らいおんの小ネタ劇場
2004 年 4 月 30 日
第 22 回 : 大型連休 温泉旅行・道中編
窓を開けると汐の匂いを含んだ風が飛び込んできて、髪を揺らした。
岩場に打ち寄せる波の白い飛沫が散っては引き、引いてはまた寄せて散っていく。
そんな風景を流れる車窓から眺めているだけで楽しかった。
隣を見ると、シロウが眠たそうに目を細めて既に少しずつ舟をこぎ始めている。
素直に眠ってしまえば良いのに、彼は運転しているライダーに遠慮して何とか起き続けようとしているらしい。
そんなことを気にするような彼女ではないと思いますが、シロウらしいと言えばシロウらしい。
「シロウってば眠いんだったら寝ちゃえばいいのに」
「う……いや、しかしだな」
私の反対側にいるイリヤスフィールはそんな彼を見つめてやわらかく微笑むと、そっと彼の頭を抱き寄せて自分の膝に乗せる。
「イ、イリヤ?」
「いいから、シロウはこのまま」
そして彼女は、きっとシロウにだけしか向けることのない優しげな瞳を細めると、小さく歌いだした。
「♪〜 Die Luft ist luhl und es dunkelt, Und ruig fliesst der Rhein.
Der Gipfel des Berges funkelt Im Abendsonnenschein 〜♪」
それは本当に細くて柔らかく、小さなメロディだった。
だから私は黙って開いていた窓を閉じた。
外から入り込んでくる無粋な雑音に、彼女の思いを込めた歌が消えてしまわぬように。
「♪〜 Die schOnste Jungfra sitzet Dort oben Wunderber.
Ihr goldues Geschmeide blitzet, Sie kammt ihr goldenes Haar 〜♪」
シロウは既にもう半分以上、眠りの世界へ埋没している。
大河はとっくに眠ってしまっているし、凛も桜も瞳を閉じてこの歌に聞き入っている。
そして私のまぶたも徐々に重くなってきていた。
昨晩、眠れずにいたその反動がここに至ってようやく訪れていた。
「♪〜 Den Schiffer im Kleinen Schiffe Ergreift es mit wikdem Weh.
Er schat nicht die Felsenriffe Er schat nur hinaf in HOh 〜♪」
初めて聴くこの曲がなんという曲なのかはわからない。子守唄なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
ただ、歌うイリヤスフィールの声がたとえようもないほどに甘く優しくて、眠りを誘っているというだけだ。
彼女のその声はシロウ一人に向けられているもので、私たちに与えられているのは僅かに零れたものだとしても。
シロウを見つめるイリヤスフィールの瞳はとても優しい。
いつもの、子供のように無邪気に甘える彼女ではなく、まるで弟を見守る姉のような……そんな慈愛に溢れていた。
彼女の膝の上で小さく寝息を立てながら、髪を梳かれているシロウの表情は安らかだった。
「♪〜 lch glabe die Wellen verschlingen Am Ende Schiffer und Kahn
Und das hat mit ihrem Singen Die Lorelei getan 〜♪」
Lorelei.
ああ、確かそんな歌姫の伝説を聞いたことがあるような気がする。それがいつのことだったか、誰から聞いたのかは不確かだけれど……
ただ今は、流れるローレライの歌声に身を任せ、ゆっくりと瞳を閉じることにしよう。
私の意識が眠りの淵に落ちるそのときも、小さな歌姫の歌声は柔らかく私たちを包み流れていた。