らいおんの小ネタ劇場
第 21 回目から第 30 回目まで
そして翌日――
「何故、この面子なのでしょう、シロウ?」
「いや……俺もよくわからんけど、きっと藤ねえだ」
温泉旅行に同行するメンバーは、集めてみればいつもの面子勢揃いだった。
恐らくシロウの言う通り、昨夜のうちに大河がそれぞれに連絡したのでしょう。
「悪いな、坊主。俺たちまで誘ってもらっちまって」
「いや、俺は誘った覚えはないんだけど」
ええ、もちろん私も誘った覚えはありません。
言峰神父とかギルガメッシュなんかは特に。
「ごめんなさいね、坊や。わたしたちもご一緒させてもらうわね」
「まあ、そりゃ構いませんけど……その坊やってのはやめてくださいよ、メディアさん」
「あら、ごめんなさい。それじゃ士郎君でいいかしら?」
この夫婦はこの夫婦で、今回の旅行を新婚旅行代わりにするつもりのようだ。
せっかくの旅行なのですし……その、シロウと二人の時間も少しは……取れるのではないかと期待していたのですが……
この様子ではきっとそれも叶わない願いなのでしょう。
少しだけ……ほんの少しだけそのことを残念に思う。
だけれども、それはそれとして楽しみなことには変わりない。この時代に喚び出されて初めてこの街から外に出る。
それがこんなにも楽しみに感じられる。
今まで狭かった私の世界が、この時代で広くなるということが、こんなにも楽しい。
その後、アーチャー、ライダー、宗一郎がそれぞれ運転する車に分乗して一路温泉へと出発。
車窓の外に流れる景色がだんだん知らないものに変わっていき、それだけで心が浮き立つ。
大河曰く、
「こうして旅の目的地へと向かう道中もまた楽しいというものよ、セイバーちゃん。ねえライダーさん、お酒飲んでもいい?」
「タイガは暴れるので禁止です」
「ああ、それなら大丈夫だよライダー。藤ねえの酒ならアーチャーの車に積んどいたから」
「な、なんだってーーー!?」
とのことです。
確かに大河の言う通り、道中もまた楽しいものだとは思いますが、大河からお酒を取り上げたシロウの選択は間違いではないでしょう。
なにせ、お酒が入っていなくても大河はこうして暴れ、今もシロウの首が絞まっているのですから――
窓を開けると汐の匂いを含んだ風が飛び込んできて、髪を揺らした。
岩場に打ち寄せる波の白い飛沫が散っては引き、引いてはまた寄せて散っていく。
そんな風景を流れる車窓から眺めているだけで楽しかった。
隣を見ると、シロウが眠たそうに目を細めて既に少しずつ舟をこぎ始めている。
素直に眠ってしまえば良いのに、彼は運転しているライダーに遠慮して何とか起き続けようとしているらしい。
そんなことを気にするような彼女ではないと思いますが、シロウらしいと言えばシロウらしい。
「シロウってば眠いんだったら寝ちゃえばいいのに」
「う……いや、しかしだな」
私の反対側にいるイリヤスフィールはそんな彼を見つめてやわらかく微笑むと、そっと彼の頭を抱き寄せて自分の膝に乗せる。
「イ、イリヤ?」
「いいから、シロウはこのまま」
そして彼女は、きっとシロウにだけしか向けることのない優しげな瞳を細めると、小さく歌いだした。
「♪〜 Die Luft ist luhl und es dunkelt, Und ruig fliesst der Rhein.
Der Gipfel des Berges funkelt Im Abendsonnenschein 〜♪」
それは本当に細くて柔らかく、小さなメロディだった。
だから私は黙って開いていた窓を閉じた。
外から入り込んでくる無粋な雑音に、彼女の思いを込めた歌が消えてしまわぬように。
「♪〜 Die schOnste Jungfra sitzet Dort oben Wunderber.
Ihr goldues Geschmeide blitzet, Sie kammt ihr goldenes Haar 〜♪」
シロウは既にもう半分以上、眠りの世界へ埋没している。
大河はとっくに眠ってしまっているし、凛も桜も瞳を閉じてこの歌に聞き入っている。
そして私のまぶたも徐々に重くなってきていた。
昨晩、眠れずにいたその反動がここに至ってようやく訪れていた。
「♪〜 Den Schiffer im Kleinen Schiffe Ergreift es mit wikdem Weh.
Er schat nicht die Felsenriffe Er schat nur hinaf in HOh 〜♪」
初めて聴くこの曲がなんという曲なのかはわからない。子守唄なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
ただ、歌うイリヤスフィールの声がたとえようもないほどに甘く優しくて、眠りを誘っているというだけだ。
彼女のその声はシロウ一人に向けられているもので、私たちに与えられているのは僅かに零れたものだとしても。
シロウを見つめるイリヤスフィールの瞳はとても優しい。
いつもの、子供のように無邪気に甘える彼女ではなく、まるで弟を見守る姉のような……そんな慈愛に溢れていた。
彼女の膝の上で小さく寝息を立てながら、髪を梳かれているシロウの表情は安らかだった。
「♪〜 lch glabe die Wellen verschlingen Am Ende Schiffer und Kahn
Und das hat mit ihrem Singen Die Lorelei getan 〜♪」
Lorelei.
ああ、確かそんな歌姫の伝説を聞いたことがあるような気がする。それがいつのことだったか、誰から聞いたのかは不確かだけれど……
ただ今は、流れるローレライの歌声に身を任せ、ゆっくりと瞳を閉じることにしよう。
私の意識が眠りの淵に落ちるそのときも、小さな歌姫の歌声は柔らかく私たちを包み流れていた。
「ようこそおいでくださいましたぁっ、藤村組の皆さん!」
「うむっ、出迎えごくろー!」
まあ、雷画の知り合いという時点で大体予想はしていたのですが――
「ヤクザ……ね」
「ヤクザ……だな」
シロウと凛のつぶやきが全てを語っている通り、出迎えてくれた彼らの顔には刀傷だとか何かに穿たれたような傷跡だとかが、一人の例外なく残っていた。恐らくこのような温泉旅館を営む前はこの建物も組の事務所かなにかだったのでしょう。
「いやぁ、よくきてくれたねぇ大河ちゃん。こう言っちゃなんだけどウチの旅館、ゴールデンウィークだってのに全然お客さん来てくれなくってねぇ」
「いえいえ、こちらこそおかげさまで助かりました。持つべきは友達と客の来ない旅館ですよねー」
「「あーはっはっはっはっ」」
「いや、そこはきっと笑うところじゃない」
疲れたように指摘を入れるシロウのつぶやきにも関わらず、二人はしばらくそうして笑い続けていた。
なんというか……藤村の関係者というのは皆こうなんでしょうか?
「さて! それじゃやっぱり最初は温泉かな?」
宛がわれた部屋に荷物を下ろし、凛が窓から外を眺めながらそう言った。
南向きの窓の向こうには、今にも山の稜線に消えていきそうな太陽と、その光に紅く染め上げられた木々が連なっている。
これほど多くの自然は、冬木市ではさすがに見ることができない。
心なしか空気の匂いさえ清涼で、これだけでも来た価値があったのではないかと思えた。
「姉さん、セイバーさん、浴衣ありますよー」
「これが浴衣ですか……初めて着てみましたが、意外とスースーするのですね」
振り返ると浴衣に着替えた桜とライダーがいた。
桜はともかく、着るのに慣れていないらしいライダーは、緩んだ胸元を手で合わせている。
「……」
「……」
無言で自分自身を見下ろす私、そして凛。
いえ……別に、なにがどうというわけではないのですが。
「ああ、そういえばこの浴衣というのはは生地が薄いですからね。サクラと私を見て貴女方が劣等感を抱くのも無理はありませんが」
「黙れ牛女め」
「セイバーさん、だからといってイリヤちゃんと比べるのはあまりにも自分を追い詰めすぎだと思いますよ」
「桜、あなたは激しい勘違いをしている。私はそういうつもりでイリヤスフィールを見ていたのではない」
「じゃあ、どういうつもりでわたしのことを見てたのかしら?」
「……いえ、その温泉饅頭、私の分も残して置いていただければ、と」
「それはわたしじゃなくてタイガに言ってよ」
――などと。
温泉に入る前に、こんな他愛もなく、非常に精神的によろしくないやり取りをしていたのですが――
そのおかげで直感のスキルが働かず、隣室の男性部屋で行われていた謀議に気づかなかったのは、やはりこの身の不覚だったのでしょう。
「……どうだ、ランサー」
「……ああ、どうやら嬢ちゃんたちは今から風呂に行くらしいな」
壁にコップを当てて隣の部屋の話し声を聴いていたランサーが、アーチャーにサムズアップを出す。
アーチャーもまた、それに満足げに頷いて背後にいる男にサムズアップを出した。
「では――行くとするか」
「うむ」
「ああ」
三人の騎士は口元に笑みを浮かべ、互いの武器を抜いて交差させる。
「「「一人は皆のために、皆は一人のために!」」」
覗きの儀式に宝具を使う馬鹿と馬鹿と馬鹿。
要するにランサーとアーチャーとギルガメッシュなわけだ。
そもそも事の発端は、やはりというかなんというか、エロ担当のランサーである。
「おい、おまえら覗きにいかねぇか?」
温泉といったら覗き――見事なまでの中学生男子な思考の持ち主であるランサーの提案に、まず飛びついたのは意外にもアーチャーであった。
「まさかおまえが頷くとは思ってなかったけどな」
「フ……それはあの小僧を見てそう言っているのか? だとすれば認識を改めるのだなランサー。オレとやつは違う。オレはやつのような皮も剥けていない小僧ではない」
士郎のことを馬鹿にしているようで実は自爆しているアーチャーに笑みを見せるランサー。
そりゃあ、誰だって笑うだろうなぁ。
「それよりランサー、貴様こそ良いのか? 覗きなど……英雄とやらの誇りが傷つきはせんのか?」
「はっ! それこそ馬鹿げた話だぜ」
やれやれ、といった感じで肩をすくめる青い騎士。
そして次の瞬間、牙を剥いた獰猛な狼のような表情になり、
「この俺が覗きに懸けるのは英雄の誇りではない……漢の誇りだ」
「漢の誇り……なるほど、浪漫か」
「ああ、貴様とて持ち合わせてないとは言わせんぞ……弓兵」
そう吠えたランサーに、アーチャーは笑みを持って返した。
すなわち――それは応、ということである。ていうか、こいつら揃いも揃って反英雄だ。
「……さて、英雄王。貴様はどうするのだ?」
ゆっくりと振り返った先にいるのは英雄王・ギルガメッシュ。
そして――
「■■■■■ーーー!!」
英雄王の放った天の鎖によって雁字搦めに、いや、亀甲に縛られているバーサーカーの姿があった。
「そうか……貴様も俺たちと同じというわけか」
「無論。セイバーの裸形、この目に焼き付けずになにが英雄か」
なにもクソも、普通英雄は覗きなんてしない。
「■■■■■ーーー!!」
そうして邪悪な笑みを浮かべている反英雄たちをバーサーカーは見ていることしかできなかった。
衛宮士郎がいない今、イリヤたちを守れるのは自分だけだとわかっていた。
――わかっていたはずなのに。
『バーサーカーは、つよいね』
あの冬の森で、そういって自分に触れたあの少女を裏切ってしまう。
それなのに、自分はこうして亀甲に縛られ、あろうことか、あろうことか――!
「■■■■■ーーー!!」
バーサーカーは吠えた。贖えぬ己の罪を懺悔するように吠えた。
しかしそれでも――彼を断罪してくれる者は誰一人としていなかったのだ。
そうしてこうして今に至るわけである。
一方その頃主人公がなにをしていたのかというと――
「おお、兄ちゃんいい腕してるねぇ!」
「いやぁ、いつも家でメシ作ってるの俺なんで」
――生来のお人好しスキルを発揮して、厨房で板さんの手伝いなんかしていたのであった。
「ほお……」
立ち込める湯煙の向こう側に沈んでいく夕日を見つけて思わず感嘆の声が漏れた。
同時に夕暮れ時の冷たい風が吹き抜けて行き、僅かに身を竦めてしまう。
纏っていたタオルを外し、少しだけ冷えた身体を湯の中に沈める。
じんわりと身体に染み込んでいくぬくもりが心地よい。
「気持ちいいですね……」
「うん〜、ごくらくー、ごくらく〜」
既に大河は全身から力を抜き捨てて、ぐんにゃりとしている。私はそんな彼女の手元に日本酒がないことを確認し、知れぬように安堵の息をついた。
大河が忘れっぽい人で本当に良かった。
お酒に弱い彼女を取り押さえたり世話したりするので、この心地よいひと時を手放すのは本望ではない。
それにしても本当に気持ちがいい。
この身を撫でる冷たい風と、この身を芯から暖めるぬくもりと、そしてこの眺め。
温泉――露天風呂というのは初めてですが、こんなにも良いものだとは思っても見なかった。
「どう、セイバー? 堪能してる?」
「はい。この温泉とは、思っていたよりもずっと良い」
「それは重畳重畳……に、してもセイバーってば、色っぽいわね……」
「は? なにを言っているのですかあなたは」
にやりと笑み浮かべながら、湯の中に沈んでいる私の身体を凛の視線が舐めるように見渡す。
「白い肌がほんのりピンクになっちゃって……士郎が見たら鼻血ものね」
「なっ……し、シロウが相手とはいえそんなに容易く見せるものではありません!」
「だから例えだってば。まったく可愛いんだからなー、セイバーってば。――ねっ」
「――!?」
その瞬間、伸びてきた凛の両手が私の胸を鷲づかみにする。
「り、凛! あなたは突然なんということを……ちょっ、や、やめ……!」
「うーん、手のひらサイズでもやわっこいのねー」
て、手のひらサイズだなどと気にしていることを……
そうこうしている間にも凛の手のひらがと指が探るようにして私の胸をまさぐり、揉みしだき、眼下で私の控えめな胸が彼女の思う様に形を変えている。
ま、まだシロウにも触らせたことがないというのに!
「凛! 冗談はやめてください、いい加減にしなければそれ相応の対処をすることになる!」
「あん、もー。そんなに怒らないでよ。セイバーが可愛いのがいけないんじゃない」
「私のせいにしないでいただきたい。……まったく」
凛がようやく胸から手を離し、私は彼女から距離をとって身構える。
……前々からもしや、とは思っていたのですが、やはり凛はそちらの嗜好が強いのでしょうか。
「なによ、そんなに警戒心を抱かなくたっていいじゃない。それにしても、やっぱり絶品だったわねー。手のひらサイズで柔らかく、さりとてまだ青い芯を残した少女の乳房……うん、衛宮君にも教えてあげよう」
「よ、余計なことをしないでくださいっ!!」
「胸の小さいもの同士、戯れる様を見るのは和やかな気分になりますね、サクラ」
「そうね、ライダー。先輩は大きいのと小さいのと、どっちが好きだと思う?」
「殿方であれば当然……いえ、これ以上は酷というものでしょう」
湯船の縁に座って、すらりとした足を湯に浸けながらそのような戯言を言い合っている桜とライダーを意識の端にとどめ、私の手をひらりひらりと避ける凛を追う。
今のうちにその口を封じておかなければ凛は必ずシロウに事の次第を言うだろう。遠坂凛とはそういう女性だ。
そのような恥ずかしいことをシロウに知られて、我慢できるものではない。
「まったく、セイバーもリンも慎みってものを知らないのかしら。おフロはゆっくり、のんびりとしているのがマナーでしょう?」
言いたいことはわかりますが、そのお風呂の湯船にアヒルのおもちゃを持ち込んで遊んでいるあなたに言われたくはありません、イリヤスフィール。
「あ、おかみさーん。お銚子いっぽーん」
「はいはい」
『それはだめーーーっ!』
いつの間にか女将を呼んでお酒を頼もうとしている大河を全員一致でとめる。
まったく油断も隙もあったものではありませんね。
「ぶー、セイバーちゃんのいじわるー」
「意地悪ではありません。この件についてはシロウからも厳命されていますので」
だが、しかし。
本当に油断も隙もあったものではないのは大河ではなかった……
そう知らされるのはこの直後のことでした。
そうしてその男たちはついにアヴァロンへと辿り着いた。
と、言うよりむしろ最初から辿り着いていたと言うのが正しいのであろうか。
ランサー、アーチャー、ギルガメッシュの三馬鹿英雄、なんと露天風呂に当然のように鎮座している岩に擬態して、女性陣が来る前に忍び込んでいたのである。
この作戦の発起人であるアーチャー曰く、
『そもそもこそこそと這いずり回るようにして覗こうというのが不自然なのだ。ならば最初からそこにあるものとして堂々としていればいいのだ。天地一体、自然の存在として覗くならば、一体誰が見咎めようというのだ』
とのこと。
言ってることは立派なようだが、実際のところは犯罪者の発言である。
それはさておき、彼らの作戦は物の見事に嵌った。
セイバーをはじめとする女性陣は、彼らの存在に気づかずして衣服を脱ぎ、今も犯罪者たちの目の前でその肌を晒し、玉の肌を上気させているのである。
が。
『み、見えん!』
三馬鹿、魂の叫び。
幸いなことに、彼らが擬態している岩の周囲に湯煙がもうもうと立ち込めて視界が完全に遮られていたのである。アーチャーの鷹の目を以ってしても覗けぬほどにその壁は厚く、他の二人がどうであるかは言わずもがな。
しかもその湯煙が岩の中にまで入り込んできて、三人とも別の意味でハァハァとなっていた。
だがしかし、この程度であきらめるようならそもそも最初から女湯に忍び込むなんて大胆すぎる作戦など採りはしない。
犯罪者予備軍、っていうかそのものの三人ではあったが、いずれも幾たびの死線を潜り抜けた英雄であることに間違いはない。事ここに至って命の覚悟をしていない者などいなかったのだ。
――故に、その身体はきっとエロでできていた。
自慢にも何にもなりゃしないが。
『ふむ、やはりここはうって出るしかあるまい』
『……だな。はっ、面白くなってきやがった』
『ま、所詮は雑種の考えた策ではこの程度が限界ではあるか』
何を交わさずとも通じ合うエロとエロのシンパシー。
というわけで各自、岩に擬態したまま匍匐前進開始。目指すところは全て遠き理想郷。
言い換えると女体天国。まさにヘヴンだ。男の子なら誰しもが一度は夢見るパラダイスである。
だがしかし、これは致命的な失態であった。
彼らが女性陣に発見されずにいたその理由、アーチャー曰くところの天地一体の境地を自ら捨て去ってしまったのだ。
この世のどこに自ら動く岩などあろうか。いや、あるはずがない。
そんなあるはずのないものの気配に、彼女が気づかないわけもまたないのだ。
そう、直感スキル:Aを持つ剣の騎士が。
Interlude Out
「……」
異様な気配と何かの這いずるような音に振り返ってみれば、そこにはこちらに向かって動いている岩が三つありました。
正直……落ち込みます。たとえ一時とはいえ、このような輩の存在に気づかず、ましてや接近を許してしまうとは。平穏な日常に溺れ、浮かれた我が身の不徳とするところです。
ならばその汚名を雪ぐのも自らの手で。
「ん? セイバーちゃんどうしたの?」
「あー、大河はいいの。ホラホラ、あっちむいてほーい」
「む、イリヤちゃん。この私と勝負する気かにゃ? だったら今日の晩ゴハンのおかずを賭けて勝負なのだー」
イリヤスフィールが大河の相手をしている間に風王結界を限界し、無言で振り下ろす。
「ぬ、ぬおおっ!?」
ち、外しましたか。英雄といえど元は人間。傷つけば赤い血が流れるはずなのですが……
ま、いいでしょう。いつかは当たるはずですし。
そういえばどこかでこれに似た玩具を見たことがあるような気がしますね。確か大河が持ってきた玩具だったと思うのですが……そうそう、確か黒ひげ危機いっぱつでしたか。
「ちょっ、ま、まてっ、セイッ、セイバー! うをっ!? か、かすったではないか!」
「おかしいですね。私はこの岩に試し切りをしているだけなのですが。まあ、岩が語る口を持つはずもありませんし、問答無用ですね」
「お、おのれっ、我は王……あっ、まって、ごめ、ごめんなさい! イタッ、イタいではないかっ!」
見れば向こうでも凛がガンドを撃ち込んだり、桜が岩の中に蟲を詰め込んだりしている。
その中身は見なくても大体わかりますが、あれがシロウが歩む道の果てだとするならば、なんとも情けない話だ。
やはりシロウにはアーチャーと同じ道を歩ませてはいけない。
私がその傍にいて、必ず正しい方向へと導かねばと、そう強く想う。
まあ、それはそれとして。
今はこの犯罪者たちに制裁を。女性の肌を盗み見ようなどと、その罪は死ですら生温いのです。
「ふぅ……」
温泉の湯に一人浸かり、思わず口から吐息が零れる。
食事の後に全員で行った――と言ってもあの三人はいなかったのですが――卓球で汗をかいてしまったので、もう一度温泉にやってきたのですが、こうして夜空を空に眺めがらというのも、また格別なものですね。
ここは空気に淀みが一切なく、澄み渡っているので深山町よりもずっと空に星が多い。
まるで見上げている私を吸い込んでしまいそうな、夜空に渦を巻く色とりどりの星々。
夕刻に入ったのとはまた別の場所にあった露天風呂ですが、この素晴らしい眺めと上気した肌を撫でていく風の心地よさは少しも変わりがない。
「それにしても……変われば変わるものですね……」
身を肩まで湯に沈めながらつぶやく。
変われば変わる……それはキャスターのこと。先ほどの卓球大会、優勝したのは我々サーヴァントを抑えて宗一郎だったのだが、そのときの彼女の喜びようは、かつての彼女の面影もないものでした。
『宗一郎様……すてきです……』
などと、頬を赤く染めて瞳を潤ませ夫を見上げる様はまさに恋する娘そのもので、凛などはがっくりと膝を突いて「負けた……」とつぶやいてさえいました。
あの凛に敗北を自覚させるなどただ事ではない。
しかし、あれがキャス……いえ、メディアの本来の姿なのでしょう。
生前の彼女は愛した男に悉く裏切られ、魔女として人々に祭り上げられた悲劇の女性。元々は心清らかなる少女であったと聞いています。
であるならば、今の彼女が本来の彼女を取り戻すのも道理。
宗一郎は無口ではあるが誠実な男性だ。決してメディアを裏切らぬと断言できる。
「死してサーヴァントとなった後に幸せを掴むこともできるとは……羨ましいな」
心底からそう思う。
最良の伴侶を得て、幸せをその手にした彼女が。
叶うならば自分も――そう思わないでもないが、同時にひどくおこがましいことに思う気持ちも僅かだが残っている。
どれだけ今の生活に満足を得ていても、やはり私が本来いるべきあの時間、あの場所のことを拭うことはできない。
それは私が私でいる限り、決して忘れてはいけないことなのだから。
と、背後で戸が開く音がした。
誰が入ってきたのだろうかと振り返ると――
「シ、シロウ!?」
「セイバー!?」
そこには腰にタオルを巻きつけたシロウが立っていた。
「セ、セイバー! こ、こっちは男湯だぞ!? なんでおまえがいるんだよ!」
「それはこちらのセリフです! こちらは女湯です!」
男湯? ですが私は間違いなく女湯に入ったはずなのに……しかしシロウが嘘をつくなどとも思えない。
私たち二人が二人とも本当のことを言っているとしたら、これはいったいどういうことなのでしょうか。
「と、とにかくごめん! 俺、すぐに出るからセイバーはごゆっくり!」
そのようなことを考えている間に、シロウは慌てて出て行こうとする。
その、彼の背中に、
「あ……シロウ」
私はどうしてか声をかけていた。
「その……わ、私は構いませんが。シロウは私のマスターですし、その……特に問題はありません……」
そして何故か、あるいは当然なのか。
こんなことを言っていた。
「……」
「……」
先ほどから互いに一言もしゃべらずに無言。
背中合わせに顔も合わせられず、いったいどれだけの間このままでいたのかすらわからない。
きっと私の顔は今、真っ赤になっていることだろう。そしてそれはシロウもきっと同じだ。
合わせた背中から感じられる彼の鼓動が、私にも負けないくらいの激しさであることがはっきりと感じられる。
しかし……なぜ私は咄嗟にあんなことを言ってしまったのだろうか。
『その……わ、私は構いませんが。シロウは私のマスターですし、その……特に問題はありません……』
自分に言っておきながら何だが、問題は大いにあると思う。
そもそも、その前に覗きに来たあの三人を成敗していながら、シロウに対してはむしろ……
って、わ、私はなにを考えているのでしょうか。まったく、自分が度し難い。
「あ、あのさ、セイバー」
「!」
背後からシロウに声をかけられて鼓動がその瞬間に跳ね上がる。
「な、なんでしょうか!」
情けないくらいに動揺しているのが丸わかりの声の調子。
ただでさえ危険なほどに熱を持っている頬はますます火照り、まともに呼吸することさえ苦しくなってきた。
「あのさ……その、そろそろ上がらないか? もう結構長い間入ってるしさ、このままじゃのぼせちまうんじゃないかな、って……」
「え? え、ええ……そう、ですね」
確かに、言われてみればその通りです。
それにこのまま入っていてもシロウだって少しもくつろげないでしょう……私自身、先ほどから頭に血が上ったようにぼーっとしているのですから。
「すいませんシロウ。では私が先に」
とにかくシロウの言う通りにしようと思い、立ち上がった――
――その瞬間、私の視界は真っ暗に閉じて、最後にシロウの声が聞こえたような気がした。
「ん……」
まぶたに風を感じ、私はゆっくりと瞳を開いた。
視界が水の中にいるようにゆらゆらとして、頭がぼんやりとしている。それでもはっきりとわかる、私の傍にいる人の名前――
「――シロウ?」
「お。気づいたのかセイバー」
星がきらめく夜空を背景に、シロウが私を見下ろしている。
そしてどうやら私の頭はいつぞやのようにシロウの膝に乗せられているようだ。
「驚いたよ。立ち上がった途端、いきなり倒れてくるんだもんな。セイバー、俺が来る前からずっと入ってたんだろ? そりゃのぼせるよなぁ」
「あ、はい……すいません」
そうだ。
確か私はシロウと一緒に温泉に入っていて、それで……
「!!」
「待てっ! 急に起き上がるな!」
思い出し、身を起こした途端、また視界が暗くなって身体が揺れる。
同時に――それまで私を覆っていたらしいタオルが落ちて身体が外気に晒される。
そして、シロウの目にも。
「……ッ」
「う……」
「シロウ……見ないで……」
成す術もなくシロウの膝に頭を落としながら一瞬、喉元まで声がこみ上げたが、その殆どは零れるようにして消えてしまいこんな細い声しか出なかった。
本当に……情けない。
シロウに余計な迷惑をかけ、その挙句このざまだ。これではいざというときにマスターを護ることもできず、逆に護られるだけの足手まといにしかならない。
「……はぁ。ったく」
と、シロウは呆れたようなため息をついて、顔をそらしながら落ちたタオルを再び身体にかけてくれた。
それを今度は落ちたりしないように握り締めて、激しい自己嫌悪に陥る。
「とりあえずセイバー、その……見ちまった。ごめん」
「……はい」
言われて今度は羞恥に頬が火照る。
自分でも女らしくないと自覚している身体を見られるのは……正直恥ずかしい。
もっと桜たちのような身体だったら良かったのにと、そう思う。
「それからな……えーと、その、なんだ。……キレイだった」
「……え」
「や、俺はなにを言っているんだろうな。ははっ、ははははっ! あー、ごめんっ、忘れてくれっ。頼むッ!」
「……」
私の頭上で慌てたように手を振り回して顔を真っ赤にしているシロウ。
「……シロウ」
「ん、ん?」
「先ほどのお話ですが、お断りします。――その、忘れろという話ですが」
そんな彼を見ていると、自然に笑いがこみ上げてきて、情けない自分のことなど簡単に忘れてしまった。
だからその代わりに――
「嬉しかったですから」
「う……」
――シロウ、あなたが言ってくれた言葉だけは忘れずに覚えておきましょう。
「? どうしたんですか、シロウ」
「……うっせ。おまえ、ときどき反則なんだよ」
「はんそく……?」
シロウの言っている意味はイマイチ良くわかりませんが……
しかし、変わったのはメディアだけでなく……私も同じですね。
あの頃はシロウに肌を見られることも何も感じなかった。そして恐らくきっと、キレイと言われても同じだったでしょう。むしろ戦いには何の関係もないことと切り捨てていたでしょう。
それが今ではシロウの挙動一つ言葉一つでこんなにも心が動かされる。
不思議なものです。
この時代でシロウと共に多くの人たちに触れ合い生活することで、まだわずか数ヶ月の時しか流れていないというのに、私はこんなにも変わっている。
時としてそのことに不安を感じることもあるけれど、私は―ー。
「シロウ」
「な、なんだよ……」
「いえ……これからもいろいろと私を……よろしくお願いします」
「あ? あ、ああ。よくわからないけどこちらこそよろしく」
手をさし伸ばしシロウの手を握り締める。
彼の手は大きくて、ごつごつしていて暖かくて、そして少しだけ温泉のお湯にふやけていた。
温泉に入り、覗かれ、卓球をして混浴した初めての旅行は終わり、私たちは数日振りに我が家に帰ってきていた。
宗一郎とメディアとは既に別れを告げ、彼らは柳洞寺へと帰っていった。
ところでここのところ、あちらに行ってからずっとメディアの肌の艶がやけに輝いていたような気がするのですが――いったい何があったのでしょう。逆に宗一郎が妙に疲れ気味だったことと関係が?
まあ、あの夫婦のことですし、細かいことは気にしても意味のないことなのでしょう。
「んー、それにしても少し離れてただけだっていうのに、ずいぶんと久しぶりな気がするわねー、家に帰ってくるのも」
「それには同意しますが凛、ここはあなたの家ではないのですが」
「そうよー、遠坂さんってばここのところずっと入り浸ってるけど、ここは私と士郎の家なんだから」
「いえ、あなたの家もここではありません、大河」
正確にはここは私とシロウの家なのであって、他の人たちはよく出入りする客という立場である。
もっとも既に家に部屋まで持っている人間を客と呼べるかどうかは微妙なところなのですが、私としてはここは譲れない線なのです。
「ま、お互い久しぶりに帰ってきたんだしさ、とりあえずみんなうちでゆっくりしてけよ。なんだったら晩メシ食ってくか?」
「では、士郎。私はこの車を置いたらまた戻ってきます」
「ああ、そうしてくれ。待ってるからさ、ライダー」
「はい。ありがとう、士郎」
にこりと笑って手を振ると、ライダーは再び車を運転して走っていった。
考えてみれば今回の旅行、彼女にはずいぶんと世話になった。行きと帰りの長い時間車を運転するのはいかにライダーのサーヴァントといえど疲労を感じないはずがない。
「さてイリヤ、今日は何が食いたい? リクエストに答えてやるぞ」
「え! ホント?」
「ぶーぶー、士郎ってばイリヤちゃんばっかりずるいじゃないのよぅ。たまにはおねえちゃんの言うことだって聞いてくれたっていいじゃない」
「それじゃ藤村先生のわがままはわたしが聞いてあげます。何が食べたいですか?」
「わーい! だから桜ちゃん大好きだよぅ」
旅行から帰ってきた途端、この調子でもういつもの私たちに戻っている。
たまの旅行も良いものですが……結局一番落ち着けるのは住み慣れた我が家といったところなのでしょうか。
かく言う私も、そろそろシロウの作ってくれる食事が恋しい。
旅館でいただいた食事も大変美味しかったのですが、それでも私にとってはやはりシロウの料理が一番のようだ。
談笑しながらただいまを言って玄関に上がる。
本当に、ほんの少ししか離れていなかったのに懐かしい我が家。
そして私は最後に玄関に上がってきたシロウを振り返り、
「おかえりなさい、シロウ」
笑顔で帰ってきた彼を出迎えた。
「ねえところでさ、アーチャーとかランサーとか、ギルガメッシュとかはどうしたのよ」
『あ』
そういえば彼らのことをすっかり忘れていました。
と、居間から聞こえてくるテレビの音。
「ねえねえ! もしかしてこれのことじゃない?」
『本日未明、温泉街として有名な観光地である○○町で、身元不明の男性三人の……』
ええ、間違いありません。きっとこれです。
目元に黒い線が入ってますが誰がどう見たってあの三人です。あんな赤かったり青かったり金ぴかだったりするのがこの世に他にいるわけがない。
「……なあ、やっぱり引き取りに行かなきゃいけないのかな、これ」
「……放っておいても自力で帰ってくるんじゃないでしょうか。腐っても英雄ですから」
こちらを見つめるシロウの視線から顔を背けて答える。
もちろん私たちには何の罪も疚しいところもないのですが――
『そのうちの一人は「我は王であるぞ雑種ども」と訳のわからないことを繰り返しており警察は……』
――まあ、迷惑をかける地元の警察の方々には少々申し訳ないというかなんと言うか。
「まあ、とりあえずあの金ぴかには帰ってきたらもう一度、今の世の中の常識ってやつを再教育してやる必要があるわね……」
同感です、凛。
今度こそ忘れられないよう、その脳裏に叩き込んでやりましょう。
「凛、ひとつ聞きたいのですが」
「ん、なによ」
私は今日こそは、という決意を胸に、目の前で寝そべっている彼女に声をかけた。
時計の針は既に午後の十時を指している。本来ならば彼女――遠坂凛は自分の家に帰ってもいい時間帯である。
で、あるにも関わらず、
「凛、あなたは一体いつになったら自分の家に帰るのですか?」
「む。なによセイバー。わたしがいるのは邪魔だって言うの? そんなに士郎と二人っきりになりたいのかしら」
「そ、そういうことではなく……そもそもあなたが帰ったところで誰かしら泊まっていくのですから、シロウと二人っきりになどなれない……ではありません! 凛、あなたはここ三日間ほどずっと入り浸りではないですか!」
そう、凛は既に三日間もずっとこの家に泊まりっぱなしで一度も家に帰っていないのです。
今までは一週間のうち泊まるのは二日くらいで、きちんと家にも帰っていたのに、今週はまだ水曜日の時点で既に記録を更新しています。
おかげで、それを知ったイリヤスフィールまで、このところ妙に怪しい動きを見せている。そうなれば桜や大河まで同じ行動に出るのは必定。
ここはそもそもの原因たる凛には帰っていただかなければ収まらないでしょう。
「しろーう、お茶とお茶菓子ちょうだーい」
「凛! ひとの話を聞いているのですか!?」
「聞いてるわよ……で、セイバーは何が不満なの? わたしがいようがいまいが、結局のところセイバーは士郎と二人っきりになれないんでしょ? だったら別にいいじゃない」
「で、ですからシロウは関係なくてですね……いえ、関係はあるのですが」
まったく、どうして凛はすぐにそうして事を男女の関係に結びつけたがるのか……
「正直に言いますと、このところシロウへの負荷が大きくなっているように思うのです。学校から帰ってきて買い物に行き、食事を作り、掃除洗濯お風呂の支度……もちろんこの私もできるだけシロウの力になろうと尽力はしていますが、それでも追いつかないのが現状なのです」
「ふむ、なるほど……確かにちょっと士郎に甘えすぎてたところはあるわね」
「そうでしょうとも」
凛はこうして自分の過ちを素直に認めることができる人で、それは彼女の大きな長所であると思う。
とにかく、わかってくれたのであれば話は早い。
「では、凛。そういうことですので申し訳ありませんが」
「わかったわ。明日からわたしも家事の手伝いをすればいいのね」
「って、どうしてそうなるんですか!」
それは要するに今日も明日も凛はこの家に泊まっていくということではありませんか!
語気も荒く詰め寄る私に、凛はしれっとした様子で、
「なによ。そうすれば万事解決じゃない。わたしは堂々と家にいれるし、士郎の負担も減るし。一石二鳥じゃない」
「くっ……」
確かに、確かにその通りですが……
しかし釈然としないものがあります。どうして誰も彼もシロウの傍に居たがるのか。
「……しかし凛、それではあなたの屋敷はどうするのですか。そのまま放って置いて良いとでも言うのですか?」
半分悔し紛れに言ったその言葉に凛は、
「ああ、それなら大丈夫。その辺りの掃除とか結界の維持とかは全部アーチャーに任せてきたから」
「……アーチャーに?」
「うん。あいつってば『大丈夫だよ遠坂、オレもがんばるから』ってすっごいいい笑顔で言ってくれたわよ」
「……はあ」
そんなことを、彼女まで笑顔で言ってのけた。それはなんとも彼女らしく、まさに遠坂凛の――あかいあくまの笑顔と称されるモノであった。
「とおさかー、お茶入ったから取りに来いよ」
「んー、今行くー」
シロウに呼ばれて凛は素早く立ち上がり、笑顔を振りまいて彼の元に行く。
……シロウ。あなたは私が、この私がきっと正しく導いて見せます。
きっとアーチャーのような哀れな存在にはならないでください。