らいおんの小ネタ劇場

第131回目から第140回目まで




文化祭・三回目 (2004/11/8)

 他のところを回ってくる、と言うイリヤスフィールたちと別れてやってきた弓道場――に聳え立つ黒い影。遠目からでもわかるバーサーカーの巨体。
 その周りに集まる学生や一般の人たちに埋もれても彼の巨体はやはり目立ちます。頭一つ分、どころではなく三つ四つ分は飛びぬけてますから。

「……ところでシロウ、大河はいったいあそこで何をやっているのでしょう」
「さあなぁ、俺にも時々藤ねえはよくわからん」

 見れば大河がバーサーカーの肩の上に仁王立ちになって何やら叫んでいる。

「まあ、行ってみりゃわかるか」
「そうですね、行ってみましょう」

 どうせ大河のことですからたいしたことはないのでしょうけど……完全にこちらの予想を上回っている可能性は十分にありますね。
 なんせ大河ですから。


 で――。

「ふはははー、まるで人がゴミのようだー」

 やっぱりというかなんというか、たいしたことはないのですが予想外なことをしていました。

「……綾子、あれはいったいなにをしているのでしょうか」
「大佐ごっこだってさ。……何の大佐かは知らないけど」
「はあ……そうですか。なんとなく追求してはいけないような気がしますから、何の大佐なのかはどうでもいいですが」

 きっと人よりも高いところに立っているのが嬉しくなっているのでしょう。私にとってはバーサーカーの肩は危険な場所なのですが、木登りの件といい、高いところが好きらしい大河にとっては楽しい場所なのでしょう。
 道着を着ている綾子も、そうしている大河を呆れと苦笑をない交ぜにした視線で見つめている。

「にしても美綴、おまえもう引退したんだろ? なんで道着なんて着てるのさ」
「ああ、確かにそれはそうだけどさ。せっかく高校生活最後の文化祭なんだ、見てるよりかはこっちのほうが楽しいだろ。それに――」

 そう言ってその瞳を今度は桜のほうに向ける。

「――次期部長さんの最初のお仕事なんだ。ちゃんとできるか見守ってやりたいと思うのが親心ってもんじゃないか」
「なるほど。引退した隠居のばあちゃんの、最後のおせっかいってところか」
「……殴るよ衛宮」

 と、殴ってからそう言う綾子。まあ、これはシロウの自業自得ですね。
 それにシロウと綾子にとって他愛のないじゃれあいだというのは、笑いあっている二人を見ればわかることですし。

「ま、桜はしっかりしてる子だからさ。あたしなんかが心配しなくたってきちっとしてくれるのはわかってるんだけどね」
「……だな」

 二人の言う通り、桜はややぎこちなくはありますが、集まっている人たち一人一人に、丁寧に弓の持ち方や弦の引き方などを説明している。他の部員たちに対しても物怖じすることなく指揮官として指示を出しているようですし、これならば心配することなどないでしょう。
 元々細かいところにはよく気がつきますし、やや内気なところもありますが、それさえ克服すれば彼女は集団の長に向いているのかもしれませんね。

「あ、先輩! セイバーさんも。来てくれたんですか?」

 と、とりあえず客をすべて捌いた桜がこちらに気づいて駆け寄ってきました。
 彼女もまた綾子と同じく弓道部の道着姿で、こうしていると普段は柔らかい雰囲気の桜も少し凛々しく見えるような気がする。
 そうは言っても桜は桜なのですが。
 シロウは駆け寄ってきた彼女をまぶしげに見、笑みを浮かべながらイリヤスフィールにするように彼女の頭を一つ撫でる。

「おう、桜が働いてるところを――っていうか、藤ねえが悪さしてないか見にきたんだが」
「え? えーっと、その……藤村先生は……ごめんなさい先輩、わたしじゃ止められませんでした」
「いいって、別に桜が謝るようなことじゃないし。それにあの虎は――って!」

 言いかけたところでシロウの頭にどこかから飛んできた矢が突き立つ!

「シ、シロウ!? ……む、吸盤?」

 慌ててシロウの頭から矢を引き抜いてみると、本来鏃がついている部分は吸盤になっていて殺傷力など皆無でした。
 しかしいったい誰が――そう思い、矢が飛来したほうを見ると、

「こらー! 私を虎と呼ぶなーーー!」

 ……大河がバーサーカーの肩の上で、残心の状態でこちらを睨みつけていました。この距離でシロウの声を聞き取ったのですか。本気で野生ですね。
 辺りに響き渡るような咆哮を上げて、バーサーカーの肩から降り……ようとして、途中で落っこちた大河がこちらにやってきた。ちょっと涙目です。大河はシロウに虎と呼ばれると泣く。誰に言われても怒るのは同じだが、泣くのはシロウだけだ。

「ううー、ひどいじゃないのよう、私を虎って呼ぶなっていつも言ってるじゃない」
「うっせ。そんなことよりバーサーカーを連れ出してあんなくだらないことしてたのかよ、藤ねえ」
「学校にいる時は藤村先生って呼びなさい!」

 ばたばたと手足を振り回している大河は、どう贔屓目に見ても教師には見えません。聞き分けのない駄々っ子という感じです。
 が、どうせこのような姿をこうもあっさり見せるのはシロウの前だけなのでしょうし、これもまた彼女の魅力なのですが。しかしまがりなりにも教師であるというのに、シロウがいるとはいえ生徒たちの前でこのようなあられもない姿を晒すのはどうかと思う。
 そう思い辺りを見回してみたが、他の部員たちはこちらに目もくれず、自分たちの役目を黙々とこなしていました。

「……なるほど、そういうことですか」
「ん、なにがだい?」
「いえ、こちらのことです。気にしないでいただきたい」

 聞いてくる綾子を制し、私は一人納得する。
 つまるところ、大河は既に他の部員たちにも本性が知られてしまっているということなのでしょう。

 まあ、そのようなことは些細なことです。それよりも、

「桜、バーサーカーは結局あそこで何をやっているのですか?」
「ああ、えっとですね。バーサーカーさんにはなんと言いますか、その、射の的になってもらってるんです」
「射の的?」

 シロウが問うと、桜がぽんと手を打ち合わせてこっくりと頷いて、合わせて揺れた黒髪からさらりと艶が零れた。

「はい、ほらデパートの屋上とかにあるじゃないですか、鬼の的当てみたいなの。あれです」
「なるほどな……でもまさか無理矢理やらせてるわけじゃないよな」
「もちろんですっ。そんなひどいこといくらなんでもしません。ちゃんと交渉の末に、セイバーさんの身柄と引き換えに了承をいただきましたっ」
「……待ってください。非常に聞き逃せないことを聞いたような気がするのですが」

 私の耳が確かならば、桜は『私の』身柄と引き換えと言いました。
 無論、私は交渉の材料となることを了承した覚えなどありません。しかもバーサーカーに身柄を明け渡すとなれば、間違いなくあれではないですか。
 私はまだ乗り物酔いを克服していないのです。それは桜も知っているはずだというのにこの仕打ち。到底看過できることではない。

「桜……!」
「わたし、今度ケーキ焼こうかなって思ってるんですけど、セイバーさん食べにきませんか?」
「仕方ないですね。ちなみに私はイチゴのショートケーキが好みなのですが」

 他ならぬ桜の頼みですしここは快く引き受けるのが大人の態度というものです。決して食い意地が張っているわけではありませんから、そんな目で私を見ないでください、シロウ。

「桜、アンタって子は……成長したって喜んでいいのかね、これは」
「わたし、姉さんの妹ですから」
「ああ……そういやそうだっけね。遠坂の、妹か……」

 桜のひどく説得力に満ち満ちた言葉に綾子が諦めたように項垂れた。

「まあ……なんだ、セイバー」
「はい?」
「結局のところ俺たちはここに何しに来たんだろうな? なんか藤ねえが馬鹿やってて、桜が遠坂の妹だってこととセイバーが食い意地張ってるってことを再認識しただけのような気がするんだが……」
「……立派に用を果たしているではありませんか」

 私の肩に手を置きながらなにやら曖昧な笑みを浮かべているシロウに、悔し紛れに投げやりな言葉を返す。いいではないですか。元より弓道部には来るつもりだったのですから、それだけでもここに来た意味はあるというものです。

 そもそも――。

「いいけどさ。俺はセイバーと回れればそれでいいんだし、おまえが楽しんでくれてるならそれで」
「……それはそうかもしれませんが、私としてはシロウにも楽しんでいただきたいのですが」
「ああ、それなら大丈夫。俺だって楽しんでるよ」

 ――ならばいいのです。

 私一人だけ楽しんだところで何も意味はありません。せっかく二人で回っているのですから。

「■■■、■■■■■ーーー!」

 バーサーカーの咆哮が上がる。どうやら誰かが大当たりを出したようだ。彼の胸の辺りに描かれた的の中心に、吸盤のついた矢が見事に突き立っている。

「せっかくですからシロウ、我々もやってきましょうか」
「そうだな。せっかくだしな」

 まだ腕は錆びついていないはず。これでもかつては百発百中と称えられたこともあるのです。
 良い機会ですから私が弓術にも通じているところを見せて差し上げるとしましょうか。




文化祭・二回目 (2004/11/4)

「しかしシロウ、文化祭とは言いますが、今の出し物などは文化と何か関係があったのでしょうか?」

 暗幕で仕切られた教室から出てきて、ふと思ったことを聞いてみる。
 何やら物々しい飾り付けがされていたので興味を引かれて入ってみたのですが、はっきり言ってこの部屋で何をしていたのかよくわからなかった。
 明かりを落としたくらい部屋で、物々しい格好をした学生たちが突然飛び出してきたりしただけで、最後まで文化的な何かがあったようには思えない。

「いったい今の部屋には何があったのでしょう」
「んーとな、今のはいわゆるお化け屋敷というやつで、文化祭にはお約束というか……まあ、俺たちを怖がらせようとしていたわけだ」
「怖がらせる? あれでですか?」

 彼らの物々しい格好はそのためだったのですか。しかし、あれでこの私に恐怖を与えようなどとは片腹痛い。特に最後の猫の格好をしていた女生徒などはむしろ恐怖を感じるよりも先に、可愛らしさを感じたくらいだというのに。
 私を怖がらせたくば、寝起きの枕元に間桐蔵硯を持ってくるくらいしてもらわなくては。……実際されても困りますが。

「さすがに俺もあれで驚くのは無理だと思うけどさ。いいんだよ、あれはあれで」
「ふむ……奥深いですね、文化祭」
「いや別にそんな難しいもんじゃないぞ。文化祭なんて仰々しい名前はついてるけど結局はお祭りなんだから、ぱーっと楽しめればそれでいいんだよ」
「むぅ。ですがやはり文化のための祭りというくらいなのですから、少しは趣旨に沿ったことをしてもいいのではないでしょうか」
「……そういうことは手の中にあるクレープを全部食ってから言ってくれよな」

 少し呆れたような揶揄するような、そんな視線を向けてきて含み笑いを漏らす。
 ……なんてことを言うのでしょうか、シロウは。
 全て食べてしまえと言われても……せっかく美味しいのですから、味わって食べたほうが良いと思う。それが作ってくれた者に対する礼儀ではありませんか。だいたい味わいもせずに急いで食べてしまってはもったいないですし、それに――。

「これはその、ちゃんとした食文化というものですから良いのです」
「ああ――なるほど食文化か、確かにそりゃ大事だよなぁ」

 言いながらシロウは吹き出して、私の頭を乱暴にかき混ぜてきた。何がそんなにおかしいのかわからないが、なんだか釈然としません。
 ……が、そんなことと関係なく、クレープはやはり美味しい。
 クリームの柔らかい甘みと酸味のあるイチゴの甘みがとても幸せな感じです。

「あーっ、シロウだーーー!」

 と、クレープの幸せに浸っているところに飛んでくる聞きなれた少女の声――と、身体。
 廊下の向こう側にいたイリヤスフィールが、いつも通りに長い助走距離を経てシロウの首に飛びついてきた。

「よう、イリヤ。楽しんでるか?」
「うんっ! なんかね、全然意味の判らないヘンなことばっかりで楽しいよ!」
「そりゃ良かった」

 シロウの首にぶら下がってぐるぐると回りながら、楽しげに笑うイリヤスフィール。それはいいのですが――。

「イリヤ、そろそろ止まらないと、シロウが窒息死する」
「えー」
「えー、ではありません。シロウ様のお命はともかく、淑女たるものこのようなところで人死にを出してはいけません」

 何気に聞き捨てならないことを言いつつも、シロウの首にくっついているイリヤスフィールをセラが引き剥がし、唇を尖らせてぶつぶつ言っている彼女の頭を優しく撫で梳きながら、リーゼリットが片手をあげて挨拶してきた。

「ちゃお」
「ちゃお。二人も一緒に来てたのか」
「もちろんです。これだけ多くの人間がいる中に、イリヤスフィール様をお一人にするわけにはいきませんから」

 青紫色になっていた顔色を徐々に肌色に戻しながら、セラと深々と礼を交わすシロウ。
 リーゼリットとセラ。いつ見てもこの二人は対照的です。顔立ちは双子かと思わせるほどに似通っているのに、性格はまったくの正反対だ。

 まあ、それはまったくもって今更なことなので良いのですが――

「イリヤスフィール、何故あなたは浴衣を着ているのですか?」

 ――何故かイリヤスフィールは、あじさい色の浴衣に身を包んでいた。

 髪もいつもと違い、ちょうど凛がいつもしているように、二つに結い上げている。履いているのもいつもの靴ではなく下駄ですから、彼女が動くたびにからころと音を立てて、先ほどから周囲の目線を集めていた。
 もっともそれだけが理由ではないでしょう。
 浴衣を着て髪型を変えたイリヤスフィールは、正直に言って可愛らしいと思う。そんな彼女が楽しげに笑っていれば注目を集めないほうがおかしい。

『ちくしょう……』
『おのれ衛宮……』
『ロリコ……』

 などという声も聞こえてきますし。シロウは別に特殊な趣味を持った人間ではないのですが……わざわざ訂正して差し上げる必要もないでしょう。
 このように良くも悪くも非常に目立っているイリヤスフィールですが、彼女自身は気づいているのかいないのか、周囲にはまるで頓着などする様子もなく、自分の格好を見下ろしながら首を傾げている。

「あれ? 浴衣ってお祭りの時に着るものじゃないの?」
「いえ、その認識は確かに間違ってはいませんが、あなたの言っている祭りと今日の祭りは少々違うものかと」

 同じ祭りでも、文化祭に浴衣というのはさすがに違うと私でもわかる。

「ふぅん……そうなんだ。間違っちゃったんだね。……ねぇ、シロウ?」
「ん? どした?」

 イリヤスフィールはしばし自分と周囲とを見比べていたが、やがて納得したように頷いて、そばにいるシロウを見上げた。
 そしてその場で、自分を見せるようにくるりと軽やかにステップを踏んで、

「これ、似合ってない? ヘンかな」

 少しだけ不安げに問いかけた。
 となれば……無論、シロウの答えなど一つしかない。きっと私でも同じことを答えると思う。

「いいや、良く似合ってる。イリヤは可愛いぞ」
「……うんっ。シロウがそう言ってくれるならいいの。わたし、シロウ以外の人になんて思われても別に良いもの」

 予想通りの答えにイリヤスフィールは満面の笑みを浮かべてシロウの腕にぶらさがるようにしがみつく。
 端から見ると、本当に仲の良い兄妹に見えて微笑ましい。

「良かったですね、イリヤスフィール」
「ふふん、羨ましいでしょセイバー。でもダメよ、シロウはあげなーい」
「……別にあなたの許可を得る必要はないのですが」

 せっかくこちらが素直に喜んであげたというのにこの憎まれ口。一度シロウに妹の教育について語って差し上げる必要があるでしょう。だいたいシロウはイリヤスフィールに甘すぎるのです、まったく。

「そういえばイリヤ、バーサーカーはどうしたんだ? ……あいつじゃさすがに校舎には入れないとは思うけど、外で待ってるとか?」

 そういえばといえばそういえばですね。いつも彼女と行動を共にしている彼のサーヴァントの姿がありません。
 とはいえシロウの言う通り、彼では大きすぎて校舎に入ることはできませんし……。

「バーサーカーは、タイガに連れてかれた」
「藤ねえが? ……いったい何やらせる気なんだか」
「何でも部活動の出し物に協力していただきたいとか」

 部活動……弓道部ですか。
 大河とバーサーカー……珍しいといえば珍しいですが、それだけに何やら気になる組み合わせです。
 弓道部には桜も綾子もいますし、そう心配することもないと思いますが――

「シロウ」
「ああ、わかってる。ついでだし、様子見に行った方がいいよな」

 ――互いに顔を見合わせて小さくため息をつく。

 まあ、桜と綾子にも会えますし、どうせ見に行こうと思っていた場所ですし。
 というわけで、次は弓道部ですね。バーサーカーはいったい何をやらされているのやら。



文化祭・一回目 (2004/11/3)

 今日は私立穂群原学園の文化祭です。
 普段はこの学園に通う学生や教師しかいない校舎の廊下には、シロウたちと同じ年頃の学生やまだ小学校か幼稚園かという子供たちに彼らの母親など、老若男女問わず、多くの人たちで賑わっている。最終日の今日は一般開放日なのです。
 だからだろうか、各教室で出し物をしている学生たちのテンションはひどく高ぶっていて、傍目にも楽しげであった。

 そして私はといえば――。

「……何故、私はこんなことをしているのでしょうか」

 後ろから歓声をあげながらついてくる子供たちを引き連れて、こっそりため息をつく。

「らいおんさんー、らいおんさんー」
「でもこのライオン、ちょっとぶさいくだぜー」

 ――それは私のせいではなく、これを作ったメディアのせいです。

 声を大にしてそう言ってやりたいところだったが、決して声を出してはいけないと凛に厳命されているのでそれも叶わない。もちろん別に凛の命令に従う理由は私には無いのだが、シロウにまでお願いされてしまっては仕方が無いのです。シロウは私のマスターなのですから。

 まあ、いいです。
 この任務が終われば休憩時間です。そうすればこの獅子の全身きぐるみともお別れです。
 確かに私は獅子は好きですが、いくらなんでも自分自身が獅子になりたいとは思っていません。そのあたりを凛はわかっていない。

『セイバー、あんたライオン好きなんでしょ? だからライオンのきぐるみ被って客引きしてきてね』

 何がだからなのか全く理由になっていませんが、協力すると承知してしまったのも事実です。過去の過ちの清算をこのような形でしなければならないとは……我ながら不覚でした。シロウもシロウです、わかっているなら教えてくれても良いものを……。
 しかし愚痴を言ったところで始まらない――というより愚痴を言うことすら許されていないのだから諦めるしかない。

 それにしてもつくづく理解しがたいことばかり起こるものです。数ヶ月前、聖杯戦争に際してセイバーのサーヴァントとして呼び出された時にはよもやこのような格好をして客引きをする羽目になるとは思っても見なかった。
 もちろんだからといって――この時代に生きることに嫌気がさすなどということは、ありえないことだけれども。


「……凛」
「あら、お役目ご苦労様。悪いわねー、こんなことやらせちゃって」
「最初に聞かされていれば決して引き受けませんでした。獅子のきぐるみは暑苦しいですし」
「ま、そう言わないでよ。うちのだってああして働いてるんだし」

 凛が指差した方向には憮然とした表情で紅茶を淹れているアーチャーの姿があり、その表情が内心を雄弁に語っていた。

『何故、私がこんなことをしなくてはならんのだ』

 と言っても、それは凛のサーヴァントになってしまった時点で諦めてもらうしかないだろう。直接的に彼女のサーヴァントではない私でさえこの様なのだ。これで万が一、彼に何事も無かったとしたら、私が何かやらせています。例えば私の代わりとか。


「……セイバー。何か君は不穏なことを考えていないかね?」
「気のせいです。いいですからきちんと己の分を全うしてください」
「言われなくてもわかっている。……まったく、凛はマスターとしての実力は申し分ないが、人格的にほとほと問題がありすぎる」

 ぶつぶつと文句の多いサーヴァントに、凛は柄の悪い視線を向けていたがそれ以上何も言おうとはしない。まあ、場所が場所ですし無理もない。

「おい、遠坂、さぼってアーチャーを脅してないで、おまえもちゃんとウェイトレスやってくれよな」
「む、別にサボってたわけじゃないわよ」
「いいからほら、これあっちのテーブルな」
「りょうかーい。セイバー、後はもういいからもう休んでていいわよ」

 そう言ってシロウからケーキセットを受け取り窓際のテーブルに向かっていく凛の姿は、いわゆるメイド服というやつだ。
 ただ普通のそれと違うのは、あくまっぽい耳と尻尾が伸びているところだろうか。他の女性とが着ているメイド服は普通のものと全く同じだが、凛のものだけ特別製なのだそうです。……なんだかんだと言ってきちんと着て、自分の役目をこなしているところなど誠に凛らしい。

 先ほどアーチャーに向けていた目つきの悪さを微塵も感じさせず、見事に猫を被りとおした営業用の笑顔で接客する凛。
 同じ女の目から見ても凛は美しい少女だ。
 故に今彼女が接客している男性のように、彼女の笑顔に魅了される者は多い。今、この店に来ている男性客の半分は、彼女が目当てであると言っても過言ではないと思う。

「真実を知らないというのは幸せなものですね」

 ふと、思ったことが口をついて出てしまった。
 顔を赤くして凛の後姿に見入っている彼が、例えば普段の寝起きの凛の姿を見たらどんな表情をするだろうか。
 ああ、でも真実を知らないというのは不幸なことでもあるかもしれませんね。
 凛の本当の笑顔は、あのような作り物とはまるで比べ物になりませんから。

「セイバー」

 と、ぼんやりと凛の仕事振りを見ていたらいつの間にか、いつもの制服姿に着替えたシロウが傍に立っていた。

「悪い、待たせたな。俺も今、休憩時間に入ったからさ、約束通り一緒に回ろうぜ」
「あ、はい! 申し訳ありません、シロウ」
「別に謝る様なことじゃないだろ。それに俺だってセイバーと回りたいって思ってたんだし」
「……はい」

 さらりと私だったら赤面してしまうようなことを言ってのけるシロウ。おかげで何も言っていない私のほうが赤面してうつむいてしまう。
 いつもながら自覚も無くこのようなことを言ってしまう彼は少々卑怯だと思うが、今更なので気にしても仕方のないことと我慢することにした。
 そんなことよりも、今日はせっかくの文化祭なのだし、可能な限り楽しむのが今私のすべきことでしょう。

「では、シロウ。参りましょうか。……エスコートのほう、よろしくお願いします」
「了解、お姫様。ああでも、その前に着替えてからにしような」

 苦笑を浮かべてそういうシロウに、今の自分の姿を見下ろしてみる。

「……不覚」

 まだ獅子のきぐるみのままでした。
 どうやら私も、周りの雰囲気に当てられて少し浮かれているようですね。



慣れってもんです (2004/11/1)

「おーいさくらー、あれどこやったっけー?」

 庭で並んで洗濯物を干していた私と桜の背中に、居間の方からシロウの声がかかった。
 シロウはどうやら探し物をしているようですが、あれとはいったい何のことでしょう。

「あれですか? あれだったら多分たんすの三番目の奥にあると思いますけどー」

 が、しかし桜はシロウの言うあれがなんなのか、わかっているらしい。至極あっさりとそう答えると、何事もなかったかのように洗濯物に戻る。
 しばらくすると「あったあった」というシロウの声が聞こえてきた。
 どうやら桜の言うあれとシロウの言うあれに違いはなかったようですが……。

「? どうしたんですか、セイバーさん?」
「い、いえ……なんでもありません」

 桜は首を少し傾げるて不思議そうな顔で私を見ていましたが……。
 その顔をしたいのはどちらかといえば私のほうです。


 胸に生まれた疑問を抱えたまま、その日も夜を迎えた。
 私も桜も既にお風呂をいただき、居間でのんびりとお茶を飲んでくつろいでいる。
 ……のですが。

「あの、桜?」
「はい? なんですか?」
「何故シロウの分のお茶を淹れているのでしょうか」

 しかもわざわざ冷蔵庫から冷たいお茶を持ってきて淹れている。
 シロウは現在入浴中です。今ここにはいないし、シロウのお湯呑みで桜がお茶を飲みたいから、などという理由も考えられない。彼女の前には湯気を立てている自分のお湯のみが置いてありますし。
 しかし桜が笑って、

「ああ、それはですね――」

 と、答えるが早いか、ふすまが開いてお風呂上りのシロウが戻ってきた。

「おかえりなさい、先輩。お茶入ってますよ」
「ん、さんきゅ」
「先輩、良かったら少し肩とか揉みましょうか?」
「あー、悪いな桜、頼む」
「はいっ、頼まれましたっ」

 桜は腕まくりしながら嬉しそうに笑って、シロウの背中に回って、細い指で彼の広い肩を揉み解し始める。
 シロウはお茶を飲みながら時折「あ〜」とか「う〜」とか言いながら目を細めていた。

「やっぱり、ちょっと凝っちゃってますよ先輩。首のところなんてこりこりです。少し頑張りすぎですよ」
「そうかー? そうかなぁ……」
「そうですよー」

 などと和みきった雰囲気で話す二人を見ながら、私の疑問は更に膨れ上がる。
 シロウも桜もごく当たり前のように振舞っていますが、何故――。

「桜、ちょっと良いですか」
「? いいですよ?」
「桜は何故そのようにわかるのでしょうか……その、シロウのことを」

 だが私の言っていることが良くわからなかったのか、桜は唇に指を当て、少し考えてから首を傾げる。
 確かに客観的に見ると私の言っていることは何がなんだかよくわからない。

「ええと、ですからもう少し具体的に言いますと……昼間のシロウの探し物のことですとか、今のことですとか……。あれ、と言う言葉だけで何故わかるのかとか、何故シロウがお風呂から上がってくるのがわかったのか、ということなのですが……」
「ああ、そういうことですか」

 シロウの肩を揉む手は止めないまま、納得いった、という表情で頷く桜。

「んー、でもですね、何故と言われても別に理由なんてないんですよね。先輩のことならなんとなくわかっちゃうっていうか……慣れでしょうか」
「ああ、そうかもな。俺も桜の言うことならなんとなくわかっちゃうし」
「は、はあ……慣れ、ですか」

 そのような曖昧なことで互いにあれだけのことをわかりあえてしまうものでしょうか。

「まあ、俺も桜もいい加減付き合い長いしさ。ずっと家族みたいにしてるだろ? だからだいたいのことは、な」
「そういうことですねー。前にも似たようなことがありましたから、先輩の行動パターンはだいたいわかっちゃいます」

 ……つまるところは、だ。
 シロウも桜も互いに何年もずっと一緒にいるから、その間に培われてきた経験でお互いのことはわかってしまうということなのだろうか。
 となると、なんだかひどく桜が羨ましい。そしてあろうことか、少しだけ妬ましくも感じる。

 シロウと桜の間にある年月という名の結びつきは、私とシロウの間にある結びつきよりもずっと太くて長いものだ。今の私では到底手にすることなどできない。何故ならこれは単純に一緒にすごす時間のみが育むものだから、一朝一夕で手に入るようなものではない。
 だから私が今感じているこの感情など、緒戦は無いもの強請りに過ぎないのでしょうが――。

「はい、終わりました。それじゃ先輩、今日はお疲れなんですから土蔵に行かないでちゃんと寝てくださいね」
「うっ……わ、わかってるよ」
「後で確認しに行きますから。もし約束破ってたら怒っちゃいますからね、わたし」
「……はい」

 いつかは桜のように、なんでもわかってあげられるようになりたいと思った。
 きっとそれは不可能なことではないでしょう。
 これから先、時間はいくらでもあるのですし――私は常にシロウと共にあると決めているのですから。



木登り (2004/10/30)

「あ、セイバーちゃーん」

 庭を掃き掃除していたら唐突に私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

「大河?」

 聞き間違えようのない、聞きなれた彼女の声。聞こえてきた方に振り返ったが、しかしそこに大河の姿はなかった。

「セイバーちゃん、こっちこっちー」
「大河、どこにいるのですか?」

 呼ぶ声に誘われて、庭にある一本の大きな木の根元に歩いていく。
 と、がさりと枝が大きく揺れて、頭上からはらはらと茶色く色づいた葉が舞い落ちてきた。

「大河……そんなところにいたのですか」
「えへへ。久しぶりに木登りしてみたのだ」

 太い幹から伸びる太い枝に腰掛けた彼女は、いつものように心底楽しげな笑顔を浮かべていた。
 確かに虎という獣はあの巨体で器用にも木に登って生活することがあるとは聞き及んでいましたが、まさかそれを目の当たりに知ることになるとは思ってもみなかった。……いや、今私の頭上にいるのは虎ではなく大河でしたね。

「で、大河。あなたは何故そのようなところにいるのですか?」
「ん〜? いやぁ別に。なんとなくなのだ」

 なんとなくですか。要するに意味などないということなのでしょうが、大河らしいといえば大河らしい理由だ。
 猫のように気まぐれなのが大河です。違うのは猫に比べて破壊力が大きいというところでしょうか。虎は猫科の動物ですし。

「まあ、木登りするのは構いませんが、くれぐれも落ちたりしないよう」
「わかってるわよぅ。セイバーちゃん、士郎と同じこと言うんだから」
「シロウと?」

 大河は視線を私から遠くの空に向けて、こくりと頷いた。

「士郎もね、私が木登りして遊んでると良くそう言ってたの。藤ねえはどじなんだから木になんて登るな、怪我するからって。失礼しちゃうよね」

 言いながら大河は頬を膨らませている。当時のことを思い出しているのかもしれないが、それでも怒ったような顔には見えない。幼子が拗ねている、というのが一番しっくりくる表情だ。
 以前、シロウと大河の昔話を聞いたときもこんな表情をしていた気がする。昔のシロウは大河にこんな表情ばかりさせていたのでしょうか。

「でもねー……」

 と、彼女の表情が不意に少しだけ気落ちしたものに変わる。

「一回だけ士郎の言う通りに降りられなくなっちゃったことがあったのよ」
「そうなのですか……その時は結局どうしたのです?」
「う゛ー……士郎に助けてもらった」

 そう言って大河は悔しげに唇を尖らせて、足をぶらつかせた。まったく、ほんとにころころと良く表情が変わる人だと思う。

「それでは自業自得です、大河。大方、その時にシロウにたくさん怒られたのでしょう?」
「……うん。怒られた」
「やはりそうでしたか。だからそれ以来木登りなどしていなかったのに、何故また登ろうなどという気になったのですか」
「だって悔しいじゃん。もうあれから何年も経って私も大人になったんだし、木登りくらいできるもん」

 ……まったく、この人は。大人といいつつも、言動がまるっきり子供のそれではないですか。
 漏れ出してくるため息を隠す気にもならず、思いっきり吐き出す。

「むっ、なによセイバーちゃんってば。その態度は私を見縊っているわね?」
「見縊るというかなんというか……呆れているだけです」

 大河のいる場所は地上からもかなり高い場所であり、見たところ幹には足を引っ掛ける場所も手をかける枝もない。どうやって登ったのか正直なところ不思議ではありますが――。

「……大河、どうやってそこから降りるつもりなのですか?」


 ――結局。

 大河は予想通りに一人では降りることもできず、シロウに救助を願い出ることとなりました。シロウの変わりに私が救助するという手段もありましたが、ここは大河の自業自得ですし。

 現在彼女は居間で数年ぶりにシロウに叱られている真っ最中です。
 さて、叱られた大河がしょんぼりした顔で居間から出てくるのか、それとも途中で我慢できなくなって暴れだすか――。
 どっちになることやら、です。



収穫 (2004/10/26)

 我が家の庭の片隅にはライダーの家庭菜園があります。迂闊に立ち入ると石像にされてしまう危険な菜園です。
 そのライダー菜園も秋を迎え、収穫の季節となりました。
 六月頃に苗を植えたさつまいもが見事に実りを見せたのです。ライダーも週の半分くらいは我が家に訪れて世話をしていましたから感慨も一入でしょう。
 畝から覗いて見えるさつまいもの頭を見てこっそりと表情を綻ばせているのを見ると、何故間桐の屋敷の庭でなくここに家庭菜園を作るのだろうか、などという些細な疑問などどうでも良くなってきます。

 さて、本日の収穫に辺り、せっかくだからとライダーから手伝いを頼まれました。私としては断る理由などなく、快く引き受けることにしたのです。

 ……しかし。

 そう、『しかし』です。いつも思うのですが、何故こう何かある度に『しかし』とか『だが』などといった展開になるのか不思議でしょうがない。何か世界の意思でも働いているのではないかと勘繰りたくなるほどに。
 ですが今回はいつもに比べればまだましなほうです。いえ、何もなかったと言っても過言ではないでしょう。

 単に赤茶けたジャージに牛乳ビン底のぐるぐるメガネをかけているライダーの格好に倣わされているだけですから。
 ちなみに髪型も、私はいつも通りですが、ライダーは長い髪をみつあみに結っています。
 無論、この格好に何事かの意味があるのかというと全くありません。

「いもの収穫は野暮ったい格好でするものです。そういうものなのです」

 とは、ライダーの言。いつも通り説得力など皆無ではありますが、そういうものだと思って諦めるしかないのです。
 どうもこの時代に来てからというもの、潔いというか、諦めの良い性格になりつつあります。


 何はともあれ――そんな作業着で収穫をすること小一時間。
 目の前には数ヶ月かけた実りが転がっています。

「……見事ですね」
「ええ、植物を育てるという経験は初めてでしたが、想像していた以上に育ってくれました。……こうして目の当たりにすると、やはり嬉しいものですね。自分の子供に対して抱く感情とはこういうものなのでしょうか。……私は子を生した経験がないからわかりませんが」

 普段はあまり感情の動きを表に出さないライダーも、今回ばかりは素直に口元に穏やかな微笑を浮かべている。ビン底ぐるぐるメガネの奥に隠されて目元までは窺うことは出来ませんが、きっと同じように緩めているはずです。
 彼女もまた、この時代で暮らすようになって変わった。
 誰と争うこともなく、家庭菜園に精を出せるような余裕のある平穏な暮らしの中で、間違いなく良い方向に変わっていると思う。
 もしくはこれが本来の彼女の在り様なのかもしれない。こんな風に穏やかで緩やかな暮らしを愛するような――。

「さて、それでは早速焼くことにしましょう。焼いもです。丸焼きいもです」
「……ライダー」

 やはり彼女は良くわからない。子供に対して云々言っていたかと思ったら……。掴み所が無い、というのが彼女に対する最も正しい評価ですね。
 それはそれとして焼いも、私も楽しみです。
 せっかくの秋の味覚なのですから美味しくいただかなくては罰が当たるというものです。

 庭掃除をしていたバーサーカーとイリヤスフィールが集めた落ち葉の山と一緒に焼きながら、四人で火を囲む。
 今日は少し涼しいですし、冷えた手と身体を温めるのにもちょうど良い。

「あったかーい。たきびっていうのよね、これ」
「はい、その通りです。落ち葉たきですね」
「ふむ。そろそろ良い匂いがしてきましたね。どうでしょうかバーサーカー、焼けているでしょうか」
「■■、■■■」
「なるほど、七分焼けですか。相変わらず何を言っているのかわかりませんが、パントマイム、上手になりましたね」

 などと他愛の無い会話を交わしながら、のんびりといもが焼けるのを待つ。そろそろシロウたちも帰ってくる頃ですし、焼けたらお裾分けしましょう。
 高い空を上っていく落ち葉たきの煙といもの焼ける香ばしい匂い。この国、この時代で迎えるのは初めてのことですが……なんとも、秋ですね。



文化の秋・予兆編 (2004/10/25)

「文化祭、ですか」
「ああ。毎年この時期になるとどの学校でもやってるんだよ」

 夕食後、お皿洗いを手伝いながらシロウから文化祭のことを聞きました。
 ここのところシロウの帰りが少し遅いので気になっていたのですが――

「では、シロウはその準備を手伝っているのですね?」
「うん。まあ、俺に限ったことじゃなくて、学校全体の行事だから毎年この時期は忙しくなるんだけどな」

   ――うちの文化祭は特にテンションが高いし、とお皿の泡を洗い流しながらシロウは苦笑する。

 そういうことなら仕方ないでしょう。シロウの性格的に率先的に手伝い、誰よりも精力的に働くであろうことはわかっていますから。それにシロウは殿方なのですし、イリヤスフィールとは違って子供ではないのですからそんなに心配することもないでしょう。
 しかし、

「それならば結構ですが、あまり無理だけはしないよう。それでなくてもシロウは己を省みずに無理をしすぎるきらいがありますから」
「そ、そうかな」
「そうです」

 首を捻りながら聞いてくるシロウに私はきっぱりと頷いて差し上げた。
 朝起きて朝食の仕度をして、四人分のお弁当を作って学校に行き、帰ってきたら私との鍛錬に励み、夕食の仕度をして凛との魔術鍛錬に臨む。その上で時には土蔵に篭って一人で鍛錬していることもあるのだから尋常ではない。そこに更に文化祭の準備まで入るのだから、身体のことを心配されたとしても全く無理はない。
 だというのに当にシロウが一番そのことを自覚していないというのだから、困る。

「……そうかなぁ」
「そうです」
「そうかなぁ」
「そうです」
「そうかなぁ」
「そうです」
「そうかなぁ」
「……って、あんたらいつまでやってんのよ」

 お皿を洗いながら問答を繰り返していた私たちの間に凛が割って入ってきた。

「遠坂。風呂上がったのか?」
「ん。いいお湯でしたわ」

 凛は機嫌よさげに笑顔を振りまき、冷蔵庫から牛乳を出してコップに注いだ。

「ん、く……ふぅ、やっぱりお風呂上りには牛乳よね」
「んなこと言って、おまえは朝も牛乳じゃないか。遠坂が来てから、うちの牛乳消費量は確実に増えてるんだぞ」
「なによいいじゃない、牛乳。身体にいいんだし」

 そう言って凛は一杯目を飲み干して、もう一杯、コップの半分まで牛乳を注ぎながら唇を尖らせた。
 確かに凛の言う通り牛乳は非常に身体によい飲み物です。……が、彼女が乳製品を大量に摂取する理由はなにも身体によいという理由だけに限ったことではないと思うのですが……ここで言うことではないので黙っておくことにする。またややこしくなりますし。

「で、文化祭の話?」
「はい。これからシロウの帰りがしばらく遅くなるとか。凛もそうなのですか?」
「まあね。士郎だけ働かせておいてわたし一人のんびりっていうわけにもいかないから。……っと、そういえば士郎、セイバーにあの話した?」
「私に? 何かあるのですかシロウ」

 あの話、というのがどの話かは知りませんが、今のところそれらしい話をシロウからは聞いていないと思う。
 案の定、シロウは凛の問いかけに苦笑いを浮かべて首を横に振って否定した。

「ったく、しょうがないわね。こっちはちゃんと葛木先生に話し通したってのに……ま、いいわ」

 凛は呆れた風に士郎にそう言って、

「あのね、セイバー。実は文化祭であなたにちょっと手伝ってもらいたいことがあるのよ」
「手伝ってもらいたいこと……なんでしょうか」
「うん……それがちょっと言いにくいんだけど、当日までは秘密なのよ。自分でも虫の良いこと言ってるとは思うけど……頼まれてくれないかしら」
「……ふむ」

 手を合わせてくるシロウと凛。
 正直なところ、手伝うと言っても内容がわからないのは不可解といえば不可解ですし、不安もないと言えば嘘になる。
 とはいえ二人とも真剣な様子ですし、いくら秘密とはいえそう無茶なことは頼まれないでしょう。もしそうだとしたら必ずやシロウが反対してくれるはず。

 ならば――。

「了解しました、凛。私でよければできる限りの力をお貸ししましょう」
「ホント!? あー、よかった。ありがとセイバー、助かるわ」
「いえ。私としてもあなたたちの役に立てるのでしたら吝かではありませんし。元より私はマスターのためにこの時代に呼び出されたのですから」
「ん。きっとそう言ってくれると思ってた。やったわね、士郎」

 本当に嬉しそうに笑って、凛はシロウと手を打ち合わせて高い音を鳴らした。
 ふむ……いったい何をするのかはわかりませんが、こうまで喜んでいただけるのであれば、私としても承知した甲斐があったというものです。こうなった以上、例え何であっても全力で己の役目を全うさせていただくとしましょう。

「ところで凛」
「なぁに?」
「先ほど宗一郎にも同じように頼みごとをしたと仰っていましたが……彼にはいったい何を頼んだのですか?」
「ああ、そのこと。正確に言えば葛木先生じゃなくて、奥さんのほうなんだけどね」
「……メディアに?」

 はて、彼女に頼みごととはいったい?
 彼女は確かに宗一郎の妻であるから学校関係者といえばそうなりますが……私のように直接は関わってはいないというのに。

「ふふっ……気になるとは思うけど、それも当日まで秘密。きっと驚くと思うから楽しみにしててくれて良いわよ」
「はあ……」

 釈然としない気持ちは残したまま、それでも私は曖昧に頷いた。学校の行事ですし、無理な頼みではないと思いますし。
 文化祭の日は十一月三日……ですか。
 カレンダーで言うところの文化の日。なるほど、ですから文化祭ということなのですね。
 いったいこの身に任された役目がなんなのかはわかりませんが、せっかくのことですし、私も楽しませてもらおうと思う。

 ……思うのですが。
 一抹の不安がいつまでも胸中から拭えないのはいったい何故なのでしょうか? 不思議なことです。



やりすぎ (2004/10/20)

 にらみ合って数秒、またも動いたのは私でした。
 力強く踏み込み床板に悲鳴を上げさせ、打ち下ろす竹刀の切っ先。しかしそれは目標を打ち据えることなく、また道場に乾いた音も響かず、変わりに聞こえてきたのはやはり竹刀が風を切って走る音だった。

「ッ!」

 狙い過たず首筋に向かってきた剣先を仰け反ってかわし、飛び退いて距離をとる。
 と、同時にもう一度間髪入れずに相手の懐に飛び込んだ。

「ぬっ」

 小さく声をあげ、今度は互いの竹刀が噛み合って小さく音を鳴らす。
 鍔迫り合いとなれば分があるのはこちらだ。目と技においては敵わぬまでも、単純な身体能力においては私のほうが数段勝る。噛み合った私の竹刀が軋んだ悲鳴をあげながら徐々に相手の竹刀を押し込んでいく。
 このまま押し切ってしまえば私の勝ちだ――だが、無論そんなに甘い相手であるはずがない。
 なにせ生粋の剣士なのだ。あるいはセイバーのサーヴァントである私よりもなお、その名を冠するに相応しい者。

 アサシンのサーヴァント……この日本においてはサムライと称される男は、滑らせるようにして押し込んでいた私の竹刀を外し、避けにくい胴を狙って剣を一閃させてきた。
 だがその攻撃はまだ私の予想の範疇にあるものだった。前につんのめる身体をそのまま泳がせるようにして転がり、足元に薙ぎを打つ。無論、それだけで終わるはずもないから、片足を上げるだけで避けられたところに肩口からの当身を当てて吹き飛ばした。

「……クッ、相も変わらず手強くて嬉しいぞ、セイバー」
「ああ、それは同感です。ただ私は別に貴公が強くとも嬉しいとは感じませんが」
「まあ、そうだろうな。同じ剣士であっても私と貴様では在り様が違う故当然であろう」

 そう言ってアサシンこと佐々木小次郎は口元に歪んだ笑みを浮かべ、構えていた竹刀をゆっくりと左の脇に下ろした。

「さて、セイバー。私としてはこのまま貴様と討ち合うのも一興だとは思うのだが……どうするかね」
「……ふむ。そうですね」

 竹刀を構えたまま道場の片隅にちらりと視線をやると――そこには目を丸く開いてこちらを見ているシロウがいる。
 元々私とアサシンが剣を交えていたのも、シロウに達人同士の戦いというものを再度目の当たりにしてもらおうと思ったからです。いわゆる見取り稽古というものですね。これがシロウのためにどれほどの効果があるかはわかりませんが、見ておくのも損はないと思ったのです。

「シロウ、いかがでしたか」
「え、あ、ああ……うん。すごいな」
「ふ。すごい、か。わかりやすい感想ではある……が、興は無いな」

 どこか嘲るようなアサシンの口調に少し不快感を感じたが、確かに彼の言うことも間違いではない。

「シロウ……ただすごいではなく、私とアサシンの打ち合いから何か見取ったものはないのですか? この見取り稽古はそのためのものなのですから」
「とは言ってもなぁ……」

 シロウは要領を得ない表情で首を傾げ、

「見取ったものはないかって言われても、殆どわからなかったってのが正直なところだぞ。だってさ、考えてもみろよ。おまえら二人が本気でやりあって、ただの魔術師でしかない俺にまともに何やってるかなんてわかるわけないじゃないか」

 そう言ってシロウは自分の言葉に納得したかのようにうんうんと頷いていた。

 ……まあ確かに少し無理があったことは否めません。
 シロウは魔術師とはいえ、その身体能力はあくまで普通の人間とあまり変わりがない。視力は並外れて良いのですが、だからと言って動体視力まで同じというわけではない。そんな彼にまさに桁違いの身体能力を誇る我々サーヴァントの動きを捉えよと言われても、無理な話だったかもしれない。

「はあ……仕方ありませんね」
「悪いなセイバー、それからアサシンも。せっかく俺のためを思ってしてくれたのに」
「いえ、元々そんなに期待してはいませんでしたから、気にしないでください」

 すまなさそうに頭を下げるシロウに苦笑を浮かべて返す。これはシロウのせいではないのだから謝るようなことでもない。
 それに、アサシンにここに来ていただいたのは何も見取り稽古のためだけではないのですから。

「セイバーよ、それでは次に移ってよいのか?」
「はい。上手くいこうがいかなかろうが、どちらにしろそのつもりでしたから」
「ん? 次ってなんだ?」

 再び竹刀を構えるアサシンに首を捻るシロウ。
 そんなこと決まっているのに、何を言っているのでしょうか。

「当然、見て取って駄目だったのですから、残る手段は一つしかないではないですか」
「……おい」
「見るのではなく――身体で覚えていただきます。シロウ、覚悟を」
「って、やっぱりっ!? うわおまっ、笑いながら鎧っ!? 久しぶりにフルアーマーですかーーーっ!?」



「――だいたいあんたたちゃ、最近自分たちがサーヴァントなんだって自覚なくしかけてるんじゃないの!?」
「いや、しかし凛、これは稽古なのですし……」
「……私はセイバーに請われただけなのだが」
「シャラップ! 反省の色が見えない! この考えなし一号二号!」

 ぺんぺんと手に持ったスリッパで凛に頭を叩かれる私とアサシン。あまり痛くはないのですが屈辱です。

 現在私たちは道場の真ん中で凛に叱られている真っ最中です。理由は……その、稽古でやりすぎです。かれこれもう正座のままで二時間、ずっと叱られっぱなしです。
 そしてシロウはといえば、現在道場の片隅で桜のお腹に頭を埋めながら震えています。
 時折『ら、ライオンが! 食われる!?』と声をあげているところからして、どうやら肉食の獣に怯えているようですが……いったい何故?
 それにしても桜の妙に嬉しそうな顔が少し気にかかるのですが……シロウも殿方のくせに少し甘えすぎです。

「って、聞いてるのセイバー! ごはん抜きにするわよ!」
「は、はいっ! 申し訳ありません、聞いてます!」
「……娘よ。そろそろ私は帰らせていただきたいのだが」
「却下、ちゃんとあんたのマスターには許可取ってるから、こってり絞ってやるわ。覚悟してもらうわよ」
「く……おのれメディアめ。私を売ったか」

 容赦ない凛の言葉に項垂れるアサシン。その隣で同じようにして項垂れる私。

 ……思うのですが。
 確かに私たちはサーヴァントで、人よりも優れた力を持ってはいます。
 しかしなんだかんだと言って、最強はやはり人間なのではないかと――。

 二時間に渡り、これからまだまだ続くお説教と、やけに楽しそうな凛の表情を見ていると、そんなことを思ったりするのです。
 きっと間違いではないと思うのですが。



逃げても逃げても (2004/10/18)

「頼む! メシ食わせてくれ!」

 夕食時、そういって我が家に飛び込んできたのはランサーでした。
 なにやら追い詰められた様子で表情にも余裕がなく、必死の思いがそこにありありと表れている。
 しかし――そんな表情で頼んでくることが食事をさせてほしいとは、いったい何事だというのでしょうか。

「なんだよ。そりゃ別にメシ食わせるくらい構わないけど――」
「ちゃんと食費払ったらね」
「――か、構わないけど、なにがあったんだ?」

 いつも通りの人の好さを発揮してランサーの頼みを快諾しようとするシロウの横から口を挟んだのは凛。彼女らしいといえば彼女らしいのですが、凛が我が家の家計のことを気にするのは自分の食事事情にも直結するからでしょうか。
 ともあれ、ランサーは凛の言葉にもシロウの言葉にも首を縦に振り、その事情を語り始めた。

「……実は、ここのところのウチの晩メシが毎日激辛い麻婆豆腐でな」
「麻婆豆腐……ですか?」

 その単語にピンと閃くものがあり、凛と顔を見合わせる。

「……そういえば、綺礼はあの店の常連だったわね」
「……あの店か」
「……あの店ですか」

 ならばランサーの必死も無理はない。

 ――紅州宴歳館 泰山

 私たちもかつて味わった、というか味わわされた激辛の妙。一度味わったら忘れることはできず、そして二度と味わいたくなくなる激辛。
 料理自体は決して雑ではなく、むしろ精緻と言っていいでしょう。辛味の中にもしっかりと旨みが息づき、美味しいとさえ感じるのですから。
 だがしかし、いかんせん辛いのです。常人には耐え切れないその辛さは、せっかくの料理を殺してしまっている。

 逆に言えば、その辛さに耐え切れる非常人にとってはこれ以上ないほどのご馳走でしょう。むしろあの辛さが癖になってしまう可能性すらありうる。
 そんな稀なケースがあの言峰綺礼というわけであり――ランサーは耐え切れなかった一人というわけですか。

「まあ……そういう理由だったらしょうがない。食ってけ。今回ばかりは全面的におまえに同情する」
「同情なんてされたくねえがよ、今回ばかりは素直に甘えさせてもらうぜ」

 シロウもランサーも、そして凛も私も妙に疲れた表情で顔を見合わせてため息をつく。
 ここにいる全員、あの麻婆豆腐の無理がないといえば無理がありませんが。

「ところでランサー、あなたがここにいるということはギルガメッシュはどうしたのですか?」

 と、ふと思いついたことが口をついて出た。
 あの教会の住人は言峰とランサー、そしてもう一人はギルガメッシュ。ランサーがあの麻婆豆腐の犠牲になったというのであれば、彼もまた等しく犠牲になっていたはずですが……。
 見ればランサーは私の問いに僅かに身を強張らせ、あらぬ方向を向いていた。

 ――なるほど。だいたい読めました。

 こういう態度を取った時、相手には必ず後ろ暗いところがある。決して長くはないが短くもない現代の生活の中で学んだことです。特にシロウから。

「ランサー……見捨てましたね」
「グ……」
「同じ苦しみを味わったギルガメッシュをその場に生贄の羊として残し、己自身のみ逃れましたか」
「……ああ」

 表情に苦いものを染み出しながら、ランサーはゆっくりと頷いて肯定した。人一倍英雄としての矜持が強い彼です。我々の中でももっとも生存能力に長けた彼ですが、そのような卑怯とも言える手段で生き残ったことに対して自己嫌悪を抱いても無理はないでしょう。
 だがしかし、シロウはその肩にぽんと手を置き、励ますように語りかけた。

「気にするな。今回ばかりはしょうがないって。俺だってきっと同じことする。……ギルガメッシュだし」
「あ……ああ! そうだよなボウズ! 今回ばっかりはしょうがないよな! ……ギルガメッシュだし」
「ふむ。貴公の取った行動は必ずしも誉められたものではありませんが、シロウの言う通り仕方がないでしょう。……ギルガメッシュですし」

 それにかの英雄王ならば問題ないでしょう。かつて聖杯戦争においてあの聖杯に満たされていた泥を飲み込んでなお、この三倍は持って来いと豪語していた彼です。ならば通常の三倍の麻婆を飲み込んでも問題はないはずです。

 こうして私たち三人が同じ思いの下、密かに結束を固めていると玄関のほうから呼び鈴の音が聞こえてきた。

「む。客人のようですね……誰でしょうか?」
「イリヤか藤ねえか? でも今日はこないって言ってたし……」

 となると、麻婆豆腐から逃れてきたギルガメッシュでしょうか。要領の悪い彼があの悪知恵の権化のような言峰綺礼から簡単に逃れられるとは思えないのですが、万が一ということもある。
 ……もしそうだとしたらどうするべきでしょうか。

「……遠坂」
「わかってるわ。あいつだったら丁重に追い返してわたしたちに累が及ばないようにすればいいのよね」

 意味ありげに視線を向けてきたシロウに真剣な面持ちで頷いた凛は足音も立てず、あくまで優雅に玄関に向かっていった。
 本気ですね、凛。今回ばかりは無理もありませんが。

「さて。遠坂が相手してくれてる間に俺たちはメシの支度を続けるか。もう少しで終わるからランサーとセイバーはそこでテレビでも見ててくれ」
「ああ、すまんなボウズ」

 気を取り直して腕まくりをしなおすシロウに、ランサーも吹っ切れた良い笑顔をもって返す。
 奇妙な事情で珍しい客人を食卓に迎えることとなりましたが、たまにはこんなのも良いでしょう。食卓が賑やかなのは悪いことではありませんし。

 自然、私も口元に微笑を浮かべながら畳に腰を降ろそうとすると、玄関から凛が戻ってきた――

「おかえりなさい、凛。……凛?」

 ――顔を青ざめさせ、その手になにやら不吉なモノを持って。

「ランサー」
「お、おう……なんだ嬢ちゃん?」
「これ――あんた宛に店屋物よ」
「……なに?」

 そう言って凛がテーブルの真ん中に置いたモノは……紛れもなくアレだった。
 この世全ての赤をぶちまけたような限りない赤。見ているだけで痛くなってきそうな刺激的な紅の色をしたそれはいつか見た、泰山の麻婆豆腐だった。
 むろん、対照的にランサーは額から止め処なく冷たい汗を流している。

「それからこれ……あんたに言伝だって」

 凛の手から震える手つきでメモを受け取ったランサーが、かさかさと耳障りな音を立てて紙を開く。
 そこに書かれていた言伝とは――。


『食え』


「食うかーーーッ!」

 と、力の限りランサーは叫んだものですが、無論それが通用するはずもなく。
 結果的にランサーは我が家において、辛味に耐えながら麻婆豆腐を食すこととなったのでした。

 ええ、巻き添えになるのはごめんですから。



秋といえば (2004/10/15)

 読書の秋、という言葉があるそうです。
 だからではありませんが、本を読んでいます。今から少し昔に書かれた物語で『国盗り物語』という小説です。
 まだこの日本の国が戦乱の巷にあった頃の物語です。
 この天下統一という野望を抱いた者たちの繁栄と衰勢を描いた物語に、私は時間も忘れて没頭していた。実在の歴史上の人物――特に、日本においては英雄と称される人物たちの一生は、多少誇張されることはあるでしょうが、こうして物語として読んでも非常に面白く興味深い。

 ……となると私の物語なども、この時代の人々に同じようなして読まれているのでしょうか。
 そう考えると少し面映いですね。

 しかし、面白いのは良いのですが、さすがに少々目も疲れてきました。二時間ばかりずっと本に没頭していたのですから無理もないですが。
 壁にかかった時計を見ると、時刻は既に十二時を少し回っていた。
 なるほど、道理でお腹も空くわけです。気づかないうちにお昼になっているとは。

 私が家に一人になる日は、シロウがいつもお昼ご飯を用意しておいてくれている。たいていは前日の多めに作った朝食の残りだったり、あまり時間をかけずに作れる簡単なものだったりするのだが、シロウの手による食事が美味しくないはずがない。


 読みかけの本のページにしおりを挟んで閉じて、台所に向かう。
 食事は一日の活力の源であると同時に、美味しい食事は楽しみでもある。凛などは人のことを食いしん坊万歳などといってからかいますが、美味しいものを美味しいといってなにが悪いものか。

 というわけで、今日も美味しくご飯をいただくのです――って、シロウ、ごはんはどこですか?

 台所のいつもごはんが置いてある場所には、何も載せられていない洗い晒しの白いお皿が一枚あるだけ。
 あるべきものはそこになく、ただ虚しさのみがそこにある。

「まさか兵糧攻めでくるとは……シロウ、あなたからこのような仕打ちを受けるとは思っても見ませんでした」

 糧食、水を断ち相手を戦闘不能に陥れる干殺しは、確かに有効な策ではありますがあまりにむごい。
 何故、シロウが。私はそんなに彼に恨みをかうようなことをしただろうか。昨日の鍛錬で少々やりすぎて、足腰が立たないようにしてしまったのを根に持っているのでしょうか。

「……いえ、落ち着きましょう。単に忘れただけですね、今朝は遅刻しそうだと慌てていましたし」

 あまりのことに混乱していた自分を落ち着かせ、状況を改めて判断する。
 シロウは昨夜、また土蔵で日課の魔術の鍛錬をしていたのですが――今朝はいつも起こしに来る桜が部活の用事で来れなかったのでした。
 そのことを私もシロウもすっかり失念していたためにシロウはうっかり寝坊し、その結果として、今のこの状況がある。

 ……だがしかし、状況を把握したとしてもごはんがないのは変わらない。お腹だって膨れないのです。
 などと考えていたらますますお腹が空いてきたような気がする。

「くっ……こんな時ばかりは自分が恨めしい……。もちろんシロウも恨めしいですが」

 そういえば読書の秋だけでなく、食欲の秋という言葉もありましたね。秋は実りの季節故に、食欲が増す、という意味だったはずですが……。

「なんでもいいです。とにかく私はお腹が空きました、シロウ……」


「ただいまー、ってセイバー、なにごろごろしてるんだ?」
「……シロウですか」

 夕方、帰ってきたシロウが何事もなかったかのような表情でそんなことを聞いてくるシロウに、首だけを動かして答える。

「お、おい、どうしたんだよ。なんか妙に衰弱してないか? ……まさか、魔力供給が上手くいってないとかじゃないだろうな!?」
「……いえ。そういうわけではありませんから安心してください。ただ――」

 じっ、と視線に精一杯の力を込めてシロウを睨む。

「――お昼ごはんがなかっただけですから」
「……なんですと?」

 その視線を受けたシロウがかきり、固まったところで私は少し息を吸う。

「ですからお腹が空いた私は、これ以上消耗しないようにこうして横になり、ずっと耐えていたのです。ええ、別にシロウに忘れられていたからといって拗ねているわけでも怒っているわけでもありません。必要に迫られてのことですから仕方ないのです。ところでシロウ、今夜の鍛錬はいつもより少し厳しくしようと思っているのですがいかがでしょうか。気を引き締めなおすという意味でも十分に身のある鍛錬になると思うのですがそれにしてもお腹が空きましたね。シロウの今日のお昼ごはんはなんだったのでしょうか。ちなみに今日の私のお昼ごはんは断食ですが――」


 結果として。
 今日の晩ごはんのおかずはいつもよりも豪華になったのでした。





※注意事項

 らいおんの小ネタ劇場は完全ご都合主義な世界観でお送りしております。
 何事もなかったようにサーヴァントとかいたりしますが、その辺あまりこだわらない方のみご照覧ください。

 なお、当コーナーは不定期更新です。

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