らいおんの小ネタ劇場

2004 年 5 月 18 日


第 36 回 : 五階と六階

 チャイムが鳴って時刻は十二時三十分。いつもなら家でシロウが作っておいてくれた食事をいただいている頃なのですが、今日の私は何故かシロウの通っている学校にいるのでした。
 この一つ二つ前の休み時間では、私はさながら猫の群れに投入されたかつおぶしのような状態だったわけですが、今頃になるとさすがに質問攻めに来る生徒たちの姿もなく、ようやく人心地ついたのですが――

 ――なんといいますか、お腹がすきました。

「そういえばお昼はどうしたらいいのでしょうか。朝はいきなり有無を言わさず大河に連れ出されましたし……」

 で、あるからもちろんお弁当などあるはずもありません。
 ……こうなった以上、頼るべきは一人しかいません。


「シロウ!」
「ああ、セイバー。ちょうどよかった、今、探しに行こうと思ってたんだ」
「どーせあんたのことだからお腹すかせてるだろうと思ってね」
「む……」

 シロウは笑顔で、凛もまた苦笑を浮かべながら私のところにやってくる。

 それはいいとして、凛の言葉の裏にそこはかとなく侮蔑の響きを感じたのですが……しかし事実だけに言い返すこともできない。
 だが、私にとて言い分はあるのです。些か言い訳じみてはいると自覚してはいますが、責任の一端は彼にも確実にあるはず。

「仕方がないではないですか。私をこういう身体にしたのはシロウです。その責任は取っていただかねば」
『……!』

 私がそう言った途端――教室に残っていた生徒たちに凄愴の気が漲り、それが一斉にシロウに向けられる。
 はて、いったいどうしたというのだろうか。

「……セイバー、あんたときどき自分の発言を振り返ったほうがいいわよ」
「しかし凛、私が言ったことは正しく真実のはずだ。責任の全てが私だけにあるわけではありません」

 だが凛はそれには何も答えず、ただ手のひらを上に向けて肩を竦めた――良くアーチャーがやって見せるポーズだ。
 そしてシロウはというと、何故か彼の周囲に人が群がり、先ほどまでの私と同じような状況に陥っている。すなわち、猫に群がられたかつおぶし、です。

「衛宮、あんた……」
「ま、待て美綴! これは誤解だ!」
「ふむ。セイバー嬢の言い方から察するに、これはゴカイもロッカイも無いと思うのだが、どうであろうか蒔の字」
「どーかんだね。いやいや参った、まさかあの衛宮がねー」
「だから氷室も蒔寺もゴカイすんじゃねー!」

 シロウが珍しく――でもないが、大いに取り乱しながら周囲の人間に「ごかいだー」と叫び、凛はその隣で呆れたようにため息をついている。
 本当に、いったいどうしたというのだろうか、二人とも。

 と、シロウと向き合っている二人の後ろにいる少女と目が合った。

「あ、こんにちわ」

 その少女は非常に柔らかな、見ているとあたたかくなるような笑顔を浮かべて挨拶をしてきた。
 礼には礼を。私も彼女に頭を下げて挨拶を返す。

「あの、三枝由紀香です。セイバー先生」
「ふむ……では、由紀香と。それでは由紀香、私のことはセイバーと呼んでいただきたい。成り行きで大河を援け教鞭をとることとなったといえど、この身はまだ人を教え導くには到底未熟の身。そのような尊称で呼ばれるわけにはいきません」

 これは私の正直な気持ちだ。
 由紀香は一瞬、目を丸くしてきょとんとした顔をしたが、

「は、はい、わかりました。それじゃセイバーさん……って呼んでもいいですか?」
「由紀香がそれでいいというのであれば、是非に」

 由紀香は先ほどと同じく、陽だまりのような笑顔を見せてこくりと頷いてくれた。
 ふむ。彼女はとても良い人のようだ。シロウの友人にこのような人物がいるのは、私としても嬉しい。

「あ、あのところでセイバーさん。さっきのことなんですけど……わたし、あの、よくわからなかったんですけど、どういう意味なんでしょう?」

 由紀香が首を小さく傾げて聞いてくる。
 先ほどのことというのは、やはり私の発言のことでしょう。

「どういうことと言われても、そのままの意味なのですが」
「えっ……と、具体的にはどういう……」
「そうですね……例えばお味噌汁なのですが」

 私は舌の上に、シロウが毎日のように作ってくれるお味噌汁の味を思い出す。彼女が聞きたいというのであれば、私はできる限りシロウの料理の素晴らしさを伝えなくてはいけないだろう。

「味噌は濃すぎず薄すぎず……シロウはお味噌汁一つとっても常に全力を傾けて料理してくれるのです。ちなみに私はもやしのお味噌汁が好きなのですが……。更にシロウは常に研鑽も忘れない人だ。シロウは誰にも語りませんが、他ならぬ私は知っています。シロウが時折、台所で料理の鍛錬をしているのを……その弛まぬ日々の努力が、あれ程の料理を毎日生み出しているのです」
「わぁ。すごいんですね、衛宮君って。わたし、衛宮君のおべんとうって食べことないんだけど、すごくおいしいって蒔ちゃんが言ってました」
「そうでしょう。一度シロウの料理をいただいたのであればその味を忘れることなどできようはずがない。もはやこの身はシロウの料理なしでは生きられないのです」

 私は知らずのうちに胸を張ってそのことを語っていた。だがそれも無理もないことだと思う。真実シロウは素晴らしい料理の担い手であり、そんな彼を私は誇らしく思っているのですから。

「それじゃあセイバーさんって、いつも衛宮君の作ってくれるごはんを食べてるんですか?」
「もちろんです由紀香。私とシロウは一緒に住んでいるのですから」
「わぁ……いいなぁ、セイバーさん。衛宮君のごはん、毎日食べられるんだぁ……いいなぁ」
「では由紀香、あなたも一度シロウの料理を食べに来るといい。あなたならば私はいつでも歓迎しますし、シロウとてあなたならば拒まないでしょう」
「えっ!? ほんとうにいいんですか? あの、衛宮君は……」

 と、由紀香と二人でシロウを振り返ると――

「衛宮、あんたってやつは……」
「なるほど。学園一の人畜無害と謳われた男が、その裏であどけない少女を自宅に連れ込んでいようとは。まさかの事実というやつだのう」
「その上、今度は由紀っちまで毒牙にかけよーってのか。鬼畜だなー」

 ――何故か、シロウは周囲の人間の殺気と蔑みの視線を一身に浴び、何かに疲れたような表情で項垂れていた。

「え、えっと……どうしたんですか、衛宮君」
「私にはわかりません……だが」

 正直言って何がどうしたことなのか、私には良くわからない。
 が、シロウにこれほどの敵意をぶつけるというのであれば、それは私と敵対するということを意味する。そのことを彼らに教えてやらねばならないでしょう。

 何故ならシロウは私のマスターであり、私はシロウのサーヴァント・セイバーである。

「貴公ら――」
「セイバー、ストップ」
「――って、なにをするのですか、凛」
「だーから、あんたが今出て行ったら余計ややこしくなるだけなんだから大人しくしてなさいってこと」

 凛がそう言うのであればそれは真実なのでしょうが――しかし、シロウに向けられるあの敵意は本物だ。
 それを看過できるほど私は気が長いほうではない。

「いいのよ、あれは学生同士のレクリエーションなんだから。よく見ればわかると思うけど、士郎に殺気ぶつけてんのは男だけでしょ? だったらそれも男にとっては勲章みたいなもんなんだから、ほっとけばいいのよ」
「ですが、凛……!」
「あーもう、何だって士郎が絡むとこんなにわからんちんなんだ、この子は。とにかく、わたしのいってることに間違いはないの。そうですよね、三枝さん?」
「え? あの、えっと……」

 凛に話を降られた由紀香は、私と凛と、そして士郎を交互に見渡して、

「はい。遠坂さんの言ってることはよくわからないけど、みんないい人たちだから大丈夫です」

 そう言ってふわりと笑みを浮かべた。

「ま、そういうことよ。もっとも……三枝さんも士郎がああいう目にあう一因をかってるんだろうけど、ね」
「はい? なんですか?」
「いいのいいの」

 まあ……凛と由紀香がそういうのであれば大丈夫なのでしょうが……
 あのような目にあうのが一種の遊戯であり勲章であるなどと……不思議なものですね、今の時代の学び舎というのは。
 私もまだまだ、この時代のことを学ばなくてはいけないということなのでしょうね。