らいおんの小ネタ劇場

2004 年 6 月 9 日


第 54 回 : カロリーオフ

「ごちそうさまでした」

 彼女がそう言った途端、私たちは思わず顔を見合わせてしまった。

「どうしたのです、桜? まだご飯を一膳しか頂いていないではないですか」
「あの、セイバーさん? 何か誤解があるみたいですけど、わたし元々そんなに食べるほうじゃないんですよ」

 桜はそう言うが、そんなことを言ったところで誰も信じるはずはない。

「あのねぇ桜、昨日までのあなたの健啖振りが見事に今の言動を裏切ってるんだけど?」

 と、まあ凛の言う通りである。昨日までの桜の食事っぷりは、それは見ていて清々しいものがありました。
 出された食事を全て頂くのはもちろんのこと、恥ずかしげにしながらも――居候、三杯目はそっと出し――を実践しつつおかずまでおかわりする辺りがあなどれない強敵でした。何がというと、もちろん食卓の戦いにおける強敵というわけですが。
 ともあれ、そんな桜が一杯のおかわりもせずこれで夕食を終えようなどと――彼女と食卓を共にした者ならば俄かに信じられるものではない。

 一同の疑惑の視線が突き刺さる中、桜は引きつった笑いを浮かべつつ、

「そ、それじゃあわたしは先にお風呂を頂きますから……あ、洗い物はあとでするからお水につけておいて――」
「――体重」

 立ち上がろうとしたところでぽつりとこぼしたイリヤスフィールの言葉に、中腰のまま凍りつく。
 そんな桜の姿に満足したか、イリヤスフィールはにやりと、しかし見るモノ全てを慄かせるような酷薄な笑みを零して続ける。

「わたし知ってるのよ桜……昨日、見たもの。貴女が洗面所の体重計に乗って顔を青ざめさせているのを」
「イ、イリヤちゃん……そんな、わたしはそんなこと……」
「ブザマなものね。自分自身を律することも忘れて毎日毎日……レディとしての嗜みに欠けているからそういうことになるのよ、サクラ」
「……うっ、ううっ……あ、あう、ああああぁぁぁ……」

 ふふん、と笑いながら髪をかきあげ、膝をついて慟哭する桜を見下ろすイリヤスフィール。
 そんな彼女を凛は生ぬるい瞳で見つめ、シロウはなんと言ったものかとおろおろし、そして大河は我関せずと自分でご飯をよそっていた。というか、私としては一番己を律することに欠けている彼女の体型がまるで変わらないことのほうが不思議なのですが……

 まあ、良い。これも彼女にとっては自業自得というべきですし、私にとってはむしろ僥倖とも言うべきでしょう。

「シロウ、私のもおかわりをください」

 桜が戦線を離脱した分、これで安心しておかわりを求められるというもの。これもまた幸せの一つというものでしょう。桜には悪いですが。


「……そういえば久しく体重を量っていませんね」

 お風呂からあがり、全身を伝って床を濡らす水滴を拭き取りながら足元の体重計に視線を落とす。
 針の位置はゼロ。桜は昨日、この体重計に乗って今の自分を知り驚愕したわけですが――

「……心配することなど何もない。この身は常に己を正して久しい。故に体型など変わろうはずもないのだから」

 なんとなく独り言をつぶやき、そして体重計に乗ってみる。

 ――右に向かって勢い良く振れる針。
 ――ややもして己の置き場を探して針が揺れる。

 そして針は、居場所を定めて止まり――

「ば、ばか……な。そんな……?」

 私はそれを見ながら、自分の顔から血の気が引いていく音を確かに聞いていた。
 ありえない。そんなはずはない。
 そう言い聞かせながら何度目を瞬かせても、針は変わらずそこにある事実を私に突きつける。

「あ、貴女も……貴女もそうだったというのですか、桜……?」

 この絶望を――この、深い奈落のそこに落ちていくような浮遊感と共に襲いかかる絶望を、貴女も知ったというのですか、桜。
 昨日、この場で、たった一人で。

 湯に浸かり、充分に温まったはずの体が冷えていく。それ以前に頭は冷水を浴びせかけられたかのようで、全身に怖気が走るのを止められない。
 こくりと、喉までせり上がってきた嗚咽を飲み下し、この受け入れがたい現実を受け入れようとしたそのときでした。

「! 何奴!?」

 不意に感じられた気配に振り向くとそこには、

「ふ……」
「ッ!」
「ふふ、ふふ、うふっうふふふふ……クスクス」

 俯き加減に目を前髪で隠し、しかしながら確実にこちらを見据えて瞳を光らせた桜が――歪んだ笑みを浮かべて扉の隙間から顔を覗かせていた。

「さ、さく……」
「……」

 慌てて私は桜を呼びとめようとするが、その名を呼び終わるよりも早く彼女は扉を閉めて――

「あ、ああ……なんということだ」

 ――遠ざかっていく足音を聞きながら、私はがっくりとその場に四肢をついたのでした。


 そして翌日から、私の食事量が減り、運動量が増えたのは――もはや言うまでもないでしょう。