らいおんの小ネタ劇場
2004 年 6 月 17 日
第 59 回 : 犬
目の前で激しく左右に揺れる尻尾、出しっぱなしの舌、短くて撫で心地のよさそうな茶色の毛、そしてつぶらな黒い瞳。
私の眼前に思いっきり突き出された彼は、いわゆる犬という生き物でした。ちなみにミニチュアダックスフント、という犬種らしいのですが、詳しいことは良くわかりません。
「藤村先生、この子どうしたんです? 犬なんて飼ってましたっけ」
「飼ってないわよ。ご近所さんがね、なんでもしばらく旅行に行くらしくって、その間預かっててほしいって」
「はぁ、なるほど」
答える大河と同じように、凛のほうに振り向いてはっはと荒い息をつく犬。凛は彼の鼻先をちょんとつつきながら、難しい顔つきをしています。
ふむ、あれはきっと私と同じことを考えていますね。
『ペットといえば家族も同然のはずなのに、それを大河(藤村先生)に預けるとは……』
と。
いや、無論大河がどのような人物か私は良く知っています。彼女が人間的に立派な女性であるということも。
しかし、良く知っているからこそ、また同時に不安要素も良く知っているわけでして――
「セイバーちゃん?」
「……は。なんでしょうか、大河」
呼ばれて我に返る。
「ねえねえ、セイバーちゃんって犬は大丈夫なひと?」
「ええ、もちろん。犬であろうと獅子であろうと猫であろうと、この身が恐れることなどありはしません」
「ふぅん。それじゃあ――はいっ」
と、大河が抱いていた犬を私に突き出し、胸に押し付けてきた。
「た、大河?」
ずり落ちそうになる彼を慌てて抱きなおして支える。
ふわふわとした手触りは思った通りに心地よく、胸に当たる体温は染みこんでくるほどに温かかった。
「私これからお風呂入ってくるから、その間この子のこと見ててね。ヨロシクー」
「って、タイガーーー!?」
「私を虎と呼ぶなーーーッ!!」
「……いえ、虎とは呼んでないのですが……ああ……」
行ってしまいました。伸ばしたこの手がなんとも虚しい。
まったく、預かった以上、肌身離さず世話と面倒を見るのが当然のことでしょうに。少なくとも、私が獅子の子を預かっていたときはそのようにしていた。
「ま、そんなに難しく考えなくても、どうせ藤村先生がお風呂出てくるまででしょ。あんまり眉間にしわ寄せてると消えなくなるわよ」
「そうなのですが……ああ、そんなに顔を嘗め回さないでください」
抱いている犬が身体を伸ばし、なにがそんなに嬉しいのか私の顔を嘗め回す。おかげで私の顔は頬だけと言わず、まぶたや唇の辺りまでべたべたになってしまいました。が、
「いたしかたありませんね。貴方がそのように望むのであれば、私が一時、貴方の母となってあげましょう」
私自身、このように懐かれるのは嬉しくないわけではない。なによりこの子はとても愛らしい。
だからか、私は思わずかつてあの子にしたように、自分の頬をこの子の頬に当て、その温もりを楽しんでいた。