らいおんの小ネタ劇場

第 81 回目から第 90 回目まで


第 81 回 : 2004 年 7 月 14 日「真夏の前の日」

「あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜」

 扇風機の前で遊んでいるイリヤスフィールを横目に、テーブルの上に突っ伏している私。こうしていると少しだけ頬がひんやりとして、気持ちがいいのです。ただ、すぐにじっとりとなってきてしまうので、頻繁に位置を変えなければいけないのですが。

 ……たるんでいます。自覚はしている。
 でも日本の夏は暑すぎます。これでまだ本格的な夏が後に控えているというのだから、今からその時を思うだけで憂鬱な気分になる。
 聖杯戦争があった冬は全く問題なかったというのに……どうやら私は暑さに弱いらしい。

「ね゛え゛……セ゛イ゛バー」
「はい、なんですか?」

 イリヤスフィールが扇風機の真正面に陣取ったまま話しかけてきた――が、やはり話しにくいと思ったのか、きちんとこちらに顔を向けてきた。
 彼女の銀色の髪が扇風機の風に煽られ、ばたばたと暴れる。

「ああもう、こういうときは長い髪って困りものなんだから」

 頬を膨らませ、イリヤスフィールは鬱陶しげに髪を手で押さえた。
 そう言いながらも彼女が自分の髪を切ることはおそらくないだろうと思う。というのも、シロウはイリヤスフィールの髪をいたく気に入っていて、事あるごとに誉めているからなのですが……そんな自慢の髪であっても、猛暑の前ではただ鬱陶しいだけのものに成り下がってしまう。

「ん、もう! こうしてやるんだから!」

 どうやら我慢の限界に達したらしいイリヤスフィールは、髪を後頭部の辺りで掴み、編み上げた魔力で束ねて纏める。
 確かぽにーてーるとか言いましたか。その髪型を即席で作り上げると、彼女は一つ頷き、ようやく満足したように笑顔になった。

「これでよし……でね、セイバーはサーヴァントなんだし、夏の暑さなんてどうだってできるでしょ?」
「ええ、確かにあなたの言う通りです」

 私はサーヴァントである。この身は受肉した肉体ではなく、あくまで魔力で編み上げられた仮初の肉に過ぎない。
 故に、その気になれば夏の暑さも冬の寒さも、まるで感じぬようにすることは可能だ。

「だよねー、だったらなんでそうしないの?」
「何故と言われても、たいした理由ではありませんが……ただ、シロウもあなたも暑い思いをしているのに、私だけこの暑さから逃れるのは不公平だと思っただけです」
「ふぅん……律儀なものね。単にシロウと一緒なのがいいだけじゃないの?」
「否定はしませんが……ただそれだけのために、というにはこの暑さは厳しすぎる」
「……そうねー」

 それで納得したのか、ただ単にどうでも良くなったのか。
 どちらかはわからないが、とにかくイリヤスフィールは用が済んだとばかりに再び扇風機に顔を向けた。
 彼女の髪は絹糸のように細くて軽い。束ねた髪が風に流され、畳と水平になっていた。なんとなく、五月頃に見た鯉幟を思い出した。

「ただいま〜」

 と、玄関のほうからシロウの声が聞こえてきた。心なしかいつもより張りがないのは、彼もまたこの暑さにやられているからなのだろう。日の光から逃れられる屋内ではなく、ずっと外を歩いていたのだから尚更だ。

「ただいま二人とも……って、見事にだらけきってるなー」
「おかえりなさい、シロウ」
「お゛か゛え゛り゛〜〜〜」
「お、珍しいなイリヤ。今日はポニーテールにしてるのか?」
「似合う?」
「ああ、似合う似合う。見慣れてないから新鮮だなー」

 シロウに誉められて、心底嬉しそうに笑うイリヤスフィール。だが、いつものようにそこから飛びつかないのは、やっぱり暑いからなのだろう。彼女は寒いのは苦手だ、と言っていましたがどうやら暑いのも同様に苦手らしい。

「それにしても今日はほんとに暑いな。テレビじゃ真夏日だって言ってたけど、この調子じゃ今年の夏はとんでもないことになるぞ」
「やはりそうなのですか……こんな日がこれから毎日続くと」
「ああ、そういえばセイバーは日本の夏は初めてだっけ」
「はい。ブリテンの夏はもっとすごしやすいですから……」
「そっか。それじゃしょうがないけど、慣れてくれよ」
「あ……は、はい」

 彼の言葉に、一瞬だけ夏の暑さを忘れた。
 きっとシロウは何気なく言った言葉なのだろう。だが、その裏を返せば――

「ああ、そうだ。昨日の帰りにアイス買ってきてたんだけど、二人とも食べるだろ?」
「アイス!? 食べるー!」
「私もいただきます」

 冷蔵庫で良く冷えていたアイスを受け取って、頬に当てる。ひんやりと冷たくて気持ちがいい。

 真夏の前の真夏日に、良く冷えたアイスはこの上ないご馳走でした。
 今日はそんな日。




第 82 回 : 2004 年 7 月 17 日「水着を買おう」

「もうすぐ海の日ですね」

 何気なくそう言ったのは桜でした。

「海かー、そういえばもう何年も行ってないわね」

 そう言ったのは凛でした。

「じゃあ週末は海に泳ぎに行くのだー!」

 叫んだのは大河でした。
 この間、わずか三十秒足らず。相変わらずの即断即決です。週末はバイトだ、と主張しているシロウの意見など聞く耳持たず、大河は先手を取ってシロウのバイト先に連絡をしてしまいました。
 私自身は海に行くのは構わない、というかむしろ楽しみなのですが、問題がひとつだけある。

「私、水着持っていないのですが……」


 というわけで新都に水着を買いに来たのですが――

「り、凛! これはその……少々布地が少ないのではありませんか?」
「えー、そんなことないわよ。似合ってるじゃない。士郎! あんたもそこで天井見てないでこっち来て一緒に見繕いなさいよ!」
「ば――馬鹿言ってんじゃねえ! だいたい俺に女の子の水着なんてわかるもんか!」
「そういう問題じゃないのよ! それでもあんた、この子のマスターなの!?」
「そ、それこそ関係ないじゃないか!」

 凛とシロウが言い争うのを聞きながら、渡された水着に目を落とす。
 こんな……胸と腰周りしか隠さないようなものを着るのは、いくらなんでもさすがに無理です。このまま凛に任せっぱなしでは、きっと面白がってこんなものばかり選んでくるでしょう。
 かと言って自分で選ぼうにも、私に水着の善し悪しなどわかるはずがない。桜は桜で、向こう側で紺色の水着を手に怪しげな笑みを浮かべているし……彼女に頼むのも危険であると、私の直感が警報を最大限にして告げている。
 だとしたら、他に頼めるなど一人しかないではないですか。

 振り返れば、彼はまだ凛と激しく言い争っていて、少し離れたところで店員の女性が二人を止めるべきかどうか悩んでいた。

「シロウ、凛。周囲に迷惑がかかりますから、このようなところで争わないでください」
「あ、ああ、ごめん」
「ふん。こいつが悪いのよ。いつまでもグズグズ言ってはっきりしないんだもの」
「はい、そのことなのですが……シロウ」

 正面から向き直って、下からシロウを見上げる。彼の瞳の位置は以前より少し高くなって……背が伸びたのでしょうか。

「よろしければシロウが選んではくれないでしょうか」
「え゛?」
「……む」
「私ではその……水着のことなど良くわかりませんし、凛の選ぶのは少し恥ずかしいですし、それに――」

 背後にいる彼女をそっと窺う。

「フフ……セイバーさんなら幼女体型ですし、きっと似合います……」
「――桜はあの調子ですし」
「我が妹ながら……あの子、いつのまにあんなマニアックな子に……」
「ですからシロウ、ここは私を助けると思って、どうかお願いします」
「うっ……!」

 自分を紅潮させて、一歩あとずさるシロウ。背中が柱にぶつかって、逃げ場をなくす。
 引きつった表情は羞恥と困惑と恐れが浮かんでいて、彼の精神状態がどれだけ追い込まれているのかが如実に見て取れる。私とてシロウをここまで追い詰めるのは本意ではないのだが……

 すいません、シロウ。私も自分が可愛いのです。



第 83 回 : 2004 年 7 月 18 日「海に行こう」

 前回と同じようにライダーの車に乗って海へ。

「ねえ、シロウ。窓開けてもいい?」
「ああ、いいんじゃないか」

 視線で伺ってきたシロウに私たちが頷いて、イリヤスフィールが車窓を開ける。

「うわぁ、やっぱりなまぐさーい!」

 髪を海風にたなびかせている彼女の言葉に思わず苦笑する。海を見るのは五月の連休中、やはり車の中で見た時以来のことですが、その時もやっぱり彼女は同じように生臭いと声を上げていた。私にしてみれば、この潮の香りの中にこそ海を感じるのですが。

 窓の外に広がる海は天頂にある太陽の光を照り返して虹色の輝きを放っている。横たわる砂浜は白く長く伸びて、寄せる波を返していた。
 私は海は戦でしか知らない。軍船を並べ、敵国に攻め入り時に迎え撃つ。私にとって海は戦場でしかなかった。
 眼下に見下ろす海では、たくさんの人が思い思いに戯れている。砂浜に身を横たえる者、海に入って泳ぐ者、それぞれだ。
 そんな光景を見下ろしながら、私の胸はわけもなく昂ぶっていた。


「じゃあ、着替えたら浜で合流ね。シロウとバーサーカーはそれまでにパラソルを立てておくこと」
「人使い荒いな遠坂……」
「■■■■ーーー!」

 下にすでに水着を着込んでいるらしいシロウたちと別れて、私たちは更衣室に向かう。
 ……わけもなく緊張してきた。ただ水着を着てシロウの前に立つだけだというのに。

「ねえ、セイバー」
「は、なんでしょうかイリヤスフィール?」

 呼ばれて見下ろすと、何故かイリヤスフィールが少々不機嫌な表情で私を見上げている。

「セイバーの水着って、シロウに買ってもらったやつなんでしょ? ズルイ」
「い、いえ。それは違います。買ってもらったわけではなく、選んでもらっただけで……」
「それで十分よ。ふんだ。わたしなんてサクラが選んだ水着なのに」

 言いたいことはそれだけだったのか、イリヤスフィールは頬を少し膨らませてそっぽを向く。彼女にしてみれば、自分もシロウに選んでもらいたかったのでしょうが、あの時いなかったのが運の尽きとでもいうのでしょうか。

 歩きながら浜辺と海を眺める。
 視界の端から端まで埋め尽くす、群青の大海原。寄せては返す波の白い飛沫がここまで飛んできて頬に触れる。水平線の遠い向こう側には我が祖国があるのでしょうが……当然のことながら見えるはずもない。

「それにしても、ほんとに暑いわね」
「ええ、本当に」

 じりじりと地面を焦がさんとしているかのように厳しい日差しが私たちの肌にも容赦なく突き刺さり、焼けたコンクリートの熱は、サンダルを通して足の裏にまで伝わってきている。
 手をかざして空を見上げる。
 直視できない太陽から降り注いでいる光の色はいつか見た虹と同じ色だった。

「とりあえずサンオイル塗らなきゃね。紫外線はお肌の敵だし」

 凛がブラウスから伸びる白い腕をさすりながらつぶやいた。

「さんおいるとはなんですか?」
「ん? セイバーちゃん知らないの?」
「ええ、申し訳ありません。まだ少々疎いもので。教えていただければ助かります、大河」
「紫外線から肌を守るためのオイルですよ、セイバーさん。強い紫外線は毒ですから……塗っておいたほうがいいですよ」
「ふむ、そうなのですか。ありがとう桜」
「って、なんで桜ちゃんが答えちゃうのよぅー」

 出番を取られたからか、大河が腕を振り回して文句を言う。
 麦藁帽子に白地のTシャツ。彼女が暴れるたびに、コンクリートに映った麦藁帽子の影がゆらゆらと揺れる。

「それじゃ藤村先生は、サンオイルってなんだと思ってたんですか?」
「決まってるじゃないそんなの。士郎に塗ってもらうぬるぬるしたやつでしょー?」
「……というわけです、セイバーさん」
「はい。良くわかりました桜」

 『なんだその失礼な反応わー』とか『ねんちょうしゃに対する敬意が足りないんじゃないのようー』とか大河が騒いでいるが、無論きっぱりと無視です。

「セイバーさんもちゃんとサンオイル塗らないと駄目ですよ。そんなに肌真っ白で、紫外線には弱そうなんですから」
「む。如何な天然自然の存在といえど、私が太陽の光よりも弱いなどと。訂正してください、桜」
「だからそーいうことじゃないわよ、セイバー。いいから黙ってオイル塗っとけばいいの」

 ふむ……いまいち釈然としないものがありますが、凛までそう言うのでしたら敢えて逆らう理由もない。

 その時、ひときわ強い海風が吹いて、大河がかぶっていた帽子が私の手元に飛んできた。
 ところどころ網のほつれた、幅広の麦藁帽子。
 なんとなく自分でかぶり直して、はためく白いワンピースの裾を片手で押さえる。

 海はどこまでも広くて大きくて、包み込まれそうなその雄大さに、わけもなく私の胸は高鳴っていた。



第 84 回 : 2004 年 7 月 19 日「お披露目しよう」

 さくさく、と砂を食む音が足元から聞こえてくる。そして時折混じる貝殻を踏む感触。
 薄いパーカーを貫いて肌に突き刺さる日差しは痛いくらいに厳しく、白い砂浜に反射する光が目にまぶしい。

「シーローウー!」
「おっ、来たかみんな――ってうわぁぁぁっ!?」

 砂を蹴り上げながら走っていったイリヤスフィールが飛びついて、シロウを砂浜に押し倒す。いつものことと誰も何も言わないが、双方とも水着姿ですからその……少々問題があるような気もするのですが……

「シロウ! シロウシロウ! 海だよ、泳ごっ!」
「わ、わかったからとりあえずどいてくれイリヤ……というか、なんなんだおまえ、その水着っ!?」
「ん? サクラから貰ったんだけど、何かヘンなの、これ?」

 イリヤスフィールが水着の胸元を引っ張って自分を見下ろす。
 変と言うか、似合ってはいるのですが、少なくとも周囲に彼女と同じ水着を着ている人などいるはずもない。ああ、浮いているという意味では変と言えば変なのでしょうか。

「だいたいなんでスクール水着なんだよ」
「なんでだろ。サクラに聞かないとわかんなーい」
「桜もなんだってまた……こんな特殊な」
「ふふっ、似合ってますよね、先輩」

 そう言ってクーラーボックスを手にやってきた桜はさすがにすくーる水着とかいう幼げな水着ではなく普通の水着だ。
 薄桃色の上に白い花びらが散っているのが『桜』を思わせて、彼女には良く似合っている。

「どうですか先輩? 今日のために新しく買ってきたんです」
「あ、ああ……良く似合ってる。ライダーもな」

 前屈みになって覗き込んでくる桜から赤くなって目を逸らし、背後にいたライダーに目を向けて彼女にも賛美の言葉を投げかけた。その言葉を受けたライダーも、満更ではないように薄く微笑み、小さく頷く。
 確かにシロウの言う通り、胸元がやや深めに切れ込んでいるだけの黒い水着は、シンプルではあったが彼女に良く似合っていた。

「おっ、ちゃんとパラソル立ってるじゃない、ごくろーごくろー」
「いいですけど藤村先生、歩きながら食べないでください。みっともないですよ」

 凛が両手に缶ジュースを入れた袋を提げて、そして大河が焼きそばを食べながらやってきた。二人には飲み物の買出しをお願いしていたのですが、どうやら余計なものまで買ってきたようですね。

「うーん、やっぱり海と言ったらまずいラーメン、もしくは焼きそばねー」
「まずいものを食べてなにがそんなに嬉しいのかわからんが、少しは働け藤ねえ。悪いな、遠坂」
「構わないわよ、別に。……それより士郎、わたしにはなにか言うことないのかしら?」

 持っていた袋を下ろし、腰に手を当てて自分自身を見せ付けるように仁王立ちする凛。
 彼女の水着は、彼女が私に勧めてきた胸元と腰周りのみを覆うだけのものだ。何でもビキニというらしいが、少なくとも私にあの水着を着る勇気はない。
 だがしかし、シロウとて男性。男性にとって女性の肌というのが格別の意味を持っているのは、私とて子供ではないのだからわかっている。現にシロウも、自分の前に立っている凛を、ぼーっと、まるで時間が止まったかのように見つめている。
 さすがの凛もそんな不躾な視線に羞恥心を起こされたのか、頬を赤くした。

「ちょ、ちょっと! そんなまじまじと見ないでさっさと……」
「あ、いや。うん、ごめん。似合ってるぞ遠坂。いや、ほんとに」
「……な、ならいいのよ。ばか」

 一切の虚飾のない、シロウの言葉に凛の顔は更に赤く染まり、そんな自分を見せまいとするかのようにシロウに背中を見せて黙り込んでしまう。
 が、彼のほうからは見えなくなってしまった凛の頬がひくひくと微妙に引きつっているのがここからだと良くわかる。あれはにやつきそうになっている自分を必死になって抑えている表情だ。
 ……まったく、なんとも凛らしい。

「ねえねえ、士郎ー、お姉ちゃんになんか言うことはないの?」
「あ? ああ……藤ねえは、その、なんだ……」

 大河に聞かれて我に帰ったシロウは、彼女の姿を上から下まで見渡して、

「とりあえず、海に来てまでコスプレはどうかと思うんだが」

 いつぞや柳洞寺のメディアの部屋で着ていたのと同じデザインの彼女の水着を見て、そうつぶやいた。


「ところでシロウ、バーサーカーはどこ行ったの?」
「ん? あいつならゴムボートを……おっ、帰ってきた」
「■■、■■■ーーー!」
「おかえり、バーサーカー!」
「それにしても、ギリシャ神話の英雄がゴムボートを借りにお遣いっていうのもすごい話ね……」

 帰ってきたバーサーカーと戯れているイリヤスフィールを見ながら凛が呆れたようにつぶやく。
 私も全くその通りだと思いますが、とは言っても私自身これでもブリテンの英雄と呼ばれた身ですからなんとも――

「で、セイバー」
「――はい? なんですか凛」
「なんだじゃなくって、あんたはいつまでそこでそうしているのよ」

 凛の一言でその場の全員が一斉にこちらを振り向く。
 すなわち――ライダーの背後に隠れている私のほうを。

「こ、これは別に、隠れているというわけではなくって……その」
「あー、誰もそんなこと聞いてないわよ。いつまでもそうしてないでとっとと出てきなさいって言ってるの」
「そうですね。私もこのまま柱の影のように扱われるのはあまり気分が良くはありませんし」
「で、ですが……」

 そのようなことを言われても、こうも注目を集めていては出ようにも前に出にくい。
 しかし、

「セイバー? どうしたんだよ」
「うっ、シ、シロウ……」

 彼にまで不思議そうな表情で首を傾げられては、さすがにこれ以上このままでいるわけにもいかない。
 覚悟を決めて、ライダーの影から姿を前に現す。

 と――

「ったくほら、せっかく買ってきたんだからこんなもんもとっとと脱ぐ!」
「ひゃっ! な、なにをするのですか凛!」

 羽織っていたパーカーを脇から凛に取り上げられて、私の肌は日の光に晒された。
 そして当然……シロウの視線にも。

「…………」
「あ、あの……」

 シロウが選んでくれた水着は、ライダーと同じで本当にシンプルなものだった。
 ワンピースタイプの、真っ白な水着。腰に巻きつけた、薄い青地に花をあしらったパレオという布が他の誰かと違うところといえば違うところだ。
 凛などはもっと柄の激しい水着などを勧めてくれたのだが、シロウは、

『いや、セイバーにはこのくらいの控えめなのが多分似合うと思うから』

 と、そう言ってくれた。だから私もこの水着を選んだのだが、こうしていざ着て前に出て、シロウはいったいなんと思っただろうか。

「シロウ……その、やっぱり私は……」
「……うん。やっぱり思った通りだ。良く似合ってるよ、セイバー」
「!」

 しばらくの間、私をじっと見ていたシロウは一つ大きく頷いてそう言ってくれた。
 言われて、最初にこみ上げてきたのは安堵だった。その次にようやく、良かった、とそんな気持ちを実感した。

「……ま、あいつじゃあの程度が精一杯でしょうけど……良かったじゃない、セイバー」
「凛……はい」

 私だけに聞こえるようにそっと耳打ちする凛の言葉に素直に頷く。心底から私は、そう思っていた。


「なあ、ところでさ。バーサーカーって大丈夫なのか?」
「ん? なにがよ」

 シロウが隣に立っているバーサーカーを指差して聞いてくる。
 指を差されて、バーサーカーは『■■■?』と首を傾げ、そのマスターであるイリヤスフィールも同じように小さく首を傾げている。

「いやほら、ここって冬木市じゃないだろ? あそこの人たちなら慣れてるだろうからともかく、そうじゃない人たちからしたらさ」
「ああ、そのこと? だったら平気よ。バーサーカーには他者からの認識を狂わせる魔術をかけてるもの。そう大した効果はないけれど、バーサーカーのことを知らない人たちを騙すくらいはわけないわ。だから今、周りの人たちからすれば、バーサーカーは人よりもちょっと背の高い人、くらいにしか見えてないはずよ」

 なるほど、さすがは凛です。用意は周到というわけですか。
 ……だがしかし、それにしては――

「――しかし凛、妙に周囲の人々の視線がバーサーカーに集まっているような気がするのですが」
「え、え? そうかしら……」
「セイバーの言う通りだな。おい、バーサーカー、おまえなんかやったか?」
「■■■、■■■■■■ーーー!」

 濡れ衣だ、と言わんばかりに激しくてと首を振るバーサーカー。ふむ、この様子では何もしていないようですね。
 もっとも普段の彼はひどく大人しく、正直者で品行方正だ。時折私を散歩に連れ出したがるくらいで、全くの人畜無害なのですからそのような心配などする必要はないのですが……しかし、それならばいったい?

「ねえ、リン。ちょっと聞きたいんだけど」
「な、なによイリヤ。ちゃんと正常に魔術効果が働いてることくらい、あなただったらわかるでしょ?」
「うん、それはそうなんだけどね」

 と、それまで小首を傾げていたイリヤスフィールが顎に人差し指を当てたまま顔を上げた。

「バーサーカーの声って、周りの人にはどう聞こえてるのかなーって」

 聞いたイリヤスフィールを始めとして、私、シロウ、桜とライダー、それから良くわかっていない様子の大河の視線が一斉に凛に集まる。
 そして私たち全員の注目浴びた凛は、腕を組み顎に手を当て、しばし考え込むように宙を見つめた後――

「……えへっ、忘れちゃった」

 ――ぺろっ、と舌を出してそれはそれは可愛らしくうっかりを告白したのでした。



第 85 回 : 2004 年 7 月 20 日「海で遊ぼう」

「…………」

 見つめている足元に波が押し寄せて、温い海水でくるぶしまで浸される。とろりとした感触に包まれると、急に足元が柔らかくなって不安定になる。
 そこに引き波が訪れる。
 ざぁ、っという音と共に足元を浸していた波は一気に遠い沖にさっていき、足元の砂がさらわれて私自身の世界もぐらりと揺れた。

「波遊びですか、セイバーさん?」
「い、いえ、別に遊んでいるつもりではないのですが……これは、不思議な感覚ですね」
「ところでイリヤちゃんとバーサーカーさんはどうしてるんですか?」
「ああ、あの二人でしたらあそこにいます」

 指差した先には波間に揺れるゴムボートとそれを引いているバーサーカーの長身の姿が見える――というか、高速で移動しているのですが……あれではもーたーぼーととか言う船とそう変わりありませんね。
 私の隣でその様子を同じように見つめていた桜も同じ感想を抱いたのか、呆れたようにつぶやく。

「バーサーカーさん、相変わらずすごいですね……」
「ええ。ギリシャ神話最強の英雄ですし。イリヤスフィールも楽しんでいるからいいのですが、交通事故を起こさないかどうかだけが心配です」
「この場合、交通事故というより海難事故ですね」

 器用に人を避けながら海面を疾走していくゴムボートとはしゃいでいるイリヤスフィールを眺めながら、二人並んでぽつりとつぶやく。
 じりじりと照りつける太陽の光が肌に痛い。周りに城のように壮大な雲を従えて、太陽は四方に強い輝きを放っていた。

「ところで桜、シロウはどうしたのですか?」
「先輩ですか? 先輩だったら姉さんとライダーに捕まってサンオイル塗らされてました」
「ああ、そういえばそんなことを言っていましたね……」

 と、首を彼らがいるほうに向けると、シロウが砂浜にうつ伏せになっている凛の背中に何かを塗っている様が見て取れる。その隣にはすでにライダーも同じように横たわっていて、順番待ちしているようだった。
 ここからでもシロウを従わせている凛の表情が良く見て取れる。いつもの彼をからかっている、あくまと評される表情だ。赤くなった顔を必死に逸らしながらも、言われた通り丁寧にオイルを塗っているのもシロウらしい。

「……楽しそうですね、姉さん」
「まったくです。しかし……正直、私には凛が良くわからない」
「そうですね。わたしもそう思います」

 凛の表情の中に僅かに混じる喜悦の色は、シロウをからかっていることへのものなのか……それとも他に何か意味があるのか。
 まあ、考えたところで答えの出る問いではない。人の心は所詮、その人だけのもの。余人がその心底を察しようというほうが無理なのですから。

 それにしても……私も変わったものだと思う。

「まさか自分がこのように人の心を気にするようになるとは、な」
「……セイバーさん、ほっぺた赤いですよ」
「暑さのせいです」

 言うと桜はおかしげに含み笑いを漏らして、

「だったら泳ぎましょうか。先輩が来るまで一緒に」

 そう、空にある太陽すら翳るような笑顔を零して私の手を引いた。


「ねーねー、シロウはまだ来ないのー?」
「さあ、わかりません。凛に捕まっているようですから――と、何度言えばわかるのですかイリヤスフィール」

 ゴムボートの上で唇を尖らせながら海を手でかき混ぜているイリヤスフィールにもう四度目にもなる同じ答えを返す。
 彼女にしてみればシロウと一緒に遊びたいのであろうに、彼がいないのがたいそう不満らしい。私もその気持ちは良くわかる。
 だがいくら言ったところでシロウがここに現れるわけでもなし。だいたい彼は後から来ると言ったのだから、信じて待つべきなのではないでしょうか。
 シロウは決して、嘘をつくような人間ではない。

「あっ、噂をすれば影ですよ」

 海面に沈めた身体を目一杯に伸ばして手を振っている桜の視線の先を追うと、そこに確かに待ち人の姿があった。

「シローウ! おそーーーい!!」

 憎まれ口を叩きながらも笑顔になって手を振っているイリヤスフィールと桜に手を振り返しながら、シロウはゆっくりとこちらに向かって泳いできていた。

「バーサーカー、いけーーー!」
「■■、■■■ーーー!」

 イリヤスフィールの号令一下、バーサーカーが水飛沫を上げてシロウに突進して行き――あ、シロウが引かれました。

「せ、先輩!」
「落ち着いてください桜、ああ見えてシロウは頑丈ですから」

 言いながら、桜と一緒にシロウに近づいていく。
 元々の身体能力の差もあり、私のほうが先にシロウの下に到着して、桜は……どうやらあまり泳ぎが得意でないらしい。ばたばたと手足がもつれるような泳ぎ方で歩くよりもゆっくりと近づいてきている。
 まあ、溺れることはないでしょうし、それよりも今は先にシロウです。

「大丈夫ですか、シロウ?」
「あ、ああ……だいじょうぶだいじょうぶ」
「なら良いのですが……バーサーカーも、少しは加減というものを覚えなさい」
「■■■……」

 私の肩にぽんと手を乗せて反省のポーズをとるバーサーカー。どうやら本気で反省しているようですし、許して差し上げましょうか。

「せ、せんぱーい」

 と、桜がようやくやってきたみたいですね。
 それにしても、本当に不器用な泳ぎ方ですね。弓道に堪能で身体を動かすのも得意であるのに、不思議なものですね。

「せんぱぁい」
「もうちょっとだー。がんばれさくらー」

 なんだか、シロウのことよりも桜のことのほうが心配になってきました。それでもシロウの声援を受けて、必死に四肢を手繰って桜がやってくる。
 そしてのようやくここまで到達した彼女が救いを求めるように私の背中に手をかけて――

「あ」
「あ」
「あ」
「■」

 ――水着が、ずれた。

「――、――!」

 悲鳴が出ない。落ち着いてずれた水着を直せばいいだけなのに、固まったように身体が動かない。
 見られた。シロウに、見られてしまった。

 思考は乱れてまとまった形にならず、ただ見られてしまったという事実だけが頭を埋め尽くしていた。
 だから次の瞬間、シロウが取った行動に成す術もなく――

「桜っ!」

 ――何故か、私は彼の腕の中に抱かれていた。

「……え?」
「桜! 早くしろ!」
「は、はいっ!」

 シロウが怒鳴り、桜がたどたどしい手つきで私の水着のずれを直す。
 そうされている間、私はただシロウの腕の中でされるがままにされていて、何で自分がこうなっているのか、何でシロウが自分を抱いているのか必死に考えようとして、結局、何もかもが乱れてしまって何も形にすることができずにいた。

「あ、あの……シロウ」

 ようやく腕から開放されて、ずれていた水着も元に戻り、赤い顔をしてそっぽを向いているシロウに話しかける。
 シロウは一瞬だけこちらに目を向けて――そしてすぐにまた目を背けてから、少しだけばつが悪そうに、

「……他の男に見せるわけにいかないだろ」

 小さな声でそう、つぶやいた。

「あ、はい……わかりました……見せません」

 そして私はシロウの言葉に咄嗟にそう返していた。

「…………」
「…………」

 互いに言葉を失って、顔を合わせることもできず黙り込む。
 なにをやっているのだろうか。海にまで来て、私たちは。

「先輩……」
「シロウ……」

 と、まるで唸っているかのような二種類の声が割り込んでくる。
 我に返ってそちらを向くと、あからさまに機嫌を悪くした桜とイリヤスフィールが揃って頬を膨らませてこちらを、いや、正確には私とシロウを睨んでいた。
 それで私は――今自分がいったい何を言っていたのか思い出した。二人の前で何をやっていたのかも。

「お、泳いできますっ!」
「おい、セイバー!?」

 シロウの声が背中に届いたが振り返ることもできない。
 今はただひたすらに身体を動かし、余計なことを振り切るように泳ぐことしか私にはできない。
 そうでなければ――

 深い群青色の海をただがむしゃらに泳ぐ。
 冷たい海の水の中にあって、私の身体は尚――何故か熱いままだった。



第 86 回 : 2004 年 7 月 21 日「海の幸を食べよう」

「きれいですね……」
「そうだな……」

 水平線の向こう側に沈んでいく太陽が、オレンジ色の光を世界に投げかけている。群青色だった海は、今では太陽に照らされて無数の宝石を海面に零してまばゆく輝いていた。
 浜辺を埋めていたあれほどの人だかりはすっかりなくなって、風が少し冷たくなってくる頃には私たち以外には数えるほどしか残っていない。

 寄せては返す波の音は絶えることなく、だがどこか遠くて静けさを感じる。
 それは隣にこの人がいるからなのだろうか――などと、私は何を考えているのだろうか。

「今日は楽しかったか、セイバー」
「あ――はい。それはもう」
「……そっか、なら良かった」

 唐突にそんなことを聞いてきたシロウは、私の答えを聞くと嬉しそうに笑った。
 自分のことではなく、私のことでこんなにも嬉しそうに笑えるシロウ。彼らしいと思った。
 同時に、彼にこんな笑顔をさせられる自分が少しだけ誇らしくて、嬉しくも思った。

 遠い海の向こう側に浮かんでいる太陽は、重たげに少しずつ自分を沈めていく。
 風が吹いて、髪が流れて頬を撫でる。乱れそうな髪を手で押さえながら、沈んでいく太陽をじっと見つめた。
 今日一日が終わってしまうのが無性に寂しい。理由はわからないが、今日の夕暮れはこんなにも憂愁を誘う。

「……少しだけ、寂しいと思っています」

 気がつけばその思いが口をついて外に出ていた。だが別に構わない、そう思ったのは本当のことなのだから。
 それに聞いているのはシロウだけだ。

「そっか……」
「はい」
「……だったらさ、セイバー」

 一瞬、こちらを見たシロウと目が合った。

「…………」
「来年もまた遊びに来よう。再来年も、その次も」
「…………」
「一緒にさ」
「……はい。わかりました、シロウと一緒に、ですね」

 頷く代わりに、私の手を包んだ彼の手に少しだけ力がこもる。
 だから私も、シロウの手を少しだけ力を込めて握り返して、ほんの少しだけ身をシロウのほうにすり寄せた。

「シローーーウ! セイバーーー!」

 呼ぶ声に振り返ると、イリヤスフィールが両手を腰に当ててこちらを睨んでいた。

「……帰ろうか、セイバー」
「そうですね。帰りましょう、シロウ」

 顔を合わせて、なんとなく笑い合って歩き出す。
 無論、手は繋いだままで――

「帰りにさ、サザエ買って帰ろう。この近くに美味い店があるんだ」
「さざえ、ですか?」
「ああ、そういえばセイバーはまだ食ったことなかったっけ。壷焼きにすると美味いんだ」
「なら、今日の夕飯はそれにしましょう」
「オーケー、期待してていいぞ」
「はい、楽しみにしてます。シロウの作るご飯はとても美味しい」

 いまだ見ぬさざえのつぼやきに思いを馳せながら、暮れていく夏の浜辺をシロウと歩く。
 砂浜に私たち二人の影は、重なり合って長く伸びていた。



第 87 回 : 2004 年 7 月 25 日「うさぎスーツ」

 白くて大きく長い耳。
 ふわふわと柔らかそうな尻尾。

 といえば、想像するのはウサギです。実物はまだ見たことがありませんが、テレビで何度か見たことがあるから私も彼の動物のことは知っている。小さくて人懐っこく、とても可愛らしい。私も一度手にして抱いてみたいと思っていた。
 しかし……これは少し違うと思うのですが。

 黒くて水着のように肌の露出が激しい着衣。
 風通しが良すぎる網タイツ。

 私の知っているウサギはこんなものを身につけたりはしていない。

「ふっ、セイバーはまだこちらの世界について勉強が足りないから知らないと思うけど……」
「世の中にはこういう格好をしたウサギが出てくるお店もあるのです」
「しかも時には食用だったりするんですよ」

 その格好をした凛、ライダー、桜が口々に言って私に迫ってくる。そして凛の手にはもちろん、彼女たちが身につけているのと同じ着衣が。
 口に出してはいないものの、彼女たちが何を言わんとしているか、私に何をしようとしているのかはっきりとわかる。身につけた直感のスキルが、この身の危険をけたたましく告げていますから。

「言っておきますが着ません、私はあなたたちとは違う。恥も外聞も知っているのですから」
「人聞きが悪いわね、セイバー。わたしだってちょっとは恥ずかしいと思ってるわよ。でも時々はこういうのも悪くないと思うのよ」
「そうですね。もともとバニースーツはスタイルが良い女性が着るものですから、凛の胸に合うモノを探すのは大変でした。ああ、安心してくださいセイバー。あなたのは私たちと同じモノですから、凛のような恥辱を味わうことはありませんので」
「……桜、あんた自分のサーヴァントの教育がちょっとなってないんじゃない?」
「姉さんのところと違って、うちはゆとり教育がモットーですから。でもおかげでライダーはとってもいい子に育っています」
「あんたのその教育方針……一回、ちゃんと矯正してやんないとだめみたいね……」

 む。なにやらよくわかりませんが、内部相克が激しいようですね。内輪揉めしている間にここは転進するとしましょう。これは逃げるのではありません。後ろに向かって前進するのです。
 そして言い争っている彼女たちに背を向けて、この場を離脱しようと振り返る。

 と、

「!」

 足元にぼすりと、何か柔らかいものがぶつかってくる感触が。

「い、イリヤスフィール……?」
「騎士王ともあろうものが逃げようなんて、士道不覚悟なんじゃない?」

 私の足元にしがみついている白いカタマリ。確かにイリヤスフィールなのですが――

「な、なんて格好をしているのですか、あなたは」

 ――ひとことで言うとぬいぐるみの中に入ったイリヤスフィール。

「ん? ヘンかな。わたし、結構気に入ってるんだけど」
「いえ、別にヘンではありません。むしろ似合っているとは思いますが……」
「でしょ? わたしのお古なのよ、それ。昔、綺礼に貰ったんだけど、気持ち悪いから着てなかったのよね」
「ああ、そうなのですか、り……ん」

 振り返ればにこにこと笑っている凛がいる。そして私の両腕は左右からライダーと桜に捕らえられていました。
 ……ところで桜、その影で捕らえるのはできればやめていただきたいのですが。

「さて、セイバー。これから自分がどうなるか、わかってるわよね」

 邪な笑みを満面に浮かべている凛。彼女の表情を見れば、これからの自分の運命が逃れえない不幸なものだと良くわかる。
 つまるところ、晒し者というわけですね。

「……できれば、優しくしていただけると助かります」

 うなだれながら、そう言うのが私には精一杯だった。


「ただいまー、っておい! おまえらなんなんだその格好!?」
「うふふっ。今日はウサギ祭りですよ、先輩」
「う、うさぎ!? だ、誰だ!? 誰が企んだんだ、これ!」
「私ですが」
「ライダーかよ!」

 居間の方からうろたえているシロウの声が聞こえてくる。いきなり帰ってきてあの有様では無理もないとは思いますが。

「っていうか、セイバーも人事のように見てないで早く行くの!」
「い、イリヤスフィール! やめなさい!」
「せ、セイバー? セイバーもいるのか?」
「っ! ま、待ってくださいシロウ! 今の私を見ないでください!」

 が、時既に遅く、シロウは私がいる台所に顔を出してしまっていた。
 ああ……見られてしまった。今の私を。
 落ちていかないように、必死に抑えている私を。

「……セイバー、それ」
「……何も。何も言わないでください、シロウ」

 今の私では何を言われても、たとえ慰めの言葉であっても素直に受け取ることはできない。

「やっぱりセイバーにライダーサイズは無茶だったのよ。だから言ったのに」
「それがいいのではないですよ、凛。見てください、必死に胸がずり落ちないように抑えているあの様、いじらしいではありませんか」
「ライダー、斬る」
「ふっ、胸から手を離していいのですか? 落ちますよ?」
「ッ!」

 勝ち誇った笑みを浮かべているライダー。なんと憎らしいことだろう。あの態度も、ずり落ちないあのスタイルも。
 ああ、シロウ。何故、目を背けて空を見上げているのでしょうか。
 眦に浮かんでいる雫は、太陽の光が目に染みたからなのであると言ってください。お願いですから。



第 88 回 : 2004 年 7 月 26 日「びんた」

「…………」
「…………」
「…………」

 小うるさい羽音を立てながら目の前を飛ぶ小さな虫。
 そして彼を追いかける私と大河とイリヤスフィールの目線。先ほどから隙をうかがっているのですが、これがなかなか隙を見せず、戦況は膠着状態に陥っている。

 蚊。

 大河によれば日本の夏の風物詩とも呼べる虫なのだそうですが、かといって目の前でこうもぷんぷんと飛びまわられると非常に不快な気分になる。
 しかも彼はやっかいなことに吸血種でもある。
 どうやら彼は毒を持っているらしく、血を吸った痕は赤く膨れて痒くなる。肉体的な被害といえばそれだけなのですが、精神的な被害は甚大である。夜、睡眠時に耳元を飛んでいくあの不愉快さは、蚊の者とあまり面識のない私でさえ感じているのだから尋常なことではない。

 というわけで今私たちは、シロウが夕飯の支度をしてくれている間に出現した彼を排除するべく、その隙をうかがっているのですが……

「なかなか、止まらないわね」
「そうですね。おかげで今は、見失わないように、追いかけるのが精一杯です」
「ていうか、タイガの持ってきた、蚊取り線香って、意味あるの?」

 三人が三人とも、話すよりも目線で追いかけるほうに集中しているため、自然言葉も途切れがちになる。
 そういえばイリヤスフィールの言う通り、大河の持ってきた蚊取り線香とやらはあまり役に立っていませんね。『やぶ蚊対策にはこれー!』と自信満々にしていたのですが、蚊はあの通り、悠々と飛んでいます。まあ、何事も万能ではないということでしょう。

「おーい、メシできたぞー」

 と、台所のほうからシロウがやってきて、用意してくれた夕飯をテーブルに並べ始める。
 なるほど、ごはんですか。ならば蚊の者との戦いも一時休戦にせざるを得ませんね。
 蚊とごはんと、どちらが大事かなどと、そんなことは言うまでもなく決まっていますから。

「今日はおさかな?」
「ああ、いいのを買ってきたから、焼いたんだ」

 言いながら茶碗に全員分のご飯をよそうシロウ。炊き立てのご飯は今日も見事な輝きを見せている。

 ――む!

 シロウの頬に蚊の者が止まった。
 だがシロウも、そして大河もイリヤスフィールも気づいていない。それをいいことに、蚊はシロウから吸血しようと口の先を降ろしていく。
 なるほど……我がマスターの血を吸おうなどとは増長したものですね。
 確かに貴公はこれまで私の手を逃れてきましたが、それを驕ってシロウに手を出そうなどという暴挙に出るとは……ならばそれが無謀な試みであると、私が証明して見せましょう。

「むむ? 士郎、ちょっと焦げてない?」
「あ、ほんとだー」

 幸い蚊はまだ私の動きには気づいていない。
 腰を低く落とし、いつでも跳びかかれるような体勢を作る。覚悟していただこう。これならば一刹那もかからぬうちに、一撃を見舞ってみせる。

 そして、私はタイミングを計って――

「ああ、ごめん。ちょっとうっかりして焦がしちまったんだ――」

 ――高く乾いた音共に、思いっきり、平手で蚊をシロウの頬から叩き落としていた。

「ふ。討ち取ったり……」

 蚊を討った右手を見る。そこには確かに蚊の者を捉えた証がある。
 ティッシュを一枚とって右手を拭き取り、私はシロウに向き直った。

「安心してくださいシロウ、あなたを狙っていた者はこの私が――シロウ?」
「セ、セイバー……」

 何故かシロウは赤く頬を手で押さえ、体勢を崩してしなをつくり、私を潤んだ目で見つめていた。

 ……む。頬が、赤く?
 ……シロウの頬から?

 ――あ。

「ご、ごめん。やっぱり駄目だよな。ごめんなセイバー。俺、こんなにおまえが怒るなんて思ってなかった……」
「い、いえ、これはちが……」
「や、やり直してきますッ!」
「シ、シロウ!? シローーウ!!」

 だが呼び声も虚しく、シロウはちょっとだけ焦げた魚を乗せた皿を持って再び台所へ。

「あーあ、セイバーちゃんってばおによめー」
「セイバーのおにしゅうとめー」

 大河とイリヤスフィールの責める声を聞きながら、その場にがっくりと膝を落とす。
 違うのですシロウ。私は別にあなたを叩いたわけではなく……それに少しくらい焦げ目がついていても別に怒ったりしません。

 結局、後で事情を話して誤解を解くことはできましたが、それからシロウの料理がますます繊細になったのは……喜んでいいのか悲しんでいいのか……正直言って、微妙な気持ちです。



第 89 回 : 2004 年 7 月 27 日「ドールマスター」

「む。あれは言峰神父……?」

 今日も空は良く晴れ渡り、強い日差しがアスファルトを熱して空気を歪めている。
 バス停でバスを待つ人々も、しきりに手にしたハンカチで額の汗を拭いたり、白い日傘を差して日光を遮っている。
 その中で一際異彩を放つ、というかどう考えても異常人の黒衣の神父。言うまでもなく丘の上の変態神父・言峰綺礼だ。

「セイバーか。このようなところでなにをやっている」
「藤村組に行った帰りです。あなたこそこのようなところで何をしているのですか。教会を留守にしていても良いのですか?」
「うむ。今日のところは教会は休みでな。これから仕事だ」
「……仕事?」

 何を言っているのだろうか、この男は。神父の仕事といえば教会の神父だろうに。
 だいたいこの男は聖堂教会からこの街にいる我らサーヴァントの監視の任を受けて糧を得ているのではないか。

「確かにその通りだ。が、私の下にはサーヴァントが二人もいるからな。正直、教会が回してくる維持費用だけでは足りないのが現状なのだよ」
「なるほど……というか、何故私が考えていることを?」
「故にこうしてマスターである私自ら副業を営んでいるというわけだ」
「質問に答えろ、言峰綺礼」

 だが元から人の話を聞く耳など持っていないこの男が今更、私の話を聞くはずもなく――

「さてセイバー。バスが来たわけだがどうするかね? このまま私と共にくるか。それとも何も見なかったことにして大人しく日常へと帰るか。選ぶのは君だ。まあ、私としてはどちらでも構わんのだがね」

 ――停車したバスの前で仁王立ちになり、その長身から私を見下ろしてくる。

「おきゃくさーん。どうすんの? 乗るの? 乗んないの?」

 バスの運転席で迷惑顔をしている運転手殿の言葉をやはり無視したまま。
 致し方あるまい。言峰がどんな仕事をしているのかは気になりますし、このまま運転手殿を待たせるのも申し訳ない。

「いいでしょう、言峰。私も共に行きましょう。虎穴に入らずんば虎児を得ずとも言う。貴様が何を企んでいようが、この私がいる以上は全て無駄のことと思うがいい」

 私の言葉を受け、にやりと邪気を多分に含んだ笑みを零す言峰と共に、私はバスに乗り込んだ。

 ちなみに――バス代は無論、言峰もちです。
 仕方ないではありませんか。私は普段、お金はあまり持ち歩かないのです。


 途中レストレンで昼食などを採り、そしてやってきたのは、新都中央会館。

「ここでいったいなにが……」

 初めて入る建物に、内心緊張する自分を隠すことができないが、ここまで来て退くわけにもいかず言峰の後ろを着いていく。
 どうやらここでは何かの催し物が行われているらしいが、いったいなんなのだろうか。そもそも言峰が参加するような催し物が、このような一般に開放された場所で行われていていいのでしょうか、何かが間違っているような気がする。

「セイバー」
「……なんですか?」
「ふっ……そのように緊張せずとも、少々目新しいだけで何も恐れるようなことはない。それよりも、貴様にも手伝ってもらうことがある」

 振り返って言峰が私と視線を合わす。ただそれだけで、この男から威圧感のような物を感じるのは、背丈によるものなのだろうか。
 だがしかし、多少の威圧などではこの身を従わせることなどできはしない。

「愚かな。そのような言に容易くのる私と思うか?」
「……ここまでのバス代、そして昼食代を出したのは私なのだがな。ならばかかった費用は君のマスターに請求するとしよう」

 が。げに恐ろしきは資本主義社会ということか。
 家計簿の前でがっくりとうなだれるシロウの姿を夢想しては断れるはずもなく――


「――で、結局なんなんですか、これは」
「だから副業だと言っているではないか」

 妙にひらひらと装飾の多い服――めいど服とか言うらしいのですが――を着せられて、椅子に座っている言峰の隣に立っている私。手に持たされている木の板に紙を張っただけの看板には『一体 1500円〜』と書いてある。
 そして言峰といえば、先ほどから訪れる、こう……妙に、その、暑そうな方々を相手に、机上に並べた人形を売りさばいていた。

「これはな、セイバーよ。月に一回催されるガレージキットの即売会だ」
「がれーじきっと……とは、先ほどから貴様が売っている人形のことか?」
「うむ。私はこれでもこの道では結構名が売れていてな。ドールマスター・コト☆ミーの名は、この会場にいる者ならば八割以上の人間が知っている。元々は趣味である着せ替えの二次的な要素として始めたことだったのが、どうやら私にはこの道の才能があったらしい」
「な、なんという……」

 恥ずかしい名前だろうかと思う。あえて口には出さないが。
 しかし先ほどからやけに言峰に握手を求める者が多いのはそういうことだったのですか。
 確かに机上に並べてある人形は、一見して見事な出来栄えなのだろうと素人目にも思う。何故、人間の頭に猫の耳や尻尾がついているのかはわからないが、きっとそういうものなのだろう……以前、私もメディアに着せられたことがありますし。

「だがしかし言峰、貴様がそれほどまでに名の知れた者であるのはわかったが、このような格好までさせて私にいったい何を求めているのだ。貴様は人形を売る手助けをしてしてほしいと言ったが、これならば私などいなくても平気なのでは……」
「正直なところを言えばその通りだ。だが、本日の新作の宣伝に、貴様の存在はうってつけなのでな」

 そう言って机の下にある袋から言峰が取り出して並べたのは――


 メイド服を着た私。
 猫の耳と尻尾をつけた私。
 水着を着た私。
 体操服とぶるまぁを着たイリヤスフィール。


 ――の、人形。

「……言峰、これはいったい」
「新作だ」

 途端、周囲にいた人々があっという間に群がり、次々と私たちとイリヤスフィールが売られていく。
 一体売れていくたびに、買って行く人々の視線が私に絡まり、それが不快で――

「ふむ、セイバーよ。どうやら私が思った通り、貴様はこの時代にあっても人々に崇められる存在であるらしいな」
「言いたいことはそれだけですか、言峰」

 ――私はその場で現界させた聖剣の柄を、容赦なく言峰の後頭部に振り下ろした。


「ただいま帰りました」
「おう、おかえりセイバー――って、なんだ、その紙袋!? せ、セイバーがいっぱい!?」

 無論その後、言峰が売ろうとしていた大量の私たちとイリヤスフィールは回収して持ち帰ったのですが……言ったいどうしろというのだろうか。
 捨てるにも忍びないですし、他者の手に渡すなども持っての他ですし……

 言峰?
 あのような慮外者など、新都中央会館の屋根の頂上でカラスに突つかれていればいいのです。



第 90 回 : 2004 年 7 月 28 日「メイド in セイバー」

 さて、昨日どさくさで持ち帰ってしまったこの服ですが、どうしたものでしょうか。
 手元に広げたメイド服を前にして腕を組む。処分するのは簡単ですが、少々もったいないような気もする。かといって取っておいたところで使い道もあるはずがありません。それに夏場にこの格好は暑いですし。

 ではやはり処分するべきだろうか……そう思ったが、もう一度目の前の服を手にとって見る。

「ふむ……見れば見る程よくできていますね」

 決して機能的とはいえないだろう。ひらひらと無駄な装飾は多いし、スカートもこうも長くては動くのに邪魔になるだろう。
 しかしながら、デザインの面から見れば本当によくできていると思う。証拠に、会場でもこの服をきた私を目当てに集まっていた者が多かったようですし。

 だとしたら例えば……

「……シロウはどう思うでしょうか」

 彼がどんな反応をするか、見てみたい気はします。
 以前、シロウは猫の耳と尻尾をつけた私を見て、その……過剰に反応していましたから。


 シロウがいない間の私の仕事は掃除に洗濯が主な仕事だ。
 各人の部屋はプライベートがあるので立ち入らないとしても、居間にお風呂に縁側、廊下。掃除するべき場所は広い衛宮邸にはいくらでもある。洗濯物も、この家の本来の住人は私とシロウだけだというのに、とても二人分とは思えないほどに大量にある。凛などは半分以上、この家に住んでいますし。

 今日もいい天気だ。
 洗濯物を庭に干しながら空を見上げる。天頂に輝く太陽の光はまぶしく、そしてやはり暑い。
 特に今日の私の格好はいつもと違って少々嵩張る格好だから尚更だ。

 手首まで覆う生地の厚い袖、膝下まである裾の広いスカート。頭にはカチューシャをのせ、胸元には小さく上品なリボン。
 さんざん思い悩んだ挙句、私はメイド服を着て家事をしていた。
 結局、私の中で好奇心が勝ったわけです。更に付け加えるならば、シロウを驚かせてみたい、という悪戯心もあったりするのですが。

 そして積み上がった洗濯物が半分より少し少なくなった頃、シロウが帰ってきました。

「…………」
「あの、シロウ……?」

 が、先ほどからシロウは私の前で歩みを止めて、じっとこちらを見つめている。
 時折、空を見つめてぶつぶつと口の中でつぶやいたり首を傾げていたりするのですが……

「シロウ……本当に、いったいどうしたというのですか?」
「…………」

 しかしシロウはやはり答えない。
 不安がふと首をもたげてくる。だがしかし、別に気を悪くしたようには見えないし、シロウのこの様子は悩んでいるようにしか見えない。
 いったい何を悩んでいるのだろうか。

「シロ――?」

 それを聞こうと私は口を開いた。
 が、先んじてシロウの手が私の肩を抑えてきた。いや、抑えるというよりは優しく包み込むといった感じだろうか。

「セイバー、しばらく待っててくれ」
「――は? はあ……」

 そう言ってシロウは私を残し、駆け足で家の中に飛び込んでいった。
 いったい……なんだというのでしょうか。


 シロウはすぐに戻ってきた。

「……セイバー、これを」
「…………」

 そしてカチューシャを外し、手に持っているモノを代わりに私の頭にかぶせる。
 私はといえば、なんというか、ため息しか出ませんでした。

 まさかこの格好をしていてまで猫の耳にこだわるとは……さすがにこの展開は予想していなかった。

「……ぐっじょぶ!」
「ぐっじょぶ、じゃないわよバカたれ」

 いつの間にかシロウの背後にいた凛が持っていた竹刀でシロウを叩き落とす。地面に突っ伏し、昏倒していてなお、シロウは恍惚とした表情をしていた。彼はこれで――こんなことで幸せになれたのだろうか。

「だとしたら……その、困る」
「まあね。こいつの趣味、っていうかこいつとアーチャーの趣味だけは理解できないわ」

 大きくため息を吐きながら相槌を打つ凛。
 確かにそれはその通りなのですが、シロウがこのようなことでしか幸せを得られないのだとしたら、私は……シロウの幸せを願う私は、これから先、常に猫の格好をしていなければいけないのでしょうか。
 それは正直、ちょっと遠慮したいところなのですが――困ったものです。