12月31日大晦日。
 今年一年、最後の締めくくりとなるこの日であるが、ボロアパートの高須家では何か特別に変わったことがあるわけでもない。
 普通であれば部屋の大掃除だの新年のおせちの仕込みだのでばたばたと忙しいはずなのだが、そこはそれ、竜児が家事の一切を取り仕切っている以上、慌てて何かをする必要などあるはずがない。例えば大掃除など今更大げさに何かをする間でもなく、普段から入念な清掃を心がけているからだ。
 むしろ大掃除の対象となったのは高須家ではなく、隣接している大河の家である。
 こちらも基本的にはいつも竜児が暇を見ては掃除をしているのだが、さすがに細かいところや大河のプライベートルームなどは手を出しているわけではない。
 と、いうわけで昼間はぐずる大河の尻を引っぱたき、逢坂邸の大掃除に勤しんだのであった。主に竜児が。
 気がつけば残すところ今年も数時間である。年末だというのに、いや、だからこそだろうか、高須家の家主(一応)である泰子は今日も今日とて出勤していき、ボロアパートにいるのは竜児と大河と、ペットのグロインコ。
 竜児と大河はいつも通りにコタツに足を突っ込んでだらだらテレビを見ているし、伸ばした互いの足が重なっているのもいつも通りだった。
「竜児ー、テレビつまんない」
「俺に言ってもしょうがねえだろ、年末なんてこんなもんだろうが。って、足蹴るんじゃねー」
「うっさい、邪魔なのよこの足が。もぎ取りなさいよね。気の利かないやつめ」
「ひとんちのコタツに入っといてなんて図々しいヤツなんだ……」
 のしっと竜児の脛の上にふくらはぎを乗っけておきながら、文句を言いつつ蹴り蹴りする。要はそんなじゃれ合いに興ずるほど退屈なのだが、退屈しのぎに付き合わされる竜児のほうはいい迷惑である。
「ったく……」
 ため息つきながら竜児はコタツから足を抜いて立ち上がる。かといって別に大河に屈したというわけではなく、
「晩ごはん?」
「おう。天ぷらそばだ」
「……そういえばおなかすいた」
 きゅるる、と思い出したようにメシ時を告げる大河の腹時計。
「もう九時じゃない。そりゃ腹もへるわよね」
「一応縁起物だからな、今日の晩メシはちょうど年越しになるからしばらく我慢してろ」
「えー……」
 空腹を自覚した途端、一気に食欲が襲い掛かってきたのか、大河は唇を尖らせてへたっとコタツの上に突っ伏して、がたがた天板を揺すり始める。
「おなかすいたー。すいたすいたすいた……」
「だーっ! 駄々っ子かおまえは! 人のことを犬呼ばわりする前に自分が待てを覚えろよな!」
「いいんだもん。私、あんたと違って犬じゃないもん。お腹すいたんだもん。ご主人様を兵糧攻めにしようなんてとんだ恩知らずめ。この平成の世の中で下克上なんて、竜児のくせにい根性してるじゃない」
 口はいつものように刺々しいが、睨んでくる上目遣いはむすーっと恨めしいだけで、いつもの射抜くような鋭さがまったくない。というかむしろ、哀願する子犬のような風情を醸し出してすらいた。
「ねーねー、なんかないのー?」
「ああもう……わかったよ。餅焼いて出してやるから少し待ってろ」
 結局のところ、最後には大河の我が侭に負けてしまう自分のヘタレっぷりが少々情けなくもあるが、もはや今更である。泣く子と泣く虎には勝てないのが高須竜児の道理なのだった。



 年々程度が下がっていく紅白を見るとなしに見て、テレビの向こう側で突かれている除夜の鐘の音をそばを啜りながら聞く。今日ばかりはと、インコちゃんのエサ箱にも茹でたそばを一本放り込んでおいたが、果たしてインコはそばを食うのかどうか。まあ、あの鳥類の規格から些か外れているインコならば少なくとも食ってどうこうなるということはないだろう。
 そんな二人と一羽の大晦日。去年までは竜児も大河も、一人ぼっちで年末を過ごしていた。
「ねぇ、竜児。エビ、まだ残ってる?」
「残念ながらエビは一人一本までだ。俺の食いさしでいいなら半分やるがどうする?」
「んー……いい。せっかくの年越しそばなんだしね。でも、ありがと」
 去年までは竜児もこんなふうにわざわざ年越しの時間まで待ってそばを作る、なんてことはしていなかった。泰子がいるなら別だけれども、一人でそんなことをしても虚しいだけだ。
 大河はそもそも大晦日だからって何も変わらなかった。コンビニで適当にそばを買ってきて一人で食べていた。
 今年は一人ぼっち同士ではなく、二人。たったそれだけで過ごし方がまるで違う。テレビがつまらなくて退屈なのは同じだけれども、一人でいる時のような寂しさも薄ら寒さも感じない。
「ヘンなの。同じ大晦日なのにね」
「ん? 何がだよ」
「……ん、なんでもない。おそば、美味しいね。他にとりえのないあんたもこればっかりはたいしたもんだわ」
「食うだけのくせして偉そうなこと言いやがって……ったく。ま、今年は少しばっかり気合も入れてるしな」
「……ふぅん」
 何故とは聞かないし、何故かとも言わない。口に出さなくてもどうしてかなんてことは、お互いにもうわかっていることだ。料理なんてのは、自分一人で食べるよりは他に誰か食べてくれる人がいるほうが美味しく出来るようになっているのだ。
「明日はおせち?」
「おう。泰子も明日からはしばらく仕事が休みだからな。三人でおせちだ」
「そっか、やっちゃんも一緒か」
 大河は少しだけ嬉しそうに微笑んで、エビの尻尾をバリバリと頬張った。
 やがて除夜の鐘の音も一〇八つ。日付が変わって年が明けて、同時にそばも食べ終わる。
「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます」
 コタツに入ったまま向かい合って年初の挨拶を交わしたのは、やはりと言うか何と言うか、お互いが最初だった。
「何だかんだで言って、結局竜児との付き合いも一年越しねぇ……」
 じゅるじゅるとどんぶりに残った汁を啜りながら大河が嘆息交じりにもらす。
 竜児と大河、二人の関係は元々互いの恋愛成就のための共同戦線、ということから始まったものだった。それが気づけば年を越している。新学期から始まって今は12月なのだから8ヶ月。いや、月が変わったからもう9ヶ月。その間でいつしか、二人の共同戦線は気づけば共同生活のようなものになっていた。
「……ま、なにはともあれ今年もよろしくな」
「うん」
 いつまで続くのだろうか、と思わないでもない。多分、どちらかの想いが成就した時に今の二人の関係も元通りに戻るのだろう。竜児も大河も、お互いがそれを望んでいるはずだったが、いつまでに、ということは二人とも口にはしようとしなかった。
「で、この後どうするよ」
「どうするって? 何がよ」
「いやほら、新年なんだしさ。初詣とかいろいろあるだろ」
 あー、と手を叩き大河も頷く。
「二年参りってのにはちょっと遅いけど、行ってみるか?」
 テレビの中に映されている初詣の光景は、見ているだけでもう行く気をごっそりと奪ってくれるようなめでたくもクソもない光景だった。とかく人人人。あれだけの人間の欲望を一身に背負って、ご利益という形で返さなくてはならない神様というのも、ほとほときつい商売である。テレビを見て、大河ははっきりと眉をしかめ、いやそーな顔をしてみせた。
「別に初詣に行くのは、や、やぶか……やぶさかじゃないけども、あんなことになってる中に好き好んで行きたいとは思わないね。っていうか、あそこまでして詣でる価値があるのか神様ってのは? ふん、神頼みしてそれで叶うってんなら世の中苦労なんてしないってのよ」
「そこに関しては同感だな」
 お互い、ままならない世の中というやつのおかげで何度も苦渋を飲まされている同士。言葉には千金の重みがある。神頼みで自分を取り巻く世界が変わるというなら、とっくの昔に変えている。
「ま、近くの神社ならあんなことにはなってないだろうしさ。暇と縁起を担いで行ってみるのも悪くはないと思う。おまえが嫌だって言うならそれでもかまわないけどな」
「別に嫌ってわけじゃないわよ。せっかくなんだしたまには神頼みしてやるのも悪くはないとは思ってる。……そうだね、もしイモ洗い状態だったら新年の景気づけにうざったいカップルどもでも蹴散らしてやるか……?」
「……俺は新年早々カタギの人たちに頭下げて回るのは勘弁だぞ」
 テレビを光る目で見つめながら口元を歪めて笑う大河に若干早まったかと思わないでもないが、最初から初詣に行こうと考えるような人なら、近所の寂れた神社に行くよりもちょうどテレビに映っているような大きなところに行くだろう。あくまでも多分だが、大丈夫だろう――と思いたい。
「んじゃ、ついでだから初日の出も一緒に拝んでやろうぜ」
「そうね。今時の神社なんて巫女さんまでアルバイトなんだからありがたみなんてほとんどないけど、初日の出だけは本物だもんね。むしろそっちにお参りしてやるわ」
「アルバイト、か……なあ、大河。いくらなんでも櫛枝、巫女さんのバイトまでしてるってことないよな……」
「ああん……? なんだこのエロ犬が。拝みたいのはみのりんのコスプレってか? あんま盛ってるようだとその目玉……潰すわよ?」
「ちっげーよ!?」
 いや、本心では拝めるものだったら拝みたいものだったが、そんなことを悟られたが最後、この獰猛なチビ虎はほっそい指先を本気で抉りこんできそうだった。
「新年早々、物騒なやつめ。今年はもうちょっと女の子らしくおしとやかにしてみたらどうだよ」
「うるっさい。なんで私があんたのことを気遣って変わらなくちゃいけないんだ。むしろあんたのほうが私の心中を慮って行動するべきだね!」
「……ま、そうだよな。おまえならそういうよな」
 竜児にしてみても、おしとやかで女の子らしい大河など想像することすらできない。少しはこの手の早さを何とかしてほしいと思うのは事実だったが、同時にこいつはこのままで良いと、矛盾したことを考える。
「おまえはおまえのままでいいよ。ていうか、おまえ以外になれるわけねーんだからな」
「……? 何わけのわかんないこと言ってんのよ?」
 不思議そうに首を傾げつつ、やぶ睨みに睨んでくる大河になんでもないと手を振って返す。
 おまえは虎で俺は竜。何かとめんどうなこともあるけれど、竜児自身は意外とこの関係を気に入っている。大河が変わることでこの関係まで覆されるなら、変わらないほうがよっぽどいい。
「っと、そんなことよりも竜児! せっかくクソ寒い中初詣に行くんだからね、神頼みなんて信じちゃあいないけど、その神様ってやつにお願いすることくらいは今のうちに考えておかなくっちゃ」
「お、おぅ。っていうか、おまえ信じてないってわりには随分と鼻息が荒いじゃねーか」
「当然よ。わざわざこの私にご足労させてなけなしの賽銭まで払わせるんだから、それなりの誠意ってもんを見せてもらわないとね。……もし、何の効き目もなかったら」
「……なかったら?」
「来年、燃やす」
 ぎらつくその目は本気だった。ガチだった。
 見たこともないし、いることも信じちゃいない神に、それでも竜児は呼びかける。天におわす神々よ、こいつは本気です、やるといったらマジでやります。実際俺も死にかけたことがあります。なので命が惜しかったらほんの少しでもいい、神通力ってやつをこいつのために使ってやってくださいまし――と。
 竜児は心から自分のために、そして大河のためにそう願うのだった。



「……ん」
 目が覚めて、最初に見たのは変わり映えしないボロアパートの天井だった。
 ぼんやりする視界をこすり、はっきりしない意識のままで記憶を探る。
「う……寝てたのか。テレビも電気もつけっぱなしじゃねーかよ……」
 電気代がもったいない――と考えるのは、母子家庭の経済事情を知り尽くしている人間ならば当然のことと言える。とりあえず起きたのだから電気はともかくとして、誰も見ていないテレビはさっさと消した。口やかましい関西弁の漫才がぶつりと途切れ、部屋の中は静寂に満たされる。
 カーテンの向こう側はまだ薄暗く、隣接したマンションの明かりがいくつか点っている以外に光はない。まだ夜は明けてないらしい。
「さぶ……」
 こみ上げてきた寒気に竜児は思わず独り言をつぶやいて身を振るわせた。
 ふとんにもぐりこんでいるならともかく、この季節の明け方にコタツだけではさすがに冷えるというものだ。エアコンもいちおうあるにはあるが、いくらなんでも日がな一日つけっぱなしなどということをするわけもなく、コタツふとんからはみ出した上半身は冷え切ってしまっていた。
「そういや……ああ、初詣か。あー……今から行くのか……」
 探っていた記憶の中からつい数時間前のことを引っ張り出して、げんなりした顔をする。年越しというイベントを迎えてちょっとした興奮状態にあった時ならまだしも、一度完全にそれが醒めてしまうと何でそんなことを考えていたのだろう、と馬鹿馬鹿しくなってくる。おまけに寒いし、眠いし。自分が眠ってしまっていたということはどうせ大河だって――。
「……あれ、大河どこだ」
 ふと気がつくと、さっきまで大河が足を突っ込んでいたところにやつの姿がない。
 帰ったのか? とも思ったがそれだったらいくらなんでも気づくだろうし、声くらいかけていくだろう。だいたいコタツに突っ込んだ自分の足に何かが乗っかっている感触は変わっていないのだ、間違いなく逢坂大河はまだこの部屋に存在している。
 だったらいったいどこに、と、竜児はコタツふとんを捲ってみて――すぐにその答えに行き着いた。
「こ、こいつは……」
 大河はそこにいた。その小さなボディをフルに生かし足どころか頭まで全部突っ込んでいた。つまるところはコタツ内部のど真ん中にだんごむしのように丸まって太平楽に寝息を立てていたのだった。
「ネコじゃねえんだからよ……いや、確かに虎は猫科かもしれないが」
 くーくーと寝息を立てて、竜児の足を枕に見立てて大河はすっかりと熟睡している。突然飛び込んできた明かりがまぶしいのか、時折ひくひくとまつげを震わせているが、起きる様子はまったくない。
 というか、この熟睡っぷり、起こしたら間違いなく機嫌最悪状態になるのは目に見えているがどうしたものか。
 しかし初詣に行くのであればいい加減起こして支度をしなければ当初の予定である初日の出は確実に見逃すことになるだろう。起こさなかったら起こさなかったで、どうして起こさなかったかー、とお冠になる可能性も否めない。
「おい、大河。そろそろ時間だぞ。起きろよ」
「……くー」
 大河の頭が乗っかっている足をくいくいと動かして揺すってみる。
 が、かくかくと頭が動くだけでまぶたが開く様子もない。やむを得ず、もう少し派手に揺すってやる。
「おい、大河ってば。おーい、起きろって!」
 と、いい音がした。何か硬いものがぶつかり合ういい音である。
「……うっ」
 加減を間違えた。ものの見事に、大河の頭とコタツの天井に激突している。いくらなんでもこれでは目覚めないわけがない。
「んー……」
「よ、よう。朝だぞ、大河」
 竜児の足に頭を乗せたまま、ぼんやりと目を開いた大河とばっちり目が合う。
「頭、痛いんだけど」
「き、気のせいだろ? 寝ぼけてんじゃねえか?」
「……うー」
「それよりよ、初詣どうする。行くならぼちぼち行かないと間に合わないけど。初日の出とかさ、もうそろそろ夜が明けるぞ?」
 半ばごまかすようにまくし立てる竜児に、しかし大河は今にも落ちそうなまぶたのまま、小さく首を横に振った。
「いらない。めんどくさい。このまんまで、いい」
「そ、そうか?」
「いいの。ここにいる。眠いし、寒いし。ずっとここにいる」
 半分眠ったままなのだろう。大河はぽやぽやとした口調でそう言って、寒いともう一度つぶやきながらもそもそと移動を開始した。
「お、おいっ!」
「うるさい……眠いんだからわめかないでよ……しつけが、なってない……」
「いや、わめくだろこれは――おうっ!?」
 あまりのことにぎゃーぎゃー抜かす竜児の顔面に強烈な平手打ち。
 だが無理もない。コタツから出てきた大河は前後左右すら不覚だったのか、それとも単に声のするほうに引き寄せられたのか、ともあれ何故か竜児のすぐ横にもそもそと出てきたからだ。
「夜なんだから……騒ぐんじゃー、ない。おやすみ……」
「だ、誰のせいだと思ってやがる……」
 顔面を抱えて悶絶する竜児と対照的に、天使の寝顔で再び夢の中へと舞い戻っていく大河。子供のごとき寝つきのよさで、既にして熟睡モードへと移行している。もはや初詣だからと起こすなどかなわないだろう。起こしたら今度こそ殺られる予感がある。
「はぁ……ま、いいか」
 夜が明けて目が覚めて、そのすぐそばに竜児がいると知ったらどうせ大河はまた理不尽な怒りを見せるのだろう。そうなったら竜児に抗うすべなどない。怒る虎のなすがまま、餌食となるだけだ。対等なはずなのに、随分と尻に敷かれた竜もいるものだがもはや今更だ。
 それに正直言って、竜児も眠いのだ。大掃除に料理の仕込み、いつもより少しだけ忙しくて少しばかり疲れている。おまけにすぐそばにあるぽかぽかした大河の体温が暖かくて、否応なしに眠気を誘う。
「このまんまで……いいや。俺も……」
 ずっとこのまんま、のんびりと寝ていられたらどれだけか幸せだろう。
 寝づらいのか、もぞもぞ動かして腹の上に乗っかってくる大河の頭を感じながら、竜児もまた眠りへと落ちていく。初詣だの初日の出だの、神頼みの願い事だのもうどうでもいい。とにかく今は、ただこうやって寄り添って寝ていられれば何でも良かった。

 だから。
 竜児の願いを受けた神様が、どんな願いをかなえるかは――それこそ、神のみぞ知る、というやつなのだった。






 ひっさしぶりにサイトのSSを更新してみました。
 とらドラです。原作のほうはもう少しで終わりそうですね。結末は大体見えてきましたが、電撃だから油断できないのが怖いところ。
 頼むからこれ以上無駄にぐだぐだ伸ばさないでくれ、と切に願わずにいられません。


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