らいおんの小ネタ劇場
2004 年 7 月 3 日
第 72 回 : 姉の思い出
「ねーねー、士郎! どうよどうよー、お姉ちゃんはやってみせたわよ! って、士郎は?」
「大河、入るときはもっと静かに入ってきてください。言っても無駄かもしれませんけど……シロウはただ今外出中ですよ」
「えー、士郎いないの? つまんないのー」
言って大河は、座り込んでテーブルに突っ伏した。口で言ったとおりに、心底残念そうな表情。彼女ほど自分の気持ちを素直に表に表せる人間も多くはない。時に善し悪しですが、彼女のこの性格はとても好ましいと思う。
そして、時にはうらやましいとも感じる。私には彼女ほどに素直に己を出すことはできない。
「それで大河、いったいどうしたのですか? シロウに何か用でも?」
「うん、実はねー。久しぶりに家の掃除してもらってたら、こんなものが出てきたのよう」
「洋服? シロウのですか?」
「うん」
テーブルの上に広げられたそれは、白地にプリントの入ったどこにでもあるような普通のシャツだった。
「しかしシロウの服にしては丈が少々小さい気もするのですが……それにこれは、その……」
「うん、不恰好でしょ」
「……そうですね」
大河の言うとおり。そのシャツはいろんなところが破けていて、あちこち繕ったあとがある。更に言うと繕い方もお世辞にも上手とはいえず、それがますますこのシャツをみすぼらしく見せていた。
「これね、士郎が子供のときに着てたやつなの」
大河は微笑みながらシャツを手にとる。細められた瞳は優しげで、普段の子供のような彼女の表情は、今はずっと年上の大人の女性のようだった。
「士郎がまだこーんなにちっちゃかった頃、ケンカしてぼろぼろになって帰ってきたことがあってね。そのとき着てた服がこれなの」
「それでこんなに……」
「うん。でね、こんなにぼろぼろになってたら可哀相だから、私が直してあげるって言ってあげたの。そしたらさ、士郎ってばなんて言ったと思う? 藤ねえには無理だからいい。自分でやるから返せって。まったくもう、お姉ちゃんに対してひどい言い草だと思わない?」
「それは……確かに」
シロウの言わんとしていることもわからないでもない。少なくとも大河よりもシロウのほうが繕い物が得意であることは言うまでもないことであるし。
しかし、だからといって彼女の真心をわからないシロウでもないと思うのだが。それとも……それは相手が大河であるからなのだろうか。私たちには決して取らないような態度も、彼女ならば取るのだろうか。それはそれで少し……
「何故シロウはそのようなことを言ったのでしょうか」
「うーん……多分、照れてたんだと思う。あの子ってば今もそうだけど、昔はもっと素直じゃなかったから。多分、きれいなお姉ちゃんに甘えるのが恥ずかしかったんじゃないかしら」
「きれいかどうかはともかくとして、それならば考えられないこともないですね」
確かにその通りかもしれない。
だがしかし、シロウにとって大河が私たちとは違う、特別な女性であるということだけは間違いないでしょう。
切嗣を除いては、シロウにとって唯一の家族ともいえる女性なのだから。
「でね、シロウにそこまで言われたのが悔しくって。無理やりに家に持って帰って直してやろうって頑張ったんだけど――」
「――結局、無理だったというわけですね」
「えへへー、その通りー」
はあ、なんのことはない。やはりシロウの言ったとおりになったのではありませんか。それで今日この日までそのことを忘れていたのでは言い訳のしようもありませんね。
……でも、繕うこともできず、今日までそのことを忘れていたというのでは――
「大河、この服を繕ったのは……?」
「ん? もちろん私だよ」
大河はそう言って少しだけ頬を染めて、照れくさそうに笑った。
「あはは、大見得きったくせに約束忘れっぱなしっていうんじゃお姉ちゃんの面目丸つぶれだもの。だからね、昨日の夜ずっとこれやってたの」
「なるほど……そうだったのですか」
「うん。……でも、士郎はすごいね。難しくって私なんて何度も指に刺しちゃったのに、士郎は簡単にできちゃうんだもの。ねえ、セイバーちゃんもそう思わない? 私の士郎はすごい男の子だよ」
「はい。それならば私にも異論はどこにもない」
「でしょ! でも、弟にばっかりお世話になってたらお姉ちゃんの立場がないし。たまにはできるってところを見せてやろうと思ったの」
「大河……」
正直なところ、そのようなことはしなくても良いと思う。そのようなことをしなくても、シロウは大河のことを無二の姉と慕っている。
ですが、数年越しに姉弟の約束が果たされるのです。それを邪魔する必要などどこにあるというのでしょう。
大河は不安と期待の入り混じった眼差しをこちらに向けて、
「ねえねえセイバーちゃん、士郎、なんて言うかな。少しくらいは誉めてくれると思う? 喜んでくれるかな」
「心配することはありません、大河。なにせシロウなのですから」
「うん……そうだね」
と、玄関のほうから戸を開く音が聞こえてきた。
そして、
「ただいまー。藤ねえ、きてるのか?」
帰ってきたシロウの声も一緒に聞こえてくる。
「大河。……おや」
大河を促そうと、彼女のほうに振り向いた時には既にそこに彼女の姿はなく――
「おかえり士郎! 今日はお姉ちゃんすごいの持ってきたのだー」
「って、わかったからひっつくなよ藤ねえ。靴も脱げねえよ」
――とりあえず、シロウが困るでしょうから、私も大河を引き剥がしに行くとしましょうか。