らいおんの小ネタ劇場
第 1 回目から第 10 回目まで
私は今日から日記をつけ始めることにしました。
聖杯戦争も何事もなく終り、結局私はこの時代に、シロウの傍に残ることにした。
いつか遠い未来、彼の傍を離れてカムランの戦場に戻ることになるかもしれない。だからその時に、せめて一つでも多くの思い出を残していきたいと、筆を取ることにしたのです。
この日記帳はシロウに買ってもらった。
新都にあるデパートというところで買ったのだが、装丁の獅子の絵が個人的に気に入っている。
シロウに礼を言ったら、
「いや、セイバーにはさんざん世話になったし、これからもなるんだからさ、これくらい当然だろ?」
と言ってくれた。やはりシロウは良い人だ。
翻ってやはり凛は失礼だと思う。
「ほら、セイバー。こっちのほうがそれよりいいと思うんだけど。セイバーっぽくて」
そう奨めてくれるのはありがたい。
だが、よりにもよって獅子がガゼルを襲っている装丁の日記帳を奨めてくるなどどうかしている。
しかも私らしいとはどういうことなのか。
「ん? だってさ、この構図って稽古してるときの士郎とセイバーそっくりじゃない」
……シロウ、そうなのでしょうか。
……何故、明後日の方向を向いて答えてくれないのでしょうか?
それは私が朝食のあとの散歩をしていたときのことだ。
「にゃー」
「む……貴公は」
塀の上で短く鳴いた猫と目が合った。
彼には見覚えがある。見事なまでの目元の黒ぶち、短いしっぽ――。
そう、いつぞや私の朝食を掠め取って行った、かの野良猫殿に違いない。
「このようなところで出会うとは……いつぞやの仇はとらせていただきます」
――そして、私と彼の、誰にも知られない戦いがはじまった。
「……只今帰りました、シロウ」
「ああ、お帰りセイバー、おそかった……って、どうしたんだよその顔の引っかき傷! 服も泥だらけじゃないか」
「……聞かないでください……いえ、ただ敵は手強かったと、それだけの話なのですから」
よもや彼に仲間がいるとは思わなかった。
細い隙間に逃げ込んだ彼を追いかけようとして……引っかかって動けなくなったところを一斉に襲われたなんて、口が裂けても言えません。
今日はシロウたちも学校が休みなので、皆で釣りをしに行くことにした。
冬木市を離れ、バスに乗って山林に。美しい清流に釣り糸を垂らす。
耳には流れる川の音、頬に感じるのは清冽な山の息吹。
自然に包まる中でこうしてのんびりと過ごすのも偶には良いものです。
……が。
「おい、セイバー。相変わらず釣果ゼロかい? はっ、セイバーのクラスも堕ちたもんだな」
「黙っていてくださいランサー。まだ勝負はこれからです」
「ランサー、そんなにセイバーを挑発するなよ。セイバーも、釣りするの初めてなんだろ? だったらしょうがないさ」
「シロウ、初めてだからといってそれが言い訳になるわけではありません。これは私の誇りの問題だ」
「ま、がんばんな。今日の晩メシは俺と坊主でせいぜい稼いでやるからよ」
「クッ……」
悔しい。悔しいが、確かにランサーとシロウのバケツには釣り上げた魚が水を跳ね上げている。
対して私のバケツの中は、汲み上げられた水と浮かんでいる木の葉が一枚。言い返せることなどありません。
だいたいあのバーサーカーですら釣果を挙げているというのが納得できない。
彼と私とでいったいなにが違うというのでしょうか。
……いや、こんなのはそれこそ言い訳にしか過ぎない。今はただ無心で釣り糸を垂らすのみ。
川辺で水遊びをしているイリヤスフィールと大河を横目に、私はじっと釣り糸に集中する。
「……むっ!」
すると、きた。ついに私にもきた。
釣り糸にかかる確かな重みと、手首に感じる確かな手ごたえ。
「ここですっ!」
そして私は釣竿を一気に引き上げた。
「――シロウ、これは食べられるのでしょうか」
「いや……さすがに無理だろうな……ゴム長は」
ランサー、そんなに笑わないでください。斬りますよ。
「……む、雨ですか」
その日の昼下がり、晴れていた空が俄かに曇り雨が降り出した。
――今日は確かシロウは傘を持っていなかったはず。
そのことを思い出し、彼の傘を持って学校へ行くことにした。
雨空の下をぴちゃぴちゃと水音をたてながら、長い坂を上る。
途中、何人かシロウたちと同じ制服を着た学生とすれ違う。もしかしたらシロウは困っているかもしれないと、そう思うと自然足早になった。
そうして校門に到着すると、二人の男女が向こうから歩いてきた。
「……むっ」
あれはシロウと凛……ですが、妙に二人が密着している。
いわゆるところの相合傘というヤツでしょうか。
「……むぅ」
――で。
「お、おい……セイバーも遠坂も、俺の傘はちゃんとセイバーが持って来てくれたんだからいいじゃないか」
「黙っていてくださいシロウ。これは必要なことなのです。……私にとって」
「そうよ衛宮君。わたしたちが良いって言ってるんだから、あなたに選択権はないの」
真中にシロウを据えて二つの傘を三人で使うのは相合傘と言うのでしょうか?
シロウと触れ合った肩と雨に濡れた肩の温度差が印象的だった雨の日の午後。
満開に咲き誇った桜の花。
暖かな陽気と桜の色に包まれながら手に持ったコップの中身を口に含むと、慣れないアルコールの匂いに混じる僅かな花の薫り。
コップの中にはいつの間にか舞っている花弁のひとひらが、彩を添えていた。
というわけで、私たちはお花見に来ています。
発起人はやはりというか大河で、あとはどこからか噂を聞きつけた宴会好きの連中が集まり、気がつけば総勢十人を超えるサーヴァントとマスターの大集団が花見会場に会し、一種異様な空気を醸し出していた。バーサーカーとか。
とはいえ、もちろんそのようなことで臆するような者がこの面子の中にいるはずもなく、各々がこの短い花の饗宴を楽しんでいた。
そんな中で、ひとり桜の大木に背を預けて盃を傾けている男がいた。
「アーチャー、楽しんでいますか?」
「セイバーか……。ああ、まあそれなりにな」
微かな笑みを口元に浮かべて、手にした盃をぐっと煽る。
すっきりした着流しに身を包んだアーチャーがそうする様は、この桜の花の舞い散る光景の中で誰よりも絵になる様だった。
「珍しいな、君が私に気をかけるとは」
「そうでしょうか、私は貴方のことを忘れたつもりなどありませんが」
「ふ。それはヤツがいるからだろうよ」
「……そうかもしれませんね」
言いながら私は差し出された杯を満たし、アーチャーはそれを一息で干す。
「うまいな」
「大河の秘蔵のお酒だそうです」
「なら、せっかくだから飲み干してやろう」
くっくっ、と人の悪い笑みを浮かべるアーチャーに、どこか安堵しながらもう一献注ごうとすると、
「む」
「……」
「シロウ?」
赤ら顔をしたシロウが私たちの間に入り込み、盃を差し出してきた。
「……セイバー、注いでくれ」
「シロウ、酔っているのですか?」
「酔ってなんかにゃいっ」
あからさまに呂律の回っていない舌でそう叫び、シロウは私が満たした杯をぐいっと一気に飲み干す。
そして据わった目でアーチャーを睨みつけると――
「シロウ? ……あッ!?」
――急に私の肩を腕を回し思いっきり抱き寄せた。
「し、シロウ!?」
「……何のつもりだ小僧」
「うるせえ。セイバーは俺ンだ。てめえにゃ渡さねえぞ、この若白髪」
シロウ……。
彼のその言葉に、酒の席の上での言葉とはいえ頬が染まるのを止められない。
いえ、酒精が入っているからこそ、これがシロウの本音ということも――
「ならば凛は私が頂いてもいいと良いということか?」
「あン? 戯けるな弓兵、遠坂も俺のだ。あと桜もイリヤもライダーも藤ねえもみんな俺のだ。てめえには誰一人として渡さん」
「ほう……つまり貴様は、私に喧嘩を売っているのだな?」
「叩き売りだ、相手になってやるぜ」
――ほんね、ですか。
それが貴方の本音ということですか、シロウ?
つまり貴方は……この身を弄んだと、そういうことなのですね?
「身の程というものを教えてやろう、戯けめが」
「今日こそ白黒つけてやるよ、おっさん!」
好戦的な笑みを浮かべて干将・莫耶を投影するエミヤとシロウ。
そして私はというと、その後ろで風王結界を振りかぶって――。
「あーあー、これじゃしばらく目ぇ覚まさないわよ、アーチャーも士郎も」
「セイバーさん、少しやりすぎだったんじゃないんですか?」
「まあ、あのまま暴れられるよりはマシだったんじゃないかしら。あ、ライダー、あとでシロウの膝枕代わってね!」
「はい、イリヤスフィール。――士郎の髪は意外と柔らかいのですね。知りませんでした」
「はぁっ……いったいどこでこんな風になっちゃったのかしら。士郎もだんだん切嗣さんに似てきたなぁ」
まったく、もう……シロウのばか。
春うららけし。
この国にはこんな言葉があります。古い意味でのどかな春の日を意味するのだそうですが、ちょうど今日のような日のことを指しているのでしょう。
こうして縁側に座って、お茶を頂きながらのんびりとしていると……。
今日はこの後道場でシロウと稽古でもしようと思っていたのですが、このまま過ごすのも悪くないと思えてくる。
「はぁ……」
髪を撫でる柔らかい風が心地よく、思わず口から吐息が漏れる。
そのまま風に誘われるようにごろりと横になり、庭の風景をじっと眺める。
「のどかなものですね……」
そうしてしばらく横になっていると、不意に眠気に襲われてまぶたが落ちてきた。
このまま……眠ってしまおうか……。
「ん……」
「あ、起きたのかセイバー?」
「……シロウ?」
目覚めるとあたりはいつの間にかオレンジ色に染まっていて、風も少し冷たくなっていた。
そして私を見下ろしているシロウの優しい目。
……見下ろしている?
「し、シロウっ!?」
「おっ、と。いいじゃないか、たまにはさ」
慌ててシロウの膝から起き上がろうとしたところを、肩を押さえられて制される。
しかし、これは恥ずかしい。
などと――そう思いつつも、やっぱり動けない自分もいる。
「……しょ、しょうがないですね。今日だけですよ?」
「はいはい」
憎まれ口を叩く私に苦笑するシロウ。
なんとなくそれが悔しくて、今度仕返しをして差し上げようと思った。
結局私たちは、晩ごはんの仕度を終えた桜が呼びにくるまで、実に一時間近くもこのままでいた。
まあ……こういうのも、たまにはいいものですね。
「セイバー、あんた少しは働いたら?」
居間でテレビを見ていたところ、凛に見下した視線で言われた言葉が屈辱だったのでアルバイトをすることにしました。
シロウには無理をするなと言われたのですが……平気です、大丈夫です、何の問題もありません。
ですからそのように幼子を心配する母親のような目で見ないでください。
こうして私が勤務することになったのは、マウント深山商店街の一角にあるケーキ屋、シャルフ・トルテ。
甘みを売りとするケーキ屋なのに、唐辛子クーヘンなどのエキセントリックな商品を扱うケーキ屋として有名です。
かくいう私もこのお店はよく利用しており、店主とは懇意にしていた。だからこそこうして雇っていただけたというわけです。
店の制服に袖を通し、レジに立つ。そして私にとって最初のお客がやってきた。
「我のモノになれ、セイバー!」
「開口一番それですか、ギルガメッシュ……」
よりにもよって最初がこの男とは……何もかもが台無しです。
ですが、いくらこの男があの駄目人間養成所である教会の住人とはいえ、お客はお客です。
先ほど店主から教えられた通りに接客しなくてはなるまい。
「お客様、どちらのケーキになさいますか?」
「セイバーだ」
「殴られたいのですか、お客様?」
ああ、この男のニヤニヤとした顔を見ていると無性にぱんちを叩き込みたくなってきます。
それはおそらく私だけでなく、事実として、凛が思い切りベアを撃ち込んでいたところを見かけたこともある。あれは腰が入ったとてもよいベアでした。
「ギルガメッシュ。買うなら買う。買わないなら買わないではっきりしていただきたい。見ての通り、今私は勤務中です。もしあなたが邪魔をするというのであれば、約束された勝利の剣も辞さない覚悟ですが」
「ふむ。ならば致し方あるまい。イタイのは怖いからな。……ではこのザッハ・トルテとやらを頂こうか」
意外と素直に応じたギルガメッシュの注文通り、ザッハ・トルテを包んでギルガメッシュに渡し、レジを打つ。
「680円です」
「ない」
「……は?」
今、なんて言いやがりましたか、この金ぴかは。
「何故、この我が雑種ごときの作った食い物に金を払わねばならんのだ! 我は王ぞ? ならば雑種のほうから喜んで捧げるというのが当然ではないか、セイバーよ」
「……なるほど」
数分後――。
「お、おのれ離せ雑種! 我を誰だと思っているのだ、この地上を統べる王であるぞ!」
「あー、はいはい。わかったわかった、話はゆっくり交番で聞いてやるから」
「春になると増えるんだよねー、こういう連中」
両側から警官に拘束されて去っていくギルガメッシュを眺めながら、無理と知りつつ私は願いました。
――もう二度と来るな、と。
春うららけし。
いつぞやと同じ始まり方ですが、今回は立場が逆転しているのです。
「シロウ、そんなにごそごそと動かないでください」
「いや、だってさ、くすぐったいんだからしょうがないじゃないか」
「ですがそんなに動かれると、ちゃんと掃除が出来ない」
縁側でシロウを膝枕し、のんびりとしていた私。
ふと思い立って、いつか桜がしていたようにシロウの耳掃除などをしてみることにした。
シロウの耳は意外と小さいのですが、その小さな耳の中は意外なほどに汚れていた。
几帳面な性格をしているシロウにしては珍しいことですが、やりがいがあるのは確かです。
ですがやはり、今日も春という季節に相応しく、ぬるい陽気はやたらと私の眠気を誘う。
油断するとうとうとしてしまい、意識が落ちてしまいそうになる。
頭を振りながらどうにかこうにかそれをやり過ごしていたのですが、そろそろそれも現界に近い。
「――、――、――」
「? セイバー?」
「――、――、――、――!」
がくんと頭が落ちたその瞬間――
――妙に生々しい感触が手に伝わってきた。
それは例えると、ちょうど耳に耳掻きを突き立てるような……。
「って、シロウ!? シローーーウ!!?」
直後、家中に響き渡った悲鳴に驚いてやってきた桜にさんざん怒られた。
桜の怒りようといえば、それはもう怒髪天を衝くというのがピッタリで、一時間以上お説教された挙句、晩ごはんまで抜きにされてしまった。
今度からは気をつけようと思う。反省。
ですから、どうかごはん食べさせてください。
商店街を歩いていると、背後から地を揺るがすような足音が聞こえてきました。
この足音は――。
「あっ、セイバー」
「やはり貴女でしたか、イリヤスフィール。そしてバーサーカー」
「■■■■■」
見上げるような巨体のバーサーカーの肩に乗ったイリヤスフィールが、私を見下ろして手を振っている。
初めてバーサーカーがこの商店街に現れたときこそ騒ぎになったものの、今ではすっかり受け入れられていた。
容貌こそ恐ろしげなバーサーカーだが、戦闘状態にない彼は至って穏やかな人物だ。気は優しくて力持ち、を地で行っているようなものです。
……この商店街の人たちが一風変わっているということも、容易く受け入れた要因のひとつとしてあるのでしょうが。
だいたいギリシャ神話の英雄を土木工事に駆りだす商店街がいったいどこにあるというのでしょう。
まあ、代わりにバーサーカーも報酬として米穀通帳とやら受け取っているそうです。士郎の話によると、お腹いっぱいごはんを食べられる通帳なのだそうです。
「ねえ、セイバー、これからどこに行くの?」
「いえ、別段どこへも行く予定はありませんが。これから家に帰ってお昼ご飯です」
「ふぅん……じゃ、私たちと行き先は同じなのね」
「……イリヤスフィール、貴女またお昼を集りにくるのですか」
「いいじゃない。士郎のご飯美味しいもの。ねっ、バーサーカー?」
「■■■■■ーーー!!」
イリヤスフィールの問いに答えて吼えるバーサーカー。
「そうだセイバー、セイバーも良かったら乗っていく? どうせ行き先は同じなんだし」
「乗っていくって……バーサーカーにですか?」
「うんっ」
「■■■■■」
イリヤスフィールはにこにこと笑い、バーサーカーはイリヤスフィールが乗っていないほうの腕を回して私を誘う。
……そうですね。
「おお……」
「ねっ、すごいでしょセイバー、バーサーカーは」
確かにこれはすごい。
これだけ高いと、当に世界が変わったかのような印象を受ける。
バーサーカーが歩くたびに響く振動に上下に揺られながら、私は初めての世界に感動していた。
――そして。
「うっ……」
「おい、大丈夫かセイバー?」
「ふぅん……セイバーって乗り物に弱かったんだね。知らなかった」
……気持ち悪い。
酔いました。まさか騎乗スキル:Bを持つこの私が乗り物酔いするとは……恐るべしバーサーカー。
瞑想――。
己の心を抜き身の刃の如く研ぎ澄まし、無念無想の境地を経て、清らかな水のように鎮める精神鍛錬のひとつ。
私は自分の心に迷いが生じた時や、特にすることがない時などは好んで道場で瞑想をしている。
こうして背筋を伸ばし、道場の静謐な空気に身を晒していると、身も心も引き締まる。
初めに外界の雑音が消える。
次に自分の呼吸の音が聞こえなくなり、やがて心音すら届かなくなり、私の心は無我の境地へと至る。
――
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そして約二時間後。
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――――――――カニクリームコロッケ。
――――レバニラ炒め。
――親子丼。
シロウ……悟りました。
私は今、とてもお腹がすいています。そろそろお昼の時間ですし。