らいおんの小ネタ劇場

2004 年 6 月 19 日


第 60 回 : 七色の橋

 日本において六月という月は梅雨と呼ばれているそうです。
 一年のうちでもっとも湿り気が多く、天よりの恵みをもっとも多く垂れられる月。今日もまた、その名に反せず、朝からしとしとと静かな音を立てながら、雨が庭の土を叩いていた。
 だから本当なら外に干すはずの洗濯物も今日は部屋の中に干しているし、私自身もずっと部屋の中から外を眺めている。

「…………」

 話をする人もいなくて、テレビもつけず、テーブルの上に頬をつけてじっと灰色の庭を眺めている。空気の中に描かれた幾筋もの斜線が間断なく刻むリズムを、空っぽの頭でずっと聞いていた。何もすることはなく、故に些事に思考を奪われることもなく、ただこうして目にするものを見て、耳に入るものを聞いているだけだった。

 そうしていると、徐々にまぶたが重たげに落ちてくる。
 一瞬――ほんの一瞬だけ、理性がそれに抵抗しようとした。このようなところで眠ってはいけないと。
 だがそれは本当に、呆れるくらいに一瞬のことで、やがて私の意識は誘惑を容易く受け入れて、暗くて温い、柔らかなまどろみの中に埋没していった。



「セイバー、セイバー」
「……ん」

 名を呼ばれ、そっと身体を揺らされて、意識が起きていく。
 最初に感じたのは肩に触れる誰かの大きな手のひらの感触、そして薄く開いたまぶたの裏に飛び込んでくる橙色の光。
 ぼんやりとしたままの頭で顔を上げると、そこには制服を着たままのシロウが私を見下ろしていた。

「あ……おはようございます、シロウ……」
「おはようございますって時間じゃないけどな。でも、おはよう」
「え……?」

 そう言って笑うシロウに、慌てて時計を見てみれば、針は五時を少し回ったところをさしていた。

「昼寝だろ? 良く寝てたから起こすのはちょっと悪いかとは思ったんだけどさ」
「い、いえ……! 申し訳ないシロウ」
「ははっ、別に謝るようなことじゃないし。まあ、そんなことはどうでも良くてさ、実はちょっと見てもらいたいものがあって起こしたんだよ」
「見てもらいたいもの、ですか?」
「ああ、ほらこっち」

 シロウは肩から手を離し、縁側に歩いていき、私も彼について縁側に出て行った。
 そこには――


「虹ですか……!」
「ああ、ちょっと見事なもんだろ?」


 ――橙色の陽光に横顔を照らされて、シロウは他愛ない企みを成功させた子供そのものの表情で笑っていた。
 その視線の先では、いつの間にか雲が取り払われて一面激しく燃え上がっている空に架けられた七色の橋が、視界の端から端へと緩やかに弧を描いていた。その虹は夕焼けの強い溺れてしまうことなく、強く、はっきりと自分の存在を主張していた。

「これは素晴らしい……とても、きれいです」
「だろ?」

 シロウは嬉しそうに笑いながら空に架かる虹に見入っている。
 なるほど、これほど見事な虹であるならばシロウが誰かに見せたくなった気持ちも良くわかる。これほどの自然の神秘は、独り占めするにはあまりにもったいない。

「……シロウ、あなたに感謝を」
「だろ? こいつを寝過ごして見逃すのはあまりにもったいない」
「た、確かにその通りですが……いいではないですか。昼寝くらい、私だってします」
「ああ、それはもちろん。あのまましばらくセイバーの寝顔を見ていても良かったんだけどさ――」
「なっ!?」

 そ、そういえばその通り。寝ているところを起こされたということは、シロウに私はずっとシロウに寝顔を晒していたということになる。
 その言葉に一気に顔が燃え上がり、文句を言おうと口を開いたが、

「――でもそれよりも、セイバーと一緒にこいつを見たかったんだ」
「…………」

 そう言った彼の言葉に、喉の辺りまで出てきていた文句は、全て消されてしまった。
 だから代わりに、

「……はい、私もあなたと一緒にこの虹を見れて、良かったと思っていますよ」

 正直なその気持ちを、笑みと共に告げていた。