らいおんの小ネタ劇場

2004 年 7 月 10 日


第 78 回 : 必要なこと

「あら、セイバーじゃない」

 呼ばれて振り返ると、買い物袋を手に持ったキャスターこと葛木メディアがいた。おそらく私と同じで、夕飯の買い物なのだろう。丸々と膨らんだ買い物袋からは、葱の先端が頭を出していた。

「あなたも買い物かしら。お互い大変ね」
「そうですね。ですが私は自分の役目を苦と思ったことはありません」
「ふふ、それも同じってことか」

 口元に手を当てて、楽しげに笑うメディア。
 彼女は、本当に今が幸せなのだろう。こんな風に邪気のない笑顔を彼女が見せるなど、初めて相見えたときからは想像もできない。
 彼女自身、死後、サーヴァントとなった後にこのような自分になれるとは思ってもいなかっただろう。彼女はこの時代に召喚され、今のマスターに出会って間違いなく幸せを手にした。
 正直……少しだけ羨ましいと思う。

 家路を歩きながら、メディアと最近の出来事や互いのマスターのことなど、他愛のない会話を交わす。
 なんでも今日の夕飯はカレーだそうです。時々シロウに料理を教わるなどして少しずついろいろなものにも挑戦しているらしいのですが、今のところ一番上手くできるのがカレーなんだとか。

「それでもあなたのマスターのシロウ君にはまだ全然敵わないのだけれどね」
「当然です、メディア。あなたが私のシロウに勝つためには、まだまだ研鑽が必要です。それほどまでにシロウの料理は美味しいのですから」
「……相変わらず愛してるわね」
「なっ!? な……そ、そういうことではありませんッ」

 突如とんでもないことを言うメディアに反論するも、彼女は心底楽しげに笑うだけで取り合おうとしない。
 ……前言撤回です。やはり彼女は邪悪だ。

「……で、実際のところマスターとはどうなってるの?」
「ど、どうなってるの……とは?」
「決まってるじゃない、そんなの」

 メディアが一歩近づき、私の耳元に唇を寄せる。

「――、――――」
「ッ!?」

 その言葉を聞いた瞬間、一気に顔が紅潮したのが自覚できた。同時に体温まで急上昇する。

「なにを馬鹿なことをッ……わ、私とシロウが、こ、こ、こい……などと……」
「あら、ありえないことじゃないと思うのだけど。あなただってそれを望んでいないわけではないでしょう?」
「だっ、だがしかし、それは……」

 否定しきれず黙り込んでしまう。
 今の私は……シロウのサーヴァントであって、以上でも以下でもない。それ以上を望んでいいのかどうかすらわからない。
 今はまだ、今のままで私は満足している。

 ……けれど。

「はっきりしないわね、セイバー。……まあ、いいわ。とりあえず私が良い物をあげるから、これで少しはシロウ君を喜ばせてあげなさい」
「は、はあ……」

 魔術でしまっていた紙袋を空間から取り出し、私に押し付けるメディア。

「セイバー、自分で言うのもなんだけど、私は今幸せよ。宗一郎様がいてくれて、あの人に必要とされてるって実感できるもの」
「…………」
「……それじゃあね。頑張りなさい」

 しばしその場に立ち尽くし、分かれ道を柳洞寺に向かって歩いていくメディアの背中を見送る。
 確かに彼女の言う通りなのだろう。疑うまでもなく、宗一郎に愛されている彼女は幸せなのだと思う。羨ましいと思うのも事実だ。
 でも今の私には……彼女のように踏み出すことができない。
 もしかしたら私は怯えているのかもしれない。今までずっと騎士としてのみ生きてきた私には、どうしていいのかもわからない。

 ただ一つわかっているのは、メディアのような幸せを手にするのに必要なこと。
 騎士の誉れとして私が尊んできた勇気とは別の勇気が必要なのだと――そのことだけはなんとなく、わかっていた。


「ところでメディアは、いったいなにをくれたのでしょうか」

 家に帰り、自室で押し付けられた紙袋を開いて、中に入っているものを取り出す。

「……エプロン?」

 彼女はいったい、これで私になにをしろと言うのでしょうか……意味がわかりません。