白稜柊3−Bの朝は、担任である神宮寺まりもがクラスの出席を取ることから始まる。
 いつものように笑顔を湛えて教室に入ってきた彼女は、教え子たちの顔を見回し、そのうち二人の顔を見つけていっそう嬉しげにそれを綻ばせた。

「あ、今日は彩峰さんも鎧衣さんもちゃんと来てるのね。先生嬉しいわ〜。それじゃ、出席取るわね」

 出席番号順、つまるところ単純な五十音順に、まりもは一人一人クラスメートの名前を読み上げていく。
 神宮寺まりもという教師は、ちょっとばかり抜けたところもあるが自分が受け持っているクラスの生徒たちをこよなく愛していた。彼らのうち一人でも出席が欠けるとそこはかとなく悲しいし、いつも通りに元気な声で返事をしてくれるとそれだけで嬉しい。些か子供っぽいところもあるが、だからこそ全校生徒に愛される教師なのだろう。
 そのまりもが、出席を取っている時、はたと気がついた。今日はなんだかクラスの様子がおかしい。
 今のところ欠席者は誰もいない。遅刻欠席の多い彩峰慧も、鎧衣美琴もちゃんと席にいる。それは喜ばしいことなのだが、彼女ら、いや彼女らだけではなくクラス全体に妙な緊張感が漂っているのだ。

「……?」

 何かあったのだろうかと首を捻ってみる。
 思い返せばあの十月二十二日という日からこのクラスは白銀武という少年を中心にして騒動の耐えないクラスとなった。一日で三人が転校し、更にそれを埋めるようにして三人が転入してくる、それだけでも只事ではないというのに、その三人が揃いも揃って武にただならぬ想いを寄せていたとあっては、これはもうほとんど漫画かアニメか、はたまたゲームの世界のおとぎばなしのような話だ。
 まぁ、これだけならば青春のひと言で片付けてもいいだろうとは思う。一人の少年を中心にした三角、いや四角関係なんて聞いたこともないような話だが、恋愛だって学生にとっては大切なこと。多少複雑であっても、むしろ彼らの人生を豊かにしてくれるまたとない経験だ。

 それが多少ならば、だ。
 実際のところ、四角どころか九角関係だった。

 それなんてギャルゲ? と、以前香月夕呼の趣味のために無理矢理プレイさせられたゲームの内容を思い出してつぶやいたものだ。
 はっきり言ってそれだけでもう自分の手には余ることだというのに、更にまた何かあったというのだろうか。
 知らずのうち、まりもの額に大粒の汗が浮かんでくる。
 正直なところあんまり考えたくはない。そういった場合は大抵ロクなことではないからだ。

「と、とりあえず出席続けるわね。え、えっと……瀬戸内さん……高見沢さん……月詠さん……」

 はい、という澄んだ返事に頷いて返し、出席を続けようとして――まりもはぎしりと固まった。

「つ、つくよみ……まなさん?」
「はい」
「つ……つくよみさんって、だれぇ〜〜〜?」

 繰り返そう。神宮寺まりも教諭は教え子たちを愛している。教え子たちが全員出席してくれるなら、教師としてそれに勝る幸福はないと考えている。
 ……が、いくらなんでもメイド服で学校に登校して来るような教え子を持った覚えはない。断じてないのだ。そんな校則違反を犯すような生徒などいていいはずがないのだから。
 だからもちろん、この時まりもが両目からオロロンとぶらさげていたのは嬉し涙などではなく悲しみの涙だった。もしくは諦め。

 ――なんで私のクラスばっかりぃ……

 友人であり同僚である香月夕呼は白銀武のことを恋愛原子核と評したが、もしかしたら自分は不幸の原子核なのではなかろうか――まりもはがっくりと肩を落としながらそんなことを考えていた。





月詠さんのご奉仕





「神宮寺教諭の仰るとおりだ。月詠、何故そなたがそこにいる」

 すまし顔をして席に座っている月詠真那を横目で睨みつつ、冥夜がしんとなったクラスの静寂を破る。
 御剣冥夜――十月二十二日に転入してきた女子生徒で、言ってしまえば今日の騒動の口火を切った片割れである。

「月詠……ここは学生たちの神聖な学び舎です。既に到底学生とは言えないそなたが居ても良い場所ではないでしょう?」

 何気にきっついことを言っているのは御剣悠陽。冥夜の双子の姉であり、騒動の口火を切った人その二だ。

「お言葉ですが、悠陽様、冥夜様……」

 悠陽の言葉に一瞬ばかりこめかみ引き攣らせただけで、いつもの笑顔に戻った月詠真那は、あくまでに従者が主人に対する丁重な口調と態度で口を開く。
 月詠真那はその恰好が雄弁に物語っているように、御剣家の次期当主に仕える侍従長である。平たく言うと、悠陽と冥夜付きのメイドさんのえらい人だ。家事して良し、護衛して良し、おまけに器量も良しと三点揃ったスーパーメイド。一家に一人いればそれだけで人生バラ色になれてしまう様な、すごいメイドさんである。
 そんな月詠だから、普段は己の主人に口ごたえをするようなことはまずない。だというのに、こうして反論するのはそれだけで彼女を知っている者たちからすれば驚愕モノの事態であった。

「先日の料理勝負……勝者には武様の隣の席が与えられると、そういう約束になっていたはずです。そしてその戦に勝利したのはこのわたくしです。ならば当然、私にはここにいる資格があるものと思うのですが……ね、武様?」
「え、オレっ!? あ、いやまぁ……そうなんじゃないか、な……?」

 にこりと可憐な笑みを向けられ、渦中の白銀武はどもりつつも頷き……ながら首を傾げるという器用なことをやってのけていた。
 そんな武に冥夜と悠陽、そしてかの料理勝負に出場していた他の少女たちの視線がいっせいに集まる。

「たぁ〜けぇ〜る〜ちゃぁ〜〜〜ん?」
「ちょ、待て純夏! オレが悪いのか、ツーかむしろ勝負に負けたおまえらが悪いんだろ!?」
「その勝負の審査員は白銀……」
「ぬぐっ!」
「そうだよっ! なんでさ! どーーーしてさ!」

 ――なんでもどうしてもこうしても。

 かの料理勝負、審査員は白銀武であった。というか、そもそもの発端が武の隣に誰が座るのか、というものであったのだから、彼以外の者が審査員になれようはずがない。よって、勝者として月詠を選んだのも当然武ということになる。
 だがそれで何で自分が責められなくちゃいけないのか――と、武は実に理不尽なものを感じていた。
 確かに誰を選んでも角が立ちそうなあの状況で、言ってしまえば一人だけ蚊帳の外である月詠を選ぶのが最も事を丸く収められる選択なんじゃないだろうか、なんてヘタレた思惑がなかったとは言わない。
 が、たとえそれを抜きにして純粋に味だけで選んだとしても、やはり武は月詠を勝者として選んだだろう。それほどに美味であったのだ。

「なんでもどうしてもこうしても! おまえだって納得してたじゃねえか! 月詠さんのアレ、美味かっただろ!?」
「うっ! ……そりゃぁ、そうかもしれないけどさぁ……」
「確かに……あれは美味しかったわね……」
「そうだねぇ、ボクあんなにおいしいの食べたことなかったよー」
「ミキもですー」
「でもタケルちゃんずるいよ!」
「なにがずるいのかさっぱりわかんねー!」

 ぶーぶー言いつつも純夏、それにクラス委員長である榊千鶴もそれを認めないわけにはいかなかった。アレを前にしては否応なく敗北を認めざるをえない、それほどのものだったのだ。

「というわけでオレの判定は間違ってないッ! だから月詠さんもここにいていいんだよ! ……多分」
「嬉しゅうございます、武様。そんなにお気に召したのでしたら、また作って差し上げますわ」
「おおっ! マジですか!?」
「マジにございます。ですが今すぐにというわけには参りませんので、今夜にでも……。と、いうわけですので神宮時教諭、授業のほうを……」
「待て月詠! 話はまだ終わっておらん!」

 教壇に顎を乗せてぶらさげた涙をコチーンコチーンと器用にアメリカンクラッカーさせているまりもを促そうとした月詠に再び入ったちょっと待ったコール。
 納得いかんと憤然としている冥夜と、妹のように態度に表しはしないものの、瞳が静かに語っている悠陽である。

「話をはぐらかすでない、月詠。そもそもそなた……既に高等教育はとうの昔に終えている身でありながら、この場で何を学ぼうというのです。何も学ぶことなく、漫然と怠惰に時を過ごすためだけにこの学び舎にいるなどということは許されませぬ」
「恐れながら悠陽様。確かに私、高等教育といえるものは終えてはおりますが、それも御剣の侍従となるべくして集められた者たちだけの、狭い世界でのこと。このように男女共にありながらの教育というものは受けておりません。故に、遅ればせながらの人生教育の一環かと存じております。それに……」
「それに、なんだ」
「御館様のご許可はいただいております」
「ッ……御爺様の」

 悠陽の脳裏についこの間会ったばかりの祖父の姿が思い描かれる。たった一ヶ月会わなかっただけだというのに両瞳から滝のように感涙を迸らせていた、厳しくも優しい、しかしやっぱり厳格な祖父。
 御剣家現当主、御剣雷電。その声は御剣に属する者にとっては神の声、ゴッドボイス、ラ・ムーである。それはいかに悠陽、冥夜であろうとも例外ではなく、逆らうことはできないのだった。ラァァァァイ!



◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「タ・ケ・ルちゃーん! お昼だよ! ごはんだよ! さぁ食え!!」

 つつがなく――というわけでもないが午前の授業が全て終わり、学生にとっての一番の楽しみである昼食の時間が訪れる。
 その途端、純夏が武の机の上に彼女曰くところの心のこもったお昼ごはんをでんと積む。

「今日のお昼は松茸づくしぃ! タケルちゃん前から飢えた獣のようにまつたけー、まつたけーってうるさかったもんね。そんなわけで見るに見かねた優しい幼馴染様が心をこめて作ってきてあげたというわけなのさ。だから食えッ!」

 実に清々しい笑顔でぱかっと開かれた弁当箱の中身を、どれどれと覗き込む一堂。そりゃ昼間っから松茸尽くしなんて贅沢なモノ、なかなかお目にかかれるものではない。庶民にとってはどんなご馳走がと、興味を持つのは無理はないだろう。
 が――。

「鑑……これ……」
「どうだっ! すごいでしょ? うちではわりと普通に出てくるんだけど、タケルちゃんがどーしてもっていうから奮発しちゃった」
「えーっとぉ、あのぉ〜」

 絶句する千鶴と、中身を見て実に言いにくそうにしているたまの頭に、ぽんと武の手が乗せられる。

『何も言うな。言ってやるな、それが優しさなんだ』

 振り向いた二人の目に映った武の瞳はそう語っていた。
 時として正直なことはひどく残酷である。真実を告げることが常に正しいわけではない、騙されたままでもその者が幸せならば、それはそれでいいではないか。告げることで悲しみしか与えられない正直など、それは優しさではなくただの自己満足なのだ――。
 武のそんなメッセージを、二人はしっかりと受け取った。受け取って、彼の気持ちをしかと理解した。ああ、鑑純夏よ。あなたはいつまでもそんなあなたでいて。いつまでも幸せなアホの子のままでいてちょうだい――そんな切なる気持ちを。

「そ、そうねぇ、美味しそうなまつ――キノコね!」
「は、はい〜! すごく美味しそうなしめ――じゃなくて、キノコです!」
「でしょ、でしょぉ!」

 無理矢理に作り上げた笑顔で褒め称える二人に、気をよくしてぐんと胸を張る純夏。
 だが、無論事態を理解していないのは彼女一人だけであり、クラスの他の連中は顔を背けたり目頭を押さえたりと実に切なそうな顔をしている。

「許せ純夏……これもおまえのためなんだ。恨むならおまえを一八年間騙し続けたおばさんを恨んでくれ。決してオレを恨むなよ」
「欺瞞だね、白銀……そうやって何人の女の子を騙してきたの?」
「人聞きの悪いことを言うなッ!」
「……よし、よし」
「あー……さんきゅな、社」
「……はい。あと……霞でいいです」
「ああ、そだったな、霞」
「……はい」

 本人的には身に全く覚えのない言いがかりをつけられて怒鳴る武の頭を霞がなでなでと撫でる。それに武が心底からのお礼を返して、彼女が薄っすらとした笑みとともに頷く。ここ最近よく見られるようになった光景で、武にとっては大人しやかでいつも優しい霞が、今や癒しであり救いであった。
 転校生の中で唯一まとも――と最初に評したそれは武にとって今や確信であり、むしろ転校生以外の連中も含めた広い範囲にその評価は適用されている。そういった意味では、社霞は早くも白銀武にとって必要不可欠なポジションを勝ち取ったと言えるだろう。無欲の勝利である。

「ところで武、取り込み中すまないが、少し気になったことがあるのだが」
「あん? どした冥夜」

 振り向くとそこには冥夜。純夏が持ってきた弁当箱をしげしげと眺めて首を傾げている。
 中身を見て、実に不思議そうな顔をしていた。そこには一片の邪気もなく、ただちょっとした不思議を見たかのようなごく当たりまえの疑問があるだけだった。

「鑑の作ってきた弁当なのだが、先ほどから口にしておる松茸なるもの、以前私が見たものとはだいぶ違うような……」
「ん? 冥夜さんなんか言った?」
「気のせいだ純夏! 冥夜もきっと見間違えてるんだ! 間違いってのは誰にでもあるものであって、それは必ずしも正さなくてもよい場合もあるわけであってだな――」
「ええ、冥夜の申すとおり、私の間違いでなければそれは確かシメ」
「――って、だから悠陽も空気読め! っツーかおまえ確信犯だろ!」

 ころころと楽しげに笑う悠陽と、今も首を傾げてよくわかっていない様子の冥夜。双子だけあって顔はよく似ている二人だが、性格のほうはというと、これがあまり似ていなかったりする。
 世間知らずで一途で真っ直ぐ、それだけに時折大ボケをぶちかましたりするのが冥夜で、世間知らずと見せかけて実は何気に一筋縄ではいかないのが悠陽だ。あえて周囲を引っ掻き回すようなことを言って楽しんでいたりするので油断できない。しかし、かと思ったらマジボケかますこともあるので更に油断できなかったりする。
 まぁ、いずれにせよこの御剣姉妹、揃って突拍子もない事を言い出したりやったりするという意味では確かに双子だった。

「とにかく――だ。ワリィけど純夏、俺はその弁当を食うわけにはいかない」

 本来なら学生にとって最大の癒しであるはずの昼メシの時間になんだってこんなにくたびれなければいけないのかと理不尽なものを感じつつ、武はきっぱりと断言した。
 途端にあがる周囲のギャラリーからのどよめき。
 それはそうだろう。普通、幼馴染の手料理などマンガだのゲームだのの世界でないとありえない。それが現実に繰り広げられている武を中心とした一連の騒動は、青春真っ盛りの学生たちにとっては良い娯楽なのだ。武の一挙手一投足が気になるのも当然である。無論当事者本人にとってはそんな物見高さがうっとおしいものだったが、彼らを責められないのは同じ年齢の時間を過ごしている自分自身もよくわかっていた。
 と、そんなことはともかくとして、そんなギャラリーにとっても期待通りに納得いかないとぷんすかするのは当の純夏である。

「えぇーっ! 何でだよタケルちゃん!」
「何でもなにも、オレは今日弁当をちゃんと持ってきてるからな」
「へ? お弁当?」

 うむ、と鷹揚に頷いて教科書など一冊も入ってなさそうな薄っぺらい学生鞄から、きちんとアイロンをかけられた薄いグリーンの布巾に包まれている大振りな弁当箱を取り出す。括っている結び目も綺麗で、さぞかし几帳面な人の手によるものだろうと一目見てわかる。

「なんでだよぅ! だってタケルちゃんち、今おじさんもおばさんもいないじゃない! なんだっけ、確かシベリアに行ってるんだっけ?」
「いや、世界一周だ……ってまぁ、んなことはもうどうでもいいんだよ」
「どうでも良くない! だってそれじゃあ、誰がお弁当なんて作るのさ! ――もしかして冥夜さんか悠陽さんっ!?」
「いや、違う。……その、知っての通り私は料理というものの経験がないのだ。……よもや姉上が?」

 先日の料理勝負でも冥夜は『自分にできる最高のことを』ということで、御剣の料理人たちを使っていた。
 反面、同じ御剣でも悠陽のほうは『自らの手で最高のことを』ということで手料理を振舞っている。この辺りの女性らしさではさすがに姉妹でも悠陽に軍配が上がったが、いずれにせよ敗北を喫したのは同じである。
 とはいえ、悠陽に料理ができるのは事実であるからして、冥夜は少々悔しげな視線を姉に向けたがその姉は、

「私でもありませぬ。先日の勝負に負けたこの身はまだまだ未熟ゆえ……」

 と、小さく頭を振り、いずれはきっと、という意志をこめて熱っぽく武を見つめた。

「冥夜さんでも悠陽さんでもない……となると、それじゃ霞ちゃん?」
「……ちがいます、わたしじゃありません」

 純夏の問いかけにフルフルと首を振って答える霞。
 ぶっちゃけた話――この辺りで純夏にも既に答えはわかっている。隣に住んでる自分でなければ殆ど同居に近い御剣姉妹でもない。そうなると自然に容疑者は冥夜と悠陽に仕える四人の侍従に絞られるわけだが、まさかあの三バカではないだろう。となればもはや消去法で答えは簡単に出るのである。
 しかし、武の背後に控えるようにしてニコニコと笑っている誰かさんに二度も三度も出し抜かれたことをヤキモチが認めたくないのだ。縋るように机を囲んでいる他の面々を見るが、千鶴は肩を竦めて頭を振り、たまも同じくプルプルと否定する。美琴はむしろ武の弁当箱の中身のほうを気にしているし、慧に至ってはそこはかとなく幸せそうにヤキソバパンを頬張っていた。

「う、ううぅ〜〜〜、それじゃやっぱりぃ」
「はい。ご明察のとおりわたくしですわ、鑑様」
「ガボーーーーーーン! やっぱりまた月詠さんだぁ!」

 まさにショック! とばかりのオーバーリアクションで感情表現する純夏の頭を、例によって霞がよしよしと撫でる。

「なんでぇ〜、どうしてぇ〜」
「昨晩武様に伺ったところ、お昼は毎日パンか食堂で召し上がっているとのことでしたので。それでしたら、差し出がましいとは思いましたけれど、不肖ながらわたくしが御世話させていただきたいと申し上げたのです」
「でも、だって月詠さんは冥夜さんと悠陽さんのメイドさんなんじゃないの? タケルちゃんなんてどーでもいいじゃん」
「テメ、純夏! どうでもいいってなんだどうでもいいって!」
「そうは参りません! 武様は冥夜様と悠陽様にとって、ひいては御剣にとっても大切なお方。そのお方に全身全霊を持ってお仕えさせていただくのは、わたくしにとって当然のことであり喜びでございます。ですが――」

 と、月詠は僅かに切なげに潤ませた瞳をツと武に向ける。

「――もし、武様が迷惑だと仰るのでしたら……わたくしは……」
「ンなことないです! 迷惑なんてとんでもないッ!」
「まぁ、よかった!」

 なんて、そんな目で見つめられたら男は否応もなく頷くしかない。悲しきは男の性か。所詮女の掌の上である。

「それでは武様、給仕させいただきますので、何かあれば月詠にご遠慮なくお申し付けくださいませ」
「あ、いや、そこまでしてもらわなくても」
「……ご迷惑なら、そう仰っていただければ……」
「不肖白銀武、よろしくお願いさせていただきますっ!」

 言って、完全に懇願する形で月詠に給仕をしてもらっているのだから世話はない。
 主導権を月詠に完全に握られ、月詠が一つ世話を焼くたびに周りから巨大で鋭い棘が刺さるものだから、結局武は精神に多大な疲労を負うことになるのだが文句を言うのは贅沢というものだろう。

「ふんだっ! タケルちゃんのバ〜〜〜カ! 年上スキー! コスプレマニア! 後で松茸ごはん食べたいって言っても絶対作ってやんないんだかんね!」
「だから人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇ! それにバカはどっちだこのド級バカ! 略してドバカ!」
「あんですとぉ〜〜〜!?」

 なんとも騒がしい昼食の光景である。本来ならば月詠のような人間ならば彼らの態度を諌めてしかるべきなのだろうがそうしない。
 これが彼らにとって当たりまえのことで、自分が受けてきた教育からすれば考えられないことだったが、これがごく普通の学生の昼食の光景なのだと今では理解していた。
 それでもこの行儀の悪さはちょっと行き過ぎのような気がする。
 月詠はほんの少しだけ困ったように笑って、それでもまぁいいかと、用意した武のカップに紅茶を注ぐのだった。



◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ――その日の夜。

「と、いうわけでタケルちゃん! 今日の晩御飯はわたしたちが作るんだからね! 月詠さんじゃなくて!」
「いまだ至らぬ身なれど、そなたの為に全力を尽くそう」
「武様は旦那様らしく、そこでお待ちになっていてくださいませ」
「あー、はいはい。頑張ってくれ」

 いつも通りに賑やかな白銀家の台所で、三人寄って姦しい少女たちが気合をたっぷりと込めて料理に励んでいる。
 前言撤回。いつも以上に騒がしい。

「悠陽さーん、そこのお醤油とってくださーい」
「少々お待ちくださいな。火の加減を見ておりますゆえ、手が離せません」
「……鑑、私はいったい何をすれば良いのだろうか」
「えぇ? えーっと、それじゃあ野菜切ってくれるかな。あ、まな板は切っちゃ駄目だよ。冥夜さん、手加減一発で岩を切り裂くから」
「む、心得た」

 一般家庭並みの広さの白銀家の台所も、三人が一緒になって入っていればそれは手狭にもなる。それでも、窮屈そうにしながら三人はなんだか楽しそうだった。

「なんだかなぁ」

 エプロンをつけた女の子たちが、あれこれと自分のために動き回るという、普通の男子ならば垂涎者の光景を武は、しかしあまり感激した様子もなくリビングのソファからぼんやりと眺めていた。

「武様、お隣よろしいですか?」
「あぁ、月詠さん。どうぞ、別にンなこと言うまでもないですよ」

 三人に台所から締め出されてしまったため、手持ち無沙汰な月詠が紅茶を持って武の隣に座った。
 武と並んで深い紅色の紅茶に口をつけながら、月詠も台所のほうに視線を向けて苦笑する。
「わたくし、追い出されてしまいましたわ。本当ならば武様に美味しい食事を作って差し上げたかったのに」
「はは……」

 武はそんな月詠に苦笑する。そのついでに、月詠が淹れてくれた紅茶をひと口飲んで、もう一度台所のほうに視線を向けた。
 台所では純夏はもちろん、冥夜も悠陽もあれこれと言い合いながら料理をしている。悠陽はいつも通りの様子で、いっそ優雅と言って良く、純夏はいつも以上に気合が漏れ出ている。冥夜は――どこか難しい顔をしているが、それでもひたむきにまな板の食材と格闘していた。
 ちょっと前までは自分と両親と、それからたまに純夏を加えた四人での食卓だった。それがこの短い間にあっという間に自分と純夏、それに御剣姉妹と月詠に三馬鹿の八人。変われば変わるものである。
 おまけに学校に行ったら行ったであの騒ぎだ。何もかもが十月二十二日という日を境にして変わってしまった。
 無論、それが嫌なわけではない。気苦労も耐えないが今の生活はそれなりに楽しいものではあるし、女の子に好かれている状況ももちろん嬉しくないはずがない。

「けどなぁ……」
「どうかさないましたか、武様?」
「いや、純夏はまぁ、ともかくとしても、何で冥夜と悠陽はオレにここまでしてくれるんだろうな、ってさ」
「お二人とも武様のことを好いておいでですもの」
「それが良くわかんねぇんだよな」

 首を傾げる武に、月詠はちょっとだけ真面目な顔をして、

「……それは武様ご自身で知るべきことですわ。月詠には何とも申せません」

 もちろん、武にもそんなことくらいはわかっていることだ。月詠が真剣に、少し怖い顔したことに驚いたものの素直に頷く。

「それじゃあ、月詠さんは? やっぱり冥夜と悠陽がその……だからか?」
「そうですわね。それも勿論理由としてございます。けれど――」
「つ、月詠さん?」

 ちょっと気になったことを冗談半分、適当にあしらわれると思いながら聞いてみた。
 が、月詠は意外にもそうせずに、むしろ武の顔を覗きこむようにして身を寄せてくる。
 目の前、少し手を出せば触れられるところに月詠の身体がある。身を乗り出せば体温を感じられるところに、目鼻立ちの整った彼女の顔がある。カップから立ち上る紅茶の香りに混じって月詠自身の甘い薫りが漂い、僅かに触れる吐息が武をくすぐった。
 彼女は、どこか戸惑いを含んだ瞳で武を見つめていた。

「――正直なところ申しますと、わたくし自身にも良くわからないのです」
「あ、あの……」
「ですが、何故でしょうか……わたくし、ずっと前から武様のことを知っているような気がするのです」
「知ってるって――」

 そんなはずはない、そう言いかけて言葉を飲み込んだ。
 そうとは言い切れない覚えが自分にもある。冥夜と悠陽が転校してきたその日に、教室に入ってきた月詠を見て、間違いなく武の心は揺さぶられた。涙こそ流れなかったものの、こみ上げてきた感情が間違いなくあった。
 武と月詠が正面から見詰め合う。流れる空気が何となくくすぐったくて、しかしそれが心地よく感じられた。

「武様が……」
「お、オレが……?」

 ぐびり、と我知らず喉が鳴る。
 そして月詠は、

「武様が、とても可愛らしい方だということ」
「……へ?」

 にっこりと、まさに華が咲くような笑みを綻ばせて武の鼻の頭を突っついた。
 ちょんと武の頭を後ろに押しやって身を離す。

「ふふっ、武様はもうお身体もこんなに大きいのに、どこか子供っぽくて一生懸命で、そんなところがすごく可愛らしく思いますわ」
「な、なんですかそれ。オレはてっきり」
「そんな武様のことを、月詠はお慕い申しております。ですからわたくしは、武様のために全身全霊をもってお仕えさせていただくのですわ」
「あ、う。そ、そうですか。そりゃどうも……いや、なんていうか、ありがたいことです」
「そのような礼などいらぬことでございます。わたくしが望んでこうしているのですから」

 男にとって可愛いは誉め言葉じゃない、などと陳腐なことを考えはしたものの、月詠のような大人の女性にこうも言われてはどうしようもできない。
 しどろもどろに顔を赤くし、それを隠すようにして紅茶を飲み干した武のカップを取って、ソファから立ち上がる。

「お代わりはいかがですか?」
「あ、すんません、いただきます」
「はい。それでは少々お待ちを……」

 くたびれたようにソファに背中を預けてため息をついている武に背中を向け、紅茶の支度をしながら月詠はそっと微笑み、心の中でつぶやく。

 ――武様は本当に可愛らしくて……本当に、愚かしいほどにお優しくて、それに……頼りがいのある殿方ですわ。

 何故そんなことを出会ったばかりのはずの武に思うのか、月詠自身にも良くわからない。
 けれども武に会い、この家で初めて接した時にわけもなくそう思った。冥夜と悠陽、それに武を取り巻く彼女たちがああも彼のことを慕うのも、ひょっとしたら自分と同じなのかもしれない、などと不遜なことを考えてしまう。
 或いは夕呼が言う、恋愛原子核なるものが本当にあるのではないか、とか。
 だが、とりあえずは理由などどうでも良かった。
 今はこの家で、冥夜と悠陽に仕え、それに武にも仕えられることが月詠にとって一番のことだった。幸せであるとさえ思う。

 さしあたっては武のために美味しい紅茶を淹れて、食後のデザートに料理勝負の時にも作った、美味しいプディングを作ってあげることとしよう――。



◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「お昼だよタケルちゃん! 今日こそはわたしのお弁当を食べてもらおうかーーーッ!」
「タケル、今日は私も自分で作ってきてみたのだ。その、鑑や姉上に比べたら出来は良くないのだが――」
「と、冥夜は申しておりますが、私も手伝いました故、是非にも食していただきたく……」
「白銀、これあげる。ヤキソバパン。今日のは、実は手作り」
「た、たたた、たけるさん! あ、あのねっ、わ、わたしもお弁当……えっと、つ、つ……作りすぎちゃったから一緒に食べてください!」
「あのねタケル! 昨日ね、港で晩御飯を調達してたらたまたまインドマグロがかかっちゃって、一人で食べるの大変だから手伝ってくれないかな」
「はぁ、まったく良いご身分ね、白銀君。……別に私はどうでもいいんだけど、えっと、学食に行くんだったら、付き合ってあげるわよ」

 翌日の昼飯時、チャイムが鳴った瞬間にこの有様である。
 例によって例のごとくクラスの連中はまたか……と遠くから眺めながら、思い思いに食事を楽しんでいた。中には武がいったい誰と昼食を共にするのか、トトカルチョをやっている者までいる。もはやすっかり風物詩だ。
 で、最近昼飯の時間が最も疲れる時間となってしまった、武はといえば、机の上に突っ伏して霞に頭を撫でてもらっている。
 綺麗どころの女の子たちに昼飯を作ってもらうのは嬉しいは嬉しいのだが、正直、八人全員の食事に付き合うことは出来ないのだから、ちょっと勘弁してもらいたい気分ではある。完全にキャパシティオーバーだ。
 それに、だ。

「あー、おまえら……言っとくけどオレの今日の昼飯はだな」
「本日もわたくし、月詠がご用意させていただきました」

 しゅたっ、とどこからともなく弁当箱を携えてあらわれた月詠。巻き起こるブーイング。

「まぁ、そういうわけだ。悪く思わないでくれ」
「タケルちゃんそんなにメイドさんが好きなのー? なんだったらわたし、明日からメイド服着てこようか?」
「だから人聞きの悪いこと言うなっつーの! ……嫌いじゃないけど」

 ぶーぶー言う周囲のブーイングをシャットアウトし、月詠から弁当箱を受け取る。
 しかし何度も彼女たちの誘いや厚意を無碍にするのは悪いし、もう少し何か考えないとまずいよな、とか思いつつ弁当箱のフタを開けて、

「ぎゃおーーーーーーーーっ!!!」

 武は吠えた。

 無理もない。
 よもや、白いごはんの上にピンクのハートマークがあろうなどと、神ならぬ武の身では知りえようはずもない。

「つ、つ、月詠さん。こ、これはいったい……」
「愛情を込めて作らせていただきました。さ、召し上がれ」

 にこにこと笑っている月詠の笑顔に脅威を覚える武。
 が、それ以上に他の連中の視線がもっと怖い。ツーか、霞ですらなんだか否応なく罪悪感を呼び起こすような視線でじっとこちらを見つめている。

「ターケールーちゃぁん……これ、どういうことぉ〜〜〜?」
「お、オレが知るかーーーっ! ツーかむしろ教えてくれ誰かッ!!」

 助けを求める叫びを上げながら、武はとりあえずひとつのことを決意する。
 この昼飯時を無事に切り抜けたら保健室で胃薬を貰おう――と。






 タイトルはすげぇ適当。ツーか、タイトルつけるの苦手なんですわい。
 というわけでオルタ、Finalアフターの月詠さんSSでしたとさ。
 いいよね、月詠さん。メイドさん。うはっ!


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