それは全てが終り、戦争の痕など感じさせぬほど美しい黄金の夜明け。



 朝日が昇り、風が流れ始める。零れるだけだった黄金は、徐々に、溢れるように広がっていく。
 俺が愛した彼女は、薄靄の漂う光の中で柔らかく微笑んでいた。
 背負うものもなく、想うものも未練もなく、彼女の心そのままの綺麗で純粋な微笑み。
 夜明けの黄金よりもなによりも、彼女の笑顔こそが美しく、尊いものだった。

『最後に、一つだけ伝えないと』

 地平線の向こうから射しこむ黄金を背負い、彼女は言った。
 強い意思の籠もった声、きっと、これから彼女にとってとても大切なことを言うのだろう、決意を秘めた声。

『……ああ、どんな?』

 出来るだけいつも通りに返したつもり。でも上手くいかなかったかもしれない。
 彼女が言おうとしていることが何なのか、なんとなくわかっていた。だから俺は内心で、口にするなら男のほうからだと、そんなつまらないことを考えていたかもしれない。

 風が、吹いた。
 朝焼けに染まった雲が流れる。

 風に金糸の髪を揺らし、たたずむ彼女は、

『シロウ――貴方を、愛している』

 あくまで彼女らしく、真っ直ぐに、そう口にした。



 そして――



 一際強い風が吹き、姿を見せた朝日の黄金の光に目を焼かれている間に――

 彼女は、風にさらわれるように消えていた。



『ああ、結局――』

 いつもと同じ、意識がここで浮き上がっていく。
 いつの間にかそこにあった荒野はどこか遠くへと消え去り、今は闇の中にぼんやりと光を感じている。
 結局今日もいつもと同じ、俺は彼女に何も言って――





 そうして衛宮士郎はいつもと同じように目を覚ました。

「……」

 部屋の中に射し込んでくる朝日に目を細め、んーっ、と背筋を伸ばす。
 ぼんやりしていた意識が、朝のやや冷たい空気も手伝って徐々にはっきりしていく。部屋の外の庭は光に満ち溢れており、天気は今日も晴れだった。
 時計を見ると、時刻は朝の五時半。とりあえず寝坊はしていない。
 寝癖のついた髪をぽりぽりと掻き毟って、ふと、今は開け放しになっている隣の部屋に目をやった。

「あ……」

 そこには誰もいない。
 いないはずなのに俺は、三ヶ月前までそこにいて、自分の眠りを妨げていた少女の幻を一瞬だけ見てしまった。
 途端に胸が締めつけられるように苦しんだ。

 ――未練、だな。残ってるじゃないか、しっかりと。

 一ヶ月前、遠坂の前であれだけはっきりと口にしたにもかかわらず、自分はまだ彼女との別離の時を夢に見る。
 それもこれが一度目じゃない。かれこれもう通算で三度目になる。

 彼女と別離したことを後悔するわけがない。それは誇りを以って自分の誓いを全うした彼女に対する冒涜だ。
 俺はセイバーのことを愛していて、セイバーも衛宮士郎を愛してくれていて、お互いにずっともっと一緒にいたいと願っていて尚、あの別離があった。その選択を採った事を、俺もセイバーも誇りに思っている。だから後悔なんてあるはずがない。

 だけど――。

 あのとき、彼女を愛した俺の心にだって偽りはない。彼女に惚れた自分は間違いではないと、胸を張って誇れる。
 だから、その愛した少女と一緒に永い時を過ごしていくことを望むのは――それこそ間違っていない。

 その、もはや叶わぬ望みがきっと、俺にあの夢を見せている。
 俺はどうしてあのときに――俺の気持ちをはっきりと言ってやれなかったんだろうか、と。

「――さて」

 そんなことを考えていてもはじまらない。
 アイツが居た日々はもう過ぎ去り、俺は俺の時間をきっちりと遂げなくてはいけない。
 俺が今彼女との別離に未練を抱いているとしても、俺はその悲しい気持ちとこれからも付き合っていかなくてはいけないのだから。
 取り急ぎは朝飯の仕度だ。
 さっさとしないとまた桜に台所を取られちまうし、腹をすかせた虎とちびっこと赤いあくまがやってきて騒ぎ出す。
 だから俺はいつもの衛宮士郎に戻って、いつものように振舞うだけだ。



 着替えて部屋を出て行くその一瞬、彼女が居たあの場所に、もう一度だけ幻の影を探して――それすら今は叶わぬと知った。





Day Dream/vow knight

――night 01――

『ユメの続き』






 幸いにもまだ桜は来ていなかった。
 ここのところずっと桜に朝飯を任せっぱなしだったしな。そろそろここの主が誰なのか、教えてやらないといい加減台所を占拠されてしまう。
 ただでさえめきめきと料理の腕を上げてきて、尚且つ

『先輩のおうちでご飯を作るのがわたしの楽しみなんです』

 と公言して憚らない桜だ。このままでは師匠である俺の居場所も立場も無くなってしまうわけだ。
 更に言えば、アイツは朝飯だけでなく、晩飯に掃除洗濯、休みの日は昼食までも、放っておけば頼まなくてもやってしまう、家事に関しては万能も万能の、完璧超人そのものだ。今や衛宮家の影の支配者といったら桜であると言っても過言ではない。
 何故かというと、いつのまにやら衛宮家の生活費の財布は桜が握っていたりするわけで――。

「えーっと、たまごと味噌汁と……あと塩鮭でも焼くか」

 ある意味俺が桜の尻に敷かれているという事実はともかく、とりあえずは朝飯だ。
 おかずは適当に冷蔵庫にあるもので。朝だし、米は二合も炊けば十分だろう。
 うちの女性陣はイリヤはともかくとして、揃いも揃って食が太い。中でもズバ抜けているのが藤ねえで、食事時のヤツは正しく餓えたタイガー。入れている食費以上に食うこと食うこと。
 藤村の爺さんがこっそり生活費を入れてくれていなかったら、今頃この家は抵当に出ていただろうと言われている――主に俺と桜の間で。
 とはいえ、さすがに朝は連中の食欲もそんなに強くはない。それでも二合をぺろりと平らげてしまうのはさすがと言えばさすがだが、これでもしセイバーが居たら――

「……」

 そういえば、セイバーのいない食卓にも随分と慣れてきたな。
 もしも彼女がいたならば、米は二合じゃ足らないだろう。アイツの食いっぷりは藤ねえに匹敵する。のみならず、恐ろしいのは燃費まで藤ねえと互角……いや、ひょっとしたら藤ねえを上回ってんじゃないかってところだ。さすがは外車。
 アイツがいた二週間の間のエンゲル係数をこっそりと後で換算して――腰を抜かしそうになったのは俺だけの秘密だ。
 そして、更に特筆するべきことは、彼女が食うだけではなく、グルメなのだということだろう。
 美味しい食事ならばこくこく頷きながら大変満足げな表情を見せてくれるのだが、彼女のお気に召さない食事――例えばそれが藤ねえの作ったものだったとしたら――うん、想像するだに容易いな。その後の惨劇が。
 ともかくセイバーは海原雄山もびっくりの美食倶楽部、その舌は王様のブランチなのだ。

 もっとも――美味しいご飯を食べて、微妙に嬉しそうな彼女が見たくて――頑張ってしまうのが悲しい男の性なのだが。

 だが、今はそんな心配もする必要がない。
 何故ならセイバーはもういないから。だから彼女の食事の支度をする必要もない。

「――」

 はあ、と、こんなところでも彼女の息遣いを感じてしまって、小さくため息が出る。
 今日はなんだか自分がおかしい。
 あんな夢を見たからか、どうも心が弱くなっているみたいだ。

「こんなところ遠坂にでも見られたらなんて言われるか」
「なんて言ってほしいのよ」

 なんて。
 振り返った先には見慣れたあくまの姿が。

「でたーーーっ!?」
「なによ、人をバーサーカーでも見るみたいに。あ、牛乳貰ってるから」

 断りも無くひとんちの冷蔵庫を開けてカップに牛乳を注いでいる遠坂。学校で優等生のフリしてるだけあって、その反動か、もはや擬態する必要の無いこの家では、やりたい放題好き放題である。

「お、おまえいったいぜんたいどこからどうやって!?」
「どこもなにも普通に玄関から入ってきたわよ。チャイムもノックもしなかったけど」

 なるほど如何にもぼーじゃくぶじんな遠坂らしい。
 いや、しかしそれでも気配すら感じさせないというのはどうかと思う。

「もしかして気配遮断の魔術でも――はっ、まさか遠坂の皮を被ったアサシンとか?」

 なーんてことが一瞬でも心を過ぎったのが悪かったのか。

「……ふーん、衛宮君ってばわたしのことをそんな風に見てたんだ。ふーん」

 きしり、と。
 遠坂の死なス微笑みに、周囲の空気が凍りついた。

 そしてぎしり、と。
 遠坂の手の中でカップが悲鳴をあげる。ああ、なんてアイアンクロー。
 ごめんよセイバー、もしかしたら俺、自分の時間をまっとうできないかもしれません。





「ふわ……ぁ」

 隣を歩く遠坂が口に手を当て、大きくあくびした。

「おまえな、藤ねえじゃあるまいし、普通年頃の女の子が男の前であくびなんてするか?」
「なによ、別にいいじゃない、今更」
「そりゃ別にいいけどな。学校では気をつけろよ……化けの皮が剥がれても知らないぞ」
「ふん、だ。そんなヘマしないわよ」

 いつも通りの青空の下、学校に向かう長い上り坂を遠坂と一緒に歩く。
 桜の季節は過ぎて五月。春の足音が横を通り過ぎ、遠くから夏の姿が見えてくる、そんな時期。
 昼になればやや汗ばむくらいだが、朝の空気はひたすらに穏やかで、春眠暁を覚えずとは今ぐらいの季節の言葉なんだろうか、とか思ってしまう。
 世間では来る大型連休を目前に控え、最近ではクラスでもやや浮ついた空気がちらほらしている。かくいう俺たちも、この連休の間にちょっとしたイベントを控えていて、藤ねえなんかは今からそわそわと落ち着きが無い。
 イリヤじゃないってところに彼奴めの精神年齢を感じさせられたり。

「う〜」

 隣から遠坂の唸り声が聞こえてくる。
 眠たそうに目を擦っているところを見ると、昨日も遅くまでなにやらやっていたのだろう。そうでなくても今朝は早かったし。
 そんなことを考えながらいちおう、こいつの名誉のためにも周囲を警戒してやる。
 だが、登校時間のピークにはまだだいぶ余裕があるからか、俺たちの他に生徒の姿は見えない。まあ、だからこそ遠坂も安心して油断しているのだろう。通い慣れた通学路には、俺と遠坂の二人だけしかいなかった。

 ――遠坂と二人きり。

 以前の俺であれば、こいつとこんな風になるなんて想像もしなかっただろう。
 しかし、こうして二人で登校するのは一ヶ月も前から続いており、今ではもはや当たりまえのことにすらなっている。

 聖杯戦争が終ってから、遠坂は俺の魔術の師匠になってくれた。
 学校が終ってから俺の家にやってきて魔術の鍛錬に付き合ってくれて、一緒に晩飯を食って帰っていく。
 遠坂の師匠っぷりは、それはもう筆舌に尽くしがたいものがあり、正しくあくまの本領発揮と言うかなんと言うか。
 俺の中では遠坂の肩書きは師匠ではなく、死匠と登録されていたりする。
 そんな死と隣り合わせな生活を続けること、かれこれ三ヶ月。つまり聖杯戦争が終ってから三ヶ月ということなのだが、いつのまにか遠坂は朝飯までたかりに来るようになっていた。

 そのことに誰も疑問を感じないのがすごいというかなんというか……桜ですら何も言わなかったのだからまあ、当然だろう。
 なんでもないかのように侵入し、当たりまえのように朝飯を平らげ、当然のようにうちから登校していく。
 その事実を客観的に把握したのは、桜がこまめにつけている家計簿を見た時である。食費が、一食分増えていた。

 そんなこんなで、俺と遠坂は毎朝一緒に登校しているわけである。
 まれに桜が加わることもあるのだが、基本的に彼女は弓道部があるし、藤ねえはその顧問だ。イリヤはそもそも高校生ではないので、普段は俺たちが登校した後、住処である藤村家に帰っていく。
 俺と遠坂が一緒になるのは必然というものである。

「ところで士郎」
「ん? な、なんだよ」

 歩いていた遠坂がととっと寄ってきて、肩が触れ合うくらいの距離に近づく。
 こいつの突飛な行動にはもうだいぶ慣れたつもりだが、こうも無防備な態度にはいつまで経っても慣れそうにない。
 いくらその正体があくまだと言っても、こいつはその――やっぱりとんでもなく可愛いのだ。

「? なに、どうしたの?」
「なんでもないっ」

 そうだ、別に遠坂のにおいがいい匂いだとか、近寄ってきたおかげで体温を感じているとか、そんなことなんかでドキドキしたりしてないぞ。

「ふーん、ま、別にいいんだけどね」

 遠坂はほんとに俺の内心などどうでも良さげに髪をかきあげて、

「それで今日はどうしちゃったわけ?」

 なんてことを聞いてきた。

「……どうしたって、何がだよ」

 やっぱり遠坂は鋭い、というか、今朝あれだけあからさまに態度に出していてこいつが気づかないわけが無い。
 あの時はなんだかんだでうやむやになったけど、それで忘れてくれるほど甘いヤツでもないしな。
 それがわかっていて、まだこうして誤魔化そうとするのは、やっぱり遠坂には弱みを見せたくないからなんだろうな、きっと。

 遠坂は俺のそんな言葉に、む、とちょっとだけ半眼になると、

「まあ、いいけど。士郎がそう言うんだったらそれでも」

 そう言って今回は見逃してくれた。
 そんな遠坂の態度になんだか釈然としないものを感じつつ、一先ずその好意は受け取ることにする。

「……俺のことよりも遠坂はほうこそどうしたんだよ、今日は随分と早起きだったじゃないか」

 それでもなんとなく話をはぐらかしたくてこんなことを聞いてしまう。
 それは俺にとって単に誤魔化しのための口実に過ぎなかったのだが――

「ん……ちょっとね」

 なんてこいつには珍しく、歯切れの悪い答えを返してきた。

「――」

 隣を歩く遠坂の表情は――いつもと変わらないようでいて、その実どこか覇気がない。
 遠坂を遠坂たらしめている、帝王とか拳王とか聖帝とか、十把一絡げに言って唯我独尊な雰囲気がまったく感じられない。
 そんな彼女がこんなだと、その、なんだ――気になるというか心配というか。

「遠坂」
「なによ、わたしだってどうもしないわよ。……士郎だってそうなんでしょ?」

 しかし俺が何かを口にする前に、先んじてそれは封じられてしまった。
 なんだよ、結局見逃してくれてなかったんじゃないか。
 ふいっとそっぽを向いているその表情は、さっきまでの雰囲気はどこへやら、拗ねているようでなんだか普通の女の子のようだ……ってまあ、元から遠坂はものすごく女の子なのであるが。

 やれやれ、と言うかなんと言うか。
 どうやらこれは俺のほうから告白しないと、絶対に口を割らないぞ。
 いや、だったら別にこのまま放っておいても俺としては構わないのだけれど、そしたらそしたでこいつ、今度は意地になって無理やり俺の口を割らせようとするんだ、絶対。それこそ手段を問わず、魔術だろうがタイガーだろうが、ありとあらゆる方法を駆使して目的を達するのだ。

 それが遠坂、それが赤いあくま。

 まあ、だったら――余計な災害は回避するのが賢い生き方というものだよな、うん。
 魔術師の取引は等価交換、って言うしな。

「……夢を見たんだよ」
「え?」
「だから、夢」

 す、と。
 それだけで俺たちの間の空気が少し変わった気がした。

「懐かしい夢でさ、懐かしいヤツに会ったんだ。――ただ、それだけだよ」

 もちろん、それだけなはずがない。
 夢の中とはいえ俺がアイツに会ってしまって、ただそれだけなんて簡単な言葉で済むはずが無いって、遠坂は良く知っている。
 あの戦いの中、遠坂は最後のその直前まで俺たちと一緒に戦ってくれて、俺たちが互いにどういう気持ちを抱いていたかも知っている。
 ある意味遠坂は、俺にとって最大の理解者なのだ。

「……そっか、それで士郎、元気なかったのね」
「まあな。結構久しぶりだったからちょっと堪えた。それでどうする? 前に宣言してくれた通り、背中に蹴りでも入れて立ち直らせてくれるか?」

 冗談半分、戦慄半分。
 一ヶ月前にやっぱり同じ坂道で、セイバーの話をしたときの遠坂の言葉を思い出す。
 誠に彼女らしい言葉で、そのときは安心したものだが、改まってみると……うーむ、蹴りか。やっぱりまだ時効じゃないよな。

「なに? それが良いって言うなら遠慮なく蹴っ飛ばしてあげるけど。でも意外ね。衛宮君ってばそっち方面にも理解があるワケ?」
「ねーよっ!」

 にんまりと、小悪魔度満点の笑み。
 だがそれはほんの刹那で、次の瞬間にはもう表情からその笑みは消えていた。

「やっぱり、簡単には忘れられないわよね」
「そうだな。遠坂にあれだけでかいこと言っておいてこのざまだよ。あれからもう三ヶ月も経ったけど――全て納得づくだっていっても――やっぱり、きつい。なんだかんだ言って、俺はまだアイツのことが好きらしい」
「――バカね、あんたも」
「ほっとけ」

 口では罵りながら、遠坂の顔には優しい笑みが浮かんでいた。
 こいつがほんのたまに、気まぐれに見せる柔らかい微笑み。これが遠坂の本質のひとつだってことを、俺は知っている。

 ついでに――それがとんでもなく魅力的なんだってことも。

「ま、わたしも同じバカなんだけどね」
「は?」

 言って二歩三歩、俺から離れて前を歩き出しながら空を見上げる。

「夢見が悪かったのよ、今日は。夢の中に士郎に良く似たバカが出てくるもんだからさ。寝なおして同じ夢の続きを見るのはシャクじゃない?」
「ああ――」

 それでなんとなくわかった。顔は見えなくても、今、彼女がどんな顔をしているのかも。
 同じ魔術師で同じ元マスターで、同じ戦争で同じく相棒を失った。結局似たもの同士ってワケか、お互い。

「一度目を覚ました後で、夢の続きなんて見れるもんなのか?」
「さあ? 見たことないからわかんないけど、そういうこともあるんじゃないかしら」

 だからじゃないけど、軽口を叩いた俺に遠坂も合わせてくれた。
 お互いに他愛もなく傷を舐め合っているだけなのかもしれないけど、たまにはこういうのもアリだと思う。
 俺も遠坂もあの結末に後悔しているわけじゃないけれど、少しくらいは懐かしんで思い出す時間があってもいいだろう。



 言うだけ言ってスッキリしたのか、俺たちは足取りも軽く坂道を登っていく。
 目的の場所は遠くもなく近くもなく、道程は緩やかで風は穏やかだ。俺たちはそんな道を二人で歩く。

「ねえ、士郎」
「ん? なんだよ遠坂」

 と、くるりとスカートを翻し振り向いた遠坂が、

「今度二人でさ……デートでもする?」
「なっ――!?」

 思い切り女の子な笑顔でそんなことを言うもんだから、思わず言葉に詰まってしまう。
 次の瞬間、楽しげに噴出したあくまの様子からして、自分が今どんな顔色をしているかなんて、鏡を見なくてもわかりすぎるくらいにわかってしまう。

 やっぱり俺は、どうしても遠坂には勝てないようになっているらしい。ちくしょう。



◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆




 学校も終り、途中まで遠坂と一緒に下校する。


「それじゃ、また後でね」


 彼女は一旦自宅に戻り、着替えと鍛錬の準備を済ませて、その後で衛宮邸にやってくる。
 いつも通りに遠坂と別れ、俺は通い慣れた道を一人で歩く。

 夕焼けに照らし出された影は長く、誰にも重ならず、今自分が一人で歩いているのだということを否応にも感じさせた。
 それが寂しいわけではないけれど、物足りないと感じているのは事実。
 良くも悪くも遠坂は眩しいくらいに存在感が強くて、物足りないなどと感じるどころか時には、

『このあくまめー!』

 と、勢い余ってあくま払いを呼んでみたくなるようなヤツだ。
 だから今日みたいな日には、彼女が隣にいてくれるととても嬉しいのだが――

「ちょっと遠坂に甘えすぎてるな、俺」

 なんて感じてしまい、自分自身に反省を促しながらぽくぽくと橙色の道を歩いていく。

 遠坂と別れた交差点から自宅までの道程はそう遠くない。
 のんびりと歩いても十分とかからず、無駄に広い衛宮邸の塀が見えてきた。

 まあ、無駄に広い、とは言っても最近はそうでもない。
 以前は寝起きしているのは俺一人だけで、今でもそれは基本的に変わっていないけれど、屋敷に出入りする顔ぶれに遠坂とイリヤが加わってからというものの、なんだか妙に屋敷が狭くなったような気がしないでもない。
 遠坂とイリヤ。
 一人々々でも個性的なやつらが二人いて、その上に藤ねえというどうもうなどーぶつがいて、騒がしくならないはずがない。三人、というか主に藤ねえの騒ぎを時に眺め、時に鎮圧する桜も、楽しそうに笑っている。

 広い家に一人でいるよりも、少しくらい騒がしかろうが、誰か他の人の姿があるほうがいいのは当たりまえだ。
 そういった意味で今の俺は家族に恵まれていると思うし、不満など何一つない。

 それでも――
 時々ふと、二週間の間、一緒に暮らした彼女の姿をどこかに捜してしまうのは仕方ない事だと思う。



 門を潜り抜けて庭に。

 そろそろ雑草も伸びてきたことだし、今度総出で草むしりでもしよう、などと思いつつ飛び石を歩いて玄関へ。

「ただいまー」

 この時間だとまだ誰もいないと思うけど、家に帰ってきたら挨拶。これ、当たりまえの基本。
 一時の静寂に包まれた縁側を歩いて、数時間ぶりに自室に戻ってきた。

「――」

 まあ……隣の部屋にセイバーの姿がなくてもそれは当たりまえなのだとわかっている。
 わかっていていちいち落胆してしまうのは、今日の俺の気分が少しダウンしているからなのだと思おう。これから毎日毎日この調子だったら、俺はきっとどうかしてしまうだろうから。

 ――さて。
 遠坂が来るまでまだ時間がある。
 それまで少し身体を動かしておくのも良いだろう。



 そう思って道場の扉を開けて――
































 非現実的な光景に、俺は白昼夢でも見ているのかと、そう思ってしまった。
































 射し込んでいる夕焼けの光に照らされ、黄金色に燃えた道場の真中で。

 彼女の姿はいつか見たときと同じたたずまいで――凛としてそこにあった。





あとがき

 第1話。だっていうのに、ヒロインのセイバーさんはセリフなし(士郎の夢の中ではしゃべってるが)。正座したまま次回まで待ち。
 今回に限って言えば、多分ヒロインは凛なのかなー、とか自分でも思ってしまう。
 でも大丈夫。きっと次回はセイバーがヒロインになる……はず。


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