くるーり と、目に映る風景が左から右へとスライドする。 くるーり と、今度は逆に右から左へと。 要するに只今俺は、理不尽かつ不当な裁判の判決により、蓑虫の刑に処されていた。 衛宮士郎、一七年生きてきてこのような屈辱は初めてである。 「一日に二度もこのような目に合わせるなんて。覚えておれよあくま、そして虎」 全身を滾る血は沸騰し、闘志は熱く燃え上がる。見ていてくれ父ちゃん、俺はやるぜ。 ――そのために誰か、縄をほどいてくれ。 意気上がり、我が戦意は天を突かん。されど自由にならぬこの身がただ虚し。 要するに縛られて身動きできないこの俺に、できることなどただ風に揺れることのみ。 「……」 ぎし、ぎし……と、無言の俺に話しかけてくる荒縄の軋み。だが生憎とこちらには話すことなど何もない。 そう思って無視していると、やがて話しかけてくる荒縄の声も止み、周囲は静寂に戻る。 ――無言。 「……あったかそうだな、家ン中」 ひゅ〜〜〜、と音を立てて吹きすさぶ風が妙に冷たく、居間の辺りに灯る明かりは家庭の温もりというヤツをこれでもかと具現していた。 だいたいなんだよ。あそこはいちおう俺の家なんだぞ。なのになんで肝心要の家主がこんなところで暗い中、ひとりぼっちでぶら下がってて、どうして皆して俺のこと放置プレイで楽しそうにしてるんだよ。 ……あッ、涙出てきた。畜生、さびしくなんかないやい。 滲む涙を拭えないので、代わりにじとりと湿っぽい睨みを屋敷に向けて、すんっと零れてきた鼻水を啜る。 「シロウ」 そんな哀れな俺の耳に届いたのは、鈴を転がすような愛しい彼女の声だった。 日は既に暮れ、空には雲の代わりに散らばる星。 焼けた橙色は暗い藍色に塗り替わり、朧のような太陽は煌々とした月に取って代わっている。 射しこむ月明かりは地面に慎ましい影を落とし、彼女の横顔を淡く照らし出す。 蒼銀の光に包まれた彼女は柔らかい微笑を浮かべながら空を見上げ、俺は縁側に座ってそんな彼女の横顔に見惚れていた。月の光に目を細めるセイバーは、今更だが息を飲むほどに綺麗だった。 「この身がサーヴァントであった頃にも思いましたが……今の時代は星が少ないのですね」 「そうなのか? ……まあ、千年以上も昔に比べれば今は空気が汚れてるし、ビルの明かりやら何やらで空も明るいからな」 それは独り言に近かったのか、ようやく届くくらいの小さな声。その声に誘われて、俺も彼女に倣い空を見上げる。 空には名も知らぬ小さな星たちがいて、半分欠けた金色の月はぼんやりと青白い光を発してそこだけが明るい。 小さい頃から見慣れた星空は、昔から少しも姿を変えていない。星の数が少ないとセイバーは言うが、今の星空の姿しか知らない俺にはピンとこない。 だがきっと、彼女がかつて生きた時代はそれこそ敷きつめたような輝きが、空一面に広がっていたのだろう。 「やっぱり昔は星もいっぱい見えたのか?」 「そうですね。今とは比べ物にならないくらい。あの頃はそれが当たりまえで何の感慨も持ち得ませんでしたが、今となってはその美しさが失い難いものだったと思える。……皮肉なものですね」 「失って初めてその価値に気づく、か」 「はい。そしてシロウ。私にとって、あなたはきっとそういうひとなのです」 セイバーはそう言って俺を振り返った。 月明かりの影になっているが、それでも俺には輝いて見えるくらい、彼女は優しい微笑を浮かべていた。 「シロウと別れた時の私に後悔はなかった。それは今でも変わらない。でも全てが終って、夢に見て、こうして再びシロウと出会った。私は再び貴方を得たのです。だから、今の私にはきっともう――」 「……」 微笑が、少しだけ儚げなものに変わり、 「きっともう、二度とシロウを失うことには耐えられないでしょう」 だけれども、そうはっきりと口にした。そのことに間違いはないのだと誇るように。 「――ああ、それは俺だって同じだ」 その想いは俺だって負けていないと自負している。だからはっきりと口にした。 頷いて頬を少しだけ染めるセイバーは可愛かった。 ――night 03―― 『賭して誓う』 「なあ……セイバーはどうやって戻ってこれたんだ?」 だからじゃないが、俺の口はその事を至極あっさりと問うていた。 いったいどうやってセイバーは戻ってきたのか。 ――それを知れば、どうやったら二度とセイバーを失わずに済むかわかるかもしれない。 俺はそんなことを考えている。 今ここに居る彼女が現実だっていうのは嬉しいくらいにわかっているが、それがあまりにも突然で、何の代償も無いものだったから――同じように簡単に、まるで覚めるように消えてしまうんじゃないかと――そんなことを俺は恐れていた。 俺の問いにセイバーは笑みを消すと、わずかな間、何かに黙祷を捧げるように瞳を閉じる。 そしてふわりと、ごく自然に俺の隣に腰を降ろした。 「私にも詳しいことは良くわかりません。知っているのは、全てたった一人の騎士の手によって為されたであろう事だけ。……それで良いのであれば」 「ああ、もちろんだ。知る限りのことでいい、教えてほしい」 「わかりました。本当に、私は何も知ることなく……ただ受け取っただけなのですが」 セイバーはひとつ深く呼吸をし、虚空に目をやった。 視点は遠くここにはなく、きっとその目の前には自身の記憶が広がっている。 そして彼女は記憶を紡ぎ出した。 「私の最期を――看取った騎士がいました」 「最期?」 近いところにセイバーの香りと体温を感じながら、聞き捨てならない言葉を問い返す。 最期、だなんて――セイバーはここにこうしているじゃないか。 だがセイバーは、ひとつ頷くだけで俺の問いには答えず、自分の言葉を続ける。 「ベディヴィエールといいます。古くから私に仕えてくれた円卓の騎士です。騎士として武勇に優れたことはもちろん、忠義に篤く誠実な人柄で、アーサー王がもっとも信頼した騎士の一人でした」 『ベディヴィエール』 他にベディヴィアとも呼ばれたその騎士の名は知っている……が、俺は彼の名を改めて脳裏に刻んだ。 セイバーにこうまで信頼された男の名を忘れるわけにはいかない。 「あの、全ての騎士の骸に包まれた戦場で最後の敵を討ち、傷を負っていた私を助けに来てくれたのも彼でした」 「セイバー」 「……いえ、気にしないでくださいシロウ。心良い記憶ではありませんが――大切な記憶です」 そのことを語るのは決して辛くないことではないだろうに、彼女は微笑んですらいた。 アーサー王最後の戦いである『カムランの戦い』。史上稀に見る激戦であり、敵味方を合わせた殆どの騎士がこの戦いで散ったという。 それは騎士王アーサーすらも例外ではなかった。 援軍に駆けつけようとしたラーンスロットは間に合わず、アーサー王は敵将であり、自身の息子でもある騎士モードレットと相討ちとなったという。 その伝説が事実であることは、良く知っている。セイバーがかつて駆けた人生を、俺は彼女の記憶という夢の中で見てきたからだ。 だが、俺が見たのはそのカムランの戦いの最後の光景、累々と騎士の骸が横たわる虚しい記憶までだ。 これから彼女の口から語られるのはその後……五回目の聖杯戦争が終って、俺と別れた後の出来事。 伝説に曰く、騎士王が妖姫モルガンら湖の貴婦人に誘われて妖精郷アヴァロンへと至るまでの物語である。 「あの後……シロウと別れ私はカムランの戦場へと戻りました。その時には既に私の身は傷つき果て、自分でももはや長くないことは良くわかっていました。当然ですね。私は果たすために、あの時へと戻ったのですから」 「――ああ、そうだな」 「その直後、懐かしいベディヴィエールに再会しました。彼は戦場においても常に私に従ってくれていましたが、あれほどの戦の中ではそうもいかず、私の傍から離れたことを非常に悔やんでいました。だが彼は、自分自身多くの傷を負いながらも、私を捜し出してくれた」 その騎士のことを語るセイバーは誇らしげだった。事実、彼女は彼のことをとても頼みにしていたのだろう。 下手をすれば、俺よりも。 セイバーほどの騎士が認めるベディヴィエールの強さは、およそ俺の及ぶところではないだろう。 そんな彼に俺は恥知らずにも妬みを感じ、同時に自己嫌悪した。 ――何様だ、衛宮士郎。彼女を守れるほど強くないおまえごときが。 そうして俺は、セイバーに知れぬように苦虫を噛み潰す。 「……それからどうしたんだ?」 「はい。ベディヴィエールは傷ついた私を連れて戦場を離脱し、辿りついた森で私は彼に聖剣を湖に投げ込むよう命じました。ベディヴィエールは私の生命を思い、二度まで命に背きましたが、三度目に遂に剣を妖精に返しました」 「セイバーは、それで」 「ええ。聖剣を返すということは、私を加護していた力を失うということ。私の生命は、そこで確かに失われたのです」 「……でも、セイバーはこうしてここにいるじゃないか。死んでなんかない」 俺は現代に伝わる伝説でその話を知っていた。どの伝説においても、その場面でアーサー王の死を語っている。 だが俺は彼女が口にした言葉の意味を認めてしまうのがどうしてもイヤで、思わずそう反論していた。 まるで子供の我侭のようなもので、そんなことを彼女に言っても仕方ないと、わかってはいたが言わずにはいられなかった。 彼女はそんな俺に目を細め、くすりと笑う。 「シロウの気持ちは嬉しい。ですが……確かなことなのです」 「――わかってる。セイバーがそんな大事なことで冗談なんか言うはずないもんな」 「はい」 変わらず優しげな瞳で俺を見つめてくるセイバーの視線が恥ずかしくて、思わず顔を逸らしてしまう。 ああ、なんか――セイバーが笑ってるのが気配でわかってしまうよ。少しはポーカーフェイスというやつでも覚えたほうがいいのだろうか。 まあ、そんなことができるくらいなら、日夜俺をからかうあくまの跳梁を許していないはずなんだけど――。 風が流れる。 庭の木々が揺れてさらさらとざわめき、セイバーの髪が俺の頬をくすぐり、彼女の匂いと体温を運んできた。 盗み見ると……俺を見ていた彼女の瞳とぶつかった。 きっとここからが歴史にも伝説にも語られない、アーサーという騎士王の……あるいはアルトリアという少女の最後の物語なのだろう。 間際から――眠りに就くまでの刹那の時間、その間にあったことが、何よりも大切なこと。 それはもしかしたら、ベディヴィエールという騎士の、誰も知らない最初の物語なのかもしれない。 「すいません、シロウ。私はあのとき、既に死に瀕していました。あの、恥ずかしい話なのですが……その、とにかく眠くて、はっきりとその時のことを覚えていないのです。だから、私が知っているのはたったひとつの事だけです」 「ああ、それでも構わないって言っただろ。セイバーが知ってること、教えてほしい。それは何だろうと大事なことだから」 「そうですね……あれは、とても大切なことだ。私も、シロウには知っていてほしい」 そう言って彼女は視線を空に向け、その物語を語り始めた。 「誓いを、受けました」 とても大事な宝物を抱くように、胸元で手を握り締める。 「私は王ではなくなっていた。ベディヴィエールは既に私の騎士ではなく、そのような義務などなかったのに、こんな私に剣を捧げてくれた」 「それは、どんな誓いだったんだ?」 「――わかりません。ただ果たす、と。それだけは覚えているのですが……。でも彼が最後に願ったことは知っています」 騎士が誓いと共に願ったこと。 それは二つあったとセイバーは言った。 「一つは私の目覚め……既に死に逝く身であった私に再び目覚め、その時に青い空があるように、と」 「……その願いは叶ったのか、セイバー?」 「ええ、それはもちろん。清々しく、どこまで鮮烈な素晴らしい青空だった」 そんな風に誇らしげに語るのであれば、さぞかし素晴らしい青空だったのだろう。 そういえば一月前に俺が遠坂と歩いたあの青空も良いものだった。もしかしたら、俺とセイバーはその時に同じ空を見上げていたのかもしれない。 「それで、もう一つの願いってのはなんだったんだ?」 「あ、はい。それはですね」 残ったもう一つの願い、そのことを聞くと何故かセイバーは頬を染めてもじもじしだした。 うん? なんだかよくわからないけど、それはどうやら俺にも関係があるらしい。だってちらちらとこちらを窺ってるし。 「どうしたんだ、セイバー?」 「いっ、いえ。どうということでもないのですが、その……」 ごにょごにょと言っていたセイバーだったが、やがて意を決したのか、はあ、と大きく一つ吸って呼吸を整え、 「もう一つの願いは……夢の続きが、安らぎをくれる人とあるように……と」 こちらをじっと見つめてそう言った。 ああ、そう言われれば彼女が何をそんなに照れていたのか良くわかった。 同時に俺の頬も一気に紅潮していく。 そりゃそうだろうさ。セイバーが言っているのが俺のことだってのは、彼女のその態度を見れば言葉を語るよりも明白だ。自惚れではなく、セイバーにとってそういう人物足りえる男は俺だけだと、今なら自信を持って言える。 要するにだ、ベディヴィエールのもう一つの願いというやつも既に叶ってるってことだ。 「ベディヴィエールがいったい何を誓ったのは私にはわかりません。ですが最後に彼が願ったことと、私が今ここにこうして居られることを考えればある程度の予想は出来ます」 「ああ、そうだな。ベディヴィエールは……セイバーに、今度はただの少女として生きる未来を捧げることを誓った」 「……夢を見ていたのです。それはシロウ、あなたと、あなたの周りの人たちと過ごした夢です。決して良いことばかりではなく、時には傷つきもした夢ですが、私にとっては何よりもかけがえのないものだった。ベディヴィエールはそのことを悟っていたのでしょう……」 アーサー王の最期を看取ったベディヴィエールの胸にどんな思いがあったのかは知らない。 ただ、彼がこのまま王が……いや、アルトリアという少女が死んでいくということを認められなかったのだけは間違いないだろう。どの騎士よりも少女のことを理解していたその騎士は、彼女の人生がどれほど報われないものだったかを知っていたのだろう。 そんな少女が最後に見た夢の……その続きを見せてやりたいと願い、誓うことはある意味当然だったのかもしれない。 ――その道程が、たとえどれだけ困難であったとしても。 「結果として、ベディヴィエールの誓いは果たされた。彼はその誓いの通りに、私に今をくれたのです。人の身には到底為し得ぬ偉業を成し遂げて――。騎士の誓いは重い。己の剣に懸けた誓いは必ず果たされなければいけない。それは例え敵が世界であっても侵されることは許されない、絶対の契約」 語るセイバーの言葉は重い。 何故なら彼女もまた騎士であり、かつての己の誓いを生命を賭けて果たしたからだ。 俺は騎士じゃない。彼や彼女がそこにどれだけの覚悟を込めて誓うのかはわからない。 だが、セイバーやベディヴィエールが己の剣に懸けた誓いを果たしたことは知っている。それがどれだけの困難であったかも。 「誓いを果たしたベディヴィエールは……彼こそは真の騎士でした」 だから彼女の言うことがどれだけ正しいことかよくわかった。 そう語るセイバーも、彼女が語るベディヴィエールも見事すぎる騎士だった。 「私が知っているのはこれだけです。今の私は、かつてこの身に仕えてくれた騎士のおかげであるのです」 結局――どうということはなかった。 彼女がどうやって戻ってきたのか、結局は一人の騎士の誓いの結果に過ぎなかった。たった一人の騎士がその身で果たした、例えようのない困難と血反吐を吐くような道程の果てに、セイバーは戻ってきた。 そこに彼女を失わないための確かな方法なんて、そんな都合の良いモノ、どこにもあるわけがなかった。 セイバーの未来を作った男はただの騎士に過ぎず、神様でなければ魔法使いでもない。その力は何の変哲もないものに過ぎなかった。 結局――彼女を失いたくないならば、どうにかするしかないのだ。 衛宮士郎が、自分自身で。 「セイバー」 「? はい、なんですかシロウ?」 「俺、おまえを護るよ」 だから、誓いが俺の力になるというのならば誓おう。 「俺がおまえを護る。誓うよ、セイバー」 「シロウ……」 セイバーは少しだけ困ったような顔をして俺を見つめる。 「シロウは騎士ではないのですよ?」 「知ってる」 「ただの人間だ。簡単に死んでしまう」 「そうだな」 「シロウよりも私のほうが強い」 「それも良くわかってる。でもおまえを護るんだ。――失いたくない」 だが、彼女の次の言葉は俺を抉った。 「軽はずみなことを言わないでほしい、シロウ。私を護るなどと……貴方は正義の味方になると決めたのではなかったのですか?」 「……!」 そうだ。 言われなければ気づかなかった。 セイバーを護るということは、それは何よりも彼女を優先するということ。 ならば、セイバーの幸せと他のたくさん人々の幸せとが天秤の秤にかけられたならば……俺はどちらを選ぶ? セイバーを選ぶしかない。 それが誓うということだ。 この手に全てを握るなど、できるはずがない。セイバーを護りながら、他の全ても護り抜こうなどと虫が良すぎる。 俺にはそんなことが出来る力も器も、ない。それは人の身には到底為し得ぬことだ。 だったら――。 「シロウの気持ちはとても嬉しく思います。私を護るといったあなたの真心だけで十分、満たされます。だからシロウは、シロウが決めた道を歩んでください。それが何よりも優先される、あなたの誇るべき道のはず」 セイバーの言う通りに俺は今まで通り、正義の味方としてたくさんの人々の力になることを目指せばいいのだろうか。 それは確かに一つの道だろう。 だけど――。 「それにこうして再びシロウの前に立った以上、私の以前の誓いは有効だ。私は貴方を護り、貴方の敵を討つ剣となる」 本当に、それでいいのか――。 それは再び――彼女を失う選択とならないか? 「ダメだ」 「えっ?」 「ダメだって言ったんだよ、セイバー。そんなことは許さない。俺は変わらず正義の味方を目指すし、おまえだって護ってみせる」 「なっ……!」 セイバーの顔色が怒りのそれに染まる。 無理もないだろう、俺だって自分が無茶苦茶言ってるってことくらいわかってる。 だけどこればっかりは絶対に譲れない。 もう一度セイバーを失ってしまうかもしれないと、そう思うだけでその決意はすぐに固まった。 「本気で言っているのですか貴方は! シロウが言っていることは……誰にも為し得ない夢物語にしかすぎない!」 「わかってるよ、そんなことは!」 「わかっていない……! シロウはわかっていない! 人の身でそのようなことを為そうとすれば人間の、シロウの生命など容易く失われてしまう!」 「!!」 一瞬、言葉に詰まる。 まなじりを怒らせ、剣さえ抜きそうな勢いで迫る彼女の顔に浮かんでいる悲愴が、何を言わんとしているのか俺に痛いほど伝えてきたから。 セイバーだって俺と気持ちは同じだ。俺の生命をとても大切に思ってくれている。 ようやく得た夢を、目の前にいる現実を、自分のために失いたくないと願いすら込めて思っている。 だけど、それは俺だって同じなんだ。 一度は失った彼女が、こうして現実にいる。今は怒ってるけれど、笑うととても可愛らしく綺麗なセイバーが、ようやく……ようやくだ、俺に、自分のために笑った顔を見せてくれる現実が訪れたんだ。 それを護りたいと願うことは、衛宮士郎にとって間違いなく正しいことなんだ。 だがその願いに相反する願いもまた、俺は持っている。 正義の味方になる――それこそ夢物語に過ぎない、これだけでもあり得ない、人の身には過ぎたユメ。 この願いもまた、捨てることなど出来ない。 衛宮切嗣から受け継がれ、今では完全に己のものとなったそれは、衛宮士郎を衛宮士郎足らしめる最大の要素だ。 これを捨てるということは――十年前に残してきた罪も、切嗣と過ごした日々も、あの切ないほどに美しい黄金の別離も、そして彼女が愛してくれる自分自身でさえ――すべてすべて、捨ててしまうということに等しい。 そんなの……できるはずがないだろうッ……そんなの! だったら、俺に採れる選択肢なんて、並べられても結局どれも同じで、一つだけしかなかった。 「ですからシロウ……お願いですからそのようなことは言わないでほしい」 「……ダメだ」 縋るように言うセイバーの言葉に、俺はやはり頷くわけにはいかなかった。 「セイバー、俺にだってわかってる。……わかってるけど、これだけしかないんだ」 「シロウ……だから、それは不可能だと――」 「でも、ベディヴィエールはやってみせたじゃないか!!」 セイバーの声を遮り、子供のように叫ぶ。 それが人には為し得ぬというのなら、彼が遂げたことはいったいなんなのか。 死んでしまったセイバーを現代に蘇らせ、彼女が望んだ夢の続きを見せた彼の所業こそ、偉業。 彼はただの騎士に過ぎず、神様でなければ魔法使いでもない。その力は何の変哲もないものに過ぎなかった。 だったら―― ただの魔術師でしかない俺にだって出来ないはずはない。 だから、誓いが俺の力になるというのならば誓おう。 誰にも侵されぬ誓いを、俺の生涯を賭して果たそう。 俺は騎士ではないし、捧げるべき剣もない。 それが不足だというのであれば、この身体を剣として捧げよう。 流れる血潮を鉄と変え、想う心は硝子としよう。 衛宮士郎は決して折れず、決して屈せぬ剣となる。 今強くないのであれば強くなればいい。 魔術を鍛え、剣椀を磨き、心は決して砕かない。 たとえ肉が裂け骨が折れるとしても、この身体はこの世でただ一振りの剣となる。 どれだけ睨みあったのか。 俺の瞳には彼女の怒り顔が焼きついて、彼女の碧の瞳には俺の姿が焼きついている。 それはたった数秒のことだったかもしれない。 やがて風の音が耳にうるさく感じられる頃、セイバーが大きくため息をついた。 「忘れてました……私のマスターはどうしようもない頑固者だった。でもまさかこんなにも馬鹿なひとだったとは……」 「む。馬鹿とはなんだ馬鹿とは。ひどく理不尽なことを言われた気がするぞ」 「できないこととわかってて、それをしようというひとが馬鹿でなくてなんだというのですか、シロウは」 まったくもう、とばかりに額に手を当てもう一度深いため息をつく。 そんな態度を取られると、なんだかひどく自分がどうしようもない人のように思えてくるので出来ればやめてほしいなー、とか思ってるんだけど……それ言ったらまた怒るんだろうな、セイバー。ぐわーっ、て、怪獣みたいに。 「もう一度聞きますが……シロウは本気なのですか?」 「本気だよ。セイバーがなんて言ったって聞かないからな。俺はいつか正義の味方になるし、たった今のこの時からセイバーのことを護る」 「……これ以上言っても無駄のようですね。では、私はシロウのことを護ることにします」 「は? ちょっと待て、俺がおまえのことを護るって言ってるのになんでおまえが俺を護るんだよ」 「そんなこと決まってます。私はかつて貴方の剣になると誓いました。そしてその誓いは、私が貴方の前に在る以上、生涯続く永遠の誓いです」 「――ッ!」 え、永遠だなんて、突然何を言いやがりますかこのひとは。 まるで平気な顔してるところを見ると、きっと本人は何も意識してないのだろう。だってのに言われた俺のほうだけがこんな気恥ずかしい気分になるのはまったくもって不公平だと思う。 「? どうしたのですか、シロウ?」 「どうもしないっ! そ、それよりセイバー、おまえ」 「シロウが何を言っても聞きませんよ」 「ぐっ……」 俺を護るなどと言うセイバーに反論しようとする俺の機先を制し、彼女はきっぱりと言い放った。 「そういえば俺も忘れてた……セイバーだって俺に負けないくらい頑固だったっけ……」 「当然です。この身は女ですが、ただ黙って護られるだけの弱い身ではありません。それに――」 セイバーは改めて俺に振り向いて、その真剣なまなざしを正面からぶつけて、 「――この身は貴方の隣に立つのに相応しくありませんか?」 こんな健気なことを言ってくれやがった。 やられた。これには参った。 こんなこと言われたら何も言えないじゃないか。 セイバーが俺に相応しくないか、なんてまったくの逆だ。むしろ俺が彼女に釣り合わない可能性のほうがよっぽど大きい。 だから――。 「そんなわけないだろ、ばか」 俺は半ば強引に彼女を抱き寄せた。 「し、シロウ……」 「まったく、こんなにちっちゃくて華奢で女の子なのに……無茶なことばかり言ってるのはおまえなんだぞ」 「そ、そんなことはありません。無茶で言えば私などよりシロウのほうがひどい。聖杯戦争の時、それで何度死にかけたか、忘れたのですか?」 「――ああ、覚えてる」 「だからもう……そんな目には合わせたくないのです」 言って、彼女は腕の中で大人しくなった。 その肩を抱き寄せる手に力を入れて、彼女の体温をより近いところで感じる。 「そんなの俺だって同じだよ。言ったろ? 二度とおまえを失うなんて考えられない」 「はい。私も貴方を護ります。貴方も――私を護ってください」 「セイバー」 彼女の名を呼ぶ俺に、セイバーは顔を上げてくすりと微笑む。 「待ってください、シロウ」 「ん? なんだよ」 「何度か言おうと思っていたのですが……。忘れましたか、この身は既にサーヴァントではないのですよ?」 「ああ――」 言われてみればそうだった。 俺にとって彼女をそう呼ぶのがもう自然なことだったから、ついついそのことを忘れていた。『セイバー』の名はあくまで彼女を表すクラスなのであって、彼女の名前ではない。 本当の名前を持っている彼女を、いつまでもそう呼ぶのは失礼ってもんだろう。 そのついでに――たった今、俺も言い忘れていたことがあったのを思い出した。 「ごめんな。それから俺もおまえに言わなきゃいけないことがあるんだ」 「……」 「本当はあの時に言わなくちゃいけないことだったんだけどな」 彼女の瞳を正面から見据え、その名を呼ぶ。 「アルトリア――俺も、君のことを愛している」 そして俺は、彼女の唇をそっとふさいだ。 アルトリアは一瞬、驚いたように身をすくめて震えたが、すぐに身体から力を抜いて瞳を閉じた。 彼女の唇のぬくもりと柔らかさをただ感じる、優しいキス。 それだけで、触れ合ったところから彼女の吐息と気持ちが伝わってきて、十分幸せだった。 やがてどちらからともなく離れ、目を合わせて互いにはにかみを浮かべる。 「誓うよ、アルトリア。俺は君と、君の見る夢の続きを護り抜く」 「――はい、シロウ。ここに貴方の誓いは成りました。この誓いは何があっても果たされる。例え敵が世界であっても侵されることは許されず、故に決して破られない。だからシロウ……貴方はこの誓いが果たされるまで、ずっと私の傍に――んッ……」 アルトリアが全てを言い終える前に俺は彼女の唇を再び奪っていた。 こうしてこの日この時より――衛宮士郎は、アルトリアという少女を護る唯一無二の剣と成った。 あとがき 当初は第2話でこの話を書くつもりだったんだけど、長くなりそうだったんで切り離したら、やっぱり長くなった。 その甲斐あって、私的には満足いった。この第3話で書きたかったことは全部書いたつもり。 次はこの話を枕にして、どうやって物語を展開していくか。ここが全ての出発点で、今自分が思い描いているラスト、そしてそこに至るまでに起こる様々な事件をどうやって書いていくかだなー。 でもまあ、とりあえずは満足できたので自分を褒めてあげよう。よくやった、俺。 感想、ご意見などございましたらこちら、もしくはBBSまでよろしくお願いします。 二次創作TOPにモドル |