らいおんの小ネタ劇場

2004 年 6 月 11 日


第 55 回 : タイフーン

 がたがたと強い風が木戸に吹きつけ、ばちばちと激しく雨が窓を叩く。
 外に見える庭の木は大きくしなり、時折折れてしまうのではないかと思わせるほどにその身を反らしてその度に思わず息を飲む。

 台風がやってきました。
 昨日くらいからテレビや食卓でも何かと話題に上った台風とやらが、いよいよこの冬木市にもやってきたのです。
 私は今まで台風というものに遭遇したことはなかったので、天気の者が何をあんなに騒いでいるのかと首を傾げていたのですが――

「うっわー、こりゃすごいな」
「――はい。こんなにも凄まじいものだとは思ってもみませんでした」

 隣に並んで窓の外を見るシロウの言葉に深く頷いてみせる。
 ごうごうと唸る風の声は壁の内側にいても私たちにまで届き、散弾のように降り注ぐ雨の粒はともすれば窓を貫いてしまうのではないかと、そんな不安すら抱かせる。夜の闇にまぎれてしまって見えないが、空では黒々とした雲が激しく処を変えながら幾重にも渦を巻いているのだろう。

「今回のはまた強烈なヤツだけど、これから夏だからな。秋口までにかけては日本列島は台風シーズンだ」
「そうなのですか? こんな日がこれから何日も訪れるというのですか……」
「それでも沖縄とかに比べれば全然ましなほうだけどな」

 ブリテンにはこのような台風など訪れたことはなかったから、私は正直なところ少々圧倒されている。
 風も雨も空も雲も、その怒りを撒き散らすように荒れ狂い地上にその牙を容赦なく突き立てる。風の神というものが存在するのであれば、まさに今、ここに彼の者が顕現しているのではないかと、そう思わせるほどの荒々しさだ。
 いかに英雄と呼ばれ、人の身と比して圧倒的な魂を持つ我々サーヴァントとて、自然という神の荒魂の前ではちっぽけな存在に過ぎない。その前に姿を晒せば、たちまちのうちに身体も魂もずたずたに引き裂かれ散華するしかない。

「なのに、これでもましなほうですか……恐ろしいですね」

 脳裏に浮かべた光景に、己の姿を投影してしまい思わず怖気が走る。
 押し寄せる幾千幾万の軍勢ならば恐れもしないし退きもしないが、相手が天然自然であるのならば話は別だ。世界そのものに抗うことのできる存在など、この世には在りえないのだから。

「まあ、そんなに心配することはないよ。台風っていってもこのくらいならさすがにこの家が吹き飛ぶほどでもないし、そんなでかいのなんて一生に一度お目にかかれるかどうかってくらいなんだらさ」

 シロウはそんな私を見かねたか、私に笑顔を見せながら頭に手を置いてくる。
 髪を撫でる感触が妙に気恥ずかしかったが、しかし、そんなもの知らずなシロウを放っておくわけにはいかないでしょう。

「シロウ、そのような軽い気持ちでいてもらっては困る。魔術師であろうとサーヴァントであろうと、決して勝てぬ存在が自然なのです。その力を甘く見ていては、いずれ手痛いしっぺ返しを食うことになりますよ」
「う、うん。わかった気をつける――」

 身を乗り出した私に気圧されたかのように、神妙な顔つきでシロウが頷いたその瞬間でした。

「――お?」
「明かりが……」

 何の前触れもなく突然、部屋の中を照らしていた明かりが全て消えて、周囲は一斉に暗闇に包まれた。
 感じられるのは私の頭に手を置くシロウの感触と、そばにある彼の気配と微かな体温だけ。珍しく私たち以外にいない家の中は誰の声もなく、吹きつける風の音と雨の音だけが周囲を支配している。
 そして空には当たりまえのように月明かりもないのだから、視界など闇色に塗りつぶされて支配されていた。

「停電か。どっか電線でも切れたかな」
「見なさいシロウ。油断するからこういうことになるのです」
「いや、油断って言っても……まあ、いいやとりあえず今日はもう寝よう」

 そう言ってシロウは私の頭から手を離す。
 と、急にシロウの気配までもが離れていき、私は暗闇の中取り残されてしまった。

「シ、シロウ!」

 思わず咄嗟に手を伸ばし、彼の服の裾を掴んで引き止める。

「ん? どうしたセイバー?」
「い、いえ……その、どうというわけではないのですが……」

 自分自身、どうして突然こんなことをしたのか良くわからない。わからないが、家が軋む音と風の唸り声しか聞こえない暗い闇の中に、一人にされたくないと思ってしまった。

「……もしかしてセイバー、おまえ」
「っ! な、馬鹿なことを言わないでほしい! この私が、このような暗闇に怯むことなどあるはずがないではないですか!」
「……いや、俺まだ何も言ってないし。それにセイバー、俺の服掴んだままだし」
「うッ!?」


 ……結局私に反論の術などあるはずもなく。
 その日は特別に許しを得て、シロウとの部屋を隔てるふすまを開いたまま眠ることにしたのでした。

 しかしいくら初めてのこととはいえ、このようなことで不覚を取るとはまったく……私もどうかしていますね。