お昼ごはん時も終って、丸まって転がる子猫も眠る、まったりとしたある日の昼下がり。 深山町住宅街でも一際大きな和風建築、いわゆるところの衛宮邸の門から、小柄な少女が現れた。 遠目からでもわかる輝くような金糸の髪を結い上げ、清楚なブラウスと紺のスカートという出でたちの少女はセイバー。 つい最近、衛宮邸に住み着いて、衛宮士郎をご近所でも噂のアイツにしてしまった張本人である。 なんせ彼女は十人に問えば十人が応と答えるすこぶるつきの美少女。 そんな彼女が以前から間桐さんところの娘さんや、藤村さん家のお嬢さんが出入りしている衛宮邸に住み着き始めたのだ。噂好きで暇してるおばちゃんたちのゴシップの種にならないわけがない。 もっとも家主である衛宮士郎も、当事者であるところのセイバー自身も世間というのに疎いもんだからそんなことなどまったく気づきもしないのだ。 影で結婚式がいつだの、子供がどうのこうの、間桐さんところと二股がどうだとか、そんな昼メロチックな会話が交わされているなど知る由もなかった。 実際のところ、世間に疎いとかそういうのは抜きにして、彼らにはそんなことを気にしている余裕などなかったのだ。 一見平和なこの冬木市で、人知れず魔術師とサーヴァントと呼ばれる英雄たちの戦争が行われているなど、いったい誰が知ろう。 今は普通に学園に通っている士郎も、こうして普通の少女と変わりない姿で家から出てきたセイバーも、その戦争に参加しているのだ。 士郎は魔術師。セイバーは彼に仕えるサーヴァントとして。 セイバーのために毎日美味しいごはんを用意している士郎の姿を見るとどっちが御主人だ、と思えなくもないが、なんにせよ二人は聖杯戦争という血みどろの争いにその身を投じていた。 ――さて、そのセイバー。 士郎が家にいないこの真昼間、彼女は普段家でごろ寝しているのだが、今日はちょっとだけ事情が異なった。 前述の通り、衛宮邸の前の道を商店街に向かって、浮き立つような足取りで歩いているのだ。 ……その手にライオンのがまぐちを大事そうに持って。 足取りに、ひと房跳ねてる髪をぴこぴことリズムよく揺らし、この時期には珍しく暖かな日差しに顔を綻ばせながらふわふわと歩く。 なにがそんなに幸せなのか知らないが、擦れ違う人も思わず微笑んでしまうくらい、彼女は幸せそうだった。 そんなセイバーを、電信柱の影からそっと見守る影がひとつ―― 「ふ……あのように浮ついた心で己が身を晒すとは。セイバーも存外に……いや、彼の者もまた普通の娘であればそれが当然というものか」 ――いや、その背には地蔵を背負っているからむしろ二つと言うべきか。 この洋風文化全盛の時代に、群青の羽織を涼やかに着こなした青年はアサシン――佐々木小次郎。彼もまた、聖杯戦争の渦中にその身を置くサーヴァントの一騎であった。 彼は普段、彼のマスターが根城にしている柳洞寺の山門で、流れる風をその身に受け、舞い散る木の葉に句を詠いと、剣を抜かぬ時はそれは風流な時間を送っていたのだが、 『アサシン、貴方もアサシンのサーヴァントなのでしょう? だったら敵の戦力偵察のひとつもやってみたらどうなの? そんな、お地蔵様のお供え物なんて食べてないで、罰当たりな』 と、マスターであるところのキャスターにそんなことを言われてしまったのでこうして山から降りてセイバーを見張っていたのだ。 ちなみに山門に縛られているはずの彼が何故こうして自由に歩けるのかというと、それには様々な事情が絡んでいるのだがここでは割愛しよう。 ただ、あえてひとつだけ言うならば、地蔵。 ともあれ、アサシンはマスターの言いつけ通り、朝からずっとこの衛宮邸を電信柱の影から張っていたのだ。 もしセイバーが家でごろ寝してたらどうするつもりだったんだろう。 だが事情はどうあれ、首尾よくセイバーはこうして家を出て、緩みまくった表情で商店街に移動中である。これは絶好の偵察の機会と言えよう。 もちろんアサシンがこの機会を逃すはずもなく、セイバーの後を追って、あくまでこっそりと尾行を開始する。 と、その時だった――。 「! 誰です!?」 ふわふわと生まれたての子ライオンの様だったセイバーが突如、裂帛の気迫を発し、獅子のごとき眼光でこちらを振り返ったのだ。 咄嗟にゴミステーションのポリバケツに飛び込んで身を隠したからいいようなものの、もし一瞬遅かったら……もしくはゴミの日を破っておばちゃんがゴミを捨てていたら……そう思うと冷や汗の出る思いであった。 「――さすがはセイバー……おいそれと油断など出来るものではないな」 セイバーが首を傾げながら通りの向こう側に歩いていくのを見やりながら、自嘲気味につぶやく。 当に不覚であった。 如何に今日の彼女がどこか気を緩めていたとしても、彼女はまごうことなきセイバーのサーヴァントであり、更に直感Aのスキルを身につけているのだ。 こちらの一瞬の気の緩みは、即、任務の失敗に繋がる。なんとも不公平だとは思うが、それが最優のクラスとアサシンである自分の差であると思い知った。 「だが私も――所詮は紛い物とはいえ、アサシンのサーヴァント。些少なりとも己に矜持というものも、ある」 口元に僅かな、しかし己に絶対の自信を持つ者だけに許された笑みを浮かべ、バケツの外に出るアサシン。 その背中では地蔵が――相も変わらず静かな表情で合掌していた。 商店街にて――。 「はいよお嬢ちゃん」 「ありがとう、御主人」 和菓子屋でみたらし団子を買ったセイバーは、ライオンのがまぐちから小銭を支払い、嬉しそうに団子を受け取る。 きらっきらと碧色の瞳を輝かせ、団子を頬張る姿はどこからみても食いしん坊の中学生女子といった風情だ。 おまわりさんに、 『お嬢ちゃん、学校はどうしたの?』 と言われないのが不思議なくらいである。 アサシンは、そんな団子を頬張りながら商店街の他の食い物屋を物色しているらしいセイバーの後を尾けていた。 「歩きながら物を食うというのはあまり感心せんな。この時代には茶店というものはないのか?」 あるにはある。店の軒先に緋毛氈を敷いた床机を置き、お茶と団子でもてなしてくれる昔ながらの茶店は、この時代にもまだ生き残っている。 が、それはあくまで歴史的建築物のある観光地だけであって、深山町は古くからの街並みを残しているとはいえ、ただそれだけの地方都市だ。商店街に茶店などを開く酔狂な商売人はいやしない。 実はこのアサシン、かねてよりその点が不満であった。 細かい事情説明は省くが、こうして自由に出歩けるようになってからというもの、アサシンもこっそり山を降りていることがたびたびある。 おかげさまで地蔵を背負ったお侍さんといえば、マウント深山商店街ではちょっとした有名人だったりするのだが、それはまた別の話で置いておこう。 ともかく、たまには団子と渋いお茶でも楽しもうと思っても、商店街には彼が知る茶店というものなどないのだからどうしようもない。 だから仕方なく、アサシンは地蔵のお供え物をそっと頂いて代わりとしているのだ。この罰当たり侍め。 そんな――一瞬たりとはいえ、団子など他のことに想いを馳せたのが油断といえば油断なのか。 気づけば、前を歩くセイバーの髪……某ゲゲゲの人に勝るとも劣らぬチャームポイントが、びびびと、その部分だけ天を突いて逆立ちしていた。 言うなれば今のセイバーは、父さん背後からすごい妖気を感じますな状態であった。 「む……! いかん」 咄嗟に周囲に視線をやるも、右を向けばおばあちゃんのタバコ屋。左を向けば野良犬のジョニー(仮)。 背後には歩いてきた長い一本道があるだけであった。 頼みの綱の電信柱も生憎となく、要するにこの場には身を隠せるような場所などなかったのだ。 そうこうしている間にもセイバーのソレは、ぴくぴくと震えながら妖気の発信源を探している。 セイバー自身、徐々に魔力をその身に帯びつつあり、アサシンの存在に気づいてしまうのも時間の問題と思われた。 「……いたしかたあるまい」 もはやこのままでは存在を気取られるのは逃れられぬと――そう悟ったアサシンは覚悟を決め、その切れ長の眼を静かに閉じる。 「この身は確かに紛い物――なれどこの身はアサシンのサーヴァント。元より刀に託せしが我が生き様といえど、この役割までを捨てた覚えもまたあらず――!」 喝! と見開かれる眼と同時にアサシンの腕が翻り、群青の羽織が羽ばたきを見せて彼の姿を覆った。 そしてセイバーがゆっくりと背後を振り返る。 視線の先にあるのは、今自分が団子食いながら歩いてきた商店街の道。 タバコ屋のおばあさんはぬるい日差しにうとうとと舟を漕いでいるし、野良犬のジョニー(仮)は大きなあくびをしながら立ち上がったところだ。 「いったい今の気配は……む」 良く見ると――道端に見慣れぬ石造りの物体がひとつ、ぽつんと立っている。 「あれは確か……そう、お地蔵様というものです。なるほど、それならば道理だ」 以前、セイバーは士郎から地蔵について聞いたことがある。 地蔵とは仏教で云うところの地蔵菩薩であり、衆生を救う仏様のひとりであると。 ――そのようないと高き御位にある御方であれば、この身が反応するのも道理である。 セイバーはそう考えた自分に満足したのか、こくこくと頷く。 そして地蔵に向かって一礼を捧げてまた商店街の道を歩き出した。 「……行ったか」 その地蔵の背後の影――小さくしゃがんでその長身を隠している青年は、言うまでもなくアサシンである。 「フ……さしものセイバーも、このスキルの前では私を捉えること叶わなかったか。まあ……無理もないが、な」 口元に笑みを浮かべ、己を隠してくれた地蔵の頭を愛しげに撫でるアサシン。 スキル――それはサーヴァントたちが各々身につけている、自身の誇る技能のことである。 その英雄が先天的に身につけているものもあれば、努力の末に後天的に身につけたものと、種類は様々だが、いずれも保有しているだけで強力な武器となる能力だ。 今、アサシンが見せたのもそのスキルのひとつである。 すなわち――スキル・気配遮断(地蔵):A アサシンのクラスでありながら気配遮断:D のクラス別能力しか持たない佐々木小次郎が、地蔵装備により身につけた後天的な気配遮断スキル。 地蔵の影に隠れることで路傍の御仏に成りすまし、相手にその存在を気取らせない。 御仏への信心が深い相手に対しては絶対の効果を誇るが、逆に信仰心の薄い相手に対してはせいぜい『変な人には目を合わせるまい』程度にしか効果を発揮しないスキルである。 以上、スキル説明。ウソのようだがほんとの話。 事実、セイバーが去った今も尚、気配遮断(地蔵)を発揮し続けているアサシンに対し、大正生まれで仏様への信心が深いタバコ屋のおばあちゃんはお供え物としておまんじゅうを捧げているし、そんなん知ったこっちゃない野良犬のジョニー(仮)は容赦なくおしっこをひっかけていた。 ともあれ、一先ずの危機は去った。 だが、ここでアサシンは気づくべきだったのだ。 何故、生まれも育ちもグレ〜トブリテン、生粋のイギリスっ娘であるセイバーに気配遮断(地蔵)が通用したのか? そして――セイバーを尾行する身でありながら、いかにお供え物とはいえおまんじゅうを持つことがどれだけ危険なことなのか――。 ここで、気づいておかなければいけなかったのである。 だからこのように、セイバーに存在を気取られることになるのだ。 「アサシン……! 今日一日、私を尾けまわしていたのが、まさか貴方だったとは……」 「……まさか、気取られることになろうとはな。セイバー、罰当たりめ」 路傍でしゃがんでいるアサシンを上から睨み下ろしているセイバー。 その眦には確かな怒気が漂い、全身には魔力を帯びはじめてさえいた。 ……右手に持った食べかけのソフトクリームと汚れた口元がなんかもう、何もかも台無しだったが。 地蔵をよいしょと背負いなおし、ゆっくりと立ち上がるアサシン。 その表情にはある種の諦念すら浮かんでいる。よもやセイバーがこれほどとは、と。 ではここで、どのようにしてセイバーに気配遮断(地蔵)が破られたのか、矢印チャートで簡単に追っかけてみよう。 1.アサシン、セイバーを尾行。セイバー、ソフトクリーム購入。 ↓ ↓ ↓ 2.セイバー、道端で妖怪アンテナが激しく反応。アサシン、気配遮断(地蔵)発動。 ↓ ↓ ↓ 3.セイバー、アサシンに接近開始。アサシン、狼狽するも地蔵を信じてスキル続行。 ↓ ↓ ↓ 4.セイバー、地蔵のお供え物のまんじゅう発見。ついでにアサシンも発見。 以上。 なんのこたあない。単にスキルの効果をセイバーの食い意地が上回っただけということだ。 セイバーがイギリス育ちでスキルの効き目が薄かったということを差し引いても、ここはセイバーの食い意地を褒めるべきだろう。持っていたソフトクリームをコーンまで一気に食べきる食いしん坊万歳ぶりも、時には聖杯戦争の役に立つ。 ともあれ、こうしてサーヴァント同士が出会ってしまった以上、もはや残された道は互いに死力を尽くして争うのみである。 そしてその争いとは戦争だ。 一騎が千騎に値する者同士が争えば、それはもはや個人の私闘とは呼ぶまい。だからこの戦いは聖杯『戦争』と呼ばれるのだ。 互いに睨みあうセイバーとアサシン。既にセイバーはその身に魔力で紡いだ銀の鎧を纏い、アサシンは自身の象徴たる大太刀の柄に手を添えている。 この辺りに人通りは少ない。道幅も広く、ここならば剣を揮うのに何の支障もない。 役者は揃い、舞台は用意された。ならばあとはそれぞれがそれぞれの役割を演じるのみ。 すなわち、セイバーとアサシンという、聖杯戦争のために用意された役割を――。 両者の間に漲る殺気の渦。眼光は切れるほどに鋭く、指先の微動すら見逃すまいと気を這わし絡み合う。 身体に纏う空気の流れ、呼吸のリズム、心音――その全てが達人たる彼らにとっては情報。 一挙手一投足という言葉が生ぬるいほどに、相手の動きを把握する。 なればこそ動けない。 一瞬僅かな動きが必殺に繋がる失態であるならば、何故動くことが出来ようか。 なればこそ残されるのは唯一つ。 後の先、先の先を取れぬのであれば、残されたのは――互いに同。 じっとりと重たかった空気が解けて急激に澄んでいく。 もはや探り合いは止めだ。そもそも剣士の本懐とは、互いの誇りを刃に乗せて唯々斬りつけるのみ。 剣士の誇り――長い年月の果てに磨き上げた剣椀が敵に劣るならばそれまで。速やかに死ぬのみである。 その結果には一点の曇りもなく、死ねば無であり、生きれば虚しい満足がある。 ――剣士という人種とはそうしたものだ。 少なくともアサシン――佐々木小次郎という剣士はそう思っていた。 しかし、目の前にいる少女剣士までもがそうであるかはわからない。彼女はこの国の剣士ではなく、西欧の剣士だ。更に己以外に何もない自分の剣とは違い、彼女の剣は王者の剣であり背負っているものが違う。――いや、アサシンとて地蔵を背負ってるのだが。 だから惜しいと、そう感じたのかもしれない。 この見目麗しく、凛とした意思を持つ少女が刀の露と果てるのもそうだし、そして―― 「……待て、セイバー」 「む……この期に及んで待てとは。今更臆すような貴方ではないでしょう、アサシン」 「無論。だが、セイバーよ――」 アサシンは刀から手を離し、袖の下をごそごそやって、 「――まずはこれで口の周りを拭け」 「……これはいったい何ですか?」 「何と言われてもな、見ての通りハンケチだが。キャスターが身だしなみには気をつけろとうるさいのだ」 「そうではなく! いったい何のつもりだと言っているのです!」 うがー、と吠えながらも律儀にハンカチを受け取るセイバー。ぷっくり浮かんだバッテンマークがラブリー。 そんなセイバーの怒りの雄叫びを一身に受けながら、アサシンは涼しげな顔をしている。 「フ……いや、な。貴様のような美しい娘が口の周りをべたべたと汚しているのが見るに耐えんというだけだ」 「なっ……!」 口元に微笑を浮かべながらのアサシンのその言葉に絶句するセイバー。 確かに――確か先ほどまで自分はソフトクリームを頬張っていた。だが――。 「そ、そんなに汚れているのですか?」 「うむ。どう世辞を申したところで、みっともないと言う以外に当たる言葉が見当たらんな」 「クッ――! なんということだ……」 ぐしぐしと自分に当たるように荒っぽく口の周りをハンカチで拭う。 真っ白だった布地はたちまちチョコソフトの色に染まり、それがますますセイバーの気持ちを暗鬱なものにさせた。 「わ、私は今の今までこんな顔で道を歩いていたというのですか……」 「まあ……そうなるな。まるで女の童のようであったぞ」 「めの、わらわ、ですか?」 聞きなれない言葉で自分を表されてきょとんと目を丸くする。 アサシンは、ああ――とひとつ頷いて、 「私が生きた時代で言うところの幼い娘……即ち子供のようであったと言いたいのだよ」 「なッ!?」 セイバーの顔が一気に真っ赤に染まりあがる。 怒りのためか照れのためかは知らないが、耳から首筋まで見事に紅潮しきっていた。 「あ、貴方にまでそのようなことを言われる筋合いはないッ!」 「ふむ……で、あれば私以外の何者かに既に言われたということか、セイバー」 「〜〜〜!」 セイバー、図星を突かれる。 アサシンから視線を外し、悔しげに足もとに落として表情を歪める。 「シ、シロウが……シロウはいつも私のことを背がちっちゃいとか、胸がぺったんだとか……子供のようだと笑うのです。おまけに、こ、この私を可愛いなどと……。シロウはきっと私を馬鹿にしているのです! ですから……あ、貴方まで私を馬鹿にするというのですかッ!?」 だから焦ったのかどうかは知らないが、真っ赤になりながらごにょごにょとどもりつつ、いらんことまで喋る喋る。 こんな正直な性格してて、よくもまあ、権謀術数渦巻く政治の世界に身を置いていたものだ。 アサシンはセイバーのそんな告白を聞きながら、士郎という彼女のマスターは単に心底からそう言っているだけなのだろうと思っていた。 マスターとサーヴァントという主従の関係でありながら、彼女らは互いをそのように見ておらず、その関係は微笑ましいものであるとも悟った。 ――だが。 す、と目線を細めてそこに殺気を籠める。 剣士である自分が望むのは、磨き上げた己の剣椀を存分に振舞える立会いの舞台。その相手として眼前の少女がこれ以上ないことは既に知っている。 故に――。 「それでセイバー、貴様のマスターがどのような者であるは知らんが――そろそろ始めようではないか」 「! ……そうですね。今日はシロウにお小遣いを貰ってゆっくりと過ごすつもりでしたが……」 歪めた青年の口元に愉悦が綻ぶ。 アサシンは再び大太刀の柄に手をかけ、セイバーは風王結界を構えて――。 「――いざ」 互いに同時に、間合いに飛び込んだ。 彼方より稲妻――。 ――此方より疾風。 銀ッ! 刃と刃が噛み合い、火花を散らす。 一合結び、二合三合――散った火花が落ちる前に十数の花が限定された空間に展開する。 「ハァッ――!」 「――シィッ!」 見えざる剣を中空で払って落とし、そのままの勢いを殺さず長刀が翻った。 確実に喉元を狙ってきた刃を、風王結界を手元に引いて受け止める。そうして冷や汗をかく暇もなく、次の一手が来る前に再び斬撃をアサシンに打ち込むセイバー。 互いの手の内は、既に一度見せている。 アサシンは本来見えざる風王結界の間合いを既に見切っており、更に今のセイバーが奥の手である宝具を使えないことを知っている。 対して、セイバーは自分とアサシンを比べた時、スピード・パワーともに自分が上であることを理解している。まともに打ち合えば己の聖剣が彼の大太刀に敗北することがないことも知っていた。 だが技量――特に身のこなしについては、アサシンはセイバーを凌駕する。 手数で上回るセイバーに対し、アサシンは必要最小限の動きで斬撃を回避し、回避しきれぬものだけを相手にして払い落とす。そうして、一瞬の好機に鋭い剣閃を打ち込んでくるのだ。 そして更に、アサシンには秘剣・燕返しがある。 この秘剣を使わせては、セイバーは負ける。 多重次元屈折現象と呼ばれるその秘剣、一度は避けたが二度はない。あの時は足場の不利で本来の三の太刀がなかったから辛うじて回避できたが、今回はそのような不利はない。 一度あの秘剣が振るわれれば、今度こそ必殺だろう。 故にセイバーは、己が勝利を得るには秘剣を使う暇を与えず、アサシンが自分の剣戟を捌き切れなくなるまで――ただひたすらに打ち込むのみであると、正しく理解していた。 頭上から雷迅の如き一閃が振るわれる。 一寸ほどの見切りで剣先をかわしたがしかし、振り下ろされたはずの剣は跳ね上がってアサシンの胴を狙う。 その剣を受けて流し、返す刀が弧を描いてセイバーを襲う。 「ッ!」 当にそれは首の皮一枚の差。玉のような紅が一粒、中空に散って霧散する。 迫る太刀を研ぎ澄まされた直感のみでかわしたセイバーに、追撃する一刀を見舞おうとするアサシン。 「――ふ!」 「ッ!?」 が、その前に体勢を崩したままの、しかし決して侮れぬ一刃に機先を制され、再び主導権はセイバーの元に引き戻される。 ――牙ッ 銀!―― ――疾ッ 豪!―― 互いに繰り出す刃と刃。 振るわれた剣風は残影となり、太刀筋は幾重にも重なり合って火花を散らす。 アサシンとセイバー。二人の動きは静と動というべきか。 セイバーは我武者羅なようでありながら、その実、受ければ必死の一刃を次々と繰り出し、アサシンはその見事な剣線を最小の動きで持って捌く。 既に数十に渡る斬撃を打ち込むセイバーに対し、アサシンの手数は少ない。しかし剣林を縫うように繰り出される一刀は優雅にして精密。暗闇から突然振るわれるような不気味さと恐ろしさを以ってセイバーの首を狙い襲いかかる。 「さすがはセイバー、こうでなくては――なっ!」 銀ッ!! 打ち込まれた渾身の斬撃を弾き、アサシンは口元に笑みを浮かべる。 今の一撃は良かった。この自分が捌ききれぬ剣とこの時代に出会えるとは。 浮かんだ笑みと愉悦は、それ故のものであった。 ――牙ッ 銀!―― ――疾ッ 豪!―― 先ほどの一撃を受けた腕にはまだ痺れが残っている。 それはほんの僅かなものであったが、揺るがず止まらず数を増すほどに鋭いセイバーの剣を受けきらなければならないアサシンにとっては、死に至る病そのものだった。 この戦いは、一瞬僅かな綻びが死に繋がる――! 「はぁぁァアアッ!!」 一際高い裂帛の気合。渾身の魔力を剣に籠めてセイバーが振るい―― ギャンッ!! 遂にアサシンの刀を弾き、跳ね上げた。 そして生じるのは、がら空きになった胴、頭、首筋――致命的な隙! ――負けたか。ならば死んだか? アサシンはその瞬間、咄嗟にそう思った。 だが同時にこうも思った。 ――それは惜しいな。 と。 ならばどうするか。ここで剣士として大人しく切り裂かれて死ぬか。――悪くはない。 それとも生きるか。亡者らしくみっともなく足掻き、生に縋りついてこの世の楽しみとやらを味わうか。――それもまた良し。 生か死かの二者択一。――ならば。 「セイバー、見事であった」 「!?」 上段から魔力ごと渦を巻いて迫る死に、躊躇することなく背を向ける。 そして――。 セイバーには目の前の光景が信じられなかった。 背中を晒したアサシンに振るった一撃は必殺だったはずだ。情けも容赦もなく、確実にその長躯を両断していたはず。 だというのに――。 「そんな……馬鹿な」 「ふ……信じられぬか、セイバーよ」 当然だ。 このような結果、認められるはずがない。 如何にこの国において民衆の信仰を集める対象であったとしても、ただの石造りの仏に自分の剣が――。 「これぞ我がスキル・真剣白刃取り(地蔵):EX」 そう、振り下ろしたセイバーの風王結界は、見事に地蔵の合掌した両手の中に納まっていたのだ。南無。 「そんな、スキルなどと……しかし、こんな馬鹿なことが……!」 「無理もなかろうな。だがセイバーよ、考えても見ろ。地蔵とは古来より衆生を救済する菩薩として信仰されてきた御仏だ。民衆の口の端に上ること数知れず、この国においてはおよそ知らぬ者など居るまいよ。そう……『人の身を救う』存在としてな」 「! 概念武装……!」 「然り」 路傍に佇む地蔵菩薩。 それは善人悪人問わず、あの世の地獄に落ちた亡者をも含めて全てを救済するといわれたありがたい菩薩様だ。 アサシンが言った通り、この国で地蔵の存在を知らぬ者などそうはいるまい。 時として道祖神と同一視されることはあっても『人々を守り救う』存在としての地蔵は揺るがない。 故に――いつしかその存在は、人知れず概念武装として昇華されていた。 あまりにあんまりな展開に呆然自失するセイバーを、アサシンは静かな笑みを浮かべながら見やり続ける。 「更にな、セイバー。この地蔵はそれだけではないのだ」 「なっ!? こ、これ以上にまだなにが……!」 「うむ……実はな、飛ぶのだ」 「……は? なんですか?」 今度こそ完全に目が点になったセイバーを横目に、アサシンはよいしょと背負っていた地蔵を地面にセットする。 そして十メートルほどそこから離れ、腕を組み地蔵を見つめる。 と――その地蔵の足元がカタカタと動き、どこからかゴゴゴと音がし始めた。 「アサシン……もう一度聞きます。……いったいなにが……なにが飛ぶというのですか?」 「なにがなどと。そのようなこと決まっておろうが――」 そんなことを問答している間にも地蔵の足元は点火完了。漏れ出す煙は濛々と立ち込めて辺りを覆う。 そしてその時は来た。 「無論、地蔵が空を飛ぶのだよ」 しゅごーーーっ 噴出するロケットエンジン。あの青い空に向けて一直線に舞い上がる石仏の雄姿。 もはやがっくりと膝を突いて、自身の中にある常識と地面を歩いているありんこの行列を見つめなおしているセイバーを見下ろし、地蔵は空を飛ぶ。 「そう気落ちするなセイバー。貴様は確かにこの私を剣で上回ったのだ――」 上空でゆっくりと旋回する地蔵を見上げながら、アサシンは笑みを浮かべている。 それはおそらく生前、ただひたすらに剣を振っていた頃に浮かべていたであろう、ひどく自然で当たりまえのように出てきた笑みだった。 「――貴様のような者がいるのであれば、今しばらく生に足掻くのも悪くはない。そしていつかもう一度……剣を交えられるならば、これに勝る幸いもないというものよ」 つぶやきながらアサシンは、目標に向かって一直線に落ちてくる地蔵を見つめていた。 衛宮士郎がその爆発音を聞いたのは学校帰りのことだった。 家を出る前から嫌な予感がしていたのだ。セイバーが昼間ひとりでいるのは退屈だからと言うのでお小遣いを渡したが、不安はその時から付きまとって離れなかった。 だから今日は柳洞一成の頼みも断り、早々に家路に着いたのだが――。 「くそっ、セイバー……間に合ってくれよ!」 令呪を通して感じるセイバーの魔力を辿り、ひたすらに走る。 幸いまだその魔力の鼓動は失われていなかったが、今朝方よりも弱っているのは事実。 彼女を独りにしてしまった自分を責めながら、脳裏に浮かんだいつかの光景を慌てて打ち消す。 「……畜生ッ!」 吼えながら士郎は商店街の道を駆け抜けた。 「セイバー!」 その場に到着した士郎の目に真っ先に入ったのは、ちょうど今まさに倒れこもうとしているセイバーの姿だった。 慌てて駆け寄り、飛び込むようにして彼女を抱きかかえて受け止める。 「セイバー、セイバー! 無事か!?」 「あ……シロウ……?」 うっすらと目を開き、ぼんやりとした意識のままシロウの名を呼ぶセイバー。 「シロウ……すいません、私は……」 「いいっ! 今は喋るな!」 「ああ、シロウ……」 こちらに伸ばしてくるセイバーの手をしっかりと握り、こんな小さな手のひらの彼女を戦わせてしまった自分を憎む。 もうあんな光景は二度と繰り返さないと誓ったはずなのに、自分はまたこんな失態を犯している。それがなによりも許せなかった。 だがセイバーは、そんなシロウに向かって僅かに首を横に振り、ふわりと微笑みかける。 「シロウ……じぞうに……」 そしてそれだけを言い残すと、彼女の手のひらがシロウの中から零れ落ちた。 その瞬間――士郎の眼前が真っ赤に染まった。 脳の中身は沸騰し、ドロドロと溶け出して憎悪の奔流が流れ出す。 腹の中では凶暴な獣が暴れ出し、今にも突き破って飛び出しそうだ。 だから士郎は叫んだ。 「セイバァァァァァッ!!」 「……ぐー」 「って、寝てるだけかよ!」 典型的なボケに典型的なツッコミ。 見事すぎる夫婦漫才であった。 よくよく見れば鎧を解除したその身体にはどこにも傷は見当たらず、あるのは頭のでっかいたんこぶくらいである。 これにしたってツバでもつけとけば、ほっといたって直る程度のものだ。 まあ、あれだけ魔力を乗せた剣戟を乱発すれば、魔力切れになってスリープモードにも移行しようというものだ。 とにかく予想した最悪の事態ではないことにほっと胸を撫で下ろしながら、士郎はくーくーと眠りこけるセイバーを抱いたまま、ぺたんと地面に座り込んだ。 「まったく驚かせやがってこいつ……にしても、誰がセイバーをこんな目に?」 「誰かと言われれば私ということになるのだろうな、セイバーのマスターよ。――待て、今の私に剣を抜く気はない」 「……てめえ、なんのつもりだ」 制されて、浮かしかけた腰をそのままに油断なくアサシンを睨む士郎。 対してアサシンは落ち着いた者で、涼しげで皮肉げな笑みを浮かべながら、片目だけでそんな士郎を見やっている。 「別にどうということはない。街中で出会ったが故にセイバーと剣を交え、私が敗れただけのことだ」 「おまえが? じゃあなんでセイバーはこんなたんこぶ作ってんだよ。おまえがやったんじゃないのか?」 「ふむ……まあ、私がやったと言えばそうなるのだろうし、違うと言われればそうなのだろうよ」 「なんだそりゃ。わけわかんないぞ」 「わからなくとも不都合はなかろう? それ、その通りセイバーも無事なのだし、御仏の導きとでも思って今は素直にセイバーとの再会を喜んだらどうだ」 そう言ってくるりと身を翻し、歩き出すアサシン。 「おい、ちょっと待てよ」 「……なんだ?」 その背中を呼び止める士郎に、首だけ振り返って問い返すアサシン。 「おまえ、俺たちの敵なんだろ? だったら、なんでここで俺を殺さないんだよ」 「なんだ小僧。わざわざ殺されたいというのか? なかなかに酔狂なことだな」 「まさか。ちょっと気になっただけだよ。答える気がないなら、さっさと行ってくれて構わない」 「左様か……ふむ。なんと言ったら良いものか……ま、気紛れということにしておけ」 「気紛れ、ね。まあ、いいけどさ」 「……ならば私はもう行くぞ。小僧、セイバーが目を覚ましたら言伝を。今日は楽しかった、と」 「了解。確かに伝えておくよ」 「では、な。セイバーのマスターよ。今の世はなかなかに愉快だ。……貴様もせいぜい謳歌するのだな」 そう言ってアサシンは去っていく。 その姿は颯爽として涼しげで、足取りにすら優雅さを感じさせる、真の侍のものだった。 「……まあ、どうでもいいことなんだろうけどさ」 商店街の道を徐々に遠ざかっていくアサシン。 その背中を見つめ、頬を撫でる手に「ん……」と甘えて擦り寄るセイバーの体温を感じながら士郎はつぶやく。 「なんであいつ……地蔵なんて背負ってんだ?」 ――士郎のその問いに答える者はなく。 頭上では一羽の燕が風を切っていった――。 あとがき 忌呪様主催の『ネオ地蔵企画』参加作品です。 このような楽しい催しを企画してくださった忌呪様に最大の感謝を捧げます。 感想、ご意見などございましたらこちら、もしくはBBSまでよろしくお願いします。 二次創作TOPにモドル |