らいおんの小ネタ劇場

第101回目から第110回目まで




酒よ (2004/8/31)

「「乾杯」」

 ちん、と小気味よい澄んだ音を響かせて、互いに持ったグラスを打ち合わせる。なみなみと満たされた杯の中身を零さないように口元に運び、まずは下で転がすようにひと口含み、次いでくっ、と四分の一ほどを干す。

「ふぅ……美味しいですね」
「なんだ、なかなかイケる口なんじゃないか、セイバーも」
「ええ。お酒は嫌いではありませんから。シロウの作ってくれたおつまみも美味しいですし」

 自身、杯を運びながらのシロウに応えるようにもうひと口いただいて、お皿に盛られたきんぴらごぼうを箸で摘んで一緒にいただく。
 少し辛めに味付けられたごぼうは、日本酒に良くあっていてやはり美味しかった。


 今日は珍しく凛も桜も大河もイリヤスフィールもおらず、久しぶりにこの家に私とシロウだけの二人きりだ。
 いつもは他に誰かしらいるからあまり気にならないのだが、この家は二人だけだと思った以上に広い。それに私もシロウもあまりに久しぶりなせいか、何故だかわけもなく緊張してしまって、いつもよりも余計に口数も少なくなる。普段、騒がしいほどに賑やかな食卓は、今日に限って言えばまるで火が消えてしまったように静かだった。

 しかしかといって気まずい沈黙だったというわけでもない。
 お互い苦笑しながら顔を見合わせて、この家はこんなに広かったのか、とか、普段騒がしいのは七割大河で残りその他ですね、とか、そんな他愛のないことをぽつぽつと話しながら、久しぶりの静かな食卓をそれなりに楽しんでいた。


 で、今私たちが何をしているのかというと、見たら一目でわかるようにお酒を飲んでいるのです。晩酌、というやつですね。
 いつもよりも少し早めのお湯をいただいて居間に戻ってくると、シロウがおつまみとお酒を用意して待っていました。なんでも商店街の酒屋で特別に取り寄せた美味しいお酒を分けていただいたのを、せっかくだからと出してきたのだそうです。
 確かに秘蔵の、というだけあってこのお酒は口当たりもよくて飲みやすいですし、あまり詳しくない私でも素直に美味しいと思える。

「……あ、シロウ。どうぞ」
「む。こりゃすまない」

 シロウの杯が空になっているのに気づいて、次の一杯をコップに注ぐ。シロウは注がれたお酒を半分くらいまで一気に空けて、大きく熱い息を吐いた。
 ……大丈夫でしょうか。シロウはあまりお酒には強くないのに、このような調子で飲んでいたら、アルコールの回りも速いのではないだろうか。既に顔色も少しずつ変わってきていますし……いちおう釘は刺しておいたほうがいいでしょう。

「シロウ、お酒が美味しいのはいいことですが、あまり無茶な飲み方はしないように。無理しない程度にほどほどに飲むのが楽しみ方です」
「あー、そりゃわかってるんだけどさ」

 照れたように笑いながら、今度は舐めるように口をつけて、おつまみのきんぴらを放り込む。

「ほら、やっぱり美人さんにお酌してもらったお酒はいつもより美味いっていうかなんていうか……」
「……な、何を言っているのですか」

 いきなりとんでもないことを言ってきたシロウから顔を背けて両手で持った杯を一気に干す。
 おかげで酒精が一気に回ってしまって顔が妙に熱い。この分ではもしかしたら顔色も変わってしまっているかもしれないが、これだけのお酒を一気に飲んでしまったのだから仕方がないことだろう。突然変なことを言ったシロウが悪いのです。

「自分で無茶な飲み方するなって言っておきながら、人のこと言えないじゃないか」
「知りません。だいたい、冗談であってもあのようなことを言うのがいけない。……もしやいつでも誰にでもあのようなことを言っているのですか?」
「はは、ランサーじゃあるまいし。俺はそんなに器用じゃないって」
「……なら、いいのですが」

 差し出したコップにお酒を注いでもらい、また一口飲む。それで酒精が完全に回ったのか急に頭がぼんやりしてきて、目の前にいるシロウの顔も僅かに泳いで揺らぎだす。お風呂から上がったばかりでまだ温かい身体が更に熱くなり、まるで浮いているかのような感覚に襲われた。
 それはシロウも同じなのか、少しずつ杯の中身を減らしながらも頭がふらふらと揺れ始めている。――といっても、本当に揺れているのか私の目にそう見えるだけなのか、いまいちわかり辛いのですが。

「……あのさ、セイバー」

 と、シロウが頭を揺らし、コップに口をつけながら私を呼んだ。
 顔を上げて目を合わせると、シロウはコップの中身を半分ほど減らし、一度休んで、それから残りを一気に飲み干す。

 ……まったく、言ったそばからこの人は。

「ですから、そのような無茶な飲み方は――」
「俺は冗談なんて言ったつもりはないぞ」
「――は」
「……本当にそう思わなけりゃ……あんなこと言えるもんか」

 コップを口元に運ぼうとしていた手が止まる。

「…………」

 シロウの顔色は相変わらず酒精によって赤いまま。口調もどこかぼんやりしているし、身体もふらふらと揺れている。
 これは明かに――だから。

「……シロウ、酔っていますね」
「ああ、酔ってる」

 しかし目だけはじっとこちらを見たまま、シロウは小さく頷いた。
 ならば無理はないと思う。前にもお酒に酔ったシロウを見たことがありますが、その時もまるで別人になったかのようになっていましたし。
 だから、今回もその時ときっと同じなのだろう。酔っているから――

 シロウが肩に手を伸ばして触れてくるのも、シロウの手が頬に触れてくるのも。

 ――きっと彼が酔っているせいなのだろうと思う。
 私が擦り寄るように身を寄せてしまうのも、きっと酔っているせいだ。

「…………」

 頬に触れている右手が、耳を掠めてまだ少し湿っている髪に触れてくる。指が触れてなぞったところが強く熱を持って熱い。
 というよりも、徐々に近づいてくる体温が私の身体に移ってきて、既に全身にその熱が回ってきている。もしかしたら今の私は、酒精にではなく熱に酔っているのかもしれないと、そんなことすら思ってしまうほどに。
 耐え切れなくなって、中にこもった熱を小さな吐息と一緒に逃がす。もしかしたら同時に声も漏れてしまったかもしれない。
 今の自分がどんな顔をしているか――想像しかけてやめた。そんなことをしたらきっと自分は我に返ってしまう。

 肩に触れているシロウの手に力がこもって、少しだけ痛みを感じる。だがそれすらも今の熱に浮かされた身体には甘痒くて、むしろ心地よく感じられる。
 やがて手のひらは肩から二の腕にゆっくりと滑り、そこから撫ぜるようにして徐々に背中へと動いていく。私は思わず漏れそうになる吐息を懸命に抑えていたが、肩甲骨のふちを指でなぞられた時には無意識に身体が震えてしまっていた。

「シ……ロウ……」

 何故か体温と一緒に、瞳に移るシロウの姿も徐々に近づいてきている。覆いかぶさるように次第に大きくなってくる彼の顔の一点に意識が集中する。
 何故か怖くなるくらいに真剣な彼の瞳の中には私の姿が映っている。客観的に見た自分の顔は、自分自身では表現し難いほどに崩れていた、が、その程度では全身に回って意識まで冒しているこの酔いを醒ますことはできなかった。
 だから私は、何故か近づいていくるシロウに合わせて瞳を伏せようとして――


「しーろーうーっ! お姉ちゃんお腹がすいたからなんかごはん作れーーーっ!」


 ――次の瞬間、いきなり部屋に飛び込んできた大河の声に、自分自身手放しで賞賛してやりたいほどの俊敏さを以ってその場から飛びのいていた。

「む? どしたのセイバーちゃん、テーブルの上で正座なんて、お姉ちゃんちょっとお行儀悪いとか思ったりするのだがどうか?」
「い、いえこれはその……そ、それより大河、い、いきなりどうしたのですか。今日はてっきりもう来ないものかと……」
「んー、今日はちょっと職員会議が長引いちゃってこんな時間までかかちゃったのよ。まったくごはんもダメ、おやつもダメでぶっ続けで五時間もやめられない止まらないっていうのははっきり言ってごーもんなのだ」
「そ、そうですか……」

 なるほど、今日はこないのではなくまだ帰れなかったというだけだったのですね。確かになんの連絡はありませんでしたが、こんな時間になっても帰ってこないなら勘違いしても仕方ないと思うのです。

「とにかく、私はお腹がすいたので早急に晩ご飯の用意を要求するものである。……で、士郎は?」
「……あ」

 きょろきょろとシロウを探す大河に言われて思い出し、さっきまで彼がいたところに振り向くと――

「!? シ、シロウ!?」

 ――飛びのく際に思いっきり私に突き飛ばされ、床に後頭部を強かに打って昏倒しているシロウの姿があった。


 その後、欲求不満で暴れる虎を宥めるために桜を呼び出し食事を作ってもらい、結局いつも通りの光景が夜遅い我が家に戻ってきたのですが……
 きっとあの時の私はお酒に酔ってどうかしていたのでしょう。……そしてシロウも。

 だからあのような真似をしてしまったのだと――そう思っても、しばらくの間は顔をあわせるたびに互いに思い出してしまって顔が赤くなる始末。
 おかげで桜やイリヤスフィールに疑いの目を向けられて大変でした。

 教訓――お酒を飲むときは節度を持ってほどほどに。



断髪 (2004/8/30)

「セイバー、だいぶ髪が伸びたなぁ」
「む、そうでしょうか?」

 シロウに言われて自分の前髪をひと房取って引っ張ってみる。ぴんと伸びた髪の先端は、鼻先を越えて唇の下まで届いていた。
 なるほど、気づきませんでしたが確かに髪が伸びているようですね。ここのところ目に入ってちくちくしていたのもそのせいでしょうか。少々うっとおしいと思ってはいたのですが、まさか髪の毛が伸びているせいだとは思わなかった。何故なら私は――

「サーヴァントの癖に髪の毛が伸びるなんてね、あんたほんとにサーヴァント?」
「……凛。あなたの言いたいことはわかりますが、もう少し言いようがあると思うのですが」
「そうだぞ遠坂。いいじゃないか、セイバーの髪の毛が伸びて、なにが悪いって言うんだよ」
「あんたね、何度も言うけどセイバーは普通の人間じゃなくって……ま、いいけどさ。今更シロウになに言ったって無駄なのはわかってるし」

 呆れ混じりのため息と一緒に吐き出した凛の言葉は、しかし苦笑の響きも多分に含まれていた。口ではシロウのことを盛んにからかったり貶している凛だが、もしシロウが今のシロウの通りでなかったならば彼女はきっと不機嫌になって本気で怒るのだろう。
 遠坂凛は猫を何枚も被っている人なのだ。

「……なに人の顔見て笑ってるのよ」
「いえ、別に」

 目を細めて睨んでくる凛に微笑みで返して視線をやり過ごす。いつもは立場が逆なのですが、たまにはいいでしょう。

「ったく、もう……こっちに残ってヘンなことばっかり覚えてるんじゃないの、セイバー」
「そうかもしれませんね。……誰のおかげとは言いませんが」
「ほんっとに憎まれ口は立派になったわね。……まあいいけど、それでどうするのよ。髪伸びたんだったら切りにでも行ったほうがいいんじゃない?」
「む……そうですね」

 確かにこのまま伸びたまま放っておくのもあまり良いことではないですし、凛の言う通りに切ったほうが良いでしょう。いざという時に髪に視界を遮られては危険ですし、ここのところ髪が目に入って不快な気分になるのもしばしばでしたし。
 と、なるとやはり商店街にある床屋か、凛がいつも利用しているという美容院というところに行くのがいいのでしょうか。正直なところ、髪を切る程度のことでお金を払うのもどうかと思うのですが……昔、王であった頃も侍女に適当に切ってもらっていたことですし、要は邪魔な髪が無くなればいいだけの話なのですから。


 ――と、凛に言ったら怒られました。


「あんたね! 髪は女の命なのよ! 男の子やってた昔ならともかく、今のあんたは女の子でしょうが!」
「あ、いえ……今も騎士であることに変わりは」
「だまらっしゃい!」

 ぐわっ、と獣の様な咆哮を挙げた凛に思いもよらず気圧される。よもやこの身がこれほどのプレッシャーを受けるとは。
 凛は腰に手をやり、心なしかこちらを見下ろすようにしながら柳眉を逆立て、シロウはその後ろで放射される鬼気にがたがた震えていた。何故でしょう。

「だいたいあんた、日頃あれだけシロウに甘やかされて、ごろごろにゃんにゃん鳴いて立派に女の子やっておきながら、今更『私は騎士です』なんつってすまし顔したって、説得力のカケラもないってのよ」
「なっ! わ、私は甘やかされてなどいない! だ、だいたい鳴いているのは猫たちであって私では……」
「ああもう、言い訳無用! ちょっと士郎、あんたの猫借りてくわよ。お金を使いたくないって言うならわたしがセイバーの髪切る。ちゃんと綺麗にしてあげるし、これなら一石二鳥でしょ!」
「なんだ遠坂、おまえ散髪なんてできるのか?」
「ふっ、イリヤにできてこのわたしにできないことなんてあるはずないわ」

 一方的に言い放つと、凛は私の腕を痕がつくのではないかと思わせるほどの力で握り締め、シロウの返答も待たずに引っ張っていく。
 力任せに振りほどこうとしても、いったいこの細腕のどこにこれほどの握力があるのかびくともせず、抵抗は全て徒労に終わる。

「り、凛! ちょ、ちょっと待ってください! あっ、シロウ! なに十字を切って見送っているのですか!? 私を見捨てるのかマスターッ!」
「ああ、良く考えたらちょうどいい練習台モルモットにもなるし一石三鳥ね! さっすがわたしだわ!」

 もはや止まらない凛と、成す術もなく引きずられていく私を死んだ魚のような目で見送るシロウの姿を目に焼き付けて、私はそのまま凛の部屋――赤いあくまの実験室へと連行されていったのでした。


 結論から言うとさすがは凛と言うべきなのでしょうか。
 凛は思っていた以上にきちんと髪を切ってくれて、以前とそう代わり映えはしないものの、綺麗に整えられた髪を邪魔に感じることもなくなった。

 ……の、ですが。
 凛に髪を切ってもらって以来、一つだけ不可解なことがこの身を襲っているのです。

「……と」

 などと考えている間に、私はバランスを崩して後ろにいるシロウにもたれかかっていた。

「申し訳ありません、シロウ」
「気にすんなって。それよりセイバーも気をつけろよ」
「ええ……しかしこれでも十分気をつけているつもりなのですが」

 それでも少しも思い通りにならない我が身に首を傾げる――もう何度こうしたことでしょうか。
 凛に髪を切ってもらった二日前から、どうにも身体のバランスが取りにくくて仕方がない。いくら気をつけていても、今のように足をもつれさせたりふらついて転びかけてしまうのです。幸いなことに近くにシロウや凛がいてくれているので怪我などはまだしていないのですが。

 ですがいったい何故こんなことになっているのだろうか。
 やはりきっかけは髪を切ったことなのだと思うのですが、伸びていた前髪と、少し飛び出していたひと房を短くしてもらっただけだというのに。

「全くもって不可解なことです……」
「あー……しょうがないと思うぞ。ステータス情報更新されてたし」
「そうね……まさかアレがああいう働きしてたなんて思ってもみなかったわ」
「? 何か心当たりでも?」
「「いや、なんにも」」

 顔を引きつらせて笑っているシロウと凛に問うも、二人とも激しく頭を振って否定した。
 ……全く、不可解なことです。



観察日記 (2004/8/26)

「■■■、■■■■……」

 なにやら悲しげな唸り声が聞こえてきたたので庭に出てみると、片隅にある花壇の前でバーサーカーが身体を丸めて蹲っていた。唸り声の発生源はもちろん彼であり、イリヤスフィールがその背中をさすっている。どうやら慰めているようですが。

 いったい何事でしょう。イリヤスフィールがまた悪戯をしてバーサーカーを泣かせたのでしょうか。この間はバリカンの使い方を覚えたイリヤスフィールが、その切れ味をバーサーカーで試して大惨事になっていましたが、今回はそのようにも見えませんし。

「どうしたのですか、バーサーカー?」
「あっ、セイバー」
「■■■■……」

 声をかけて振り返るバーサーカーの瞳は雫をたたえて潤んでおり、真っ赤に充血していた。暴走一歩手前、といったところでしょうか。
 バーサーカーは狂戦士のクラスだけあって、暴走すると手に負えなくなる。マスターであるイリヤの言葉すら受け付けなくなってしまうので、止めるには彼が落ち着くのをただ待つか、最悪令呪を使用するしか方法がない。
 しかし令呪はそもそも使用回数が三回しかないので無駄遣いすることは出来ない。これから先、なにがあるとも限らないのだ。
 となると、彼が落ち着くのをただ待ち続ける以外に方法はないのだが――問題はバーサーカーの暴走の仕方である。

 暴走したバーサーカーは文字通り暴れるように走るのです。髪を振り乱し地響きを立て、泣く子を黙らせ寝ている猫を起こす勢いで走るのです。
 おかげで商店街や付近の住民にも様々な迷惑をかけることになるのだが、普段のバーサーカーの行いがよいため、気にする人はあまりいないのが不幸中の幸いです。

 しかしながら、いくら許してくれるからといって同じ迷惑を何度も繰り返すわけにはいかない。それに……私の身体が持ちません。
 何故かバーサーカーは、暴走する際に私とイリヤスフィールを肩に乗せて連れて行くという習性があるようなのです。
 イリヤスフィールのほうは慣れたもので、むしろそれを楽しんでいる節があるのですが、当然のことながら私の場合はそうもいかない。ですから私は全力を以ってバーサーカーが泣くのを止めなければいけないのです。泣く子と地頭には勝てないとはよく言ったものです。

「イリヤスフィール、いったい彼はなにをそんなに悲しんでいるのですか?」

 花壇の前で蹲って唸り声を上げているだけで埒の明かないバーサーカーに代わり、イリヤスフィールに聞いてみる。彼女は少し背伸びしてバーサーカーの頭を撫でながら、

「うんとね、実はこの夏休みの間、タイガの言いつけで朝顔の観察日記をつけてたの」
「大河の……ですか?」

 彼女の口から出てきた思いもよらない人物の名前に一瞬、嫌な予感が脳裏をよぎる。

「うん。なんかね、学校行ってなくても宿題くらいやりなさい、このばか弟子がー、って。失礼しちゃうわよね」
「ああ、なるほど。夏休みの宿題ですか」

 それならば納得だ。ああ見えて大河は教師であり、己の職務に忠実である。普段の彼女がどれだけ無茶苦茶な行動をしようと、その点においては一遍の疑いもない。それに大河が以前より、学校に通っていないイリヤスフィールのことを心配していたのは私も良く知っていますし。

「しかし、それとこのバーサーカーの慟哭といったい何の関係があるのですか?」
「関係大有りよ。だってこの朝顔を育ててたのはバーサーカーだもの」
「バーサーカーが? あなたではないのですか? イリヤスフィール」
「わたしは観察日記の絵を書いてたの。バーサーカーは日記と朝顔の世話が役目よ。でねほら、さっきいつも通りに水をやりに来たら、バーサーカーが育ててた朝顔が倒れてたのよ」

 そう言われてバーサーカーの陰から花壇を覗くと、確かにイリヤスフィールの言うとおり、長く伸びた朝顔が横倒しになっている。昨日の夜は風も強かったですし、きっとそのせいなのでしょう。

「ですが、この程度ならばまだ平気なのではないですか? ちゃんと補強して起こしてやれば大丈夫だと思いますが」
「■■■!?」
「そうなの?」
「私も詳しくないので良くはわかりませんが……根っこの部分はまだ無事ですし、平気なのではないですか?」

 私の言葉に希望を感じたのか、バーサーカーの表情に喜色が戻り、彼は早速飛ぶようにして土蔵に走っていった。きっと補強に使えるような物を探してくるつもりなのでしょう。
 それはいいのですが、そんなに焦って走って、土蔵を破壊しないでください……ああ、ほらぶつかった。彼は身体が大きいので、あの小さな土蔵の入り口には少々サイズが合わないのです。後でまたシロウが修理に苦心することになるのですね。


 結局、その後しっかりと補強した朝顔は翌日もちゃんと綺麗な花を咲かせていた。このまま順調に育てば、秋には立派に種をつけるだろうとシロウも言っていましたし。
 ただ一つ懸念なのは、そうなると、種をつけるころにまたバーサーカーが暴走する危険があるということだ。種をつけるということは花が枯れてしまうということに他ならないのだから。それが今から少し心配といえば心配の種なのです。

「……で、イリヤスフィール。これがあなたたちのつけた観察日記ですか」
「そうよ。ちゃんとつけてあるでしょ?」

 まあ、確かに日記は毎日つけているようです。お世辞にも上手いとはいえませんが、愛嬌のある絵日記といえるでしょう。
 ですが。

『■がつ■にち てんき ■■■
■■■、■■■■■■■■■。■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■。■■、■■■■、■■■■■■■■■!
■■■■■■、■■■、■■■■。■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■。』

 はっきり言ってこれではなにが書いてあるのか、普通の人にはさっぱりわからないのですが。
 バーサーカーには悪いのですが、きっと再提出ですね。



くらげ (2004/8/25)

「セイバー、今日はなにが食べたい?」

 と、聞かれて、

「そうですね……今日は魚などをいただきたい気分です」

 と、答えたのが三十分ほど前。

 そして先ほど買い物から帰ってきたシロウは、魚ではなくくらげを持っていた。
 ……くらげ。その脱力感を煽る名前を、この私が忘れるはずもない。何故なら私はかつて彼の軟体生物にしてやられ、一敗地に塗れているのです。


 それは先週のことでした。
 何の前触れもなくやってきたランサーに連れられて、海釣りに出かけたのです。もちろんシロウも一緒でしたが。
 釣果はまあまあ。例によって私は一切釣れず、いわゆるぼうずというやつだったのですが、代わりにシロウと、忌々しいことですがランサーが十分に釣ってくれたのでその日の晩ごはんにはまったく困らなかった。

 ――の、ですが。

 またしてもランサーです。
 いえ、波で釣り船が揺れたせいであってわざとではないのはわかります。だが、背中からぶつかって海に人を突き落としておきながら、大笑いをするとはどういう了見なのでしょうか。……確かに頭から海草をぶらさげていたのは自分でも間が抜けているとは思いますが、それでもです。
 おかげで私は全身濡れ鼠になり、そしてくらげに足を刺されて腫れ上がってしまったのです。
 幸いなことに私はサーヴァントですから、直ぐに完愉し痕にも残らなかったのが不幸中の幸いですが、それでもくらげに刺されたという事実が消えるわけではない。故に私にとって、くらげとはある意味忌むべき名前なのです。


 そしてそのくらげは今、今夜のおかずとして私の目の前にあった。

「しかしシロウ……何故くらげなのですか? 私はてっきり魚だと思っていたのですが……」
「ああ、俺もそうしようと思ったんだけどさ。なんかここのところくらげが大量発生してるらしくて、あんまりいい魚が入ってきてないらしいんだ」
「くらげのせいで、ですか?」
「うん。くらげは漁の網を破っちまうからな」

 ……なんということだ。よもや私の食生活にまでくらげが介入してくるとは思ってもみなかった。くらげは所詮海に生きる生物。陸にまで上がってはこれまいと高をくくっていた私の油断ですね。

 しかし、考えようによっては、これは意趣返しをする良い機会なのかもしれない。何故ならくらげは所詮くらげであり、陸の上に上がってしまえばまさに文字通りまな板の上のくらげですから。

「うむ。これぞまさに天の配剤というものでしょう」
「む? よくわからないけど、やる気満々だな、セイバー」
「ええ。シロウ、再戦の機会を与えてくれたあなたに感謝します」
「む。よくわからないけど頑張ってくれ、セイバー」
「お任せを、マイマスター。この剣に誓ってあなたに勝利を捧げます」

 剣とはもちろん我が愛剣、約束された勝利の剣エクスカリバーのことです。
 いかに相手がくらげであろうと、聖剣に誓ったからにはこの身に敗北は許されないのです。相手はくらげですが。


 そしてその夜の食卓にて。


「ああっ、セイバーちゃんちょっと一人で食べすぎだよぅ!」
「申し訳ない大河。しかしいかにあなたの頼みとて、これは私にも譲れないのです」
「なんせ聖剣に誓っちまったからなぁ……くらげ食うのを」
「セイバーあんたって子は……こっちに来てからすっかり零落れたわねぇ……」

 常人には見切れぬ速度で箸を繰り出してくる大河の手をかわし、シロウが用意してくれたくらげのお刺身をありがたくいただく。凛が蔑むような目つきをしていますが、そのような中傷などシロウのごはんの前では何ほどのこともない。
 それにしてもくらげ、初めて食べましたがこれはなかなか、意外にも美味しい。

 よもやあのように海面に浮いているだけの生物がこれほどまでに美味だとは……あなどれませんね、くらげ。



群れ (2004/8/24)

 ……増えている。間違いなく増えています。

 眼下で用意した食事に群れている猫たちを眺めながら、私は確信した。昨日は確か八人だったはずなのに、今日は十人います。ちゃんと数えたのだから間違いありません。昨日よりも二人、猫が増えている。

「……何故でしょうか」

 そもそも最初は六人だったのです。うちの縁の下で生まれた子猫のためは、まだ自分たちで食料を得ることはできません、本来ならば両親が食料を獲ってくるものなのでしょうが、彼らは子が乳離れすると直ぐに元の気侭な生活に戻ってしまいました。
 故に私が彼らの母代わりを買って出て、こうして食事の世話もしているのですが……

「何故、あなたたちまでいるのですか?」

 指先でちょんと突付くと、一心不乱に食べていた虎模様の猫が物問いたげに顔を上げる。

「…………」
「…………」

 そうしてしばし、私たちは見詰め合っていたが、やがて虎猫は再び食事に戻っていった。

 十から六を引くと四。つまるところ都合四人増えています。彼らがいったいどこからやってきたのかわかりませんが、昨日やってきた二人は今日も来ていますし、きっと明日も来るでしょう。もしかしたら明日になったらまた増えているかもしれません。
 この子たちの食事代もただではない。アルバイトしている私のお財布と、毎日の食事で出るほんのわずかなおこぼれを彼らの食事にしているのですが、それもそろそろ追いつかなくなりそうです。

「いいですね、あなたたちは幸せそうで」

 食事を終え、満腹になった子が毛繕いを始めた。別の子は早くも丸くなって昼寝の体勢に入っている。
 その子の毛並みを撫でてやりながら、少しアルバイトの時間を増やそうか――などと考えている時点で、この子たちに負けているのだと自覚していた。
 というよりは、可愛いと思ってしまった時点で負け、ですね。

 あっという間に空っぽになってしまった食事の皿から、猫たちが各々離れて丸くなったり毛繕いをしたりじゃれあったりしている。中にはまだ物足りなそうに前足で皿を突付いている子もいるが、もちろんおかわりは出てきません。食べすぎは身体に毒なのです。
 ……ここに凛がいたら嫌な笑顔を浮かべながら何事か言ってくるのでしょうね。いいのです、私はあれで適量なのですから。

 と、そんな私の内心の声が聞こえたのか、皿の中身をじっと眺めていた子が顔を上げてこちらに歩いてきた。

「む、なんですか? そんな顔をしてもおかわりは出ませんよ」

 言っては見たものの、どうしてもと言うなら――そんな気持ちになっている時点で負けですね。
 だが、どうやらこの子はおかわりが欲しかったわけではないらしい。

 何故なら私の足元に来た途端、こちらに物を言う暇も与えずに、膝に飛び乗ってきたのだから。

「突然何事ですか? 別に私の膝の上でなくても毛繕いなどできるでしょうに」

 しかし彼は私の言葉になど耳を貸す様子はなく、気侭に毛繕いをし、すっかり毛並みを整えるとそのまま丸くなってしまった。
 どうやら私の膝を寝床と決めたようですね。鼻をひくひく、耳をぴくぴくとさせながら、目を横一文字にして丸くなる子猫。
 このまま眠られてしまっては私も動けなくなってしまう。だったら、膝からどかしてしまえばいいのだし、そうすることは容易いのですが……手強いのは膝の上からじんわりと伝わってくる柔らかなぬくもりだ。それにこうも気持ちよさげに丸まられては、無理にどかすなど心苦しくてできるものではない。

 故に結局、こちらが折れるしかないわけです。

「まったく……仕方ないですね」

 くるりと丸くなっている背中を撫でてやりながらため息交じりの苦笑をもらす。
 どれくらいこうしてなければいけないかわかりませんが、時間の許す限りはこの子のお昼寝に付き合ってあげ――

「ッ! なっ!?」

 と、突然背中から首にかけての辺りに何かが飛び乗ってくる感触。そしてそれは、そのまま肩の上で丸くなって――ということは、別の猫ですか!?
 首を捻って見てみると、そこには予想通り白い毛並みの猫の姿が。

「し、シロ! あなたはなんと言うところに――」

 と、そこまで言ったところで気づく。
 見ると、今までで丸くなったり毛繕いをしたりじゃれあったりしていた猫たちが全員、揃ってこちらを見ていて――


 そして二時間後。
 私は膝の上やら肩やら頭の上やら足元やら……とにかく全身の至るところに猫を張り付かせて、深いため息をついていた。

 シロウ……今日に限って帰ってくるのが遅いのですね。できれば早く助けてほしいのですが。



蘇ル思ヒ出 (2004/8/21)

「ごめんくださーい」
「む……来客ですか」

 夕方、シロウが不在の我が家に来客者の声と一緒にチャイムが鳴った。
 しかもその声には聞き覚えがある。私の記憶に間違いがなければ、彼女はシロウたちの友人であり、私も日頃学校の教室で顔を合わせている女性のはずだ。

 ともあれ、来客ならば玄関に出て迎えなければいけないのですが、生憎今私は少し手が離せない。

「セイバー、私が出てきましょう」
「頼みますライダー。……ただしくれぐれも粗相の無いように」

 失礼な、と言い残しライダーは立って玄関に向かって行った。
 まあ、本人も遊びに来たはいいが、例によって誰も相手にしてくれる人がおらず、お茶を飲んでいるしかなかなくて手持ち無沙汰だったようですからちょうどいいのでしょうが……なんでしょう、久しぶりに私の直感が何かを告げています。
 この予感を取り払うべく、洗い物をする手を急がせる。少々おざなりになってしまうのは嫌なのですが、こういう時の自分の直感は信じるに足るものと経験上知っているが故のことだ。
 そして洗い物の籠の中に、洗い終わったお皿が全て積み上がった頃に――

「ヒッ!?」

 ここまで聞こえてきた綾子の悲鳴に、私は玄関に急行していた。


「綾子ッ!」

 玄関には予想通り、ライダーの視線に射竦められて立ち尽くしている綾子と、そんな彼女の前に立つライダーがいた。
 そしてそれを見た私の行動は、自賛してもかまわないと思うほどに迅速だった。

「何をやっているのですか、この不埒者がッ!!」

 私は履いていたスリッパを素早く脱いで手に取って、肩口に構えて突進。無防備なライダーの背中に一瞬で詰め寄って、上段に振りかぶったスリッパを叩きつけるようにライダーの後頭部に打ち下ろす。

 スパーン、と響く破裂音。

「……痛いではないですかセイバー」
「痛くしたのですから当然です。まったく、あれほど粗相をするなと言ったのに何をやっているのですか。それともライダーのクラスのサーヴァントは、人の言ったことも守れないほどの愚か者なのですか? 大河に言わせるところのわからんちんのおばかちん、なのですか?」
「……よく意味はわかりませんが、大河の言葉ともなると何故こんなにも屈辱的な響きになるのでしょう」

 それは私にもわかりませんが、気持ちは良くわかります。
 と、それどころではありません。

「申し訳ありません、綾子。その、大丈夫でしょうか? もし、この不埒者に何かされたというのであれば遠慮なく言ってください」
「い、いや、大丈夫だよ。別に何もされてないし……」
「? 何も?」

 しかし彼女の切羽詰ったような、悲鳴は確かに聞こえてきた。聞き違えなどではない、と思う。
 それにここに来たとき、綾子の表情は確かに恐怖で歪んでいた。あのように表情をしている者に何事も無かったなどとはとても思えない。
 だが、目の前でやや引きつりながらも笑っている綾子が嘘をついているようにも思えない。ましてや隠し事してライダーをかばうような理由も彼女には無いはずですし。

「しかし綾子、では先ほどの悲鳴はいったいなんだったのですか?」
「え? ……うん、あたしにもよくわかんないんだけどね。その、そこの人と目が合った瞬間、なんか急に……」

 そう言うと、彼女は目を逸らして小さく身を震わせた。

「……ライダー」
「なんですか?」

 私はライダーを手招きして呼び寄せ、綾子には聞こえないようにそっと耳打ちする。

「いったい何があったのですか? 綾子はあなたに何もされていないというが、彼女の様子を見る限りとてもそうとは思えない」
「ええ、確かに彼女は何も知らないでしょう。……正確には覚えていないといったほうが正しいのですが」
「……! 貴様、まさか彼女の記憶を……!?」
「はい……聖杯戦争の時に」

 ……なるほど。で、あれば綾子がライダーのことを覚えていないのも無理はない。それに……あまり良いこととは思えないが、綾子にそのときのことを思い出してもらうわけにもいかない。聖杯戦争のことは、何も知らない一般の方々には決して知られてはならない秘事だ。
 先ほどから無意識に首筋を意識しているところを見ると、おそらくライダーに血を吸われたのでしょう。
 異形・異質のサーヴァントに追い詰められ、血を奪われる恐怖……ならば、記憶を失っているはずの彼女が潜在的に恐怖を覚えていても無理は無い。

「アヤコ、と言いましたか」
「あ……は、はい」

 と、ライダーが綾子の前に進み出て、彼女と対峙していた。長身のライダーに見下ろされる形となった綾子は、見てわかるほどに怯えを見せている。
 ライダーはしばし、恐怖の色を見せている綾子の目をじっと見ていたが、やがて瞳を伏せると彼女に対して深く頭を下げた。

「申し訳ありません、アヤコ。詳しく語ることはできませんが、私はかつて貴女に対して危害を加えたことがあります」
「え、ええっ!?」
「今、あなたが私に感じている恐怖はそのときのもの。ですから、私は何も言い訳するつもりはありません。あなたが望むならこの身を如何様に弄ぼうとかまいません。ええ、どんな責めでも受け入れる所存です」
「い、いや、それは遠慮しとくけどさ」

 綾子が頭を下げているライダーから心なしか一歩引きながらも言葉を続ける。

「でも、本当なのかい? その、あたしがあんたに会ったことがあるっていうの。こっちには全然覚えが無いんだけれど……」
「思い出さなければそれに越したことはありません。ただ、本当のことです」
「……ふぅん。なんか気持ち悪いね、それも。……でもま、いいや」

 言って、頬をかきながら綾子が一歩ライダーに近づいて手を差し出した。
 対するライダーは、差し出された手のひらを見、次いで差し出している綾子の顔を見た。彼女の顔からはまだ完全に恐怖が抜け切っていないようだったが、それでもしっかりといつものさっぱりとした笑顔を保とうとしていた。

「アヤコ?」
「思い出せないっていうならきっと忘れたあたしが悪いんだし。それに、わざわざ言わなくてもいいようなことを言ってくれたあんたはいい人だろ? だったらさ、つまんないことは忘れたついでに全部無かったことにしちゃうっていうのが一番楽じゃないか? あんたも、あたしも」
「……それで、いいのですか?」
「いいって。だから仲直りしとこうよ。ライダー、だっけ? あたしゃね、いいやつのことをいつまでも嫌ったままでいるのは嫌なんだよ」

 そう言うと綾子は強引にライダーの手を取って握り締めた。

 なんとも綾子らしいというか……だが、やはり彼女はとても気持ちのいい人物であると再確認した。さすがに、あの凛がかぶっている猫を全て捨て去って、素顔のままで付き合おうとする友人だけのことはある。
 日本の言葉で言うところの、赤心を推して人の腹中に置く、というものでしたか。こうまで深く信頼の心を寄せられては、その心に抗うことなどできるはずがない。

 ライダーもまた、同じ気持ちだったのだろう。小さく笑みを浮かべて、綾子の手を握り返していた。

「ま、とりあえずよろしく。……でも、何されたのか覚えてないけど、同じことするのはもう勘弁してよね」
「はい、こちらこそ。……安心してくださいアヤコ。それでしたらもう、士郎にしかしませんから」
「は? 衛宮?」

 思わぬところで思わぬ人物の名前が出て驚いたのか、目を見開いてライダーの顔を凝視する綾子。
 そして私はというと、一度履きなおしたスリッパをもう一度脱いで振りかぶった。

「ええ、士郎は私専用ですし。それに彼ならば、むしろ悦んで……」
「とんでもないデタラメを言わないでいただきたい、この不埒者」

 スパーン、と響く破裂音。
 その後、綾子から私とシロウとライダーの関係について追求されたのですが、それはまた別の話です。

 ちなみに彼女は、桜の忘れ物をわざわざ届けにきてくれたとの事だったのですが、それを何故、この家に持ってくるのでしょう。
 あくまでこの家は私とシロウの家なのであって、桜の家ではないのですが……いや、毎日のように桜が我が家に入り浸っているのは否定しませんが。



タイフーン その2 (2004/8/19)

 台風再びです。というか、もう過ぎ去った後なのですが。
 昨夜、日本本土に上陸した大型の台風は行く先々で猛威振るい、今朝方遠い海の向こうへと去っていきました。冬木市もまた、わずかとはいえ災禍に見舞われ、商店街は今朝から軒並み店舗の修繕に追われています。我が家でもシロウの自転車が倒れてライダー愛用の二号が負傷したり、屋根の瓦が飛んでしまったりと、それなりに被害を蒙ってしまった。

 それにしても日本に台風が多いというのは本当のことだったのですね。七月、八月に入ってからこれで三回目の台風到来です。しかも私の与り知らぬところではもっとたくさんの台風が発生したようで、昨日訪れたのは十五番目の台風だそうです。
 おかげで、というわけではありませんが、私もすっかり台風には慣れてしまいました。
 最初の一、二回こそ、その……シロウにわずかばかり迷惑をかけてしまいましたが、今ではそれもありません。代わりにそんな私を見たイリヤスフィールが味をしめて、台風が来るたびにシロウのふとんの中に潜入するようになってしまいましたが……というか、私はそこまでしていません。

 閑話休題です。

 ともあれ、屋根の瓦が飛んでしまいました。このまま放っておくわけには、もちろんいきません。そこで瓦を直すべく、私は屋根に登っているわけです。
 シロウはやめろと言いました。こういうことは男の自分がするから、無茶をしないでくれと。
 しかし私は無茶などしていませんし、これが適材適所でもある。シロウは昼食を作り、私は屋根の瓦を直す。私に料理が出来ない以上、こうするしかないではないですか。
 ……まあ、その心遣いは素直に嬉しいと思いますが。

 飛んでしまったり割れてしまった瓦を、シロウに教えてもらった手順で交換する。
 台風一過で空には雲一つなく、今日は風も大人しい。青い空から降ってくる虹色の光は容赦なく私を叩き、雨で濡れた屋根を乾かして熱していく。
 そんなところにいるのだから当然私も熱い。額から滲んだ汗が目に入ろうとするのを拭って、代わりに顎を伝って落ちた雫が瓦に染みを作った。

「ふう……これはこれで大変ですが、もう少しですね」

 残った瓦は後一枚。これが終わればお昼ごはんです。冷たい麦茶と冷麦をいただきましょう。

 ――と、そんなことに気を取られて油断してしまったのがいけなかったのかもしれない。

「ッ!?」

 まだ乾ききらず、僅かに湿っていたのでしょう。上に登ろうとしてその瓦に足を踏み出した途端、靴の底が滑って私は宙に投げだされていました。

 ――体勢は完全に崩れていますし、このままでは地面に叩きつけられますね。ただし少々の痛みは覚悟せねば。

 横目に地面を見ながら冷静にそんなことを考えている。
 この身はサーヴァントですから、死ぬということはありませんしひどい怪我を負うこともない。しかし己の油断の代償として、多少の痛みは罰として受けねばならないでしょう。むしろそのくらいで済むならば安いものです。
 そう思って衝撃に備えようと目を瞑り――

「危ねえッ!」

 ――シロウの声と共に、地面とは違う何か弾力のあるモノにぶつかり、それを押し倒した。

 というより、それがなんであるかなど明白です。

「シ、シロウッ!?」

 慌てて起き上がり、私の下でつぶれているシロウを抱き起こす。

「シロウッ! へ、平気ですか!? どうしてそう……無茶をするのですかあなたは!!」
「いや……だって危なかったじゃないか、セイバー」
「ッ……私のことなどどうでもいいのです!」

 痛みに顔をしかめながらも無理して崩れた笑顔を見せようとするシロウに思わず怒鳴ってしまう。
 が、返ってきたのは、シロウの真剣な表情。

「馬鹿。どうでも良くなんてない。セイバーは女の子なんだから、怪我なんてしちゃだめだ」
「わ、私はサーヴァントです。ただの人間であるシロウよりもずっと……」
「もう聖杯戦争は終わった。サーヴァントとかそんなのはどうでもいいんだ。セイバーはもう俺にとって普通の女の子と同じなんだよ」

 有無を言わさぬ、といった雰囲気でそう言ってシロウは自分で立ち上がり身体についた砂埃を叩き落とす。
 半袖のシャツから覗く二の腕は擦りむいて血が滲み、ジーンズの膝も破れている。どうやら腰も打ってしまったらしく、手で抑えて顔をしかめていた。

「……申し訳ありません、シロウ。私のせいで」
「いいって。俺がしたいようにしただけなんだから」
「はい、それがシロウなのだということは私も嫌というほど知っていますから。でも、あまり私のために無茶はしないでください。……私のせいで怪我をするシロウなど、見たくはないのです」
「ん、善処する……でも悪いけど、それはあまり期待しないでくれ」

 苦笑しながらそう言ったシロウは、

「とりあえず屋根の修理は後でいいからさ。メシにしよう」

 次の瞬間にはもう終わったことのように笑って、部屋の中に戻っていく。

 その背中を見つめながら、思わず私はため息をつく。
 これが……私の油断に科せられた罰だというなら、これ以上厳しい罰もないでしょう。シロウは私がいくら言っても聞かない頑固者だから、私が傷つこうとするとその身を挺してまで私を守ろうとする。私にとってはそうして傷つく彼を見るのが何より辛いというのに。

 だからこれは私に対する罰であり、決して繰り返してはならない罪である。
 シロウを傷つけたくないと思うなら、彼を守るだけでなく私自身も守らなくてはいけない。なんとも難儀なものだ。

 ――しかし。

「セイバー、どうしたんだよ。早くメシにしようぜ」
「はい、今参ります」

 シロウに呼ばれて部屋に上がりながら、身体にこもった熱を逃がそうと、大きく息を吐き出した。

 私は罰を与えられたというのに、同時に嬉しさまで感じてしまっている。
 理由など言わずもがなだ。
 厳しいだけでなく甘やかですらあるなど……シロウが私に与える罰は実に複雑なものですね。



ご懐妊 (2004/8/18)

 ある日の夕方、玄関の呼び鈴が来客者があることを告げた。

「悪いセイバー、出てくれー」
「了解しました」

 夕飯の仕込をしていて手が離せないシロウに頼まれ、玄関に向かう。というか、別に私でなくても居間で転がって雑誌を呼んでいる凛でも良いのですが、言ったところで動かないでしょうから仕方ないですね。

「はい、どなたでしょうか」
「こんばんわ、セイバー」
「……うむ。失礼する」
「メディア? それに宗一郎まで……珍しいですね」

 戸を開くとそこにいたのは何故か花束を持っていつもの難しい表情をしている葛木宗一郎と、こちらは満面の笑顔をしている葛木メディアの夫婦だった。


「……こ」
「子供が」
「できた!?」

 私と凛とシロウがそう言うと、宗一郎が重々しく頷き、メディアが頬に手を当てながらゆっくりと頷いた。

「こ、子供って……あかちゃんよね。人間と、サーヴァントの間に? ……し、信じらんない」

 呆然として目を見開き、凛がつぶやいた。
 しかし、この二人が夫婦となって三ヶ月以上になりますが……子供ですか。結婚しているのですから当然いつかできるものだと思っていましたが、いざこうして言われると凛の言う通り、確かに信じられないことですね……
 何故ならもちろん私もそうですが、メディアはサーヴァントです。彼女の身体は現実に受肉した肉体ではなく、あくまで魔力で紡いだ仮初の肉に過ぎない。それが胎内に子を宿すことができるとは……

 だがしかし、事実として彼女は子供をその身に宿しているという。ならば理屈はどうあれ、素直に祝福するべきでしょう。

「おめでとうございます、メディア、宗一郎」
「あ、おめでとうございます葛木先生、メディアさん。いや、ほんとに良かった。うん、おめでとうございます」
「……む」
「ありがとう、二人とも」

 私と、我に返ったシロウの祝いの言葉に葛木はやはり重々しく頷き、メディアは僅かに瞳を潤ませた。

「ほら遠坂も。いいじゃないか、細かいことはどうだって。二人に子供ができたってんなら、それは良いことだろ?」
「ど、どうだっていいって……あ、あんたねぇ!」
「……遠坂」
「う……」

 諭すように肩に手を置くシロウの真剣な表情に、凛も小さくうめいて言葉を詰まらせる。
 それでも凛はしばし口の中でぶつぶつとつぶやき、どうにも釈然としない様子でしたが最後には、

「と、とりあえずおめでとう。まだ納得できないことはあるけど……子供ができたって事に関しては素直に祝福するわ」

 憮然とした表情ながらもそう言って、シロウに頭をくしゃくしゃと撫で回されていた。もっとも、すぐに赤い顔をして思いっきり彼を睨みつけたのですが。

「それで、出産予定日はいつ頃なんですか?」

 全員の分のお茶を注ぎながらシロウが聞く。今日のお茶菓子はかりんとう。商店街のスーパーで買ってきたセール品ですが、これはこれで良さがある。やはり緑茶には和菓子が良い。紅茶には洋菓子、日本茶には和菓子です。
 ……と、話がずれました。
 シロウが入れたお茶を一口啜り、メディアは自分のお腹に手をやって、愛しげにそこをさする。

「今、ちょうど三ヶ月らしいから、あと七ヶ月というところかしら。予定では来年の三月くらいらしいのだけれど……」
「そうですか。悪阻とかどうですか? 辛くはないですか?」
「ええ、幸いにも私は軽いほうみたいだからそんなでもないのだけれど、やっぱり時々、ね」

 そう言いながらもやはり彼女の顔から笑みは消えない。悪阻というのがどのくらい辛いものかは私にはわからないが、辛いことでさえ子供のためならば喜びに変わってしまうほど、今の彼女は満たされているようだ。幸せの絶頂というものがあるならば、きっとまさに今の彼女がそうなのだろう。
 そして口にも態度にも一切出していないが、メディアの隣で黙して語らない宗一郎もきっと同じ……なのだろう。おそらく。

「とにかく、俺たちで力になれることがあったら遠慮なく言ってください。食事とかのことだったらきっと力になれると思う」
「ええ、ありがとう。……ふふ」
「……む? なんですか、メディア」

 メディアが笑いながら穏やかな目をこちらに向けてくる。初めて見る彼女の瞳の色に僅かにひるみながらも問い返す。

「セイバー、貴女のマスターは本当に良い人間ね」
「……なにを今更。シロウが健やかな人柄であることは問うまでもないことです。……何故なら私のマスターなのですから」
「ふふっ……ほんと、貴女って……そうだったわね」

 私の答えの何がおかしかったのか、メディアはますます嬉しそうに笑ってシロウを意味ありげに見やり、見られたシロウはというとお茶を啜りながらそっぽを向いてしまった。その横顔は少し赤く、呆れたような目つきで彼の顔を見つめる隣にいる凛。

「……で、あなたたちはいつになったら子供作るの? 士郎君とセイバーは」
「ぶーーーっ!」
「ッ!?」

 突然とんでもないことを言うメディアに、私は言葉を詰まらせ、シロウは口に含んでいたお茶を思いっきり噴出した。
 正面にいた凛の横顔に。

「……とりあえず士郎、あんたこっち」
「まっ! 待て遠坂ッ!? 悪気は、悪気はないんだっ!!」
「悪気はなくても乙女の顔に茶ぁぶっかけたって事実は変わんないわ。なんというか、ある意味犯された気分だわ」
「ひ、人聞きの悪いことを、言うなぁぁぁぁ……」

 そうして凛に引きずられてシロウ退場。この後、凛にどのような目に合わせられるか私には知る由もありませんが、少なくとも命の危険はないでしょうし、放っておいても問題ないでしょう。それよりも、徐々に遠ざかっていく語尾の余韻がどことなく物悲しさを感じます。

 ……ではなく。

「い、いきなり何を言い出すのですかあなたはっ!?」
「思ったことを聞いただけよ」
「で、ですから何故そのような……」
「そんなのはセイバー、あなたにだってわかっているのではなくて?」
「……わ、私にはまだ、そのようなことは」

 自分でも自分が何を言っているのか良くわからない。ただ、彼女の問いに答えることなど、今の私にはできないということははっきりしている。

 私は……少なくとも自分の気持ちだけは理解しているつもりだ。これまでに何度も抱いてきた、騎士として、同時に女として彼の傍に居たいという気持ちは変わらないし、一片の揺らぎもない。
 だがわかるのはあくまで自分のことだけだ。それ以外のことなど、神ならぬ身である私には知る由もない。いや、神にだってそんなことわかってたまるものか。

 だから結局……私は臆病なだけなのかもしれない。

「……衛宮はまだ十七だ」

 と、それまでずっと沈黙を守り通してきた宗一郎がぽつりとつぶやいた。
 顔を上げると、相変わらず巌のような無表情の彼がじっとこちらを見つめている。

「……宗一郎?」
「日本ではな、十八にならなければ結婚することはできん」
「は、はあ……」
「それに高校生で子作りなど看過することはできん。我が校では行き過ぎた男女の不純異性交遊を禁じている。……これでも教師なのでな」

 眼鏡のつるを指で押し上げ語る宗一郎。

「……焦ることはあるまい」

 そして最後にそう言うと、それきり先ほどまでのように黙して語らなくなってしまった。
 ……結局は最後のひとことが言いたかったのでしょうか。

 メディアはしばしそんな夫の横顔を見つめていたが、やがてため息をついて小さく笑い、

「ごめんなさい、少し言い過ぎたわね。あなたも士郎君もまだ子供なのだし……確かに宗一郎様の言う通り少し早かったわ」
「私が子供だというのには異論がないわけではありませんが……」
「はいはい……。でもね、セイバー。わかってると思うけど士郎君、ああいう子だから黙って放っておくと、横から奪われるわよ」
「…………」

 メディアが言いたいことは良くわかるが、しかし私にどうしろというのか。
 他の誰かがシロウに想いを寄せるのを止めることなど私にはできない。

「ま、良く考えることね。……それじゃそろそろ私たちは失礼させていただくわ」
「……何故、あなたはそんなにも私に構うのですか?」
「さあ? 私も良くわからないけれど、どうしてか放っておけないのよ、あなたのこと」

 そう言って彼女は最後まで笑いながら、宗一郎と共に帰っていった。

 二人が去り、シロウも凛もいない居間に一人残され、私はメディアが言った言葉を自分の中で繰り返し思い出す。
 だがしかし、どうすればいいのかやはり答えは出ない。……どうしたいのかならば、なんとなくわかるのだけれど。

「やはり……私は臆病なのだろうか」

 つぶやき、知れずのうちにため息を零しながら、手の中にある湯呑みを傾けお茶を口に含む。
 すっかり冷えて温くなってしまったお茶は何故だかいつもよりも苦く感じられた。



花火大会 (2004/8/17)

 いつかのように浴衣を来て下駄を履き、シロウたちと出かける。
 近くで花火大会が催されるとのことです。私は花火というのは見たことが無いのですが、シロウによるとそれはそれはきれいなものだとのことです。
 だから今日は私とシロウと大河だけでなく、凛と桜の姉妹にイリヤスフィール、ライダーもいます。アーチャーとランサー、それにバーサーカーは先行して場所を確保しているはず。お酒を持っていたから、今頃はすでに飲み始めているかもしれませんね。

 ちなみにじゃんけんで負けたギルガメッシュはお菓子などの買出しに行かせています。我は王だのなんだのと最後まで騒いでいましたが、敗者にかける情けなど、欠片たりとも存在しないのです。ましてや最初の一回目で一人だけチョキを出した王など、何をか況や、です。

「おまたせ、アーチャー。おっ、なかなかいい場所とってるじゃない」
「当然だ、我がマスター。君は昨日から我々に徹夜させておいて、なおそのようなことを言うのかね」
「っつーか、そんな命令に唯々諾々として従っちまうおまえもおまえだけどな」

 缶ビールをあおり、少しだけ顔を赤くしながらアーチャーの肩を叩いているランサー。対するアーチャーはというと、迷惑そうに顔をしかめながら、

「そういう貴様は何故ここにいるのだ」
「ん? そりゃオマエ、決まってるじゃねーか。嬢ちゃんにオマエに付き合ってやってくれと頼まれたからな」
「凛に?」
「ああ。美人の頼みとあっちゃあ、断れねえだろ?」

 言って、ビール飲み干して空き缶を潰して放り投げる。私たちが来る前からずっと飲んでいたのでしょうか。既に転がっている空き缶は五本にも上っているが、きちんと潰されて狙ったように一つ処に集まっているあたりは誉めてやってもいいでしょう。

「……おっ」
「?」

 声を上げたシロウが私の肩を叩いて空を見るように促す。
 見上げると、地面から伸びた糸がするする天に昇って行き――

「……おぉ」

 ――泡が弾けるような小さな音と同時に、空に大輪の華を咲かせた。

 一つ目の華が咲いたのを皮切りに、次から次へと空へ伸びていく光の糸、そして咲き誇る大輪の華々。
 ぱっ、と一瞬の煌きと共に開いた華は、すぐに花びらを散らせて地面へと落ちていく。ぱらぱらと響く音は散り往く華が消えていく音そのもので、寂しさすら感じさせる。だがその分だけ、咲き誇る華の美しさは他に例えようがない。

「綺麗ですね……」
「ああ」

 敷いた茣蓙のシロウの隣に腰を降ろして、言葉少なに空を見上げる。端から見たら今の私はまるで放心したかのような顔をしていると思う。
 だが事実、私は空に咲く華の美しさと、その散華の儚さに完全に心を奪われていた。

 もちろんそれは私だけでなく、他の皆も同様であった。
 凛も桜と一緒に瞬きもせずに空を見上げ、イリヤスフィールは無意識なのか、花火が上がるたびに時折小さく手を叩いたりしている。あのランサーでさえ、口元に微笑を浮かべたまま空を眺めながら、それを肴に杯を傾けていた。
 幾つもの小さな破裂音と共に弾ける幾つもの大輪の華。良く晴れた夜空を彩る光の饗宴はひどく贅沢で、同時にひどく儚い。それ故に、頭上に広がる光景は見る者の心を奪って離さない力を持っていた。

「本当に素晴らしい……そう思いませんか、シロウ」
「…………」
「……シロウ?」

 声を返してこないシロウがふと気になって隣にいる彼を伺う。
 と、何故かばったりとシロウと目が合ってしまい、気がつけば妙に顔が近くにあった。――のではないかと思う。

「あの、シロウ……? どうしたのですか?」
「あ? あ、ああ……いや、なんでもないなんでもない。気にしないでくれセイバー」
「? なら良いのですが」

 正直なところ妙に焦っているようなシロウの態度が気にはなったが、夜空に次の花火が上がった瞬間、私の意識はそちらにひきつけられていた。
 しばし私の横顔を伺っていたシロウの視線も途中から感じなくなる。彼もまた、私と同じように空に咲く華を見ているのだろう。

 瞳の中に映る紅や碧、橙、紫、青の煌びやかな華の色に照らされて、私は全ての花火が終わるまで飽きることなく空を眺めていた。


 そして花火が終わって家に帰る途中のことです。

「……このようなところでなにをしているのですか、ギルガメッシュ」
「……ふっ。王たる我が雑種どもに同じところに混じるなどとできるものではないからな。ここで一人で花火を見ていたのだ」
「ああ、つまり迷子になって皆がどこにいるかわからなくて、仕方なくここで一人で見てたってことか」
「た、たわけ! 勘違いするな雑種が! 王たる我が迷子など……迷子など……!」

 と、言ったところで膝小僧を抱えていたのではな説得力も何もあったものではありませんが。
 王でありすぎるが故に、一人では買い物一つできないということでしょうか? ギルガメッシュにも困ったものです。



どじょう (2004/8/16)

 夕食後のなんとも気だるいひと時。大河がテレビの前でぐったりと伸びきって、シロウもお茶を飲みながらぼんやりと天井を眺め、その隣で私は雑誌を読んでいたその時のことでした。

「……む?」

 突然、足元がなんだか不安定になったような感覚の後に、テーブルの上に乗っていた湯呑みがかたかたと音を立て始めました。
 いや、違う。音を立てているのではなくてこれは――

「あ、地震だ」

 落ち着き払った声でシロウが言う通り、地震でした。テーブルの上の湯呑みだけでなく、たんすの上の獅子の人形や招き猫の置物、台所からは食器がかたかたと揺れる音が聞こえてくる。一瞬、落ちたりはしないかと心配になったが、それほどまでに強い地震ではない。
 事実、シロウも至極平然とした表情で湯呑みを取ってお茶を飲んでいるし、大河は――太平楽な表情で頭に座布団をかぶってテーブルの下に這いずっていた。そこに緊張感というものは全くない。

「落ち着いているのですね、シロウ」
「ん? まあ、この程度の地震なら結構慣れっこだからな」
「日本は地震が多いからねぇ〜」

 まだ小さく揺れている中でお茶を飲んでいるシロウと、放って置いたらこのまま眠ってしまうのではないかと思うくらいにぼんやりとした大河の言葉。
 私としては少々緊張感が欠如しているのではないかと思わなくもない。何事も慣れたと思って油断しているときが恐ろしいものなのですが、まあわざわざ言うほどのことでもないでしょう。

「お、治まったな」

 たんすの上の獅子を見てシロウが言った。先ほどまで続いていた微かな揺れも止み、地震は完全に収束したようです。なにはともあれ、一先ず何事もなくて良かった。台所の食器たちも無事のようですし。

「ところでセイバーちゃん、知ってる?」
「? なにをですか、大河」
「……どうでもいいが藤ねえ、どこから頭出してんだよ」

 テーブルの下にいた大河はシロウの足の間から頭を出して、彼の膝の上に乗せていた。

「……で? いったいなにが言いたいのですか大河?」
「むむ? セイバーちゃんってば声が怖いよ?」
「気のせいです」
「んー、ま、いいや。でね、なんで地震が起きるかってセイバーちゃんは知ってるかにゃー?」

 シロウの膝の上で頭を転がしながら何故か嬉しそうに聞いてくる大河。
 ……まあ、いいですが。大河ですし。

「地震ですか……いえ、わかりません。かの魔術師はそのようなことを教えてくれませんでしたし」
「? 魔術師?」
「いえ、気にしないでください」

 私が言っているのはもちろん底意地の悪い我が宮廷魔術師殿のことだが、そのようなことを大河が知る必要はない。知ったところできっと彼女は気にしないだろうし、信じるとも思わないからだ。

「それで大河、地震が起きる理由とはいったいなんなのですか?」

 知らなければ知らないで別段困ることでもないが、大河が知っているのだったら是非聞いてみたいと思う。私にも人並みに知的好奇心というものはありますし、なにより今まで知らなかったことを知るというのは良いことだと思う。自分の知識を蓄える機会があるならば、率先してそうするべきなのです。

「ふふーん。そこまで言うなら教えてあげよう」

 大河は私が問うと、とても得意げな表情になってシロウの膝に後頭部を乗せた仰向けのままで誇らしげに胸を張り、

「地震はね、実は地面の下にいるどじょうが暴れると発生するのだ!」

 と、自信満々に言い放った。
 私はもちろん唖然です。一瞬、彼女がなにを言ったのかわからなかったくらいですから。というか、これで理解しろというほうが無理なのでは。

「あの、大河……どじょうですか?」
「うむっ」
「どじょうというのは、その、川などに住んでいるどじょうのことですよね?」
「柳川鍋にすると美味しいのよねー」

 それが……何故?
 シロウに視線で助けを請うと彼は、

「……昔、切嗣がな」

 苦笑しつつ、そう言いました。同時に視線で『これ以上、言ってくれるな』と語っています。
 なにやらわけは良くわかりませんが、彼がそう言うのであればその通りにしましょう。大河もまたシロウと同じく切嗣と家族同然にすごしていたのだ。おそらく、この話は彼女にとってなにか思い出深いものなのでしょう。

「さて、お姉ちゃん眠くなってきたからもう寝るね、おやすみっ」
「って、おい! 藤ねえ、寝るなら家に帰るかふとんに行くかしやがれ!」
「ぐー」
「……もう手遅れのようですね」

 一頻り話したいことだけ話したら満足したのか、大河はシロウの膝の上でそのまま気持ちよさそうに寝息を立ててしまった。
 ……まあ、いいですが。大河ですし。

 私とシロウは傍若無人というか、見てて気持ちがいいくらいにマイペースな大河に、思わず顔を見合わせて笑みとため息を漏らしてしまう。

「ほんとはどじょうじゃなくってなまずなんだけどな、地震の元って」
「な、なまずですか?」
「ああ、ただ昔からそういう話があるってだけのことだよ」

 シロウは苦笑しながらそう言って、大河の髪を撫でていた。

「しかし、では何故大河はどじょうと?」
「……その話をしてる時に食ってたのが柳川鍋だったからなぁ……ごっちゃになってるんだろ、藤ねえの中で」

 なるほどわかりやすい。
 その時に食べたやながわなべとやらの味と、切嗣からされた地震の話が大河の中で混じってしまってそんな話になってしまったのですね。
 なんというか、大河らしい微笑ましい勘違いですね。別に訂正するほどのことでもないですし、勘違いしたままというのもそれはそれで面白いですし、放っておいても差し支えないでしょう。きっとシロウにもそういうつもりがないわけではないのでしょう。

 そんなことよりも、私にはもっと気になることがあるのです。

「ところでシロウ」
「ん?」
「大河が言っていたやながわなべというのを……その、私も一度食べてみたいのですが」
「……了解。じゃあ、明日の晩飯は柳川鍋にするか」
「はい。ありがとうございます」

 大河が勘違いしてしまうほどのやながわなべとやら、いったいどんなものなのでしょうか?
 地震とは全く関係のないことですが、これは思わぬところで楽しみができた。大河に感謝ですね。
 明日の夜が楽しみです。





※注意事項

 らいおんの小ネタ劇場は完全ご都合主義な世界観でお送りしております。
 何事もなかったようにサーヴァントとかいたりしますが、その辺あまりこだわらない方のみご照覧ください。

 なお、当コーナーは不定期更新です。

TOPにモドル