らいおんの小ネタ劇場

2004 年 5 月 31 日


第 45 回 : 王手飛車

 今日の私は柳洞寺にやってきています。
 と言っても、境内に入りメディアあたりに見咎められると先日のような目に合わないとも限らないので、山門の前でお茶を飲んでいます。

 実のところ、私は日中特にすることがないときは、時々こうしてこの山門に縛られているアサシンとお茶を飲んでいる。
 シロウの家はにぎやかで温かではあるが、時には喧騒から離れて静かな時間を穏やかにすごしたいと思うときもある。そんなときに、お茶とお茶菓子を手土産にこの山門を訪れるのだ。
 アサシンは寡黙で、私が訪れても懐に刀を抱き込んで黙したまま、瞳すら開かずにじっと座っている。だがそれはこちらを無視しているのではない。
 彼の意識は常に周囲に、そして私に配られていて一時の油断も見せない。となれば、私自身も一時の油断を許されず、その緊張感がまた心地よい。
 うっかりと、一瞬なりとも油断を見せようものなら、その隙を突くようにアサシンは剣気を飛ばしてくるのだから、油断など、剣に身を捧げたものの一人として、同じ剣士である彼の前で見せられようはずもない。

 要するに彼は――佐々木小次郎として呼び出された彼の剣士は、この時代に生きる私にとって得難い、そして数少ないまともな友人の一人であり、唯一の剣の好敵手でもあった。


 さて、そんな彼だが今日はいつもと違い、私が来る前に一人の客を迎えていた。
 深い皺に覆われた顔に穏やかな笑みを浮かべ、綺麗に剃り上げられた頭をつるりと撫で上げながらアサシンの前に座っている御老人は、この寺の住職であった。
 魔術師という特殊な人種ではなく、あくまで一般人に過ぎないのにサーヴァントという異質な存在を二人もその懐に抱えて顔色一つ変えないのは、その皺と共に深く刻まれた年輪故か。いずれにしろ、度量の広い好人物であることに間違いはない。

 そして住職は、日に一度はこうしてアサシンの下に訪れて、彼と将棋という日本の遊戯をしているらしいのですが――

「――む」
「……なんだ、セイバー」
「いえ、なんでもありません」
「……」

 アサシンの打った一手を覗き込み、思わず声が漏れてしまう。
 彼はそんな私をじろりと睨んだが特に何も言うことはなく、住職の次手を受けて返しの一手を打つ。

「む!」

 だが、今のは良くない。悪手というやつだ。これでは王の守りが薄くなる。住職の一手が誘いであることに気づいていないのだろうか。
 見れば住職は相変わらず深い笑みを崩さずに、じっとアサシンに対峙している。
 笑顔といえど、こうも変わらなければ無表情と同じ。この見事な精神力は、さすが私の及ぶところではありませんね。

 そしてアサシンは同様に無表情のまま、手に持った駒を音高く板に打った。

「むむっ!」
「……セイバーよ、貴様なにか私に含むところでもあるのか?」
「いや、そんなことはない。だがしかし――」

 ――今のは更に良くない。

 そんな私の思いを読み取ったかのように、住職がその重い口を開いた。

「なに、セイバー殿は今の佐々木殿の一手が悪手であると言いたかったのであろうさ」
「なんと……?」
「ほれ、王手飛車じゃ」

 ぴしり、と自身の禿頭を叩きながら『角』を打つ住職。

「む……う」

 その途端、アサシンの無表情が僅かに崩れて視線を自身の『玉』に落とす。

「勝負ありましたね」
「む……住職――」
「待ったは無しじゃ」
「潔くないぞ、アサシン」
「く……!」

 肩を怒らせて自分の手元の駒を凝視するアサシンだったが、それで戦局が一変するわけでもない。
 これにて対戦成績はアサシンの十二戦全敗――

 亀の甲より年の功というやつなのでしょうか。サーヴァント、英雄と呼ばれて人ならぬ力を持つ我々でも、このようにただの老人に勝てぬこともある。
 私たちが普通の人より勝るところなど、所詮はほんの一部なのかもしれない。このような穏やかな日にあっては、むしろ等しい存在であると――シロウや、この住職を見ているとそう思えてならない。
 要するに私も、この時代にあってはまだまだであると――そういうことですね。

「さて住職。次は私に一手指南頂きたいのですが」
「ひゃひゃ、セイバー殿のような美しいお嬢さんなら、わしも打つ甲斐があるというものじゃ。ほれ、アサシン殿はどいていなされ」
「むぅ……」

 まだ悔しげに柳眉をしかめているアサシンを押しのけ、自陣に駒を並べる。
 いまだこの身は届かずとも、せめて一矢報いたいものだ――

「れでーふぁーすとじゃよ。先手をくれてやろうさ」
「遠慮なく……。では住職、参ります」

 ――そう思いながら打った駒の音が、高く森の中に響き渡った。