「「「「結婚式場のモデル?」」」」
「はい、アルバイトに、と」

 夕食が終り、皆で食後にデザートを食べながら切り出したその話に、全員が声をそろえて反応を返してくる。
 テーブルの上に置いたその紙は、今日帰りがけに貞晴から受け取った『チャペルウェディング冬木』の案内状。凛、桜、大河の三人はその紙を手元に引き寄せて食い入るように見入っている。

 ただひとり、シロウだけはその輪に加わらず、私を正面から見据えている。

「セイバー、その話、おまえ受けたのか?」
「はい。アルバイトというからにはお金もいただけるはず。貞晴もその辺りに関しては任せてほしいとのことでした」
「でもセイバー、結婚式場のモデルって……何するのかわかってるのか?」

 シロウは私の顔を見つめながら、心持ち真剣な顔で問うてくる。
 どうやら私のことを心配してくれているようなのだが、はて、どこか心配するようなことはあるのだろうか。

「シロウ、それはもちろん理解しています。貞晴から聞いた話だと、なにやら衣装を着て写真を取るだけとのことでしたが、それがどうしたのですか?」
「あ、いや……それはそうなんだけど、結婚式のモデルというと……ほら、やっぱり相手役がいるわけだろ?」

 相手役……ああ、もうひとり、男性のモデルのことですか。

「それについては問題ありません。シロウですから」
「「「「……は?」」」」

 瞬間、先ほどのように全員が声をそろえて反応を返してきた。

「あの、セイバーさん?」
「はい」
「あー、聞き間違えじゃなければ、相手役のモデルは……俺ですか?」
「もちろんです。そんなことを出来るのはシロウしかいないではないですか」

 そんなこと、改めて問うまでもないでしょう。
 いくらそれがアルバイトのこととはいえ、私の生涯を共にする者の位置に立てるのは……シロウしかいません。シロウ以外の誰かをその場所に立たせるなど、たとえ演技であっても許せることではない。

「――それとも、シロウは……シロウは良いのですか?」
「え? えぇっ?」
「……」
「……ん、あー、だめだ。ダメだな確かに。それは確かに俺しか出来ない。というかやらせたくないぞ、他の誰かなんかにさ」
「ぁ……はいっ……」

 そのひとことだけで。そのひとことだけで心があたたかくなる。
 ……嬉しい。
 想う男性にこのように求められるのは、こんなにも嬉しい。私は今、女として生まれてよかったと、心から思っている。

 シロウは頬を赤く染め、そっぽを向きながら憮然とした顔をして、私はそんな彼を見つめている。
 ……正直なところ、最初は断ろうと思っていた。
 アルバイトなど私に出来るはずもないと思っていたし、そのようなことで神聖な結婚の真似事などできないと思っていた。
 だが、渡された紙に写された写真の……男女の幸せそうな笑顔を自分とシロウに置き換えてしまったのが間違いだったのだろう。
 本当は男性のモデルは既に別の方がいるとのことだったが、私が引き受ける条件としてシロウを指名した。貞晴は渋っていたが、その場に居合わせた御主人と圭子の口添えもあり、私のわがままは受け入れてもらえたのだ。
 その代わりにと……貞晴からもひとつ条件を出されたのだが、それは仕方ないことだろう。

「では、シロウ。シロウも引き受けてくれるのですね?」
「そんなこと言ったってここで俺が嫌って言うワケにはいかないじゃないか。そしたらセイバーの相手、別のやつになるんだろ?」
「それは……そうですが」
「だったら引き受ける。セイバーに……いッ!?」

 突然のシロウの悲鳴に顔を上げると、いつの間にかシロウの両隣に凛と桜が移動しており、凄まじい形相をして座っていた。
 そしてさらに――。

「しーろーうー?」
「な、なんだよふじね……グッ!?」

 後ろから極まった表情で近づいてきた大河の腕がシロウの首に大蛇の如く絡みつき、締め上げる。

「士郎……お姉ちゃんは、お姉ちゃんは悲しいっ!」
「な、なにがだよっ……って、ちょ、藤ねえストップ、マジでたんま……!」
「お姉ちゃんはねー、おねえちゃんはねぇ! 士郎をそんな女ったらしでジゴロなセリフ吐く、ホスト野郎に育てた覚えなんてないんだからー!!」
「だからスリーパーはやめー! だめー! 締まるっ、落ちるっ! ふ、ふじねっ、それはだめーーーっ!!」
「なによーっ! 士郎ってばそんなこと私には一度も言ってくれないクセに、最近はセイバーちゃんとか遠坂さんとか桜ちゃんばっかりかまっちゃって、ずるいじゃないのよぅー!」
「わーっ! なにワケわかんないこと言っちゃってますか、この虎わーーーっ!」
「虎って呼ぶなーーーーーッッッ!!」



「で、セイバー?」
「はい、なんですか凛?」

 昏倒したシロウをしっかりと自分の膝の上に寝かせながら凛が私に鋭い視線を向けてくる。

「そのアルバイト、あと何人受けられるのかしら?」
「……む」
「もしこれが定員一名、っていうならわざわざわたしたちもいる場所で言うようなことじゃないでしょ。あとでこっそり士郎にだけ伝えておけば邪魔も入らない。大好きな衛宮君と二人だけの世界なんて、セイバーちゃんにとっては願ったり叶ったりだものねぇ」
「なっ! り、凛! そのようなことをこのような場で……」

 この場には昏倒してるとはいえシロウもいる。それに、桜もいれば大河だっているのだ。
 私のこの気持ちはいまだ凛以外の人には伝えていない。そしてあえて誰かに伝えるようなことでもなければ、また知られてほしいことでもない。だというのに凛は……。
 が、言い募ろうとする私を遮ったのは凛ではなく、桜だった。

「セイバーさん、今更そんなこと隠すようなことじゃありません」
「桜?」
「だってセイバーさんの気持ちなんて、わたし、ずっと前から知ってました。藤村先生だって……気づいてましたよね?」
「そーね。だってセイバーちゃん、士郎だけ見る目が違うもの。私だっていちおう女の子なわけだし、そーゆーときの女の子の目の色だって知ってるわよ。……私にも経験あるしね」

 シロウをチョークスリーパーでマットに沈めた大河にまでそんなことを言われてしまった。よもや彼女にまで知られていようとは何たる不覚……。
 しかし、大河にも今の私と同じような経験があったとは、失礼な話ではありますが意外なことですね。

 ――まさか、相手はシロウ?

 私は頭を振って否定する。それは想像することすら出来ないことだ。

「ん? セイバーちゃん、どうしたの?」
「いえ……なんでもありません、大河」
「とにかくそういうこと。今更隠したって意味あるの、ここで寝てる鈍感男だけよ」

 つんつんと凛がシロウの頬を突っくと、うーんと唸って凛の膝で寝返りを打ち、その顔が凛のお腹にぴたりと押し付けられた。

「なによ、士郎のえっち」

 言いながらも凛はどこか嬉しそうに彼の髪の毛を撫で、目を細めた。
 ……別に羨ましくなんか……いえ、やっぱり羨ましいですね。
 見れば桜も唇を尖らせてその光景を凝視しています。大河は……少なくとも見た目に変化はありませんが、どうなのでしょうか。

「で、結局そのアルバイト、何人まで受けられるのよ、セイバー」
「……男性を除いて三人です。ただし既に私に関しては決まっていますので、あと二人ですね」
「「「……二人」」」

 凛と桜と大河。三人の間で激しい気勢が渦巻き、互いにぶつかる。
 貞晴から出された条件というのがこれだ。男性のモデルとしてシロウを起用する代わりに、できることならあと二人、女性のモデルを探してきてくれないかと。もちろん無理にということではなかったのだが、私だけが無理を言って、その頼みをどうして断ることができるだろうか。

 ――問題は、定員があと二人ということだ。

 凛。
 桜。
 大河。

 この三人のうち、誰か一人が外れることになるわけなのですが……できれば力づくの手段で決定するのだけはやめてほしい。あとで片付けるほうが大変なのです。……具体的に言うと、私と、シロウと、桜なのですが。

「三人とも、決めるならば穏便な手段でお願いします。くれぐれも力に訴えるような手段にはでないように」
「わかってるわよセイバー。わたしだってこんなところでガンドかますほど馬鹿じゃないわ」

 そうでしょうか。

「それじゃあ、ここは公平にアレで勝負ですね」
「そうね、アレで勝負ね」
「……ねえ、あみだくじにしない?」
「「だめー」」
「くっ……なんてこと」

 アレ、というのはきっとじゃんけんのことなのだと思うのですが、何故か凛はひとり苦渋の表情を浮かべ、渋々といった感じで席を立つ。
 と、それまで彼女の膝の上で寝息をたてていたシロウが転がって目を覚ました。

「む……セイバー? なにがいったいどうしたんだ?」
「シロウは先ほどまで大河のスリーパーで昏倒していたのです。そして凛たちはこれから決着をつけるためにじゃんけんとのことですが」
「なんだかさっぱり状況がワケわからないけど……遠坂!」

 寝っ転がったまま凛を呼び、彼女を自分の口元まで呼び寄せる。

「なによ」
「あー、なにがなんだかさっぱりわからないんだけど、じゃんけんで勝負なんだろ?」
「……はぁ、そうなのよね」
「だったらな、ぐーでいけ」
「は?」

 そう言って凛の眼前に拳を突き出すシロウ。その手は私や凛の手よりもより大きく、ごつごつしていてところどころひび割れていた。

「遠坂さ、おまえごちゃごちゃ余計なこと考えてじゃんけん弱いんだったら、最初から考えなきゃいいんだよ」
「む……士郎はわたしが負けるって言うの?」
「だっておまえじゃんけん弱いだろ? だいたい、おまえ俺に勝ったこと一度もないじゃないか」
「くっ……確かに事実だけに言い返せないけど……」
「だからなにも考えずぐーだ。俺を信じろ」

 シロウがそう言うと凛は眉間に皺を寄せて考え込み、同時に頬を少し紅潮させる。
 そんなことをシロウに言われたら、私など考えるまでもないのですが。

「わかった。士郎のこと信じてあげる。これで負けたら承知しないんだから」
「ああ、大丈夫だよ。俺はじゃんけんなら、藤ねえにも負けたことはないんだからさ」

 そうして凛は突き出されたシロウの拳に自分の拳をぶつけ、勝負の場へと向かっていく。
 私は畳に転がっていたシロウの頭を自分の膝に乗せて、その瞳をじっと見つめる。

「……シロウ、凛には優しいのですね」
「ん? いや、あいつ今までにじゃんけんで勝ったことないらしいからさ。なんか必死だったし、やっぱり勝たせてあげたいじゃないか」

 が、シロウはあっけらかんとそう言うと、私の膝の上で再び目を閉じて眠りに入った。

 ――まあ、いいでしょう。

 シロウがこういうひとなのはわかっていたことですし、その優しさが誰か一人だけのものでないならば今はそれでかまいません。
 とりあえず今は……凛が居ぬ間にシロウのぬくもりを堪能させていただくとしましょうか。

 そうして私も隣室から聞こえてくる誰かの咆哮を耳にしながら瞳を閉じた。





ユメの家族計画
〜 後編 〜





「や、良く来てくれたねセイバーさん」
「はい、貞晴。今日はお世話になります」

 次の休日、シロウたちと共に新都にある結婚式場『チャペルウェディング冬木』に私たちはやってきた。
 受け取った紙の写真である程度はわかっていましたが、同じ教会であっても深山にあるあの教会とはだいぶ違いますね。
 そもそもこの教会は結婚式のためだけにあるとのことなので当然かもしれないが、装飾も華美で、天井は高く全体的に明るい。正面の彩られたステンドグラスは淡い光を祭壇に投げかけ、掲げられた蝋燭の灯りが明るい室内にあって尚、ぼんやりと浮かび上がっていた。

 シロウもこのような華美な建物に入るのは初めてなのか、きょろきょろと落ち着きのない様子で辺りを見回し、桜はそんなシロウの隣で柔らかく微笑んでいる。対して凛はやはり堂々としたもので、いつものように腰に手を当てたまま、何をするにも泰然としていた。

 そして大河は――。

「ぶーぶー」

 と、とても不機嫌な様子だった。

「セイバーさん、彼女……どうしたんだい?」
「ああ、大河のことは気にしないでください。敗北した虎にかける言葉はないのです。逆に安易な慰めは侮蔑になるでしょう」
「はあ……ならいいんだけどさ」

 はい、それが正しい選択というものです。今の大河に触れることは危険です。言うなれば寝起きの凛に手を出すのと同じくらい危険でしょう。

「それで、そちらの方々が今日、モデルやってくれる女の子?」
「ええ――シロウ、凛、桜」

 呼んで三人を貞晴に引き合わせる。
 桜は少々緊張を見せて、凛はいつも通りに完璧な仮面を被って相対する。

 二人とも貞晴に気に入られたらしく、終始彼は笑顔で、

「ありがとうセイバーさん、この二人ならモデルとしては申し分ないよ」

 と、礼まで言われてしまった。
 そうして私たちが至極普通に挨拶を交わしている間も、

「ぶーぶー」

 と、やはり大河はずっと不機嫌そうだった。



 そして私たちは一旦別れて、それぞれ個室に通された。
 そこで私を待っていたのは――

「こ、これを、私が――?」
「そうよ、セイバーさん」

 私を伴ってここまで来てくれた圭子がその衣装を前にした私に微笑みかける。
 しかし、これはなんとも……すごい。これがウェディングドレスというものか……。

「け、圭子……この国の結婚式では、女性は皆このような衣装を着て執り行うものなのですか?」
「ええ、わたしも主人と結婚する時はちゃんとドレスを着て結婚式をしたわ……もっとも、その時にはもうこの子がお腹の中にいて、体格に合うドレスを探すのがちょっと大変だったんだけど」

 そう言って柔らかく微笑みながらゆりかごの中で眠っている彼女の子に向けて微笑みかける。

 しかし……そうなのか。やはりこのような衣装を着て結婚式を執り行うのが普通だということか。
 白い、真っ白な純白のその衣装は、部屋の明かりに照らされて光沢が輝いていた。

「こ、このような衣装……私には似合いません。む、無理です」
「……あのね、セイバーさん。貴女、自分がどれだけ綺麗かってわかってる? 貴女が似合わないっていうなら、この世の女の誰が着たって似合わないわよ、このドレス」

 圭子は少し剣呑な目つきをして私に迫り、思わず私は圧されて一歩引いてしまった。

「し、しかし……」
「まったくもう……こんな綺麗な顔してて、なんでそんなに自分に自信がないのかしらね」

 そう言って彼女は私に迫り、私の背中には壁が当たる。
 ――何故か。何故か私は、ただの人間、ただの女性である彼女に完全に気圧されていた。
 それは今ここにいる私が騎士でもなくサーヴァントでもなく、ただの一人の女でしか過ぎなかったからなのだろうか。

 ならば道理だ。
 私ごときが、筋金入りの女性である彼女に勝るところなど何一つない。
 いかに無敗の聖剣を振るおうと、いかに最優のサーヴァントと呼ばれようとも、ただの一介の女としては、私はあまりにも未熟だった。

「ふむ……」
「な、なんでしょうか……」

 彼女は何をするでもなく、ただ私を見ているだけなのに、何故かそれだけでまともに返事を返せない自分がいる。
 私はどうにもこういったとき、自分の動揺を抑えることに不慣れなようだ。
 確かに私はこれまで、敵意を抜きに女性にこうまで迫られたことはない。このようなことはこの時代に召還されてからしか経験がなく、それも凛を除けば今日が初めてだと言えよう。

「……士郎君が怖い?」
「し、シロウが……? そのようなことはありえない。何故ですか?」

 突然圭子はそんなことを言ったかと思うと、その手で私の頬を左右から挟んで自分の眼前に固定し、私の瞳をじっと覗き込む。

「士郎君にヘンな風に思われたらどうしよう」
「!」
「それとも、士郎君が自分を見てがっかりしたらどうしよう、かしら?」
「な、なにを……」

 言っているのか――と、言い返そうとして言い返せない自分がいる。
 何故なら彼女が口にしていることは、少なからず私が胸中で抱いていた言葉に他ならないのだから。圭子に口に出されて――ようやく自分で自分を認識した。私は、当にそのことを恐れている。
 私は――シロウに私を否定されることが怖い。

 もちろん彼がそういう人ではないことくらいは知っている。
 だが、凛や桜に比べて、私はあまりにも女性としての魅力に欠けているのではないかと思う。気にしてなどいないと――そう思ったところで、三人並べば嫌でもその差ははっきりと現れてしまう。
 凛も桜も、今更語るべくもないほどに美しい女性だ。肉体的にも女性の柔らかな魅力に溢れていて、翻って私はの身体は長きに渡る鍛錬の果てに手に入れた筋肉質のそれだ。そんな自分を卑下するつもりは毛頭ないし、誇りにすら思っている。だが、女性としての私の身体は、彼女らに及ぶべくもないことくらいは、私でも理解していた。

 だが、彼女は――

「大丈夫、士郎君はきっと綺麗って言ってくれる」

 ――彼女は、違うというのだ。

「何度も言うようだけど、セイバーさん、あなた本当に綺麗よ。顔立ちはお姫様みたいに上品だし、肌は白くて滑らかだし、胸は……まあ、ちょっと小さいけれど、すっごくスレンダーじゃない。同じ女として羨ましいくらい」
「そ、そうでしょうか……」
「そうなの。誰が何と言おうと、このわたしがそう言うんだから間違いない。自信を持ちなさい、これでもその辺の綺麗な女なんて山ほど見てきたんだから、わたしの女を見る目は確かよ」

 圭子はぴしゃりと一つ、軽く私の頬を張って誇らしげに胸を張る。その立ち姿には絶対の自信が満ち溢れていた。
 そんな彼女を見ていると、その言葉を――信じてもいいのではないかと思えてくる。

 不思議なものだ。自分に自信を持てなかった私が、彼女の言葉が本当だと思えてきた瞬間に、ひどく安心しているのに気づく。
 いまだに自分が凛や桜に勝るなどとは思えないけれど、それでも決して劣っているものではないと信じられるような気がする。

「それにもう一つ言うと、わたしは男を見る目も持ってるのよ」
「男……それは貞晴のことですか?」
「んー、あの人ももちろんいい男よ。わたしの旦那だものね」

 彼女は少し頬を染めて小さく笑う。

「だけど違うわ、士郎君のこと。あの子もいい子よね。外見とかそういうのじゃなくて、内面から滲み出る良さ。あの子の良さを正確に見抜ける女はそうそういないと思うけど――で、セイバーさん?」
「はい」
「彼の良さを見抜いたあなたが見て……彼は正直者かしら?」
「はい、シロウは人を和ませる冗談は言っても、不幸にする嘘は決してつかない」
「そうね。それじゃあ……そうね、私はウソつきだと思う?」
「いや……思いません。貴女はとても良い人だ。嘘をつくような人には見えない」
「よろしい、素直な子は好きよ。それじゃあ、これが最後――士郎君は自分の言葉で女を悲しませるような、そんな男かしら?」

 ああ――そんなことは決まっている。
 それこそありえない。
 シロウが私が悲しむようなことを言うなどと――私や凛や桜、大河のことを想って言う言葉はあっても、貶めるような言葉を言うはずがない。

 ならばこんな私でも、女としては決して優れているとはいえない私であっても、この白い衣装を着たならば……言葉には出してもらえずとも、少しはシロウに……綺麗だと想ってもらえるでしょうか。

「どうかしら? セイバーさん」
「……シロウはそんな男ではありません。彼は私が知る限り、誰よりも優しく、誰よりも心の気持ちよい男性です」

 だから、一度くらいは私もこのような衣装を着て、彼の隣に立ってみても良いのではないかと、そう思えた。



◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 衛宮士郎にとって慣れないタキシードと言うヤツは、どこまでも窮屈な衣装だった。
 首元のネクタイも苦しいし、こういうパリッとした格好をしていると落ち着かない。どう考えたって、白のタキシードなんか自分には似合わないと思う。まるで七五三の格好させられてるように感じられた。
 気になって仕方ない首元を緩めていると、士郎のその手は彼の隣にいた貞晴によって止められた。

「だめだろ、曲がりなりにも君は今日新郎役なんだ。結婚式にネクタイを緩める新郎なんているかい?」
「いや、まあ……それはそうかもしれませんけど」
「だろ? 第一そんなの、美しい新婦さんたちに失礼ってもんだ」

 それはその通りなのだが、士郎にはそれがまだいまいちぴんときていなかった。
 確かにこれはアルバイトで、ちゃんと事情を理解した上で引き受けた。しかしそれにしたってこんな格好させられて、こんなチャペルの祭壇に立たされてると、逆に現実感というものが乏しくなってくる。

 間桐桜、遠坂凛、そしてセイバー。

 いずれ劣らぬ三人が自分の相手役だなどと、士郎には想像が出来なかった。ウェディングドレスに着替えた彼女たちの姿など、彼の貧相な想像力では想像できない。所詮、衛宮士郎に分析・解析できるのは剣の類だけだ。女性のウェディングドレス姿なんてその範疇の外にある。

 ただそれでも一つだけ確実なのは、彼女たちが自分に釣り合わないくらいに綺麗であると……士郎にもそれだけはわかっていた。

「……ぶーぶー」

 と、そんなことを考えていたら、彼のすぐ後ろから聞きなれたぶーたれ音。
 振り返るとそこにはあいも変わらず不機嫌そうな彼の姉代わり、藤村大河。

「なんだよ藤ねえ、まだぶーぶー言ってんのか?」
「だってずるいじゃないのよぅ。お姉ちゃんだってウェディングドレス着てみたい」
「あのなぁ……着てみたいって言ったって、これ仕事なんだぞ? しかも相手役が俺なんだぞ」

 諭すように言うものの、彼女はますますむすっとして頬を膨らませ、腰に手を当ててぷんぷんとお冠の様子である。

「わかってないんだからなー、士郎は。女の子にとってウェディングドレスって憧れなんだよ。特別なんだよ。だから士郎はにぶちんなのだ」
「ふぅん……そういうもんなのか?」

 彼女の言っていることは正直なところ士郎には良くわからない。だが同時に、女の子にとってはそういうもんなんだろうとも思った。
 まあ、彼女が女の子と言っていい歳であるかというとそれはそれでまた疑問の余地が残ったが、あえて口には出すことはしない。虎を暴走させて困るのはこのチャペルのスタッフと、他ならぬ自分であると、その辺りはちゃんと弁えていた。



 士郎がぶーぶーとぶーたれている藤ねえの相手を適当にしながらまんじりと、かつ少しだけドキドキしながら主賓を待つこと約三十分。
 突然、チャペルの全照明が落ちて、辺りが薄い闇に包まれる。

「わっ、な、なんなのさー」

 いきなりのことに驚いた藤ねえがぴょんと飛び上がった。
 士郎もそこまで大げさに驚かなかったものの、内心僅かに動揺している。緊張感が高まっていたところだったからそれも尚更だ。

「さ、貞晴さん、これは?」
「ああ、そろそろヒロインの出番だな。これはあれだよ……ちょっとした演出というヤツ。うちの女房がこういうの好きなんだよ……」

 貞晴はそう言いながらちょっとした悪戯が成功したことに満足そうに笑い、その次の瞬間、チャペルの中央――いわゆるウェディングロードと呼ばれる道の両側に据えられたキャンドルに一斉に明かりが灯った。
 キャンドルに照らし出され、荘厳に浮かび上がるウェディングロード。花嫁はいつだってこの道を歩いて新郎の下に嫁ぐ。
 気がつけば士郎が今立っている祭壇は、頭上からスポットライトが浴びせられていて、彼は光の下で彼女たちを待っている格好になっていた。

 途端、緊張感が最高潮に達する。

 手のひらには汗をかき、途端に身じろぎして頭とか頬とかを掻きたくなってくる。でも動くのはやはり憚られるのがジレンマ。
 ようやく慣れてきたタキシードが今になって居心地悪くなってきて、首元を絞めるネクタイが苦しい。思わずここから全力で逃げ出してしまいたいという衝動を全力で押し殺し、激しくなる動悸を息を飲むことで押さえ込む。

 そうこうしているうちに、薄暗かったチャペルの入り口に左右からスポットライトの光が当てられた。
 最高潮に達した緊張に士郎の全身が引き締まり、その背筋もぴんと伸びて気が締まる。



 そしてそこに一人の女性が現れた。

 ピンク色のドレスだ。
 そのドレスを纏った彼女の姿は満開に咲き誇った桜を連想させた。どこまでも豪奢で華麗でありながら、どこかに可憐さと儚さを残した薄紅色の桜。ドレス自体、それをイメージしているのか、彼女の首元には桜をあしらったチョーカーコサージュ。髪にも同じく一輪の桜が咲いている。
 僅かに顔を俯かせた彼女は、ウェディングロードをタキシードを着た男性に導かれて静々と歩いてくる。

 そして祭壇の下まで来て見上げる彼女に手を差し伸べて、士郎は彼女を自分の傍に引き寄せた。
 彼女は士郎に手を取られ、少しだけ照れたように微笑みながら、瞳を細めて眼前のひとを見つめている。

「桜……か」
「はい、そうです、せん……」

 言いかけて、彼女ははにかみ、

「……士郎さん」

 そのひとことだけで――くらっときた。
 俯いても隠し切れないほど紅潮した頬、湛えた雫が溢れそうなほど潤んだ瞳、そして……ただ仕事でしかないとわかっているはずなのに――そのはずなのに、こんなにも嬉しそうな笑顔。蕾だった花が綻んだような、そんな笑顔。
 そんな姿に、士郎は彼女を本当の桜のようだ、と思った。

 着ているドレスはさながら満開の桜の樹のようだけど、それを纏う彼女は、一輪の桜。
 儚くて小さいけれど……こんなにも一生懸命で、こんなにも――。

「うん、綺麗だ。桜」
「……はい」

 彼女はやはり微笑んだまま頷いて、僅かな香りを残して後ろにさがった。



 そしてまたスポットライトが当たり、次の花嫁が現れる。

 彼女はマーメイドタイプという身体にフィットしたスレンダーな、真紅のドレスを纏い歩いてくる。隣には誰もつけず、ただ一人でその道を歩いてきた。それがなんだか彼女らしくて、士郎には少しだけ笑えた――が、同時に思う。

 ――あいつを一人で歩かせるなんて、危なっかしくて見ちゃいられない。

 右肩に薄いショールをかけ、反対側には大輪の真紅の薔薇。
 スポットライトに照らされ、キャンドルの明かりが浮かぶウェディングロードを、その花嫁は堂々と、いつもの笑みを口元に湛えて真っ直ぐに歩く。

 その先にいる士郎は、彼女の手を取り、やや強引に自分の下に引っ張り上げた。

「一人で来たのか、遠坂?」
「当たりまえでしょ。わたしの隣りを歩ける男はあんただけだもの」

 そう言って彼女は素早く軽く、唇を士郎の頬に当てる。

「少しだけ反則よ。ルージュはついてないから平気でしょ」

 凛は士郎が何かを言う前に、薄く照れたような笑みを残してスポットライトの外に消える。
 その一瞬、いつもと違って下ろしている髪が士郎の鼻先を僅かに掠めた。

「……ったく」

 つぶやきながら頬に手を当てる。彼女の言う通り、指先に紅色は残っていなかった。



 そして最後のスポットライト。最後の花嫁。
 隣りの女性に導かれ、広がった裾をふわりとなびかせながら歩いてくる。

 ウェディングロードにぼんやりと浮かび上がる純白のドレス。
 金糸の髪は足元までのロングヴェール、白の花冠で飾り、肩は手折れそうなほどに華奢でその肌も雪が降りたように見えるほど白い。
 静かに道を歩んでくる彼女の表情はヴェールに覆われて見えない。が、視線は真っ直ぐに自分を見詰めているのだけは士郎にもわかった。

 彼女が祭壇の下まで来ると、同伴していた女性は彼女の肩に軽く触れ微笑んで離れていく。
 白いウェディングドレスに身を包んだ彼女は、その碧色の瞳に真摯な光を湛え、まるで何かを訴えかけるかのようにじっと士郎を見上げている。

「……」

 その瞳の光を受け、士郎は自ら祭壇を降りて彼女の手を取った。
 士郎の手のひらに比べ一回りも二回りも小さく、柔らかい手のひらを優しく取り、二人並んで祭壇に上がる。

「……セイバー」
「……」

 祭壇の上、スポットライトの光の下、士郎は目の前の彼女のヴェールをそっとたくし上げる。

 彼女の白皙の頬に化粧など無粋の極みで、そのようなことをしなくてもほのかな紅潮が彼女を彩っている。それでもあえて施すとしたならば、その小さく可憐な唇に引かれた薄いルージュで十分だろう。

 見上げた彼女の瞳はまばたきもせず、その中に士郎の姿を納めている。
 士郎はそっと手を伸ばし、まるで壊れ物を扱うような慎重さと優しさでその頬に触れ、そして、

「綺麗だ」

 なにを思わずとも、自然にその言葉が口から出た。それはまるでそう口にすることが決まっていたかのようだった。
 その言葉を受けたセイバーの碧色の瞳は僅かに見開かれ、揺れた。

「……シロウ」
「綺麗だよ、ほんとに」

 そして次ははっきりと、自然でもなんでもなく自分の意思で、言葉で、彼女に向けて想いを口にする。
 その言葉にセイバーは息を飲み――

「はい……嬉しい、シロウ。すごく……嬉しいです」

 俯き瞳を伏せ、僅かに肩を震わせながらただ嬉しいという気持ちだけで……微笑んでいた。



◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 それから行われた写真撮影は至極順調に進んだ。
 途中、凛が少々悪ふざけしてシロウを困らせたり、それに対抗した桜が少々やりすぎてシロウが鼻血を吹いたりはしたものの、それ以外は特に何事もなく、次々とシャッターが切られていく。
 こういったときに使用するカメラは、私が知っているそれはとはまったく違うもので、手間も時間もそれなりにかかった。
 私自身も、写真を取るたびにああではないこうではないと、様々な姿勢を取ることを強要され、少々戸惑いはした。が、シロウが隣にいるのだと思うと、そんなものは少しの苦にもならなかった。

 ――シロウに、綺麗だと言ってもらえた。

 そのひとことだけで、私の心はこんなにも浮き立つ。
 少し前まではこの衣装を着て彼の前に立つことをあんなにも恐れていたというのに、現金なことに今はもっと彼に自分を見てもらいたいとすら思っている。
 時折、凛や桜が女性の服装を多く採り上げた雑誌をよく読んでいるのを目にする。それに、彼女たちは私にも良くもっと服装に気を使えと言い、私を連れて買い物に行ったりもする。
 今までは何故そんなにも着ている物に気を配るのか、その有用性が良くわからなかった。たとえ着ているものがなんであれ、重要なのは自分自身であるから服装など気にする必要はないとおもっていた。

 だが、今ならば彼女たちのその行動の理由も良くわかる。
 このような……綺麗な服装を着ることで、シロウに綺麗と言ってもらえるのはとても嬉しいことだ。
 何故なら彼は、その服が綺麗だといっているのではなく、その服を着た私が綺麗だと言ってくれたのだから。その言葉にどれだけの価値があるかわかるのは、きっと私と凛と桜くらいのものだろう。

「んじゃ、撮りまーす」

 だからこうしてシロウに腕を絡ませ、写真を撮影している間でも私の胸の動悸は激しい。

「セイバーさん、もうちょっと顔上げてくださいー」

 カメラマンの人に言われ、私は慌てて俯きがちになっていた自分の頬を上げる。
 明らかに紅潮している自分を人前に晒すのは正直恥ずかしいものではあるが、嫌な気分ではない。

「いい笑顔してるわよ、セイバーさん」

 私に同伴してくれた圭子がそう言ったのと同時にシャッターが切られ、また一枚、私とシロウの姿が写真に収められた。



「これで全部の予定は終ったかな?」

 貞晴の言葉に、彼の隣にいたカメラマンが頷き、私の隣にいたシロウがひとつ大きく息をついて、安堵したような表情になる。
 この撮影の間中、ずっと緊張していたようだから無理もないだろう。でも、あからさまにそういう態度をされると、あまり良い気分をしないのもまた事実。

 と、なにやら凛が不機嫌な様子。どうやら私と同じ思いを抱いたようだ。

「ちょっと士郎。なによ今の態度。こーんな美人と真似事とは言え結婚式出来たのに、それがそんなに不満?」
「いや、ちょっと待てよ遠坂。今のはそういうんじゃなくてだな……」
「だったらどういうつもりだったんですか、先輩」
「さ、桜まで」
「もう先輩……。疲れてるのは良くわかりますけど、こういうときに女の子の前でそれはちょっと失礼ですよ」

 シロウの鼻先で指を一本立てて、少しだけ頬を膨らませる桜。
 その姿に脅威などは一片も感じる余地はないが、シロウにとっては違うらしい。肩を落として『ごめんなさい』と素直に謝っていた。あるいはそれは桜の後ろで、凛が腕を組んで構えていたからかもしれないが――

「シロウ」
「せ、セイバー……?」
「シロウ、桜の言うことはもっともですが……一先ずはご苦労様でした」

 ――彼女たちが言うべきことを言ってくれたのであれば、私は彼に労いを。

 初めて出会った頃よりも位置が高くなった彼の肩に手を添えてゆっくりと揉み解す。私の肩よりもずっと大きくて広いシロウの肩は、日々の家事の苦労もあってか、思ったよりも固く凝っていた。

「意外と凝っているのですね……いかがですか、シロウ」
「あ、ああ……ありがとうセイバー、気持ち良いよ」

 そう言ってくれるシロウに微笑み、更に丁寧に彼の肩を揉み解す。
 なにやら背後から二種類の唸り声が聞こえてくるが、今の私には届かない。シロウを護るのが私の役目であるのならば、彼の身体を癒すのもまた、私の役目であると自認している。

「ハイ、ちょっとセイバーさん、士郎君。せっかく仲良くしてるところ申し訳ないんだけどいいかしら?」

 呼ばれた声に振り向くと、圭子が腕に眠っている彼女の子を抱いて立っていた。

「なんですか、圭子?」
「うん、実はね。二人にもう一枚だけ協力してもらって撮りたい写真があるのよ。お願いできるかしら」
「もう一枚、ですか? でもなんで圭子さんが……」

 シロウが抱いた疑問は同時に私が抱いた疑問でもある。
 彼女は確かにあれこれと私の助けにはなってくれたものの、あくまで貞晴の同伴者であって、この撮影自体にはまったく係わり合いのない人物であると思っていたのですが。

 その疑問に答えたのは圭子本人ではなく、私をこの仕事に誘った貞晴であった。

「いやいや、実はね。この式場の責任者は彼女なんだよ。簡単に言えば、彼女は俺よりも偉い人なわけだ」
「なんと……では、ここの王は貞晴ではなく圭子であると?」
「王……? ははっ、セイバーさんは面白い言い方するね。でも確かにその通りだな」
「まあ、わたしは女だから王は王でも怖い女王様だけどね」

 なるほど、どうやら私たちは思い違いをしていたようだ。
 しかし、であれば彼女が私たちに依頼をするのも納得がいく。

「承知しました、圭子。貴女の頼みであるというなら断る理由はどこにもない」
「ありがと、素直な子は好きよ。……で、士郎君のほうは?」
「セイバーがOKだって言うなら俺もOKです。こうなったら最後までとことんつき合わせていただきます」
「ふぅん……それは仕方なく、っていうことかしら?」
「まさか。俺だって男ですから」
「良い答えね、衛宮士郎君。それでこそわたしの眼鏡に適った男の答えだわ」

 シロウの答えを聞いて圭子は満足げな笑みを浮かべ、私や凛、桜もまたその答えに満足している。いくら私たちが嬉しいと感じていても、それが一方的な想いなのではまったく意味がないからだ。

「で、圭子さん。最後に撮るってどんな写真撮るんですか?」
「ああ、別にそんなたいしたことじゃないわ。ただね――」

 と、圭子が私の前に来て、

「セイバーさんにこの子を抱いてもらって、士郎君との写真を撮りたいのよ」

 そう、言った。

「セイバー?」

 シロウが怪訝な表情で私を見る。
 無理もないだろう。私は、自分でもわかるくらいにはっきりと強張っている。
 彼女の腕の中にいる子――赤子を私に抱けと、彼女は言っている。

「……圭子、それは」
「難しいことじゃないでしょ? ただ、この子を抱いて笑顔を見せてくれればいいだけだもの」

 だがしかしそれは難しい。
 確かにこの子を抱くのは簡単だ。だが――その上で私は笑顔を見せることが出来るのか?

 おそらくきっと、否だ。
 赤子をこの腕に抱けば、私は否応なくあの子のことを――モードレットのことを思い出してしまう。そして罪に穢れた私自身をも。
 幾千幾万の敵と対峙しても、屈強のサーヴァントと剣を交えてもこの身は脅えず怯まない。
 が、己の罪は堪らなく怖い。

 ――なんと卑怯な、なんと臆病な自分。

 先ほどまでシロウの隣りで笑顔を浮かべていた自分が醜く思えてくる。何故、あんなにも私は浮かれていた?
 手のひらに血の赤を幻視する。言うまでもなくあの丘で、あの子を討った時に染めた自分の手。今やドレスの白いグローブなど見る影もなく禍々しい朱色に染まって濡れていた。

「……私は」

 震える心のままに漏れた声はやはり震えていた。

 無理だ。やはり無理だ。この手に赤子を抱くなどと、私にはその資格などなく叶うはずがない。
 血で濡れたこの手で穢れなき赤子を抱くなどとおこがましいことだ。
 この手は――愛すべき己の子を殺した手なのだから。

「セイバー」

 ぽん、と軽く叩くように私の頭に手のひらが置かれた。
 大きくてごつごつした男性の手のひら――見上げれば私を見つめているシロウの瞳とぶつかる。

「セイバーはね……いろいろあったんですよ。それは察してくれますか?」
「でしょうね。この間、彼女に息子を抱いてもらおうと思ったけど、セイバーさんは資格がないって言ったわ。でも正直、馬鹿げてると思った。女として生まれて子供を抱くのに資格が必要? そんなもの、女というだけで全てが許されるわ」
「……俺は男だからその辺のことは良くわかりません。……だけどな、セイバー。俺はおまえがそんな泣きそうな顔してるのは嫌なんだよ」
「……シロウ?」

 シロウは私の頭から手を離し、圭子に向き直ってその頭を深々と下げた。

「すいません。今このときだけ……ほんの一瞬だけお子さんをお預りします」
「!?」

 シロウは圭子の手から赤子を受け取り、壊れ物を抱くようにその腕に収める。
 母親の腕から知らない人の腕に移ってもその子は泣くことなどなく、相変わらず自分の指をしゃぶったまま眠っている。

「セイバー、ほら」
「し、シロウ……」
「ちっちゃいよなぁ……」

 私に赤子を見せながら、シロウは微笑んでその子の髪を撫でる。

「セイバー、おまえがどうしてそんなに怖がってるのか、知ってる」
「シロウ……」
「まったくさ……プライバシーも何もあったもんじゃないよな。伝説ってのはさ」
「そうですか……ですが、それならわかるはずです。私には子を抱く資格などない。私は……」

 しかしシロウは首を横に振る。

「それは違う。違うぞセイバー。……確かに子供を抱くにはおまえが言う通りに資格が必要だよ。だけどその資格なら、セイバーは立派に持ってる」
「……そんなはずはない。だって私は」
「聞け!」

 私は頭を振ろうとしたがしかし、シロウの怒声に身を竦めた。
 ……シロウは怒っている? いや、違う。怒ってなどいない。ただ、とても大切なことを私に話そうとしている。

「親がな、子供を抱く資格なんて簡単なんだよ。それはたったの二つでどちらも単純で、当たりまえのことなんだ」
「それは、なんなんですか?」
「それはな――」

 問う私に、シロウは本当に簡単なことを口にするように、あっさりと答えた。

「――子供を幸せにしてやりたいって、そう願う気持ちと護り抜く覚悟だ。それがあれば他になにが要るんだ」
「気持ちと……覚悟。子供を……」
「そういう意味じゃセイバー、昔の、あの頃のおまえに親の資格は確かになかった。あの頃のおまえは自分すらなく、国が全てだったから」

 断定するシロウの言葉に私は声を上げることすら出来なかった。
 シロウの言葉には確かな真実がある。
 子供を幸せにしたいと願う気持ちと護り抜く覚悟。大切なのはその二つで、あの頃の――王だった私にそれは確かになかった。

 ならば――

「でも今は違うだろセイバー。例えば――その、例えばだぞ。この子が俺と、おまえの子供だったとしたら……セイバーはどうする? どうしたい?」

 ――今は。今の私ならどうしたい?

 ……どうしたいかなどと、そんなものは決まっている。
 それはたった二つでどちらも単純。そして本当に当たりまえのことだ。

 私と士郎の間に子を生したならば、私はその子を必ず幸せにする。その子を護るためならば私はなんだって出来るだろう。
 何故ならば……今の私は国を護るために在る王でなく、ただ一人のひとを愛する女なのだから。

 女であるならば、その資格は当然のように持っている。要らないと、錯覚するほどにそれは当たりまえのことなのだから。

「幸せにしたいです、シロウ……。私は私に懸けて……必ずこの子を護るでしょう」
「……だろ?」

 答えた私に、シロウは穏やかな満面の笑みを以って返した。

 ――ああ、この人は本当にすごい。

 どうやっても解けないと思っていた私の呪いを、こんなにも簡単に解いてしまう。シロウの言葉はまるで魔法のようだ。
 こんな人の傍にいられる私は、それだけですごい幸せだ。



 差し伸べられたシロウの腕に抱かれている赤子をそっと受け取る。
 まだ……腕が少し震えている。怖いと思っている――自分がいる。

 だけど私のすぐ隣にはシロウがいてくれて、見上げて彼の瞳と目が合った途端、それだけで腕の震えは止まった。
 それでなんとなく――何故、男と女が番いになって子供を育てるのか、わかったような気がした。

 私の腕の中にいる子供はとても小さく、簡単に壊れてしまいそうに儚い。
 だけどとてもあたたかかった。
 小さく握った手のひらはひたむきで、この小さな身体から溢れる生は感動的ですらあった。

 そして私はゆっくりと彼を抱きこむ。
 胸にこの子の頭を押し当てて身体に、腕にこの小さな命を抱きこんだ。


 ――知っている。

 ――私は、この柔らかなぬくもりを知っている。

 ――気が遠くなるほどの昔、私は確かに一度だけ、このぬくもりを抱いた。

 ――その子はとても……小さかったのだ。






 その子は……ああ、モードレット……!
 すまない……すまない、私は、私は……モードレット……私の――私の赤ちゃん……!





「……あ」

 気づかぬうちに零れていた涙が頬に落ちて、私の腕の中でこの子の目が開く。
 小さくつぶらで、穢れ一点もなく、怖いくらいに純粋な瞳の中に泣いている私がいる。
 私は零れる涙を拭いたいと思ったが両手はこの子を抱くので塞がっている。ならば涙を止めようと思っても、次から次へと雫は止めどなく溢れた。

 ならばシロウに――と思い、彼に振り返ろうとしたとき、

「うー、あー」
「……え?」

 彼がその小さな指を開き、一生懸命に私に向かって手を伸ばしていた。
 ふらふらと、ふわふわと。
 小さな指を小さく動かし、何かを手にしようとしているのか一生懸命に伸ばしている。

 と、今度は私の肩を大きなぬくもりが包んだ。

「慰めようとしてくれてるんじゃないか?」
「……シロウ」
「セイバーがさ、泣いてるから」

 そう言って彼は私を抱く腕に力を入れて私をその胸元に引き寄せ、私の全身は彼と子供のぬくもりで満たされた。
 私が子供を抱き――シロウが私を抱いている。まるで体温が一つになったと錯覚するようなこの感覚は、なんて――。

「――そうなのですか? 貴方は……私を心配してくれたのですか?」
「あー、う。ふあー」

 だが彼にその答えを期待できるはずもなく、言葉にならぬ答えを返してふわふわとその小さな手をさ迷わせた。

「ふふっ……」

 その様子が微笑ましく、思わず口から小さく笑みが漏れる。


 バシャッ!


「えっ?」

 突然聞こえたシャッター音と、まばゆいフラッシュに顔を上げると、

「ナイス笑顔よ、セイバーさん」

 圭子が親指をこちらに突き出して、片目をつぶっていた。
 ああ、そうか。すっかり忘れていたのだが、これは撮影だったのだ。ということは、私はこれだけの面々の前で涙を見せたというのか。

「今回の撮影はね、新しい家族の門出、っていうのがテーマだったのよ。おかげで最高の写真が撮れたわ。ありがとう」
「――いえ、礼を言うのはこちらのほうだ。ありがとう、圭子」

 彼女の手に抱いていた子を返す。離れていくぬくもりに一抹の寂しさを感じたが、でもまだこの腕の中に残っているあたたかさが私を慰めた。
 そして、私を抱くシロウの腕も。

「ま、そんな寂しそうな顔するなよ」
「ええ、私は平気です……シロウも、ありがとう」
「よせやい」

 シロウは照れくさそうに微笑むと、また少しだけ表情を引き締める。

「セイバー。これだけで――過去を吹っ切れるとは思わないけどさ」
「……はい」
「この先人生長いんだしさ、セイバーは独りじゃなくって、俺も皆もいるんだ。これから先、いくらだってどうにかなる。だから差し当たって今はさ、とりあえず前を見て歩いていこう。――怖かったら、俺がいるから」

 シロウのその言葉は、どこかで聞き覚えがあった。似たようなことをつい最近、誰かから言われた気がする。
 確か――そう、確かあのときに言われた言葉だ。

 思い出し、思わず笑みが漏れる。よもやこのようなところで彼女とシロウが繋がろうとは。

「シロウは……」
「ん?」
「シロウは肉屋のおばさんと同じことを言うのですね」
「は、はい? 肉屋?」
「いえ、なんでもありません。……シロウ」

 私は一つ息を呑み、少しだけ勇気を出してシロウの懐深くこの身を潜らせる。

「お、おい……」
「シロウ。一つ、お願いが」
「な、なんでしょうかセイバーさん?」

 こつり、と彼の胸に自分の頭を当てて、

「私は……あなたの子供がほしい。協力、していただけますか?」
「ぶーーーーーーっっっ!」

 む。そのように激しく吹き出すとは。それは女性の精一杯の想いに対して失礼というものだ。

「な、なななななんななにをいきなり言ってますか!?」
「ですから、私はシロウの」
「わーーーーっ!! ちょ、まっ、すとっ! だっ、駄目だ駄目だダメダメダメ! 女の子が簡単にそんなこと言わないで、最初は清く交換日記からだぞセイバー! 東京電力も自分は大切にって言ってるだろーーー!?」
「いえ、東京電力が大切にしているのは電気ですが」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだ、な……?」

 突如シロウの向こう側から凄まじいプレッシャーが立ち上る。
 ああ……そういえば彼女たちがいるのをすっかり忘れていましたね。――む、シロウの服が冷や汗で湿ってきている。
 カタカタぎぎぎという音に顔を上げると、シロウが歯の根を慣らしながら錆びついた首をゆっくりとそちらに向けていた。

「あー、あの。遠坂さンに、桜さン?」
「まあね。わたしも基本的には衛宮君の言うことに賛成なわけよ。お子様な身体のセイバーが子供なんて、あとバスト5センチは早いわね。その中学生に勝るとも劣らない貧相な乳でどうやって授乳するつもりよ、あんたは」
「ええ、それは概ね遠坂先輩も同じなのではと思わないでもないですが、そのご意見には声を揃えて賛成します」
「キャーー!? 人類皆兄弟だからおねがいやめてーーー! 俺はラブアンドピースを主張するーーーー!」

 桜の勇気ある言葉に何を思ったのか、シロウが突如悲鳴を上げる。
 シロウ、別に私はなんとも思ってなどいませんが。ただひとことだけ言いたいことがあるとすれば――凛、桜。貴女たちは敵です。

 カタカタと震えるシロウと私の前に凛が腰に手を当て仁王立ちする。その隣りには胸の前で手を組み合わせ、なにやら怪しげに指を絡ませている桜。
 一見すると二人とも笑顔だが、良く見ると口元は微妙にひきつり、そもそも良く見なくても背後に黒いものを背負っていた。

「まあ……セイバーが貧乳なのは本気で今更だからともかくとして。でね、士郎」
「な、なんでしょうか、遠坂さン」
「あのね――あんたいつまでセイバー抱きしめてんのよ」
「う――わっ!? セ、セイバー悪い!」

 笑顔のまま非常に低い、いわゆるドスの聞いた声で言い放つ凛に恐怖したからか、シロウが私の肩から手を離して飛びのく。

「む……シロウ。私の傍にいるのはそんなに嫌なのですか?」
「いぃっ!?」

 だが私としては、今シロウから離れるのは甚だ不本意なのことなので、思わずシロウに対して恨み言を言ってしまう。

「いやぁ、衛宮君。君は本当に幸せものだねぇ」
「な、なに言ってるんですか貞晴さん! どーでもいいからこいつら止めんの手伝ってくださいよ!」
「なに言ってるのよ士郎君、他人の痴話喧嘩ほど面白いものもそうそうないのよ」
「うわぁ、このひと本気だぁ」

 対して心底からそう言って笑っているのは貞晴と圭子の二人、そして他の関係者の面々。彼らにとってはまさにこちらは、この国でいうところの対岸の火事というものなのでしょう。なんとも呑気なものです。

 ――凛など既にその身に魔力を帯び始めているというのに。

「ちょー、ちょっと待って遠坂! ガンドはヤバイだろガンドはっ! ここは事情を知らない人でいっぱいなんだぞ!」
「ふっ……その時はアレよ。プラズマのせいってことでひとつ」
「ぷらずま……というものがどういうものかは良くわかりませんが、凛がそのつもりならばこちらにも異論はありません。あの夜、土蔵でつかなかった決着をつけてあげましょう」
「だーっ! 二人ともいい加減にしないと怒るぞーーー!!」

 剣呑な空気を漂わす私たち三人の間に入ったシロウがそう叫んだときでした。



「ちょーっとまったーーーー!」



 いつの間にかすっかり忘れられていた彼女が現れたのは。

「ちょっと待ったコール!?」
「誰ですか!?」

 声がした先を振り向くと、そこには闇の中、スポットライトに照らされて立つ一人の女性の姿。

「世のため人のため、小娘どもの野望を打ち砕くお姉ちゃん参上! この私の目が黒いうちは皆にだけ楽しい思いなんてさせないんだからうわーーーん、仲間はずれにするなんてひどいじゃないのよぅーーーー!」

 要するにじゃんけんに負けた大河が寂しくなったんでいつものように暴れ始めたということですか。
 それにしてもきちんと向日葵色のドレスに身を包んでの登場とは恐れ入ります。大河もその身に生命力と活力を溢れさせた美しい女性だ。ドレスを身につけた彼女はやはりいかなる人の目をも惹きつけるほどに美しい。
 ですが、ドレス姿で竹刀を持って登場というのは些か問題があるのではないでしょうか。

 まあ、そんなことは今は些細なことでしょう。
 差し当たって私が為すべきは、なにやら泣きながら一直線に向かってくる大河から、シロウの身を護ることでしょうか。

 ドレス姿で格闘するというのも、まあ私らしいのではないかと、口元には知らずのうちに笑みが浮かんでいた。



◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 数日後――。

 一通の封筒に納められて、あの日に撮影した写真が送られてきた。
 その写真は今、自分でも飾り気の無いと思う私の部屋の唯一の写真立てに納められて飾ってある。

 一筋の涙を流しながらだったが、その中で私は確かに微笑んでいた。

 私は腕に小さな幼子を抱き、シロウは私の肩を抱き……彼と、私と、その子の三人で――。
 だから私は夜眠る前、必ずその写真を見て思うのだ。

 願わくば、この小さなフレームに納められた小さな夢を、まどろみの中でもう一度……と。





あとがき

 微妙に少女マンガ。なかよしとかりぼんとかそんな感じです。あうあう。
 でも間違ってもレディースなコミックにはなっていないので、救いがあるようなないような。

 とりあえず今回、桜のところ書いた時点で膝が砕けました。がくがくになりました。
 凛のところでは意外と普通でした。彼女は書いててすっきりさっぱり感があります。
 セイバーは描写でくじけそうになりました。脳裏に少女マンガの背景が散ったのはこのときです。

 ああ、精神力を消費消費。MPゼロです、がっつりと。
 今回短編のくせにテーマ重たくしちゃったもんだからほんと疲れたー。

 それからゴメンよ藤ねえ。またオチに使っちまったよ。


感想、ご意見などございましたらこちら、もしくはBBSまでよろしくお願いします。

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