリーゼリットも言っていました。この格好を見て悦ばぬ殿方はいないと。ならばシロウとて例外ではないはずです。
シロウが背中を見せて逃げ出そうとするその前に回りこみ退路を塞ぐ。戦術における常道ですね。
「ど、ど……どうしたんだよ、それ……」
間近に私を見下ろしながらシロウの喉が小さく動く。
薄衣一枚というのは……正直少し寒い。縁側に通じるふすまも開いたままだから、風が肌と布の間に忍び込んできて、直接撫でていく。
……そして同時に、シロウの視線も。
心なしか、胸の辺りを彷徨っているような気がするのは気のせいでしょうか。
「シロウ。私はあなたを喜ばせたいと思った」
「う……いや、だから何で」
「このような格好をすれば、喜んでくれると、そう聞いたのです。だから……」
「だーーーっ! そりゃ嬉しくないわけじゃなかったりもするけど、それじゃ俺、変態じゃないか!」
シロウは天井を見上げて、なにやら怒ったように表情をしかめている。
……駄目だったのだろうか。私がしたことはやはり、無駄だったのだろうか。
だとしたら、ひどく悲しい。私はただ、シロウに喜んでもらいたかっただけなのに……やはりこのようなことをしても――
「……シロウ」
「ん?」
……いけない。
意識がなぜか遠のいていく。見上げるシロウの顔も徐々に霞んできて、足元も覚束なくなってくる。
命じても言うことを聞かない身体は膝から崩れ落ち、そのまま頭から、前に立つ人の中に飛び込んでいく。
「せっ、セイバー!? おい、どうした! だ、大丈夫なのかよオイ!」
「う、シロウ……」
そのように怒鳴られると少々頭に響くので……ああ、でももう眠たいのですが。
まぶたが落ちていく。そして意識も一緒に落ちていく。
そんな中、腕を伸ばしてどうにかシロウの服を掴んで身を寄せる。
薄衣一枚挟んだだけだと、まるで直に触れているようで――
「……おい、セイバー。おまえ……酒臭いぞ。まさか」
――何故か呆れたような口調のシロウの声ももう遠くなって、そのまま私は彼に身を委ねて眠りへと落ちていった。
「……う」
まぶたの裏に飛び込んできた光で目が覚めた。
身を起こして周りを見れば、そこは見慣れた自分の部屋だった。
「いったい……いつ寝たのでしょうか、私は」
思い出そうとしても記憶が途切れていて思い出せない。リーゼリットとここでなにやら話していたところまでは覚えているのだけれど、そのときは普段着で、今着ているパジャマに着替えた覚えもない。
どうやら一時的に記憶を失っていたようですが……少なくとも身体的に異常はなく、この身に何かがあったというわけではないようだ。
居間に行くと、既にシロウが起きていつも通りに朝食を作っていた。
「おはようございます、シロウ」
「お、おお……おはようセイバー」
? なんでしょう、シロウの顔が少し赤いような。
「どうしたのですか? 少し顔色が悪いようですけど、また風邪でも引いているのではないですか?」
「い、いやっ! 俺は大丈夫だから! そ、それよりセイバーのほうこそ大丈夫なのかよ」
「私ですか? いえ、私はなんともないですが、何故ですか?」
「何故って……覚えてないのか?」
「ええ、まあ……その、実は昨日からの記憶が少々混乱していまして……シロウは何か知っているのですか?」
問うと、シロウはあからさまにうろたえて首を手を横に振り回して「知らない」と必死に訴える。
呆れるほどにシロウは正直ものだ。時に凛の腹黒さの一つでも学んで欲しいと思う。このような態度で、嘘をついていないと信じるほうが無理です。
「……まあ、構いませんが。とりあえずシロウ、私は食器を並べますから。鍋が噴きそうですよ」
「あ、ああ、頼む」
そしてシロウは噴き零れそうだった鍋の火を止め、私は食器棚から食器を取り出し、重ねて居間に持っていこうとする。
「えーと、な。セイバー」
「はい? なんですか?」
足を止め振り返る。
そこにはどこか困ったような照れたような、そんな表情をしたシロウがいた。
「あのな、おまえは覚えてないかもしれないけどさ。とりあえず言っとこうかと思ってさ」
「はぁ……」
「……嬉しかった。ありがとうな、セイバー」
そう言ってシロウは、慌てたように料理のほうへと顔を戻した。ここからでは、もう彼の顔は見えない。
でも私には、なんとなくシロウの今の顔の色が想像できる。確認するまでもなく。
「……はい、あなたがそう言ってくれるのであれば、私も嬉しい」
その背中に――わけもわからないまま、私はそう言った。
何故なら、本当にそう思ったから。
わけもわからないまま、シロウが喜んでくれていたのが、私にはただ嬉しかった。
「で、あなたはなにをしているのですか、リーゼリット」
縁側で後ろ手に縛られ、膝に石を抱いてぼんやりと外を眺めている彼女に問いかける。
「おしおき」
「おしおき……ですか。どんな悪さをしたのですか」
「それは、ひみつ」
秘密、ですか。まあ、いいのですが。
なんでしょう。普段ならば故もなくこのようなことを他の誰かがされるのは、納得ができないことですが……何故か今回に関してだけは、不覚納得できてしまう自分がいる。これで当然であると。
「シロウもイリヤも、サド。女の子に、石抱きの刑は、ひどい」
「イリヤスフィールはともかくシロウはそのようなものではありません。ともあれ、しばらくそこで反省していてください」
まあ……お仕置きというわりにはちっとも堪えていないような気もするのですが……