らいおんの小ネタ劇場
2004 年 5 月 7 日
第 28 回 : 大型連休 温泉旅行・混浴編―本番
「……」
「……」
 先ほどから互いに一言もしゃべらずに無言。
 背中合わせに顔も合わせられず、いったいどれだけの間このままでいたのかすらわからない。
 きっと私の顔は今、真っ赤になっていることだろう。そしてそれはシロウもきっと同じだ。
 合わせた背中から感じられる彼の鼓動が、私にも負けないくらいの激しさであることがはっきりと感じられる。
 しかし……なぜ私は咄嗟にあんなことを言ってしまったのだろうか。
『その……わ、私は構いませんが。シロウは私のマスターですし、その……特に問題はありません……』
 自分に言っておきながら何だが、問題は大いにあると思う。
 そもそも、その前に覗きに来たあの三人を成敗していながら、シロウに対してはむしろ……
 って、わ、私はなにを考えているのでしょうか。まったく、自分が度し難い。
「あ、あのさ、セイバー」
「!」
 背後からシロウに声をかけられて鼓動がその瞬間に跳ね上がる。
「な、なんでしょうか!」
 情けないくらいに動揺しているのが丸わかりの声の調子。
 ただでさえ危険なほどに熱を持っている頬はますます火照り、まともに呼吸することさえ苦しくなってきた。
「あのさ……その、そろそろ上がらないか? もう結構長い間入ってるしさ、このままじゃのぼせちまうんじゃないかな、って……」
「え? え、ええ……そう、ですね」
 確かに、言われてみればその通りです。
 それにこのまま入っていてもシロウだって少しもくつろげないでしょう……私自身、先ほどから頭に血が上ったようにぼーっとしているのですから。
「すいませんシロウ。では私が先に」
 とにかくシロウの言う通りにしようと思い、立ち上がった――
 ――その瞬間、私の視界は真っ暗に閉じて、最後にシロウの声が聞こえたような気がした。
「ん……」
 まぶたに風を感じ、私はゆっくりと瞳を開いた。
 視界が水の中にいるようにゆらゆらとして、頭がぼんやりとしている。それでもはっきりとわかる、私の傍にいる人の名前――
「――シロウ?」
「お。気づいたのかセイバー」
 星がきらめく夜空を背景に、シロウが私を見下ろしている。
 そしてどうやら私の頭はいつぞやのようにシロウの膝に乗せられているようだ。
「驚いたよ。立ち上がった途端、いきなり倒れてくるんだもんな。セイバー、俺が来る前からずっと入ってたんだろ? そりゃのぼせるよなぁ」
「あ、はい……すいません」
 そうだ。
 確か私はシロウと一緒に温泉に入っていて、それで……
「!!」
「待てっ! 急に起き上がるな!」
 思い出し、身を起こした途端、また視界が暗くなって身体が揺れる。
 同時に――それまで私を覆っていたらしいタオルが落ちて身体が外気に晒される。
 そして、シロウの目にも。
「……ッ」
「う……」
「シロウ……見ないで……」
 成す術もなくシロウの膝に頭を落としながら一瞬、喉元まで声がこみ上げたが、その殆どは零れるようにして消えてしまいこんな細い声しか出なかった。
 本当に……情けない。
 シロウに余計な迷惑をかけ、その挙句このざまだ。これではいざというときにマスターを護ることもできず、逆に護られるだけの足手まといにしかならない。
「……はぁ。ったく」
 と、シロウは呆れたようなため息をついて、顔をそらしながら落ちたタオルを再び身体にかけてくれた。
 それを今度は落ちたりしないように握り締めて、激しい自己嫌悪に陥る。
「とりあえずセイバー、その……見ちまった。ごめん」
「……はい」
 言われて今度は羞恥に頬が火照る。
 自分でも女らしくないと自覚している身体を見られるのは……正直恥ずかしい。
 もっと桜たちのような身体だったら良かったのにと、そう思う。
「それからな……えーと、その、なんだ。……キレイだった」
「……え」
「や、俺はなにを言っているんだろうな。ははっ、ははははっ! あー、ごめんっ、忘れてくれっ。頼むッ!」
「……」
 私の頭上で慌てたように手を振り回して顔を真っ赤にしているシロウ。
「……シロウ」
「ん、ん?」
「先ほどのお話ですが、お断りします。――その、忘れろという話ですが」
 そんな彼を見ていると、自然に笑いがこみ上げてきて、情けない自分のことなど簡単に忘れてしまった。
 だからその代わりに――
「嬉しかったですから」
「う……」
 ――シロウ、あなたが言ってくれた言葉だけは忘れずに覚えておきましょう。
「? どうしたんですか、シロウ」
「……うっせ。おまえ、ときどき反則なんだよ」
「はんそく……?」
 シロウの言っている意味はイマイチ良くわかりませんが……
 しかし、変わったのはメディアだけでなく……私も同じですね。
 あの頃はシロウに肌を見られることも何も感じなかった。そして恐らくきっと、キレイと言われても同じだったでしょう。むしろ戦いには何の関係もないことと切り捨てていたでしょう。
 それが今ではシロウの挙動一つ言葉一つでこんなにも心が動かされる。
 不思議なものです。
 この時代でシロウと共に多くの人たちに触れ合い生活することで、まだわずか数ヶ月の時しか流れていないというのに、私はこんなにも変わっている。
 時としてそのことに不安を感じることもあるけれど、私は―ー。
「シロウ」
「な、なんだよ……」
「いえ……これからもいろいろと私を……よろしくお願いします」
「あ? あ、ああ。よくわからないけどこちらこそよろしく」
 手をさし伸ばしシロウの手を握り締める。
 彼の手は大きくて、ごつごつしていて暖かくて、そして少しだけ温泉のお湯にふやけていた。