「――すまないなべディヴィエール。今度の眠りは、少し、永く――」

 細い、しかしいつものように透き通った声で王は従者に告げ、ゆっくりと瞳を閉じていく。
 束ねていた金色の絹が、ふつり、と解けて広がる。髪を解いた王の顔はあどけなく、まるで少女のように愛らしかった。
 凛と張りつめ、威厳に溢れ、常に公平で国を想いつづけた偉大な王。その王が今、騎士の前で無防備に双眸を閉じている。
 その無理もなく、王は今自らの生涯をも閉じようとしていた。
 騎士が望んだ王。誰よりも国のためにあろうとし、最後まで己の誓いを守り続けた王。
 偉大なる王は今、たった一人の騎士に看取られ孤独に眠りについた。

 だが――。

 うっすらと立ち込める朝靄と柔らかな光の中、静かな森で眠る王の寝顔は、穏やかであった。
 ベディヴィエールが望んでいた王の姿。
 誰よりも報われるべきでありながら、己自身がそれを良しとしなかった王は、その最期のときにようやく安らぎを得た。

 どこまでも広がる青空の下、騎士はその寝顔を誇らしく思いながら王を見守る。
 王に安らぎを与えてくれた誰かに感謝し、眠りに落ちた王の寝顔に見惚れながら。

「――見ているのですか、アーサー王」

 夢を見たと言っていた。
 そうつぶやいた王の言葉に、どこか温かいものを感じた。
 ならばこうして安らいだ顔で眠る王はきっと――

「夢の、続きを――」

 きっと、自分の言葉を信じて眠りにつき、夢を見ているのだろう。

『強く思えば、同じ夢を見続ける事も出来るでしょう。私にも経験があります』

 それは不正だ。自分の、王への最初で最後の不正であった。
 だがそうとわかっていても偽らずにはいられなかった。

『夢とは、目を覚ました後でも見れるものなのか。違う夢ではなく、目を瞑れば、また同じものが現れると……?』

 自分に問うてくる王の声は、望みに満ちたものであった。
 無私無欲を体現し、己を省みず報いを拒み、ただ国のためだけにあろうとした王の、それはまごうことなき望みであった。
 故にべディヴィエールの答えは、偽りであってもひとつしかなかったのだ。
 子供のような純粋な願い。ただ自分の幸せだった夢をもう一度と――そんな望みをどうして裏切れようか。



 王は夢を見る。
 幸せな夢を。きっとそれは温かな夢。
 大切なひとが隣にいて、大切なひとの隣にいられる、温かで誰もが得られる当たりまえの幸せ。
 きっと王はそんな春の日のような夢を見ている。



「――主よ」

 囁くような呼びかけに当然声は返ってこず、ベディヴィエールは安堵を覚える。この安らかな眠りを妨げてはならない。
 叶うことならばいつまでもこうして主の眠りを見守っていたいものだが――そうもいかない。

「今はお気遣いなくお休みを」

 彼はいまだに騎士だった。
 もとより国に仕えたわけではない。彼はアーサー王……いや、ただ国のためにあらんとし、己の道を踏み外すことなく最期まで駆け抜けた少年に仕えたのだ。小さな身体を不釣合いに大きな玉座に預けていた、あの少年に。
 それは王が王でなくなっても変わることなどない。あのとき騎士として剣を捧げた人物は、今も尚こうして眠っている。
 ならばその望みは――

「主命、なくとも果たさんとす。騎士の剣は尊き主と美しき貴婦人のために」

 鞘より剣を抜く。
 王より賜った騎士の宝剣を、ベディヴィエールは天へと高々と突き上げる。

「天よ、神よ、照覧あれ。我が誓いはここにあり」

 天を射す切っ先より零れる光が騎士を照らし祝福した。
 騎士の誓いはここに成った。

 そうして騎士は眠る主に背を向ける。
 誓いとともにサー・ベディヴィエールは眠りの森を去っていく。
 騎士王はやがて、彼を守護する妖精たちの手によってアヴァロンへと至るであろう。英雄ではなく一介の騎士でしかないベディヴィエールでは、もはや手の届かない全て遠き理想郷へと。

 だが。

 ベディヴィエールは誓ったのだ。主であり、愛すべき――貴婦人である、この少女の望みを果たすと。
 ならば果たされるのみである。
 騎士の誓いは神聖なものだ。例え世界であろうと、騎士の誓いを侵すことは出来ない。
 故に誓いは決して破られない。
 例えその往く道が――人の身では果たせぬ道であったとしても。



 次に目覚めたとき、少女の見る空が鮮やかな青でありますように。
 夢の続きがきっと、安らぎをくれる想い人と共にありますように。



 静かに眠る少女に背を見送られ、騎士は誓いと共に願いを風に乗せた。



























 それから千を越える年が流れ――。


























 少女が眠っている。
 ここは自然のまだ残る森。かつて騎士王が逝ったとされる、伝説の森。
 少女は大きな木にその背中を預け、安らかな顔で眠っている。

 そして――。

 少女はやがて目を覚ます。
 朝靄に包まれた静かな森の中、むせかえるような木々の香りと鳥のさえずりに迎えられて。

 まつげが震え、閉じた双眸がゆっくりと開いていき、深緑の瞳に光が飛び込んだ。
 少女はまぶしげに目を細め、不思議そうに周囲を見渡す。
 森の姿は、眠ったときから姿を変えていなかった。この空間だけ時が止まったかのようにも思えてしまうほどに。

 だが、それはありえない。
 目覚めにまだ少しぼんやりしながらも、遠い島国で同じ空を見上げている少年の息遣いを――理由もなく感じている。

「シロウ……」

 唇から吐息のようにその名が漏れた。
 彼はここにいる。自分と同じこの世界にいて、飛んでいけばきっと驚いた顔をして――そして笑顔を見せてくれるのだ。彼女が愛した、笑顔を。
 想うだけで胸が温かくなる。これが幸せなのだということを、彼女は夢の中で少年に教えてもらっていた。

 だからこれはきっと夢の続き。
 少女が見た聖杯戦争という出来事とそれを通して過ごした少年との日々の続きなのだ。
 王として戦場を駆け抜け、騎士として少年の傍にあり、これからはきっと……。

 少年が言ってくれた。自分のために生きろと。頑張ったのだから、これからは幸せを求めてもいいのだと。
 それは例えようもなく魅力的な提案だった。彼の傍にずっといられたならどれだけの幸せだったろうかと思う。アルトリアという少女が見たとうといユメは、少年そのものでもあったのだから。
 だが結局自分は、王であった自分を捨てることは出来なかった。
 今までの自分を誇りに思うから。王として辿ったその道程で、たくさんのものを残し、踏みにじり、それでも尚自分を貫いた。
 もしかしたら王としての自分は道を誤っていたのかもしれない。
 駆け抜けた先にあったのは、騎士たちの躯が転がる丘と、滅び行く国の姿だったから。

 だけど――それでも後悔はしていない。あのとき、剣を手にしたことを。
 黄金の剣を手にし王となったそのとき、自分は誓った。
 崩壊し、死に行く国を救うために――そのためだけに剣を振るうと。

 誓いは破れない。
 騎士として己の誓いを誇りに思っていた。その誓いは一点の曇りもない美しいものだと信じていた。
 だから――温かな夢を手に出来るとわかっていて尚、自分を貫き通した。

 そして誓いは守られた。
 眠りにつく最期の時まで、彼女は確かに王であったのだ。



 森に風が吹き抜ける。
 木々が揺れ、ざわめく枝の間から溢れた木漏れ日が少女を照らし出す。

「――ああ、空はこんなにも青いぞ」

 光に誘われて見上げた空は、風に乗って届いた願い通り鮮やかな青であった。

 かつて王の眠りを看取った騎士がいた。
 この森で、自らの主である愛しい少女のために叶えられぬ誓いを立てた騎士がいた。

 それからどれほどの時が流れたか。
 少女は今、こうして夢の続きを見ている。

「騎士の誓い、よくぞ果たしたベディヴィエール。そなたこそ真の騎士である」

 ならば賞賛を。彼の主として手向けの言葉を与えねばなるまい。
 彼もまた騎士だった。
 人の身には果たせぬ誓いを立て、そうと知りながら遂には果たした偉大な騎士。
 その偉業を誰が知らなくても――彼が己よりも大切と想った少女は知っていた。

 彼が願った二つの願い。

 ひとつは叶った。
 抜けるような青空。吹き行く風は心地よく、目覚めは鮮やかであった。

 そしてもうひとつの願い。
 ただ彼女の幸せのみを願った想いは、彼女ひとりでは果たせぬものであった。
 少女の心の一片に、確かに住み着いている少年。彼なくしてこの願いが果たされることはない。

「シロウ」

 つぶやきが風に乗る。
 この声が彼の元にまで届くとは思わないが、もしかしたら心なら届くかもしれない。
 そんな夢を見る少女のようなことを思いながら、彼女は口元に楽しげな笑みを浮かべた。

 もはや誓いは果たされた。
 国のために生き、生涯を駆け抜け剣を振るったアーサー王は、最期まで王として戦い抜きこの森で眠りについたのだ。
 ならばもういいだろう。
 彼が言ってくれた通り、これからは自分の幸せを求めよう。
 誰もが得られる、当たりまえの幸せを――。





 伝説に曰く。

『かつて存在し、未来に復活する王』

 かくしてアーサー王は復活した。
 されど、彼の者は既に王ではなく、ただひとりの少女であった。





あとがき

 作品のプロローグ。この回の主役はおそらくベディヴィエール。
 アーサー王の円卓騎士団の中では最古参に位置する騎士、とのこと。
 伝説では召し使い頭や酒杯持ちとされているらしいデス。

 ちなみにマテリアルでは、サーは最後までアーサー王が女性だと気づきませんでしたとサー、とのことでしたが、ここではあえてそれに逆らいました。


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