らいおんの小ネタ劇場
2004 年 6 月 22 日
第 63 回 : 猫と虎
「…………」
私は今ちょっとした緊張の只中にいます。というのも、目の前には縁側の陽だまりの中で丸くなっている猫のせいなのです。
彼は良くこの家に出入りし、シロウや桜から食事をいただいている果報者なのです。今日もお昼ご飯の時間にふらりと現れ、腹が膨れるやこうして縁側で眠っているわけです。なんとも暢気なものですが、こうも太平楽な表情で眠っているのを見ると少しうらやましくもある。
さて、私が何故緊張しているのかというとですが、実はそんなにたいした理由ではないのです。ただふと思いついて、彼の頭に居間に置いてあった小さな置物を載せようとしているだけなのです。
しかし猫というのはこれでなかなか気配には敏感な生き物です。まして彼は、この人間社会をただ一人の力で今日も尚生き抜いている野生の野良猫。いかな食事をシロウに世話してもらってるとはいえ、気配に敏であること、そんじょそこらの猫とは比べ物にならない。
故に私もこうして己を殺し、僅かな音も立てないように慎重を期して行動しているのですが――
「……ふ、いかなぼす猫殿とはいえ所詮は猫。サーヴァントであるこの私の敵ではなかったということか」
――見事、彼の頭に招き猫の置物を置くことに成功。
猫の上にまた猫。ふむ、思ったより愉快な光景ですね。叶うことならばシロウにも見せて差し上げたいのですが、生憎買い物に出かけていますし、仕方ありませんね。なにやら『切腹反対』とか呟いてましたが、いったいなにがあったのでしょうか。
まあ、良い。
こうして私の最初の戦いは勝利に終わったわけですが、これはあくまで序章に過ぎないのです。
「くー、むにゃー、すかー、ぴー」
振り返ったその先にいるのは、テーブルの上に突っ伏して、まるで潰れたおまんじゅうのような顔をしながら愉快な寝息を立てて眠っている大河。
私の次なる敵は彼女。その頭に、このおまんじゅうを見事乗せてみようと思うのです。
だが当然のことながら、彼女こと藤村大河は先ほどの猫よりも更に手ごわい相手です。
何故ならば彼女は虎。野にあらずして尚、野生を失わず持ち続ける生粋の虎なのですから。虎が猫より弱いなどという道理はなく、虎は元より強いからこそ虎。虎が鍛錬などするかね? なのです。
だが私とてこの世にあって伝説に謳われた英雄の端くれ。そうやすやすと後れをとるわけにはいかない。覚悟していただきましょう、大河。
「…………」
「ふかー、ふかー、むにゃ……おなか、すいたよう……しろうー」
「……眠りながら尚、シロウに食事を求めますか。それでこそです、大河」
自分でも良くわかりませんが、大河のその寝言に思わず戦慄が走る。
しかし臆することなく、私は先ほどよりも更に己を絞り気を細め、さながら針の穴を通すかのような慎重さを持って手にしたおまんじゅうを眠っている彼女の頭へと持っていく。
そしてついに……その台座におまんじゅうを置いて――
「――え?」
と、思ったその瞬間、忽然とおまんじゅうが消えていた。
「いったい……なにが?」
この私の目でもその瞬間を捉えることはできなかった。まさしく目にも写らぬ間に、おまんじゅうは消えたのです。
ともあれ、このままで済ますわけにはいかない。まだ私と彼女との決着はついていないのですから。
だがしかし、もう一度先ほどのようにおまんじゅうをそこに設置しようとしたものの、再びそれは忽然と姿を消してしまった。
いったいこの頭にどんな秘密が?
「こうなれば多少危険ですが――置くことよりも見ることに神経を払うしかないようですね」
そうしなければこの謎を解き明かすことはできず、私たちの決着もつくことはない。
そして私は三度、おまんじゅうを大河の頭の上に置くために手を伸ばし、その瞬間を見定めようとして目を凝らした。
――果たして、おまんじゅうは消えました。
「なるほど、こういうことだったのですか、大河……」
「むにゃ、むにゃ、はぐ、はぐ……」
突っ伏したまま幸せそうな顔でおまんじゅうを頬張っている大河。
なんのことはありません、私は虎の野生ではなく……大河の食欲に負けたと、そういうことだったのです。
恐るべきは藤村大河。まさか空腹の一念でサーヴァントであるこの私にも見切れぬ動きを見せるとは……私もまだまだ甘いようですね。