らいおんの小ネタ劇場

2004 年 6 月 15 日


第 57 回 : 口は災いの元

 大河に拉致されて、なし崩しにやる羽目になってしまった英語の教師、というか私はあくまで大河の助手なのですが、当の大河が生徒に混じって授業を受けていたりするので私が彼女の代わりをするしかないわけです。
 まあ、報酬として学食の食券をきちんと頂いてますし、一度引き受けた以上、課せられた役割は全うしなくてはいけません。
 そんなわけで今日も今日とて、三年A組の英語の授業中なのですが――

「むむ……」

 この私を前にして堂々と机に突っ伏している彼に思わず唸り声が漏れてしまう。

 ――エミヤシロウ。

 隣の席である凛と教卓の前にいる私の視線を一心に浴びながら、なんとも太平楽な表情で寝息を立てている。
 まったく、この私の授業でこうも無防備に醜態を晒すとは、いい度胸です、シロウ。

「覚悟はよろしいですね」

 背後の黒板に備えられているチョークを一本、指に挟み込み、そのまま流れるように横投げで放つ。
 手首のしなりを利かせて放たれた弾丸は、空気を破りながら目標へと直進し――

「だッ!?」

 ――大河の家の庭にあるししおどしのような音を立てて標的へと命中した。我ながら見事と自賛できる投擲です。

「なっ、なにがいったい!? 遠坂!?」
「わたしじゃないわよ」
「――シロウ」
「え? ……と、セイバー?」

 生徒たちの感嘆の声を浴びながら、椅子から転げ落ちてきょろきょろとうろたえている彼の前に立ち、じっと見下ろす。
 それに気づいて見上げてくるシロウは表情を引きつらせながらも口元を笑みの形に作っている。無理に笑おうとしなくても――良いというのに。

「今は何の時間ですか? エミヤシロウ」
「英語の時間です、サー」
「その通り。私が担当する英語の時間です。では……エミヤシロウ?」

 腰を屈めて、目線を床にしゃがみこんでいる彼に合わせる。
 歪んだ笑みを浮かべながら、額に小さな汗の玉を浮かべているシロウ。その汗がどれだけ冷たいのか、少し気にしながら、彼の頬に両手を添えて挟み込む。シロウの肌は疲労のせいかひどく荒れていて、ざらっとした感触がはっきりと伝わってきた。
 ですがそんなものは自業自得なのです。ですから容赦などしてはあげません。

「その授業中に……貴方はいったいなにをしているのですかっ!」

 挟み込んだ両頬を、挟んだ指の爪先で摘みあげ思い切り左右に引っ張り伸ばす。
 伸ばされたシロウの口から空気のような悲鳴が断続的に漏れてくるが、もちろんそんなもので哀れを誘えるわけもない。
 そうです、自業自得なのです。全部シロウが悪いのですから、このような目に合うことも当然と言っていいでしょう。

「あ、あのー、セイバーちゃん。学校内で体罰はご法度なんだけど。PTAがいろいろうるさいのよぅ。保護者のイリヤちゃんが暴れるー!」
「む! 甘すぎです、大河! イリヤスフィールが暴れようが飛び跳ねようが、罪の所在は明らかにしておかなくてはなりません!」
「って、そんなおおげさな」
「だまらっしゃい、遠坂凛!」

 シロウの頬を引っ張りながら、自分自身が徐々に高揚してきているのを自覚する。
 だが、そうとわかっていても自分を止められない。それが自分の未熟故とわかっていたとしても、だ。

「だいたいシロウ! 昨晩遅くまでずっと凛の部屋にこもって夜更かしなどしているからこうなるのです!」
「……まて」
「凛がお風呂から上がってからというもの、えんえんと朝方四時まで……そんなことだから授業中に居眠りなどと不覚を取るのです!」
「だーーーっ! あんたちょっと黙ってなさいこの世間知らずの箱入り娘ーーー!」

 雄叫びを上げて凛が私をシロウから引き剥がし、口を塞いでくる。
 そしてシロウはといえば、開放されたにも関わらず床にへたり込んだまま青い顔をしていて、私が摘んでいた部分がまだらに赤くなっていた。

「……セイバーちゃん?」
「っぷは、はい? なんですか大河」

 と、今度は大河が私に張りついていた凛を引き剥がしていた。その大河の表情は、久しくお目にかかったことがないほど真剣な表情であった。
 大河は右腕に凛を抱え込んで拘束しながら、ずいと私に一足迫り、

「今の話……詳しく聞かせてもらえるかしら」

 空いた左手で私の肩を強く握りながらそう言ってきた。
 なるほど……この様子、大河もまたシロウの生活態度を憂えているということなのですね。
 そしていつしか異様な雰囲気に包まれている教室を見渡してみれば、クラスの生徒たち全員が、大河と同じ表情で私を見つめていた。

「よろしい……良い機会ですから貴方たちにも知っておいていただく必要がありますね。シロウの生活態度がどれだけ堕落しているかを」


 そして結局、その日の授業は私の話ですっかり潰れてしまったのですが、シロウも凛も、

「……は、反省しています」
「……今後、気をつけます」

 と、言ってくれたことですし、まあ良いでしょう。
 これも教師としての務め、教育的指導というものです。これでシロウも凛も、少しは生活態度が改まることでしょう。
 いかに魔術の鍛錬とはいえ、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉もありますし、日常に支障をきたすのはよろしくありません。

 ……ところで授業が終わった瞬間、シロウと凛の周りにみんなが詰め寄せていたようですが……いったいなんだったのでしょうか。