らいおんの小ネタ劇場

第71回目から第80回目まで




福引け (2004/7/13)

 商店街で買い物をしたところ、福引券をいただきました。私の手元に三枚、偶然商店街で出会ったアーチャーの手元には一枚です。
 福引券は千円の買い物につき一枚もらえたのですが、アーチャーは凛の言いつけで値引きに値引きまくっていたため、夕飯の買い物も福引券一枚分で済んでしまったのです。その手腕はさすがとしか言いようがありませんが……なんというか、微妙な気持ちです。

「ところでシロウ、本当に全て私が使っていいのですか?」
「ああ、構わないよ。福引なんて初めてだろ。だから、ほら」

 そう言ってシロウは私の手に三枚の福引券を握らせる。

「たかが福引ごときでなにを大げさなことを……ふん、くだらん」
「うるせえ、おまえには関係ないことだろ」

 ――まったく、この二人は。

 にらみ合うシロウとアーチャーを横目に見ながら、少しだけため息をつく。
 近親憎悪という言葉があるのは知っているが、彼らほどその言葉を体現している者は他にいないだろう。なにせ同じエミヤシロウなのだから。
 と、言ったところで彼ら二人が全く別のエミヤシロウであることもまた事実。だからこそ余計に仲が悪いのでしょうが……

「む、すまんセイバー」
「……ふん」

 とにかく、せっかくなのですし福引をやりましょう。もしかしたら一等の温泉旅行一泊二日が当たるかもしれませんし。
 ちなみに二等は全自動洗濯機。当たればシロウが喜びますね。で、三等は泰山飯店の麻婆豆腐食べ放題……って、これは言峰以外に喜ぶ人はいないのではないでしょうか。というか、私だったら当たったとしても、丁重にお返しするでしょう。

「とりあえずアーチャー、先を譲ります。どうぞ」
「ああ」

 頷いてアーチャーが福引を回す。
 二、三回軽い音と共に六角形の箱が回転すると、中から小さな玉が飛び出してきた。
 その玉の色は――銀色。

「おお、兄ちゃん当たりだ。二等賞だよ、やるねー」

 魚屋の店主が手に持った鐘を鳴らしながらアーチャーを讃える。
 同時に周囲の観衆から感嘆の声が漏れた。もちろん、その中には私とシロウも含まれている。まさか、たった一度の挑戦で二等を引き当てるとは。

「ふむ、そうか」
「? どうしたのですアーチャー、嬉しくはないのですか?」
「いや、そういうわけではない。ただ我が家の洗濯機はこの間、私が修理したばかりでな。新品同様なのだ」
「なるほど……確かにそれでは少し困るかもしれませんね」
「ああ、だがせっかくただで洗濯機が貰えるのだからな。貰っておくに越したことはないだろう」
「はい、そうするといい。きっと凛も喜ぶでしょう」
「……はっ。どうだかな。生憎うちのマスターは素直ではないのでな」

 口元を歪めた笑みを浮かべるアーチャー。まあ、確かに彼の言う通りかもしれませんね。

「さて、今度はセイバーちゃんがやるのかい?」
「あ、はい。よろしく頼みます、店主殿」
「あいよ。三枚だから三回だね」

 ふむ、いざやるとなると少しばかり緊張しますね。アーチャーに言わせればたかが福引なのですが。
 そんなことをぼんやり考えながら福引を回す。がらがらという音、そしてその後にかたんという小さな音がして――

「はい、はずれー」

 出てきたのは赤い玉。さしだされたのはポケットティッシュ。

「……ふむ」

 なるほど、はずれてしまいましたか。いや、実際のところそんなものなのだろう。一回で当たりを引き当てたアーチャーは、今回に限りあまりにも並外れて運が良かったというだけだ。
 ちらりと見ると、アーチャーは腕を組んで瞳を伏せ、シロウはじっとこちらを見つめている。

「セイバーちゃん、二回目やるかい?」
「無論です。ここで退くわけには参りません」

 そして二回目。一度目よりも二度目のほうが、はずれが減った分当たりやすいはずです――そんなことを考えながら福引を回す。
 先ほどよりもやや勢いよく回転した箱から飛び出したのは、

「はい、またはずれー」

 やはり赤い玉だった。

「…………」
「運がないのかねー、セイバーちゃん」
「……そうかもしれない。だが……運も実力のうちと言うではないですか」

 やはりあの赤い騎士は、なお腕を組んだまま瞳を伏せこちらをも見ることもない。
 それはつまり――私など眼中にないということですか。

「いいでしょう……ならば、その瞳、開かせてみせよう」
「お、おーい、セイバーちゃん?」
「店主殿、三度目です」

 三枚目の、最後の福引券を叩きつけ福引機の取っ手を握る。自然と、内側から戦意が湧き上がり取っ手を握る手にも力がこもった。
 一つ大きく呼吸して、気息を整える。
 気合は十分、戦意も十分。……ならば、あとは駆け抜けるのみだ。

「……はぁっ!」

 我が全力を込めた六角形の箱は激しく回転し、もはや常人の目では六角形の角を捉えることも叶わない。中の玉が流れる音は、回転する音にかき消された。
 完璧だ、これ以上ないほどの回転……!

 やがて回転する箱から玉が飛び出して――

「ぐっ!?」

 ――アーチャーが、くぐもった悲鳴を上げた。
 はて、悲鳴?

 振り返ると――腕を組んだアーチャーの額に玉が突き刺さっていた。そして流れる一筋の赤い線。

「あ、アーチャー?」
「……セイバー。少しは加減を覚えろ」

 瞳を閉じたまま頭を振り、ぽろりと玉が落ちる。その色は、

「えーと……赤、か?」
「だな……これ、やっぱりはずれなのか?」

 その赤が血の色なのか玉の色なのか、どちらなのかわかりませんが……どちらにしろポケットティッシュですね。
 アーチャーの血を拭かなければいけませんから。



使い方 (2004/7/11)

 メディアにエプロンを貰いました。
 彼女はこれでシロウを喜ばせろと言いますが、いったいどうしろというのだろう。目の前にエプロンを広げて首を捻るも、少しも使用方法が見えてこない。
 エプロンをつけて料理をすればいいのでしょうか。それはそれでシロウも喜んでくれそうですが……メディアの意図とは何か違う気がする。

 彼女が意図しているのはもう少しこう……なんというか、屈折しているような気がするのです。
 ともあれ、私がこうして悩んでいても答えは出てこない。となれば、誰か他の人に聞くしかないでしょう。
 しかしこのようなこと、いったい誰に聞けばいいのでしょうか。ことがことですし、正直にシロウが喜んでくれる方法を教えて欲しい、とも問いにくいですし。

「なにを、悩んでるの?」
「っ!? り、リーゼリット!?」
「ちゃお」
「は、はい、こんにちわ……ではなく、いったいいつからそこに」
「さっきから」

 声に振り返ってみれば、そこにはイリヤの付き人であるリーゼリットが相変わらずの無表情で立っていた。
 いや、これは無表情というよりは、なにを考えてるのかわからない独特の表情といったほうが良いのでしょうか。
 無表情というほどに心は死んでおらず、かといって表情豊かというには心が見えない。故にあれは彼女独特の表情なのだろう。

「それで、なにを悩んでいるの?」
「え、ええ……それがですね、その……」

 思わずちらりと、視線がエプロンのほうへと動く。
 そしてそれを見逃すような彼女ではなかった。ぼんやりとしていた瞳がぎらり、と輝きを放つ。

「なに、それ」
「え? い、いや、これは……」
「えぷろん……これがどうしたの?」
「な、なんでもありませ」
「どうしたの?」

 迫られて言葉に詰まる。
 いいのですが、そんなに顔を近づけないでください。ああ、わかりました、白状しますから。


「……と、いうわけなのです」

 そして結局、私はことの洗いざらいを全てリーゼリットに語って聞かせていた。というか、語らされたのですけど。
 リーゼリットは私の話を最後まで聞くと、こっくりときれいな縦に頷いて、

「わかった。それなら、わたしにいい考えがある」

 言って、耳元に口を寄せてきた。

「――、――――」
「……はあっ!?」

 彼女の言った言葉が信じられなくて、思わずその場から一歩飛び退き距離をとる。

 ――今、彼女はなんと言った? というか、本気なのでしょうか。ありなんですか、そのようなこと。

 ああ、私は今混乱している。
 わかっていても、頭の中で暴れまわる思考の手綱を自分で取ることができない。
 当然だ、私の知らない言葉であってもそこに含まれている単語の意味は知っている。

「い、いったい……な、なんだというのですか! そ、その、は、はだ……はだはだ、は」
「裸えぷろん?」
「はっきりと口に出さないでいただきたいっ!」

 怒鳴ってみても耳に指で栓をしてどこ吹く風だ。ああ、勝てない。この女性にはきっと、私のみならず他の誰であっても勝つことはできないでしょう。
 柳に風、糠に釘、豚に真珠――そんな言葉が脳裏を駆け巡った。
 と、そんなことはどうでも良いのです。いかにシロウのためとはいえ、裸身にエプロンのみを纏うような真似、できるはずがありません。メディアも、これを狙っていたのでしたら後日相応の報復をしてやらねばならないでしょう。やはりあの女は魔女だ。

 ともかく――こんなことできるはずがない。

「リーゼリット、せっかく教えていただいて申し訳ないのだが、その提案は却下させていただく」
「なぜ?」
「何故も何もありません。できるわけないではないですか……シロウの目の前で、そ、そのような格好……」
「でも、シロウ、きっと喜ぶ。シロウも、男の子」
「それでもですっ! 正気でそのようなことなど、できるものではない!」
「なら正気じゃなければ、いい」

 え? ――と、反論する間もなく。

 後ろ手から何かを取り出し、疾風となって突如襲い掛かってきたリーゼリットに、私は抗することもできず、あっという間に何かで口を塞がれる。
 直後、身体の中に何か熱いものが注がれて、その度に私の意識は削るように失われていく。
 不覚だ。たとえ一瞬たりとも油断することはならなかったのだ。よもや彼女が私を出し抜けるほどの身のこなしを見せるとは。

 ――シロウ、申し訳ありません……

 薄れゆく意識の中、やはり最後に浮かんだのは彼の名前だった。


「ただいまー、セイバーいるか?」

 ……む、シロウが帰ってきたようですね。
 居間に近づいてくる彼の足音。どうやら私に用事があるようですが……
 ならば迎えましょう。
 問題ありません、完璧です。今の私に恐れるものなど、何もありません。
 ……そう、シロウのためならば。

「セイバー、いるか? 今日の晩飯なんだけど……って、うわぁぁぁぁっ!?」
「おかえりなさい、シロウ」
「な、なっ、なんだその格好わーーー、ちょっとまって、まってーーー!」

 うろたえていますね、シロウ。だがわかっているのです。
 メディアもリーゼリットも言っていました。この格好を見て悦ばぬ殿方はいないと。ならばシロウとて例外ではないはずです。
 シロウが背中を見せて逃げ出そうとするその前に回りこみ退路を塞ぐ。戦術における常道ですね。

「ど、ど……どうしたんだよ、それ……」

 間近に私を見下ろしながらシロウの喉が小さく動く。
 薄衣一枚というのは……正直少し寒い。縁側に通じるふすまも開いたままだから、風が肌と布の間に忍び込んできて、直接撫でていく。
 ……そして同時に、シロウの視線も。
 心なしか、胸の辺りを彷徨っているような気がするのは気のせいでしょうか。

「シロウ。私はあなたを喜ばせたいと思った」
「う……いや、だから何で」
「このような格好をすれば、喜んでくれると、そう聞いたのです。だから……」
「だーーーっ! そりゃ嬉しくないわけじゃなかったりもするけど、それじゃ俺、変態じゃないか!」

 シロウは天井を見上げて、なにやら怒ったように表情をしかめている。
 ……駄目だったのだろうか。私がしたことはやはり、無駄だったのだろうか。

 だとしたら、ひどく悲しい。私はただ、シロウに喜んでもらいたかっただけなのに……やはりこのようなことをしても――

「……シロウ」
「ん?」

 ……いけない。
 意識がなぜか遠のいていく。見上げるシロウの顔も徐々に霞んできて、足元も覚束なくなってくる。
 命じても言うことを聞かない身体は膝から崩れ落ち、そのまま頭から、前に立つ人の中に飛び込んでいく。

「せっ、セイバー!? おい、どうした! だ、大丈夫なのかよオイ!」
「う、シロウ……」

 そのように怒鳴られると少々頭に響くので……ああ、でももう眠たいのですが。
 まぶたが落ちていく。そして意識も一緒に落ちていく。

 そんな中、腕を伸ばしてどうにかシロウの服を掴んで身を寄せる。
 薄衣一枚挟んだだけだと、まるで直に触れているようで――

「……おい、セイバー。おまえ……酒臭いぞ。まさか」

 ――何故か呆れたような口調のシロウの声ももう遠くなって、そのまま私は彼に身を委ねて眠りへと落ちていった。


「……う」

 まぶたの裏に飛び込んできた光で目が覚めた。
 身を起こして周りを見れば、そこは見慣れた自分の部屋だった。

「いったい……いつ寝たのでしょうか、私は」

 思い出そうとしても記憶が途切れていて思い出せない。リーゼリットとここでなにやら話していたところまでは覚えているのだけれど、そのときは普段着で、今着ているパジャマに着替えた覚えもない。
 どうやら一時的に記憶を失っていたようですが……少なくとも身体的に異常はなく、この身に何かがあったというわけではないようだ。

 居間に行くと、既にシロウが起きていつも通りに朝食を作っていた。

「おはようございます、シロウ」
「お、おお……おはようセイバー」

 ? なんでしょう、シロウの顔が少し赤いような。

「どうしたのですか? 少し顔色が悪いようですけど、また風邪でも引いているのではないですか?」
「い、いやっ! 俺は大丈夫だから! そ、それよりセイバーのほうこそ大丈夫なのかよ」
「私ですか? いえ、私はなんともないですが、何故ですか?」
「何故って……覚えてないのか?」
「ええ、まあ……その、実は昨日からの記憶が少々混乱していまして……シロウは何か知っているのですか?」

 問うと、シロウはあからさまにうろたえて首を手を横に振り回して「知らない」と必死に訴える。
 呆れるほどにシロウは正直ものだ。時に凛の腹黒さの一つでも学んで欲しいと思う。このような態度で、嘘をついていないと信じるほうが無理です。

「……まあ、構いませんが。とりあえずシロウ、私は食器を並べますから。鍋が噴きそうですよ」
「あ、ああ、頼む」

 そしてシロウは噴き零れそうだった鍋の火を止め、私は食器棚から食器を取り出し、重ねて居間に持っていこうとする。

「えーと、な。セイバー」
「はい? なんですか?」

 足を止め振り返る。
 そこにはどこか困ったような照れたような、そんな表情をしたシロウがいた。

「あのな、おまえは覚えてないかもしれないけどさ。とりあえず言っとこうかと思ってさ」
「はぁ……」
「……嬉しかった。ありがとうな、セイバー」

 そう言ってシロウは、慌てたように料理のほうへと顔を戻した。ここからでは、もう彼の顔は見えない。
 でも私には、なんとなくシロウの今の顔の色が想像できる。確認するまでもなく。

「……はい、あなたがそう言ってくれるのであれば、私も嬉しい」

 その背中に――わけもわからないまま、私はそう言った。
 何故なら、本当にそう思ったから。
 わけもわからないまま、シロウが喜んでくれていたのが、私にはただ嬉しかった。


「で、あなたはなにをしているのですか、リーゼリット」

 縁側で後ろ手に縛られ、膝に石を抱いてぼんやりと外を眺めている彼女に問いかける。

「おしおき」
「おしおき……ですか。どんな悪さをしたのですか」
「それは、ひみつ」

 秘密、ですか。まあ、いいのですが。
 なんでしょう。普段ならば故もなくこのようなことを他の誰かがされるのは、納得ができないことですが……何故か今回に関してだけは、不覚納得できてしまう自分がいる。これで当然であると。

「シロウもイリヤも、サド。女の子に、石抱きの刑は、ひどい」
「イリヤスフィールはともかくシロウはそのようなものではありません。ともあれ、しばらくそこで反省していてください」

 まあ……お仕置きというわりにはちっとも堪えていないような気もするのですが……



必要なこと (2004/7/10)

「あら、セイバーじゃない」

 呼ばれて振り返ると、買い物袋を手に持ったキャスターこと葛木メディアがいた。おそらく私と同じで、夕飯の買い物なのだろう。丸々と膨らんだ買い物袋からは、葱の先端が頭を出していた。

「あなたも買い物かしら。お互い大変ね」
「そうですね。ですが私は自分の役目を苦と思ったことはありません」
「ふふ、それも同じってことか」

 口元に手を当てて、楽しげに笑うメディア。
 彼女は、本当に今が幸せなのだろう。こんな風に邪気のない笑顔を彼女が見せるなど、初めて相見えたときからは想像もできない。
 彼女自身、死後、サーヴァントとなった後にこのような自分になれるとは思ってもいなかっただろう。彼女はこの時代に召喚され、今のマスターに出会って間違いなく幸せを手にした。
 正直……少しだけ羨ましいと思う。

 家路を歩きながら、メディアと最近の出来事や互いのマスターのことなど、他愛のない会話を交わす。
 なんでも今日の夕飯はカレーだそうです。時々シロウに料理を教わるなどして少しずついろいろなものにも挑戦しているらしいのですが、今のところ一番上手くできるのがカレーなんだとか。

「それでもあなたのマスターのシロウ君にはまだ全然敵わないのだけれどね」
「当然です、メディア。あなたが私のシロウに勝つためには、まだまだ研鑽が必要です。それほどまでにシロウの料理は美味しいのですから」
「……相変わらず愛してるわね」
「なっ!? な……そ、そういうことではありませんッ」

 突如とんでもないことを言うメディアに反論するも、彼女は心底楽しげに笑うだけで取り合おうとしない。
 ……前言撤回です。やはり彼女は邪悪だ。

「……で、実際のところマスターとはどうなってるの?」
「ど、どうなってるの……とは?」
「決まってるじゃない、そんなの」

 メディアが一歩近づき、私の耳元に唇を寄せる。

「――、――――」
「ッ!?」

 その言葉を聞いた瞬間、一気に顔が紅潮したのが自覚できた。同時に体温まで急上昇する。

「なにを馬鹿なことをッ……わ、私とシロウが、こ、こ、こい……などと……」
「あら、ありえないことじゃないと思うのだけど。あなただってそれを望んでいないわけではないでしょう?」
「だっ、だがしかし、それは……」

 否定しきれず黙り込んでしまう。
 今の私は……シロウのサーヴァントであって、以上でも以下でもない。それ以上を望んでいいのかどうかすらわからない。
 今はまだ、今のままで私は満足している。

 ……けれど。

「はっきりしないわね、セイバー。……まあ、いいわ。とりあえず私が良い物をあげるから、これで少しはシロウ君を喜ばせてあげなさい」
「は、はあ……」

 魔術でしまっていた紙袋を空間から取り出し、私に押し付けるメディア。

「セイバー、自分で言うのもなんだけど、私は今幸せよ。宗一郎様がいてくれて、あの人に必要とされてるって実感できるもの」
「…………」
「……それじゃあね。頑張りなさい」

 しばしその場に立ち尽くし、分かれ道を柳洞寺に向かって歩いていくメディアの背中を見送る。
 確かに彼女の言う通りなのだろう。疑うまでもなく、宗一郎に愛されている彼女は幸せなのだと思う。羨ましいと思うのも事実だ。
 でも今の私には……彼女のように踏み出すことができない。
 もしかしたら私は怯えているのかもしれない。今までずっと騎士としてのみ生きてきた私には、どうしていいのかもわからない。

 ただ一つわかっているのは、メディアのような幸せを手にするのに必要なこと。
 騎士の誉れとして私が尊んできた勇気とは別の勇気が必要なのだと――そのことだけはなんとなく、わかっていた。


「ところでメディアは、いったいなにをくれたのでしょうか」

 家に帰り、自室で押し付けられた紙袋を開いて、中に入っているものを取り出す。

「……エプロン?」

 彼女はいったい、これで私になにをしろと言うのでしょうか……意味がわかりません。



おかゆ (2004/7/9)

 起きたときから妙に調子が悪そうでしたし、おかしいとは思っていたのです。

「まったく……普段人にはあれだけ無理をするなといっておきながら、自分はこれですか……」
「う……すまん」

 体温計に表示された数字は三十八度。高熱であるといって差し支えないでしょう。
 なのにシロウは、自分の体の調子が良くないのをわかっていて普段通りに朝食の支度などをしようとしていたのだから許せない。私の朝食とシロウの身体と、いったいどちらが大切だと思っているのですか。

 ……どちらも大切ですが、私の食事は桜か凛にお願いすればいいのです。

 凛と桜、それから大河を学校に送り出し、今この家にいるのはふとんの中で横になっているシロウと彼の額に乗せる濡れタオルを絞っている私だけ。イリヤスフィールはいつの間にかいなくなっていました。

「シロウ……」
「ん、悪いなセイバー……迷惑かける」
「はぁ……ですからシロウ、私は迷惑だなどと少しも思っていないのですが。むしろ普段世話になっている分を返す機会ができて、少しありがたいくらいなのですから」
「なんだよそれ……じゃあ、俺が風邪引いて、セイバーにとっては良かったってのか?」

 軽口を叩き弱々しく笑っているシロウの額に濡れタオルを乗せる。
 当たりまえだが、もちろんシロウが風邪を引いて良かったなどと思ってはいない。ただ、これを機会に少しでも休んでくれればとは思う。正直なところ、シロウは普段から少し働きすぎだと思うのだ。

 ……と、ふと時計を見ると時刻は既に昼を指していた。

「そろそろお昼ですが、食欲はありますか?」
「うーん……そうだな。朝飯食ってないし、おかゆくらいなら……」
「おかゆ、ですか……ふむ」

 以前、イリヤスフィールが風邪を引いたときに、シロウが作っているのを手伝ったことがあります。作り方も、横で見ていましたし、それにシロウが普段使っている料理の本もありますし、おそらく何とかなるでしょう。

「承知しました。今から作ってくるので、しばしの辛抱を」

 今この家にいるのは私だけ。凛も桜もいないのだから、風邪を引いたシロウの世話をできるのも私だけなのです。
 ならば慣れていないことだからと躊躇するわけにはいかない。
 待っていてください、シロウ。あなたに捧げたこの剣にかけても、必ずや。


「……お待たせしました、シロウ」
 本当にだいぶ待たせてしまいました。
 シロウがおかゆを作ったときの倍以上の時間がかかってしまい、気がついたたら時計の単針が一つ右にずれていた。

「ありがとな、セイバー。結構大変だったろ?」
「まあ、その……初めてのことでしたし。いえ、でも! ちゃんとできたと思いますし、味見もしていますから……」
「大丈夫、わかってるって」

 そういってシロウは身を起こして、私から鍋を受け取ろうと手を伸ばす。
 ……が、私はその手を拒んだ。

「セイバー?」
「…………」

 確かあのとき、イリヤスフィールはシロウの作ったおかゆを自分では食べていなかったはずです。
 それが病人に対する看護の一環であるというのであれば、私も同じことをシロウにして差し上げなければならない。
 別して自分がそうしたいというのではありませんが――シロウためであるならば、怯むことなどありません。ええ、むしろ自ら進んで成すくらいでなくては、シロウのサーヴァントと胸を張って言うことはできないでしょう。

 ですから――少しくらい恥ずかしかろうと、我慢しなければなりません。

 レンゲでおかゆを掬って、少しだけそれを冷まし……私がそうするのを呆然と見ているシロウの口元に持っていく。

「で、ではシロウ……どうぞ」
「……え?」
「ですからその……く、口を」

 確かあのときシロウは「あーん」とか言ってましたが、さすがにいくらなんでもそれは言えない。恥ずかしすぎます。
 やがてシロウも私がしようとしていることがわかったのか、顔を少しだけ赤くする。

「あー、いや、セイバー。俺、自分で食えるからいいって」
「む。シ、シロウは私の世話になるのが嫌であると?」
「そういうんじゃなくってさ……」
「ならいいではないですか! 何度も言いますが、私はシロウの世話するのが迷惑であるなどとは少しも思っていない。ですから――」

 言って、再度シロウの口元にレンゲを持っていく。
 シロウは少しの間、目の前にあるレンゲをじっと見ていたが、やがて観念したように口を大きく開いた。

「……では、失礼します」

 そっと、レンゲを口に運んでシロウが食べる。

「あの、いかがでしょうか」
「……ん。美味いよ」
「そ、そうですか。それなら……良かった」

 そう言ってくれたことに安心して、もう一度シロウの口元にレンゲを運ぶ。
 シロウがおかゆを食べて、私が運び、少しずつ少しずつ、鍋の中身は少なくなっていった。


「ごちそうさん。美味かったぞ」
「はい、ありがとうございます。……眠たいなら眠ってください」

 鍋をすっかり空にして、ふとんになりシロウが眠たそうに目を瞬かせる。
 枕元に膝を突いて、シロウの髪を少し撫でた。

「私はここにいますから……」
「……ん」

 そう呟くようにもらして、目を閉じようとしたそのときでした――

「シロウーーー! タイガが前に言ってたすぐに風邪が治る方法、持ってきたよーーー!」

 ――イリヤスフィールが部屋に飛び込んできたのは。
 その手に、焼いた葱を持って。

 私とシロウが全力で彼女を止めたのは言うまでもありません。
 特にシロウは、それこそ必死でしたね。嫌な思い出でもあるのでしょうか。



七夕(当日) (2004/7/7)

 そして七月七日。
 幸いなことに雲一つない天には瞬く星が河のごとく流れ、ほとりには輝く夫婦星が向かい合っていた。

 せっかくなので、少しだけ勉強しました。
 彦星と呼ばれる男星は、わし座のアルタイル。そして女星である織姫は琴座のベガ。
 そもそもは日本ではなく、中国を発祥とする物語が元になっており、それが日本に伝えられて七夕というお祭りとなったとのことでした。
 もっとも、私あまりそういった伝承には興味はありません。だいたい昨日まで七夕の存在すら知らなかったのですから。今日という日が、十分に楽しめるのであれば良いのです。

 シロウが庭に植えた笹には、大河やイリヤスフィールが作った紙飾りが飾り付けられ、ゆったりと流れる風に流されて笹の葉と共にしゃらしゃらと音を奏でている。
 そしてもちろん、各々が吊った短冊もまた揺れている。
 短冊に託された願いごとは、本当に些細なものでしかない。

 例えば『もっと質のいい宝石がほしい』とか『もっとスリムになりたい』とか。……両者とも匿名でしたが。
 それからイリヤスフィールは『シロウと一緒にお風呂に入りたい』……などと、駄目に決まっているではないですか。大河は『佐山聡のマスクが欲しい』って、いったい誰のことなのでしょう。
 ちなみにバーサーカーの短冊は、残念ながら理解不能でした。星も彼の願いを理解できたかどうか……微妙なところです。

 いずれにせよ、他愛のない願い事です。
 叶うのならそれに越したことはないけれど、決して叶わないとしても別に構わないような、そんな程度の小さな願いごと。
 私が短冊に託した言葉も、その程度のことでしかありません。

 もし叶うならば、少しだけ幸せになれるかもしれない――そんな程度の、小さな願いごとです。


 せっかくだからということで、今日は酒が振舞われた。
 いつもだったら士郎が厳しく制限するところを、今日は殆ど無制限である。おかげで大河は既に大虎へと変貌し、桜は赤い顔をして平然と杯を空けている凛になにやら説教をしている。もちろん、言葉の殆どは右から左へと流れているのでしょうが。
 イリヤスフィールは、バーサーカーの頭に上ってやっぱり赤い顔をしながら左右に揺れている。誰でしょうか、彼女に酒を飲ませたのは。バーサーカーは、そんな彼女が落ちないようにバランスをとりながら、静かに杯を傾けていた。

 そして私は、一人で星を見上げながら酒盃を傾けていた。
 滑り落ちていく酒が喉を焼き、身体をまた少し熱くする。漏れる吐息すら、熱がこもっていた。  風が、火照った身体に心地よい。酒を飲むのも随分と久しぶりのことですが、たまには良いものです。

「セイバー、隣いいか?」
「シロウ? ……はい」

 そう言って、缶ビールを一本持ったシロウが隣に腰を降ろす。

「まったく、藤ねえも遠坂も桜も少し飲みすぎだ。イリヤまであんなんなっちまってるし……今はバーサーカーがついててくれてるから平気だろうけどさ」
「そうですね……ごくろうさまです、シロウ」

 ビールのプルトップを上げて口をつける。缶を傾け一気に流し込んで、大きく息をついた。
 隣に座るシロウに、ほんの少しだけ酒のにおいが混じる。

「まあ……なんだ。良く晴れてくれたし、みんなもなんだかんだ言って楽しんでくれてるし……良かったよ」
「……ええ。そうですね」

 シロウと二人、並んで座って夜空を見上げた。
 天に輝く星の河の流れは、どこまでも遠く、途切れることなく流れている。
 織姫と彦星の二人は、その流れを挟んでずっと見詰め合っているが――悲しいことに触れ合うことはできない。

 彼らは誰か他の人の願いを叶えることはできても、自分たちの願いを叶えることはできない。
 その分だけ、他の誰かの幸せを叶えるのだろう。

「……きれいですね」
「ああ、そうだな」

 交わす言葉はたったそれだけ。それだけで十分。

 ほんの少しだけ、酔ったふりをして身体を傾ける。
 肩が彼の腕に触れて――そして、頭を彼の肩に預ける。

「…………」
「…………」

 シロウは黙って、私の肩を引き寄せてくれた。


 誰が叶えてくれたのか……それはわからないけれど。
 私は少しだけ、幸せになれた気がした。



七夕(前日) (2004/7/6)

「シロウ、なにをやっているのですか?」
「ああ、明日の七夕の準備をしてるんだよ」
「七夕……ですか?」

 聞いたことのない言葉ですね。当たりまえのことかもしれないが、今の時代には私が知らない言葉が多い。おそらくは何かの催し物だと思うのですが、いったい何の催し物なのか、見当もつかない。
 笹と、シロウが持っている小さな紙。これらでいったいなにをするというのだろうか。

「シロウ、七夕とはいったいなんなのですか?」
「そういえばセイバーは知らなかったか。七夕ってのはな……」


「……なるほど。それが七夕というものですか」

 毎年七月七日、天の星の河が流れの中に織姫と彦星が出会う日。この国に住まう人たちは、彼と彼女の出会いにあやかって、自分たちの願い事を短冊に託して笹に吊るす。
 ……正直なところ、やや他力本願ところはあると思いますが……おそらくは願いが叶うか叶わないかは問題ではないのでしょう。

「実のところ、うちで七夕なんてするのも随分と久しぶりなんだけどな」
「そうなんですか?」

 紙を短冊の形に切りながらシロウが呟く。

「切嗣が死んでからずっとやってないから」
「……そうですか」

 何故かなどと、聞くまでもない。
 しかしそれならば何故、今年になってまたやる気になったのだろうか。

「あー、だって今年はセイバーがいるじゃないか。イリヤだっているし……せっかく皆いるんだから賑やかなほうが楽しいだろ。ほら」

 思ったことを聞いてみて、返ってきたのはそんないかにもシロウらしい答えと一枚の短冊。

「セイバーも自分の好きな願いごと書いとけよ。本当に叶うかどうかは保障できないけど、何事もやってみなけりゃわからないだろ?」
「そ、それはそうですが……笹に吊るしては他の誰かに見られてしまうではないですか」
「だからだよ」

 シロウはそう言って楽しげに笑う。

「もしさ、他の誰かがセイバーの願い事を叶えられるんだったらさ……もしかしたら、本当に叶うかもしれないじゃないか、願いごと」

 彼の言うことはあまりにも無茶苦茶だった。そもそも人には叶えられない願いだから星に願いを託すというのに、それではあまり意味がないとも思う。
 とはいえ――

「そうですね。年に一度のことなのです。同じ戯れるのであれば、共に楽しむほうが良いというものですね」
「ってことだ。セイバー、それをこの国では同じアホなら踊らにゃ損、っていうんだぞ」
「私はアホではありませんが」

 シロウの言うことにも確かに一理あると思う。
 それに、短冊に書くのは何も星にしか叶えられないような大きなものでなくも良いのだ。

 ……そう、せいぜい人一人が叶えられるような、そんな小さな願いならば。
 もしかしたら短冊に綴った私の願いを、誰かが叶えてくれるかもしれない。

 淡い泡沫のような期待を胸に、私は今の私の小さな願いを短冊に綴るのだった。



博打街道 (2004/7/5)

 それはかれこれ一ヶ月前のことでした――


「我にひれ伏せ、雑種ども!」
「いきなり現れるなりなにを寝ぼけているのだ貴様は」
「うむ、とりあえず怖いので剣をどけるのだセイバーよ」

 まったく、朝も早いうちからたわけたことを……誰かと思えばこの男ですか。起きてきて損しました。
 見れば遠くに見える空の向こう側はうっすらと紫色のままで、風もまだ冷たい。いつもなら当然、私も深い眠りの中にいる時間帯である。

 本来なら睡眠を必要としないサーヴァントといえど、一度眠りに落ちたのであれば人であった頃の欲求に己を引きずられるのは仕方が無いことだ。
 つまりなにが言いたいのかというと、私はまだ眠たいのです。
 ……だというのに、この男は、それを。

「……で? いったい何の用だというのですかギルガメッシュ。こんな時間に訪ねてくるのですから、それ相応の理由があるのでしょう?」

 逆に、もし無いなどと言うのでしたら私にも考えがあります。正直なところ、寝起きの私はそんなに気の長いほうではありませんので、いろいろと危険なことを考えないとも言い切れない。
 あるいはここが英雄王ギルガメッシュの人生の岐路となるかもしれませんね。

「さあ、ギルガメッシュ。話したいことがあるのなら今のうちに話しておくと良い。時間は限られているのですから」
「うむ。なにやら突き刺すような殺気が心と身体にイタイのだが……」

 ギルガメッシュが一つ咳払いをして居住まいを正す。

「実はだな、我は今日からしばらくこの国の外へと出て行くことになったのだ」
「ほう……それはまた何故」

 正直なところどうでもいいことではあったのですが、あえて口に出すことでもないのでとりあえず気になったことを聞いてみる。
 もっともそれですら、眠気とどちらを取るかと聞かれれば後回しにしても良いことではあるのですが。

「理由か。……ふむ、ではセイバーよ。今日の我の出で立ちを見て何か感じるところはないか?」
「は? それと貴様の国外逃亡といったい何の関係が……」
「たわけ! 王たる我が何故雑種ごときに背を見せなければならんのだ!」

 ……誰がたわけだと言うのだ。たわけと言うなら、この男以上のたわけもそうはいないと思う。
 まあとりあえずは、いい。で、出で立ちを見て感じるところと言われても……

「ふむ……言われてみれば妙に派手ではありますね」
「そこよ。気づいたかセイバー」

 確かに気づいてしまいましたが、そのように嬉しいことなのでしょうか。第一、これとこの男が国外に出る理由と、いったい何の関連があるというのか。

「それで結局いったいなにが言いたいのですか。いい加減眠いのですから結論を言いなさい」
「つまりだな、我がこれらを買う金をどこから手に入れたのかということなのだ」
「……いったいどこから。よもや悪の道に手を染めたと言うのではあるまいな、英雄王」
「ふん。それこそ王たるもののすることではない。そもそもセイバーよ、王のすることに善も悪もないというのだ。まぁ、そのような些事はどうでも良い。……我はその金を博打で手にしたのだ」
「……ばくち?」
「正確に言うのであれば競馬というやつであるな」

 ああ、競馬であるならば知っています、テレビで見たことがありますから。
 一度だけ凛がたわむれにアーチャーに馬券を買いに行かせていましたが……その夜、自室でじだんだ踏んでいるのを扉の影から見かけました。おそらく彼女は負けたのでしょう。
 そしてギルガメッシュは買ったが故にいつも以上に派手に己を着飾っているというわけなのですね。

「ふ、元よりこの世の財は全て我のものではあるが、雑種どものたわむれに乗ってやるのも一興と思ってな。だがしかし、この国は我の戦の舞台とするにはあまりに狭すぎる。故に大陸に渡って勝負することにしたのだ。言峰の話では何でもらす……とかなんとかだったか」
「ああ、そうですか。……それよりも用事はそれだけですか?」
「うむ。故に貴様はここで我の凱旋を待っているがいいぞ」

 ……そうですか、それだけですか。
 そのようなつまらないことのために、私の安眠を妨げたと言うのですか。

 慮外者め。その罪、許しがたい。

「ぬ、ぬあっ!? な、何故に聖剣を抜くのだ!」
「黙れ。どこへでも我が聖剣の光で導いてやる故……感謝するのだな」

 風向き良し、角度良し。
 天気は良好、気合も魔力も十二分。


約束されしエクス――」

「ま、待て……」

「――勝利の剣カリバー!」


 溢れ出た光の切っ先は、天を破り雲を引き裂き――高く高く、太平洋の向こう側まで伸びていった。


「と、いうことがあったのです」

 それから一ヵ月後の今日、朝食の席で不意にそのことを思い出した私は、シロウに語って聞かせていた。

「セイバー、おまえ……いくら相手がギルガメッシュだからって、エクスカリバーはやりすぎなんじゃないのか?」
「そ、それは……確かにその通りではありますが、しかし……」
「……セイバー?」
「うっ……ご、ごめんなさい」

 と、玄関のほうから弱々しく扉を叩く音が聞こえてくる。なんでしょう、こんな朝から来客など珍しい。
 シロウと二人で玄関まで来客を迎えに出て扉を開くと、

「我にメシを捧げろ、雑種!」

 そこにはあまりにも見違えた姿のギルガメッシュがいた。
 この街を出る前はあれほど着飾っていたというのに、今では薄っぺらいむしろ一枚だけ。すさまじい変わりようである。
 私もシロウも、あまりの突然のことに一瞬呆気に取られていたが、いち早く立ち直ったシロウが英雄……王? に問いかけた。

「おまえ……いったいどうしちゃったんだよ、そのカッコ。むしろ一枚って、いくらなんでも寒くないか?」
「フッ、愚問だな」

 いったい誰の、なにが愚かなのやら。

「とりあえずそのまま放っておくのもなんだし、上がれよ。メシくらい食わせてやるからさ」
「うむ。当然であるな」

 その物言いに思わず剣を抜きかけたが、シロウに抑えられてどうにか堪える。
 まったく、シロウは本当に人が好すぎる。……まあ、シロウはそうでなくてはならない、とも思うのだが。

「しかし……およそ財に関してはこの世に並び立つ者なき黄金の英雄王が、いったい何故あのような目に……」
「ああ、それはあれだよ、セイバー。最初のうちはきっとバカヅキで勝ってたんだろうけどさ」

 シロウは居間に歩いていくギルガメッシュの背中をどこか悲しそうに見つめながら、

「あいつのことだから……それで調子に乗って油断して、イカサマにでも引っかかったんだろ、きっと」

 ああ――なるほど。
 そういうことですか。というより、それしか理由は考えられませんね。

 まったく、あの油断さえなければ奴も名実ともに最強のサーヴァントなのでしょうが……まあ、油断してこそのギルガメッシュというのでしょうか。
 完全無比の彼など、想像することすらできませんね。



迷子 (2004/7/4)

 私は今、自分を見失っていました。
 今自分がどこにいるのかわからず、そしてどこに行けばいいのかもわからず……いや、どこに行けばいいのかはわかっていても、どうすればそこに行けるのかがわからない。
 右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、己を知るための導となるものは何もなく――

 ――端的に言うと、私はただ今迷子になっていました。

 考えてみれば新都を一人で歩くという経験はこれが初めてと言ってもいい。これまでにも何度も訪れたことがあったから、すっかり歩き慣れたものと油断したのがまずかった。いつもはシロウや凛が必ず一緒にいたから迷わずに済んだというのに。
 己の前後左右に聳え立つ石が、今日は何故かいつもより大きく見える。
 道を行く人はたくさんいるのに、その中にシロウの姿はない。

 なんということだ……たまにはアルバイトが終わって疲れているだろうシロウを迎えに行こうと思っただけなのにこの仕打ち。

 とはいえいつまでも悲嘆にくれて足を止めていても仕方がない。重たい足を引きずるようにして、再び歩き出す。
 ああ、シロウ……あなたは今どこにいるのですか?


「はあ……」

 ベンチに座って大きくため息をつく。
 あれからかれこれ数時間歩き回りましたが、結局シロウは見つからず、私は相も変わらず迷子のままです。
 まったく、情けない話です。シロウを迎えに来て、迷子になってしまうなどと。己の分をわきまえない行動を取るからこういうことになったのでしょう。
 私はこのまま、家に帰ることもできないのでしょうか。

「……おなか、すきましたね……」

 小さく泣き声を上げる腹を押さえて身を縮こませる。

「……セイバー?」
「……え?」
「ああ、やっぱりセイバーだ。やっと見つけた」

 私の名を呼ぶ声に顔を上げると。そこには見慣れた人の見慣れた笑顔があって、

「シ、シロウ……? なんでここに?」
「なんでって、セイバーがいつまで経っても帰ってこないからさ。探しに来たに決まってるじゃないか」
「う……」

 思わず、彼と目を合わすことすら躊躇われて、俯いて自分の膝を見つめる。

「も、申し訳ありません、シロウ……」
「なんで? セイバーは俺のことを迎えに来てくれたんだろ? ……まあ、そりゃ迷子になっちゃったのはちょっと……だけどさ」

 そう言って私に手を差し伸べて、

「俺は嬉しいと思ってるよ。ありがとな、セイバー」
「……はい」

 その手を取って私も立ち上がる。

「今度さ、俺のバイト先まで一緒に行こうよ。せっかくだからねこさんにもセイバーのこと紹介したいし、それにそしたら今度はちゃんと来れるだろ」

 並んで歩きながらシロウが言う。

「シロウ、それは……」
「ああ……今度はちゃんと迎えに来てくれよな、セイバー」
「……はい。この身に変えましても、マスター」



姉の思い出 (2004/7/3)

「ねーねー、士郎! どうよどうよー、お姉ちゃんはやってみせたわよ! って、士郎は?」
「大河、入るときはもっと静かに入ってきてください。言っても無駄かもしれませんけど……シロウはただ今外出中ですよ」
「えー、士郎いないの? つまんないのー」

 言って大河は、座り込んでテーブルに突っ伏した。口で言ったとおりに、心底残念そうな表情。彼女ほど自分の気持ちを素直に表に表せる人間も多くはない。時に善し悪しですが、彼女のこの性格はとても好ましいと思う。
 そして、時にはうらやましいとも感じる。私には彼女ほどに素直に己を出すことはできない。

「それで大河、いったいどうしたのですか? シロウに何か用でも?」
「うん、実はねー。久しぶりに家の掃除してもらってたら、こんなものが出てきたのよう」
「洋服? シロウのですか?」
「うん」

 テーブルの上に広げられたそれは、白地にプリントの入ったどこにでもあるような普通のシャツだった。

「しかしシロウの服にしては丈が少々小さい気もするのですが……それにこれは、その……」
「うん、不恰好でしょ」
「……そうですね」

 大河の言うとおり。そのシャツはいろんなところが破けていて、あちこち繕ったあとがある。更に言うと繕い方もお世辞にも上手とはいえず、それがますますこのシャツをみすぼらしく見せていた。

「これね、士郎が子供のときに着てたやつなの」

 大河は微笑みながらシャツを手にとる。細められた瞳は優しげで、普段の子供のような彼女の表情は、今はずっと年上の大人の女性のようだった。

「士郎がまだこーんなにちっちゃかった頃、ケンカしてぼろぼろになって帰ってきたことがあってね。そのとき着てた服がこれなの」
「それでこんなに……」
「うん。でね、こんなにぼろぼろになってたら可哀相だから、私が直してあげるって言ってあげたの。そしたらさ、士郎ってばなんて言ったと思う? 藤ねえには無理だからいい。自分でやるから返せって。まったくもう、お姉ちゃんに対してひどい言い草だと思わない?」
「それは……確かに」

 シロウの言わんとしていることもわからないでもない。少なくとも大河よりもシロウのほうが繕い物が得意であることは言うまでもないことであるし。
 しかし、だからといって彼女の真心をわからないシロウでもないと思うのだが。それとも……それは相手が大河であるからなのだろうか。私たちには決して取らないような態度も、彼女ならば取るのだろうか。それはそれで少し……

「何故シロウはそのようなことを言ったのでしょうか」
「うーん……多分、照れてたんだと思う。あの子ってば今もそうだけど、昔はもっと素直じゃなかったから。多分、きれいなお姉ちゃんに甘えるのが恥ずかしかったんじゃないかしら」
「きれいかどうかはともかくとして、それならば考えられないこともないですね」

 確かにその通りかもしれない。
 だがしかし、シロウにとって大河が私たちとは違う、特別な女性であるということだけは間違いないでしょう。
 切嗣を除いては、シロウにとって唯一の家族ともいえる女性なのだから。

「でね、シロウにそこまで言われたのが悔しくって。無理やりに家に持って帰って直してやろうって頑張ったんだけど――」
「――結局、無理だったというわけですね」
「えへへー、その通りー」

 はあ、なんのことはない。やはりシロウの言ったとおりになったのではありませんか。それで今日この日までそのことを忘れていたのでは言い訳のしようもありませんね。
 ……でも、繕うこともできず、今日までそのことを忘れていたというのでは――

「大河、この服を繕ったのは……?」
「ん? もちろん私だよ」

 大河はそう言って少しだけ頬を染めて、照れくさそうに笑った。

「あはは、大見得きったくせに約束忘れっぱなしっていうんじゃお姉ちゃんの面目丸つぶれだもの。だからね、昨日の夜ずっとこれやってたの」
「なるほど……そうだったのですか」
「うん。……でも、士郎はすごいね。難しくって私なんて何度も指に刺しちゃったのに、士郎は簡単にできちゃうんだもの。ねえ、セイバーちゃんもそう思わない? 私の士郎はすごい男の子だよ」
「はい。それならば私にも異論はどこにもない」
「でしょ! でも、弟にばっかりお世話になってたらお姉ちゃんの立場がないし。たまにはできるってところを見せてやろうと思ったの」
「大河……」

 正直なところ、そのようなことはしなくても良いと思う。そのようなことをしなくても、シロウは大河のことを無二の姉と慕っている。
 ですが、数年越しに姉弟の約束が果たされるのです。それを邪魔する必要などどこにあるというのでしょう。

 大河は不安と期待の入り混じった眼差しをこちらに向けて、

「ねえねえセイバーちゃん、士郎、なんて言うかな。少しくらいは誉めてくれると思う? 喜んでくれるかな」
「心配することはありません、大河。なにせシロウなのですから」
「うん……そうだね」

 と、玄関のほうから戸を開く音が聞こえてきた。
 そして、

「ただいまー。藤ねえ、きてるのか?」

 帰ってきたシロウの声も一緒に聞こえてくる。

「大河。……おや」

 大河を促そうと、彼女のほうに振り向いた時には既にそこに彼女の姿はなく――

「おかえり士郎! 今日はお姉ちゃんすごいの持ってきたのだー」
「って、わかったからひっつくなよ藤ねえ。靴も脱げねえよ」

 ――とりあえず、シロウが困るでしょうから、私も大河を引き剥がしに行くとしましょうか。



愛馬 (2004/7/2)

 シロウと私、それから凛、桜の四人でのんびりと歩いていると、

「あれ? ライダーか?」
「む、確かに。あれはライダーですね」

 遠目からでも映える美しく長い髪の持ち主といえば、ライダー以外に誰がいるでしょうか。

「そういえば、ライダーっていえばこの間ペガサスが怪我したんだって?」
「あら、そうなの桜?」
「え? ええ、まあ……」
「? どうしたのです、桜。歯切れが悪いですが」
「そ、そんなことないよ。やだなぁ、セイバーさんってば」

 と、言われてもその引きつった笑顔からはなんでもないなどとは受け取れないのですが。まあ、いいでしょう。彼女がそう言っているのであれば、追求するのもあまり良くはない。

「しかしペガサスといえば幻想種が一つ。その彼を傷つけるなどいったいどこの誰が……」
「そ、それは……」
「ところでライダーってば、なんか引き綱引いてるけど。アレ、なんなの?」
「あー、うー……えっとですね……」

 なんでしょう。桜の顔色が加速度的に悪くなっていっているのですが……やはりどうもおかしい。桜のこの様子はペガサスに関係しているのでしょうか。
 と、徐々に近づいてきたライダーが、後ろに引き綱で繋いでいるモノの影が見えてくる。
 ……はて、あれは人でしょうか? それもなにやら……

「甲冑でしょうか、あれは」
「……いや、違うぞセイバー。そう見えるかもしれないが、違うんだ」

 シロウが私の肩に手を置いて頭を振る。しかしあれはどう見ても甲冑ではないかと思うのですが……確かに少々形状は違うかもしれませんが、それ以外の何物でもないのに。

「ではシロウ、あれはいったいなんなのですか?」

 シロウは私の問いに一つ頷いて、


「あれはまごうことなきペガサス!」


「……の、コスプレをした慎二ね」

 拳を握って言ったシロウの言葉の後をついで、凛がいかにもつまらなそうに呟いた。

「おや、どうしたのですかこんなところで……奇遇ですね」

 そんなことを言い合っているうちにライダーもこちらに気づき、にこやかな笑顔と共に近づいてきた。その彼女が引き綱に繋いでつれているのは……ああ、確かに凛の言う通りです。あれは桜の兄、間桐慎二その人です。
 ですが確か、こすぷれとはとある人物の衣装などを着てその人物に成りすますことをいったはずなのですが……いったい彼の格好のどこがペガサスだというのでしょうか。やはりどうみたところで私には甲冑にしか見えないのですが。

「なあ……ライダー。そいつ、どうしたんだ?」
「見るな衛宮ッ! 僕を見るなッ!」
「ふむ、いいところに気づきましたね士郎」
「普通なら誰でも気づくと思うけどね」

 まあ、そうでしょうね。このような奇怪な格好をして、ライダーのような美女に綱で繋がれているのであれば、気づかれないほうがどうかしているというもの。ですからそのように身を縮こまらせても無駄であると思うのですが。

「で? なんだってまたこいつ、こんな羞恥プレイなんて楽しんじゃってるわけよ」
「楽しんでるわけないだろ!」
「実は……ペガサスに怪我をさせたの、兄さんなんです」

 桜が恥ずかしそうに俯きながら凛の問いに答える。
 まあ、無理もないでしょう。私とて身内の人間のこのような恥部を世間に晒されれば居た堪れない気持ちにだってなるでしょう。それどころか、御家の恥部は切って捨ててしまうかもしれない。

「だからその……ペガサスに代わりに兄さんをって、ライダーが……」
「ふぅん……なるほどね。事情はわかったけど、こいつとペガサスじゃいくらなんでも差がありすぎなんじゃない?」
「と、遠坂オマエっ! 僕があんな馬ごときに劣るって言うのか!? ……桜! こいつオマエのサーヴァントだろ、やめさせるように言えよ!」
「ごめんなさい兄さん! わたしには、わたしにはそんなもったいないことできない!」

 ああ、桜。そうやって顔を覆って泣く真似をするのはいいのですが、口からは本音が出ていますよ。やはり桜は桜ですね。

「ちくしょうっ、どいつもこいつも僕のことを馬鹿にしやがって……くそっ、くそっ、クソッ!」
「まあ、落ち着けよ慎二」
「これが落ち着いていられるかっ」
「わかったから、笑いながら怒るのはやめろって。ブキミだから」

 そう言ってシロウもまた笑いながら彼の肩に手を乗せる。
 実はそれは私も気になっていたところでした。彼は口では文句を言いつつも、何故か表情は楽しそうな笑顔でいる。いったいどちらが彼の本音なのか、これではわかりかねるのですが。

「そこに気づくとは……またもやさすがですね、士郎」
「いえ、ですから普通なら誰でも気づくと思うのですが」
「それじゃライダー、これにもなんか理由があるのか? 慎二がこんな貼り付けたような笑顔を浮かべてる理由ってヤツが」
「はい、それはですね……実はこれは笑っているのではなく、馬に蹴られた痕なのです」

 馬……ああ、なるほど。そういうことですか。

「つまりそれは笑っているのではなく、蹄の痕であるということですね」
「どうみたところで笑っているようにしか見えない愉快な顔ですが、あなたの言うとおりです、セイバー」

 愉快な顔、ですか。確かにこれはなかなか……うむ、得がたい顔であると言えなくもない。
 ならば、このように一見すると不自由な顔であっても、それはそれで一つの長所といえるのではないだろうか。少なくとも、見たものに激しい衝撃を与え、二度と忘れられぬような印象を与えるのは間違いないのだから。

 私はライダーに連れられ去っていく彼の後姿を見送りながら、そんなことを考えていた。

 とはいえ――

「ああは決してなりたくないものですね」
「そりゃ当たり前でしょ」





※注意事項

 らいおんの小ネタ劇場は完全ご都合主義な世界観でお送りしております。
 何事もなかったようにサーヴァントとかいたりしますが、その辺あまりこだわらない方のみご照覧ください。

 なお、当コーナーは不定期更新です。

TOPにモドル