らいおんの小ネタ劇場

第 41 回目から第 50 回目まで


第 41 回 : 2004 年 5 月 25 日「夜雨」

 窓から日が落ちた暗い外を眺める。
 ともすれば見逃してしまいそうなほど細く走る斜線の群れ。先ほどから降り始めた雨は足音もますます高く、弱くなるどころか次第に駆け足になって、低い空から降りてきている。

 振り返った食卓に用意されている、布巾をかぶせられた一人分の食事。
 桜がせっかく作ってくれた夕食は、すっかり冷めてしまっている。その彼女は今も台所で洗い物をしているのだが、振り返ってはこっそりとため息をついているのに私は気づいていた。
 シロウはまだ、アルバイトから帰ってきていない。

「……少し、出かけてきます」

 桜の背中にそう言い残し玄関に向かい、靴をはいて立てかけてある自分の傘を一本取って外に出る。
 人が辛うじて二人は入れるくらいには広い、青く無地の傘。商店街のお店で買ってきた何の変哲もない、しかしシロウが買ってくれたその傘を差す。
 ぽつぽつと傘に当たり、リズムを奏でる雨音を聞きながら、私は足取りも軽く歩き出した。


 どうやら間に合ったようだ。
 まだシロウはこの傘を買った店の庇の下にいて、しかし少し苛立たしげに空を見上げていた。
 ……間に合いはしたけれど、間一髪であった、というところだろうか。

「シロウ」
「あ、セイバー? 迎えに来てくれたのか?」
「はい。シロウは傘を持っていないだろうと思いましたから」
「ん、当たりだ、それ」

 シロウはおどけたように肩を竦めて、少しだけ苦笑した。そうでなかったら今ごろこんな商店街の店の軒先で雨宿りなどしていないだろう。

「ですが良かった、行き違いにならなくて。シロウのことですから、無理をしてこの雨の中を走っているのではないかと心配しました」
「む、信用ないんだな。俺だってわざわざ風邪を引くような真似をしたりしないぞ」
「……ですが、無理と無茶はシロウの専売特許ですから」

 特に今日はアルバイトに出て行く前、桜が腕によりをかけて食事を作ると言って笑っていましたから。
 それを知っているシロウが彼女のために無理をしないと誰が言い切れるでしょう。……きっと、誰にも言えるはずがない。だからこそ、私もこうしてシロウを迎えに来たのですから。

「さ、シロウ。とにかくここにこうしていても仕方がない。帰りましょう、桜も待っている」
「ああ、そうだな」

 が、シロウは傘を差し出して彼を誘う私に、何か気づいたように顔を上げる。

「あのさ、セイバー。ちょっと聞きたいんだけど」
「なんでしょうか?」
「えっと……俺の傘は?」

 まあ、そうでしょうとも。私が持っている傘は唯一つ、今も差して雨粒を遮るこの青い傘だけなのですから。
 他に――例えばシロウが自分自身だけのために差すような傘は持っていない。

 だから私はそんな彼の表情が少しだけおかしくて、思わず微かに笑みを浮かべてしまいながら、正直に言った。

「申し訳ありません、シロウ。私としたことが忘れてしまったようです」
「ええっ!?」
「ですが、幸いなことにこの傘は大きい。私とシロウの二人分なら十分にこの傘一つで雨を遮ることができる」
「あ、あー……つまり、それってさ」

 はい、つまりそういうことです。

「ではどうぞ、シロウ。多少肩が濡れようとも私は気にしませんから、ご遠慮なく」
「……ばか、それは俺が気にする」

 言いながらもシロウは、はっきりとした苦笑を浮かべながら私が差している傘の下に入ってきた。
 急に肌に感じられるシロウの体温とシロウのにおい。何故だかわからないが、そこにあるだけで心安らぐ気配が私を包む。
 私は僅かに頬が染まるのを自覚しつつも、まるでそれをごまかすようにシロウに持っていた傘を差し出した。

「ん? なんだよ」
「こういうときは……殿方が傘を持ってくれるものと聞き及びましたが」
「……なるほどな、了解しましたよ、お姫様」
「シロウ、それは違う。私は姫ではなく騎士です。ですが――」

 笑いながら私の手から傘を受け取るシロウ。
 この身は確かに姫ではなく、騎士であるけれど……同時に女であることも確かではある。だからたまには、こういうのも悪くはない。

 今度は自分の感情を隠すことなくシロウを見つめ上げ、そっとその懐に身を寄せて擦りつける。

「――時には貴方が言うように……姫と呼ばれるのも、悪くはないと思います」

 暗く寒く、冷たい雨が降る夜。
 寄り添ったシロウの身体も、私の身体も温かかった。




第 42 回 : 2004 年 5 月 26 日「肩車」

 縁側から外を覗くと、シロウとイリヤスフィールが庭で遊んでいた。
 あれはそう……確かバトミントンというスポーツです。
 ふわふわと軽そうに、空に弧を描いているシャトルをイリヤスフィールが必死に追いかけてシロウに打ち返す。対するシロウはというと、余裕の表情で更にイリヤスフィールに打ち返し、彼女はまたそれを追いかける。
 なんというか、大人と子供の勝負ですね。まあ、まさにその通りなのですが。

 ですが二人とも楽しそうですし、まるで兄妹が戯れているようで見ていて微笑ましい。
 ところで、何故イリヤスフィールは体操服とぶるまぁをはいているのでしょうか。運動に適した格好であるといえば確かにその通りなのですが。

 まあ、どうでもいいことですね。二人が楽しんでいるというのであれば、それで良いのですから。
 そう思い、微笑ましい気持ちと共に私は道場へと向かう。これから私は、日課の瞑想の時間なのです。


 一時間経過――


 瞑想を終えて道場から出ると、庭にはぽつんとラケットのみが取り残されてシロウとイリヤスフィールの姿がなかった。

「もう終わったのでしょうか?」

 だがそれではラケットだけがそこに残されている理由にはならない。シロウがいる以上、道具だけを出しっぱなしにするなどというだらしのないことは絶対にありえませんから。
 と、思っていたら、

「シロウー、もっと右、右−」
「こ、こっちかイリヤ?」
「あん、ちょっと行き過ぎ! 今度はちょっと左よ」

 と、なにやら二人の声が聞こえてきた。
 いったいなにをやっているのだろう。そう思い、声がしてきたほうを覗くと、庭でもひときわ背の高い木の根元にシロウが立ち、イリヤスフィールがシロウの肩に跨って空に向けて伸びている枝に、その小さな手のひらを伸ばしていた。
 よく見れば枝には二人が打ち合っていたバトミントンのシャトルが引っかかっている。
 なるほど、あれが木に引っかかってしまったので取ろうとしているのですね。

 イリヤスフィールは細い足でシロウの顔を挟み、ふらふらと揺れる自分の身体を支え、シロウもまた彼女の足首をつかんで支えながら左右に動いたり肩を伸ばしたりして、なんとかシャトルを取ろうと必死になっている。

「んー、シロウもうちょっと! もうちょっとで届くの!」
「こ、こうかイリヤ?」
「んッ……そう、もう少し……あっ、ん、もう少し頭を……」
「こ、こっちか!?」

 必死に手を伸ばしているイリヤスフィールが一瞬バランスを崩し、ぎゅっとシロウの頭にしがみつく。
 すると当然、彼女の太ももがシロウの顔により強く押し付けられるわけでして。

 と、いうか――

「もう、ちょっと……あと少し」
「こ、ここか? ここなら届くのか?」
「そう、上手よシロウ――あんッ、もうちょっとだったのに……」

 ――この二人、妙に雰囲気が怪しいのですが、気のせいでしょうか……?



第 43 回 : 2004 年 5 月 27 日「伝書」

「……と、いうわけなのです。わかりましたか?」

 庭の片隅、シロウの自転車一号二号三号が置いてある場所、衛宮家駐輪場からライダーの声が聞こえてきました。
 どうやら誰かに話しかけているようなのですが、いったいあんなところで誰と話しているのだろうか。

 そう思って覗いてみると、

「ではペガサス。この手紙を貴方に託します。見事に任務を果たしなさい」
「ぶひひんっ」

 ペガサスは一つ嘶き、ライダーが差し出した手紙を咥えて前足を高々と上げて地を蹴った。まるで己を誇るかのように。
 というか、何故ペガサスに手紙?

「ライダー、何をやっているのですか?」
「……セイバーですか。なに、たいしたことではないのですが」

 ライダーは傍らで頭を垂れているペガサスの頭を愛しげに撫でながら、

「実は先日、テレビで伝書鳩という鳥の存在を知ったのです」
「ふむ、それならば私も知っている。確か足に手紙を結び、その想いを相手に伝えるとても素晴らしい鳩であると聞いています」

 その鳩のことならば、私もこの間テレビでシロウたちと一緒に見ました――というか、ライダーも一緒だったはず。

「ライダー、そのテレビ番組とはよもやがくがく動物らんどのことでは?」
「なんだと……? セイバー、それを何故貴女が」
「そのようなこと問う間でもない。私もその場にいたのですから」
「……なるほど。道理です」

 並んで同時に頷く私とライダー。

「で、ライダー。その伝書鳩がいったいどうしたというのですか?」
「ええ、先ほども言ったようにたいしたことではないのですが、その伝書鳩と同じことをこのペガサスにもできないものかと思ったのです」
「ペガサスに?」

 言って彼に目を向けると、ペガサスはぐいと胸を反らして天に向かって嘶きをあげた。
 まるで『そのようなこと我には容易いことである』そう言っているかのようだった。

「ライダー、ペガサスに鳩と同じことをさせていったいどうしようと言うのだ?」
「いえ、別にどうしようというつもりはありません。ただなんとなく、ですよ」
「ふむ……」

 なんとなく、か。正直言って彼女の意図はよくわからないが、まあ、それで誰が困ると言うわけでもない。せいぜい、まだこの街のことを良く知らない人々が空を飛ぶ馬を目にして騒ぐ程度だろう。
 だが所詮、その程度のこと。非現実的な現実に騒ぐ人々も、すぐにそれがこの街の常識であると悟って収まるでしょう。何せこの街は商店街を鋼色の巨人が闊歩し、金色のうつけ者がしょっちゅうお縄になったり、双子と見紛うほど良く似たメイドが歩いていたりと普通とは少々違う街なのですから。
 伝説に登場する幻獣が少々空を飛ぶくらい、本気で今更なのです。

 と、そんなことを考えていたら、ペガサスがライダーの命を受けて飛び立とうとしていました。

「では行きなさい。その手紙、確実に士郎の元へと届けるのです」
「……シロウ?」

 今、聞き捨てならない単語が聞こえた。
 だが時既に遅く、ペガサスはその両の翼を羽ばたかせ、空高くその身を舞い上がらせていました。

「……貴公いったい、シロウにどんな手紙を書いたのですか?」

 もはや届かぬところへ行ってしまったと言うのであれば、せめてそれだけでも確認しておかなければ。

「気になりますかセイバー?」
「む……シロウの事なれば」
「その気持ちはわからないでもありませんが、人の私事を詮索しようというのはあまり感心しませんね」
「う、む……」

 確かにその通り。わかっていることではあるのですが、ですが……
 ライダーはそう悩んでいる私を見て、口元に薄く意地の悪い笑みを浮かべる。

「まあ、あなたの気持ちもわからないでもありませんよセイバー。あなたにとっては他ならないマスターのことなのですから」
「……その通りです。で、結局いったいなんと?」
「あの手紙にはこう書いてあります――」


『今夜十二時 貴方の精を頂戴しにあがります』


「――と」
「犯行予告ではないですか」

 もちろん私はシロウのサーヴァントとして、その場で彼女を撃退したわけですが――


 ――ライダーがしたためたその手紙、結局シロウの手元には届かず、それどころかどうやら桜の手元に届いてしまったそうです。
 その日の夜、ライダーは久しぶりにマスターから蟲風呂の刑を受けたらしく、翌日やけにげっそりとしていました。

 まあ、自業自得というやつでしょう。



第 44 回 : 2004 年 5 月 30 日「マネキン」

 ある日、商店街を歩いていると、とある店の前で言峰を見かけました。
 どうやらショーウィンドウの向こう側にいるものに真剣な眼差しを向けているようですが……

 さて、どうしたものだろうか。
 言うまでもないことだが、彼は危険な人物だ。いや、その危険は聖杯戦争のときのような危険とは僅かに方向性が異なるものだが、危険であることに変わりはない。放っておいて万が一商店街の人々に迷惑がかかろうとものならば――そう思うのだが、まだ何もしていないうちに取り押さえて交番に突き出すというのもどうかと思うのです。

「そこにいるのはセイバーか?」
「む、その通りです、言峰」

 と、そんなことを考えていたら先に相手のほうから話してかけてきた。こうなれば放っておくも何もないだろう。
 彼に近づき隣に並び、彼が見ていたそれを見る。

「これは……子供服ですか?」
「だけではないな。この店には大人用の服も、セイバー、貴様や凛が着るような服も取り扱っている」
「なるほど。しかし言峰、何故貴方がここにいるのですか?」

 気になるのはそこだ。
 確かにこの店は服の専門店であり、子供服のみならず大人用の服も売っているようです。年端もいかない、例えばイリヤスフィールのような娘に含むところがあるというわけではないようですがそれで油断ができるわけではない。
 何故ならこの男は言峰綺礼。ランサー、ギルガメッシュをサーヴァントとして従える変質者の主だ。

 だが言峰はそんな私の思いをよそに、ふと口元に笑みを浮かべながら何かを懐かしむように瞳を閉じる。

「なに、たいしたことはない。ただかつて凛に服を送ったときもこうして店の前で足を止めたことを思い出してな――今おまえが着ているその服のことだが」
「ああ、そういえば以前凛より聞いたことがあります」

 なるほど、そういうことだったか。
 この男が過去を懐かしむなど、些か予想の外にあったことだが言峰とて普通……でもないが、人間であることに変わりはない。そういう気持ちになることがないとは決して言い切れないだろう。
 普段の行動なりを鑑みたとはいえ、彼を偏見の目で見てしまったのは確か。我が身に自省を促す必要がありますね。

「ところで言峰、何故貴方は凛の誕生日に服を?」
「そのことか。まったく、おまえといい凛といい、何故そのような些事を気にするのか」

 言いながら言峰は懐から何かを取り出して、私の前に突きつける。

「これは……人形?」

 以前、テレビで見たことのある、髪の長い少女の人形を握り締めている言峰。うっすらと笑い、ドレスに身を包んだ少女が、人形とはいえ、言峰の手の内に握られているというのはかなり不気味な光景だ。いや、人形だからこそか?
 ともあれ、私の中に嫌な予感が膨れ上がってきたのは間違いのないことだ。

「この人形が……どうしたというのです?」
「つまりだ。人間である凛を相手に私が望む服を着せたところで、この人形を相手にするような興奮を味わえるか試してみたのだが……どうやら間違いだったようだ。やはり手ずから服を着せることにその真価があるようだな」
「……なるほど。結局そういうことですか」

 どうやら私の目は偏見でもなんでもなく、間違いなくこの男の変質性を見極めていたらしい。
 ですから――

「さて、セイバー。おまえが望むのであれば、私がここで服を買ってやってもいいわけだが」
「断る!」

 ――思わず風王結界を現界させて、彼を叩き落としたとしても、私は間違っていないはず。
 そうですよね、シロウ?



第 45 回 : 2004 年 5 月 31 日「王手飛車」

 今日の私は柳洞寺にやってきています。
 と言っても、境内に入りメディアあたりに見咎められると先日のような目に合わないとも限らないので、山門の前でお茶を飲んでいます。

 実のところ、私は日中特にすることがないときは、時々こうしてこの山門に縛られているアサシンとお茶を飲んでいる。
 シロウの家はにぎやかで温かではあるが、時には喧騒から離れて静かな時間を穏やかにすごしたいと思うときもある。そんなときに、お茶とお茶菓子を手土産にこの山門を訪れるのだ。
 アサシンは寡黙で、私が訪れても懐に刀を抱き込んで黙したまま、瞳すら開かずにじっと座っている。だがそれはこちらを無視しているのではない。
 彼の意識は常に周囲に、そして私に配られていて一時の油断も見せない。となれば、私自身も一時の油断を許されず、その緊張感がまた心地よい。
 うっかりと、一瞬なりとも油断を見せようものなら、その隙を突くようにアサシンは剣気を飛ばしてくるのだから、油断など、剣に身を捧げたものの一人として、同じ剣士である彼の前で見せられようはずもない。

 要するに彼は――佐々木小次郎として呼び出された彼の剣士は、この時代に生きる私にとって得難い、そして数少ないまともな友人の一人であり、唯一の剣の好敵手でもあった。


 さて、そんな彼だが今日はいつもと違い、私が来る前に一人の客を迎えていた。
 深い皺に覆われた顔に穏やかな笑みを浮かべ、綺麗に剃り上げられた頭をつるりと撫で上げながらアサシンの前に座っている御老人は、この寺の住職であった。
 魔術師という特殊な人種ではなく、あくまで一般人に過ぎないのにサーヴァントという異質な存在を二人もその懐に抱えて顔色一つ変えないのは、その皺と共に深く刻まれた年輪故か。いずれにしろ、度量の広い好人物であることに間違いはない。

 そして住職は、日に一度はこうしてアサシンの下に訪れて、彼と将棋という日本の遊戯をしているらしいのですが――

「――む」
「……なんだ、セイバー」
「いえ、なんでもありません」
「……」

 アサシンの打った一手を覗き込み、思わず声が漏れてしまう。
 彼はそんな私をじろりと睨んだが特に何も言うことはなく、住職の次手を受けて返しの一手を打つ。

「む!」

 だが、今のは良くない。悪手というやつだ。これでは王の守りが薄くなる。住職の一手が誘いであることに気づいていないのだろうか。
 見れば住職は相変わらず深い笑みを崩さずに、じっとアサシンに対峙している。
 笑顔といえど、こうも変わらなければ無表情と同じ。この見事な精神力は、さすが私の及ぶところではありませんね。

 そしてアサシンは同様に無表情のまま、手に持った駒を音高く板に打った。

「むむっ!」
「……セイバーよ、貴様なにか私に含むところでもあるのか?」
「いや、そんなことはない。だがしかし――」

 ――今のは更に良くない。

 そんな私の思いを読み取ったかのように、住職がその重い口を開いた。

「なに、セイバー殿は今の佐々木殿の一手が悪手であると言いたかったのであろうさ」
「なんと……?」
「ほれ、王手飛車じゃ」

 ぴしり、と自身の禿頭を叩きながら『角』を打つ住職。

「む……う」

 その途端、アサシンの無表情が僅かに崩れて視線を自身の『玉』に落とす。

「勝負ありましたね」
「む……住職――」
「待ったは無しじゃ」
「潔くないぞ、アサシン」
「く……!」

 肩を怒らせて自分の手元の駒を凝視するアサシンだったが、それで戦局が一変するわけでもない。
 これにて対戦成績はアサシンの十二戦全敗――

 亀の甲より年の功というやつなのでしょうか。サーヴァント、英雄と呼ばれて人ならぬ力を持つ我々でも、このようにただの老人に勝てぬこともある。
 私たちが普通の人より勝るところなど、所詮はほんの一部なのかもしれない。このような穏やかな日にあっては、むしろ等しい存在であると――シロウや、この住職を見ているとそう思えてならない。
 要するに私も、この時代にあってはまだまだであると――そういうことですね。

「さて住職。次は私に一手指南頂きたいのですが」
「ひゃひゃ、セイバー殿のような美しいお嬢さんなら、わしも打つ甲斐があるというものじゃ。ほれ、アサシン殿はどいていなされ」
「むぅ……」

 まだ悔しげに柳眉をしかめているアサシンを押しのけ、自陣に駒を並べる。
 いまだこの身は届かずとも、せめて一矢報いたいものだ――

「れでーふぁーすとじゃよ。先手をくれてやろうさ」
「遠慮なく……。では住職、参ります」

 ――そう思いながら打った駒の音が、高く森の中に響き渡った。



第 46 回 : 2004 年 6 月 1 日「蟻の巣でコロリ」

「……おや」

 縁側でお茶を飲んでいる私の足元に黒いかたまりが群れになって列を作っていた。
 その黒い列は庭に少し零れているお茶菓子の欠片に群がって、どうやらそれを運んでいるようだ。

「ふむ。蟻というのはたいしたものですね。自分たちの体の何倍もの大きさの物を運ぼうとするとは」

 つぶやいて感心しながら、ふと、その列がいったいどこまで繋がっているのか気になってきた。
 ならば話は早い。気になるなら追いかけてみるまでです。

 追いかけて追いかけて、蟻の列は庭の真ん中を横切って何メートルもその列を繋げていた。
 いったいどこからこれだけの数の蟻が出てきたのか、こうも迷わずに列を作れるのは何故か。とても不思議に思う。
 いつしか私の目は彼らの行き着く先にのみ向けられていた。身を屈めて蟻の列を見つめて、他のものなど目に入らないくらいに没頭してしまっていた。


 そして辿り着いた彼らの旅の終着点。

「ほう、ここがこの蟻たちの城、というわけですね」

 地面に開いた小さな穴に、列を成していた蟻たちが次々と入って行き、そして次々と穴から蟻たちが出てきて再び列を成していく。
 こうして何匹も何匹もが繰り返し少しずつ、あの落ちたお茶菓子の欠片を拾ってこの巣に運んでいるというのか。

「……素晴らしいですね」

 彼らほどの統率を持った集団が人となり兵となれば、間違いなく最強の軍団として形成されるでしょう。
 このように小さく、弱い生き物であっても侮ることなど決してできない。また一つのことを学び、私は屈んでいた身を起こして頭をあげて――

 がつんッ

 ――と、何故かこんな低いところに張り出していた木の枝に、思い切り頭を打ち付けていた。

「不覚。一つのことに没頭するあまり、周囲への注意が散漫になるとは。この身はやはりまだまだ未熟……」

 ずきずきと痛む頭を抑えながら、私はまた一つ己に自省を科した。
 ……あ、たんこぶになってます。



第 47 回 : 2004 年 6 月 2 日「鬼虎」

 既に時刻は午後の八時になります。夕飯のしたくもすっかり整って、あとは美味しくいただくだけなのですが――

「藤ねえ……遅いな」

 そう、大河が帰ってきていないのです。
 いつもならばこれくらいの時間には既に席について、手に持った箸で茶碗をチンチンと鳴らしてシロウに怒られているのですが、その大河が今日はいない。
 おかげで、賑やかな食卓も妙に静かで、しかし逆に、彼女を待つ私たちの心は波立っていた。
 特にシロウの落ち着きの無さといえば特筆もので、今も苛立たしげにテーブルの上を人差し指で叩いている。

「士郎、少し落ち着きなさいよ。藤村先生だって子供じゃないんだから、そんなに心配することないわよ」
「わかってるよ遠坂……だけどさ、藤ねえがこんなに遅いなんてこと、今まで一度だってなかったんだ。それが今日に限ってなんて、なかなか考えられないだろう。子供じゃないんだから連絡の一つくらい、あったっていいはずだ」
「はあ……とにかく、今アーチャーに探しに行かせてるから、連絡入るまでもう少し我慢なさい」

 ため息をつきながらも、実は凛も内心で心配しているのは明白だった。組んだ腕を叩く人差し指がそれを物語っていた。かくいう私とて、叶うならば今すぐにでも飛び出して行きたい気分ですが……

 と、そのときテーブルの真ん中に鎮座しているトランシーバーがひどいノイズと共に言葉を漏らした。

『こちらアーチャー、トラは柳洞寺にあり。繰り返すトラは柳洞寺にあり』
「こちらレッドアリーマー、了解した。直ちに急行する」

 顔を上げて視線を向けてくる凛に頷く私とシロウ。

 しかし大河はなんでまた柳洞寺になどいるのだろうか。
 ふと、数日前の悪夢の光景が私の脳裏に蘇る。あの、シロウの前で醜態を晒してしまった日のことが。

「なんだか、嫌な予感がします」

 これも私のスキル、直感Aの賜物なのだろうか。そしてもしこの予感が当たっていたとしたら――?


 ――そして、私の嫌な予感は見事に当たってしまった。

「あんまりそわそわしないでーーーッ!?」
「あなたはいつでもキョロキョローーーッ!?」

 柳洞寺の離れにある葛木夫婦の家、その一室であるメディアの部屋のふすまを開けて中の光景を目にした瞬間、アーチャーとシロウはそう叫んだ。
 それはおそらく驚愕の叫びなのだろうが、それも無理はない――何故ならそこにいた大河は、

「と、虎柄のビキニと虎柄のブーツ。頭に乗っけたトラ耳が違うけど……藤村先生、それって……」
「うん、そうだよ。懐かしいでしょ」

 とまあ、なにが懐かしいのかはよくわかりませんが、凛が言った通りの奇妙な格好をしていたのです。
 先ほど驚愕の叫びを上げていたアーチャーとシロウは、全身を仕弛緩させてがっくりと床に膝を突いてるのですが、いったいどうしたのでしょう。

「えっと……聞くのも馬鹿らしいんですけど、いちおう聞きます。藤村先生、どうしてそんなカッコを……?」
「星たちが瞬く夜だからなのだー」
「……メディア、何故でしょうか」
「学校の用事で来たらしいのだけれど……突然私の部屋に押し入ってきて、お、お気に入りの一着を……」

 よよよ、と泣き崩れるメディア。というか、これがお気に入りとは、貴女の趣味嗜好はいったい……?
 そんなメディアを尻目に、大河は同じく崩れ落ちている士郎の元に足音も軽く駆け寄って、上から彼を覗き込む。

「ねーねー、士郎? おねえちゃん似合ってるかにゃ? 似合ってるかにゃ?」
「あ、あなたは今とても軽率なことをしたわ……」
「その通りだ……と、取り返しのつかないことをしてしまった……」

 だがしかし、シロウとアーチャーは相変わらず悲壮感を全身に纏ってうなだれている。
 というか私、今とっても場違いな世界にいるような気がするのですが、気のせいなのでしょうか。

「だいたい藤ねえがその格好をすること自体間違ってるって、なんでわからないんだ!」
「今だけはこやつの言う通りだ。髪が緑でもなく、ましてやロングですらない貴様が……たわけめ!」
「な、なによなによー! 私だってたまにははっちゃけたって良いじゃないのさー!」


「凛……結局、いったいなにがどういうことなんでしょうか」
「見た通りじゃない……」

 そんな光景を私と凛は、ただぼんやりと眺めていることしかできず、

「ふむ……メディアよ。おまえならば……似合うのだろうな」
「あ、その、宗一郎様……はい」

 などという怪しい会話も聞かなかったことにして、互いに深いため息をつくのでした。



第 48 回 : 2004 年 6 月 3 日「水溜り」

 昨日の夜から先ほどまで、深山市は大雨に見舞われた。
 今はすっかり雨もやみ、空の向こうには美しい虹が橋をかけていて、雲間から顔を出した太陽は橙色の光を夕暮れ時の街に投げかけている。
 だが雨の痕はいまだ家の庭に色濃く残り、そこかしこに大きな水溜りが幾つもできていた。

「……」

 その水溜りの中でも一際大きなそれの前にしゃがみこみ、私はじっと考え事をしていた。

 ――広さは言うまでもなく、深さも十分。これならばきっと問題ないでしょう。

 そうして、私はさっきふと思い立ったことを実行に移すことにした。


「……なにやってんだ、セイバー?」
「はっ! シ、シロウ!?」

 突然かけられた声に振り返ると、そこには人の足があり、辿って見上げると訝しげな表情でこちらを見下ろしているシロウの顔があった。

「お、おかえりなさいシロウ! い、いつのまに帰ったのですか!?」
「いや、ちょうど今なんだけどさ、セイバー……」
「ずいぶんと楽しそうなことしてるわねぇ……」

 にやにやと人の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている凛と目が合う。
 ッ! いけない、自分の意思とは無関係に頬が紅潮して熱くなってきた。

「い、いえ、これはですね、その……なんと言いますか、ちょっとした知的好奇心と言うのでしょうか。どうなるのかなっ、と思っただけでして、別に他意はないのです。ほ、本当にそれだけですっ!」
「あー、別にそんなに必死になって弁解しなくてもいいんだぞ、セイバー」
「そうよー。楽しそうじゃない、それ」
「で、ですからっ!」

 二人が見やった先には庭にできた中でも最大の規模を誇る水溜り――
 ――と、その水面に浮かぶ幾つもの紙でできた小さな船。

 居間にあった画用紙で作ったものですが、これがことの他頑丈でして……ではなく!

「へぇ、良くできてるじゃないこの船。でもまさかセイバーがこんな可愛らしい遊びをするとは思ってもみなかったけど」
「ほんとだ……それに何気に、隣の水溜りに水路まで作ってたんだな。こういう遊び、子供の頃良くやったけど、結構本格的だな、セイバー」
「う、うぅ……」

 反論の余地もなく次々に言われて、もはや私にできることなど俯いて二人の視線から逃れることだけしかなく。
 ……いいではないですか。少しやってみたかっただけなのです。


 結局そのあと、開き直ってシロウと二人、船を作って水溜りに浮かべて遊んだのはまた別の話。
 まるで失った童心を取り戻したかのようで、その……とても楽しかった。



第 49 回 : 2004 年 6 月 4 日「モデル」

 私は今、微動だにすることも許されない立場に追い込まれていました。
 四時間目の授業は美術の授業。本来ならば私には関係のない授業で、職員室の片隅に与えられた自分の席でのんびりとお茶でも飲んでいようと思っていたのですが――

「セイバーちゃん、今日は美術の授業のモデルをやってくれないかな?」

 ――と、大河と美術の先生に頼まれ、嫌とも言えず、学食の食券一週間分で引き受けてしまったのです。
 いえ、別に食券に目がくらんだわけではなく、大河の頼みを断るわけにもいかないと思った次第です。義理と人情は大切だと雷画も言っていましたし。ただ、貰えるものは貰っておこうと思っただけです、断るのも気が引けますし。

 さて、それはいいのですが、このモデルという役目、ただ椅子に座ってじっとしているだけなのですが、これがなかなかに辛い。
 動くことも許されない中、三十人あまりの人々の視線を一身に受けるというのも楽なことではない。
 昔、傅く多くの騎士、重臣たちの視線を玉座にて受けたことはあったが、それとこれとはわけが違う。あのときは恐れと畏敬を込めた視線だったのが、今私に向けられているのは好奇心と直向な真面目さと、そして自分で言うのもなんだが、憧憬のそれも確実に含まれている。
 そしてその中には、間違いなくシロウの視線も含まれていた。

「……」

 シロウは難しい顔で、しかし真剣な眼差しで私をじっと見つめている。それは当たりまえのことだ。これは美術の授業で、私はそのモデルなのだから。
 ……だが、しかし。

「あー、セイバーちゃん。あんまりシロウのほうばっかり見てちゃだめよう」
「なっ! そ、そんなことはありません! 馬鹿なことを言わないでほしい、大河!」
「もう、モデルが動いちゃだめでしょセイバー。藤村先生もあんまりあの子のことからかわないでください。シロウのことになるとすーぐむきになるんだから」
「凛、この仕打ち、決して忘れません……!」

 これで落ち着けというほうが無理な話だ。
 周囲から漏れ出る失笑に、私もシロウもなす術もなく頬を赤らめているしかなく――


「うーん、全部狙ったみたいにおんなじ表情してるわね、セイバーちゃんってば」
「くっ……」

 提出された絵の中の私は、例外なく俯いて、頬を赤く染め上げていた。

 ちなみに、そんな中でシロウ一人だけが絵を提出できず、放課後描き直しとなったのは無理もなく、当然の帰結として、モデルである私もそれに付き合う羽目となったのでした。



第 50 回 : 2004 年 6 月 5 日「吸血」

 その光景を見た瞬間、あっさりと私の沸点は限界を突破しました。

「な、なにをやっているのですかあなたたちはーーーっ!」

 道の真ん中で抱き合っている二人の間に割り込んで、引き剥がす。

「せ、セイバー!?」
「なにを、なにをしているのですかシロウ! このような屋外で、このような……は、はれんちな!」
「あ、いや、その……」

 シロウの襟首を掴み、事の次第を問いただす。場合によってはシロウといえど容赦することはできない。
 我がマスターがこのような人物であるなどと、もちろん看過できることではない。こうなれば、一度シロウの性根を叩き直してやる必要が……

「待ちなさい、セイバー」
「! ライダー……そうですね。シロウの前に貴女に詳しく話を聞かなければならない」

 考えてみれば、そもそもの元凶は彼女であると考えるほうが妥当だ。ライダーはどうもこの間からシロウのことを毒牙にかけようと狙っているようですし。

「ライダー、貴女がシロウをそそのかしたのですか? ……よもやシロウを無理に従わせたなどとは言うまいな」
「愚かな。士郎が無理に従わせようとしたところで唯々諾々と従うような人物ではないと、貴女が一番良く知っているでしょう、セイバー」
「む……」

 確かにその通り。いかにライダーと親しくしているとはいえ、シロウは己の意に沿わぬことに軽々しく頷くような芯の弱い人間ではない。

「ではいったい、なんだというのですかライダー。その……お互い、全て承知の上でのことだと……そう言うのですか?」
「もちろん、その通りです」
「……!」

 ライダーがそうあっさりと頷いたのを見たその瞬間、私の全身は一瞬微かに震えて、そして次に凍りついた。
 そうか……シロウも全て承知の上であのようなことを……だとしたら、シロウは――

「だーーーっ! 待った! 誤解するなセイバーッ!」
「シロウ……?」

 ――今度はシロウから割り込むようにして、襟首を掴んでいた私の手を振り解き、そして握り締めてきた。

「あのな、おまえが考えてるようなことじゃなくって、ライダーがその、困ってたから俺は」
「ライダーが?」
「ああ。なんでもいきなり吸血衝動に襲われたらしくて……だからその……ホラ」

 首を捻って見せられたシロウの首筋には、確かに二つ小さく穿たれた牙跡が残っている。そこに僅かに残された赤い血の跡が、彼女がなにをしていたかを雄弁に語っていた。
 なるほど……そういうことだったのですか。ならば、シロウが彼女の助けになろうとその身を張るのは無理もないことではある。

 ……内心、僅かに釈然としない気持ちは残るものの。

「どうだよ、変なことをしてなかったって、これでわかったろ?」
「……しかし、だからといってこのような道の真ん中で……常識というものを考えてください、シロウ」
「うっ」

 小さくうめき、視線をそらすシロウ。
 どうやら自覚はあったようですね。そして多少の後ろめたさも。
 ここはやはり、一つシロウに言い聞かせて差し上げる必要があるようですね。

「いいですかシロウ――」
「こちらからもよろしいですか、セイバー?」

 と、脇にいたライダーが口元に微笑を湛えながらそう言ってきた。

「なんですか、ライダー?」
「いえ、どうということではないのです。ですがセイバー、私とシロウに白昼堂々云々を説くというのならば」

 彼女は私の手元に視線を落とし、

「白昼堂々、そうやってしっかりと殿方の手を握り締めているというのも……まあ、仲が良いというのは美しいことですけどね」
「ッ!」
「あっ、ご、ごめんセイバー!」

 言われて私の全身は燃え上がり、シロウも慌てて私の手を離そうとしたが――

「……」
「あ――あれ? セイバー?」
「……シロウ。もういいですから帰りましょう」

 私の手はシロウの手をしっかりと握ったまま離そうとはしなかった。

「……これは罰なのです。ですから、シロウには家に帰るまでこうしていてもらわねばいけない」
「ば、ばつ?」
「はい。さ、シロウ……」

 いまだに良くわかっていない様子で首を傾げているシロウの手を引き、ライダーの前を無言で横切っていく。
 視界に一瞬、捉えた彼女は間違いなく楽しそうに、そして微笑ましそうに笑っていた。